第10話 un déclic

 高校生活は漫画やアニメで描かれるほど波乱に満ちておらず、スクールカーストなど現実にははっきりと存在しなかった。各々が気のあった人とグループを作り、他に対しては思いのほか無関心。それはここが県内有数の進学校だからかもしれないし、現実なんてそんなものなのかもしれない。


 ただ、顔が良い奴はモテる。それだけは現実でも創作でも変わらない。

 高校には入学して以降、柊はモテた。

 去年までの彼女は本当に特定の人としか話せない人間だということを周りが知っていたため、それほど声をかけられることはなかったそうだが、ここでは違う。同じ中学校から来た人間など3%もいない。

 顔が整っているだけでなく、身長も高く、スタイルも良い。そして、日本人離れした見た目。


 高校にあっても彼女は目立っていた。校内で一度でもすれ違えば印象に残り、話題には上がる。千人ちょっとの狭い世界だ。彼女のことを一ミリも知らない人はこの三ヶ月で居なくなったと思う。

 話が広まるにつれ、彼女に興味を持つ人間が増えた。

 それはただ単なる興味、好奇心。彼女の内面など知りもしないで、抱えた事情も分からず、その美しさに惹かれただけ。

 柊梨沙はその外見によってモテたのだ。


「ごめんなさい。私、好きな人がいて、その人と付き合ってますので、あなたの想いには応えられません。」


 告白されると柊は決まってそう答えるらしい。

 彼氏としては告白されたと聞くたびに気が気でないし、それが呼び出してといった形だった場合は彼女に許可をもらってこっそりついて行った。

 回数が片手を超えた時から彼女の精神状態は少し不安定になった。

 自分を理解していない人から向けられる好意に疲れ、俺や日笠といった気の置けない人間とのつながりをより一層、大切にし始めているように感じた。

 もちろん、それは一概に悪いことではないが、俺に対する依存が再び強くなっていく気配でもあった。


「湊、最近疲れてるよね。大丈夫?」

「疲れてるというか寝不足かな。梨沙と遅くまで電話してたから。」

「なるほどね。相変わらずラブラブだね。」


 放課後、第二音楽室の扉を開けると誰もいなかった。一緒にやって来た日笠以外は。

 部活選びは想像していたのとは異なる結果に落ち着き、俺は日笠と共にこのフォークソング部へと入部することとなった。柊は予定通り吹奏楽部に入部した。


「帰る時間は同じとは言っても、部活が違うと土日に会いづらいからか、高校になってから急に電話が増えたかな。」

「湊も音楽やるならギターじゃなくて一緒に吹奏楽やったらよかったのに。」

「それ、梨沙にも散々言われた。」


 もちろん吹奏楽部も一緒に見学に行ったが、俺には管楽器の才能がなかったらしく、あまりうまく鳴らせなかった。それに思ったよりも経験者の多い環境だったので気後れしたのだ。

 端に寄せられた机の上に鞄を置き、借りてきた鍵で隣に繋がる準備室の扉を開ける。

 第一音楽室の準備室は教員の部屋だが、この準備室は部所有のギターの保管場所となっている。自分で楽器を用意しなくても初めのうちは借りられるというのもこの部活に決め得た理由の一つだ。


「まあ、吹奏楽ってとっつきづらいイメージだしね。私もピアノとかやってたけど吹奏楽だけはちょっとやろうとは思わなかったな。」

「あの梨沙が部活で他の人と上手くやっているのかは心配だけどさ。それにあの子やっぱりモテるから下手なやっかみを受けそうでさ。」

「彼氏としては心配なわけだ。」


 日笠がいつものようにからかう。

 体験入部初日に左足首を痛めた彼女は残りの期間、俺たちと共に体験入部を回り、この部活に入ることとなった。現在は治っているが、特に運動部に未練はないらしい。

 彼女が同じ部活に入ることに梨沙は少し思うところもあったみたいだが、最終的には俺の監視役として日笠を捉えているらしい。

 自分にあてがわれた楽器を取って、準備室を出る。

 席順などは明確に決まっていないが学年ごとに別れて座っている。一年生は部屋の左側に座っていることが多い。


「でも、心配なのは梨沙の方もだと思うよ。最近なんか毎日のように私に『悠を狙っている女の子はいなさそうか。』とか『美人の先輩に現を抜かしていないか。』とか確認のメールを入れてくるぐらいだから。」

「迷惑をかけてしまって申し訳ないな。」


 隣に座る日笠は楽器をケースから取り出し、小型の音叉を鳴らし自らの耳元に当てながらそう言う。

 キーン、という高い音に交じった声色は明るいものではなかった。


「別にいいんだけどさ。なんか本当に愛されてるよね。まあ、ここまで行くと少し怖くもなるけどさ。冗談でも私が湊に触れようものなら、友達だからってあの子は容赦してくれなさそうな気がするよ。漫画とかで見るような『あなたなしでは生きていけない。』みたいな重たい女の子になっちゃわないか心配。」

「昔、そんなこと言われたことあるけどね。日笠と出会う前の俺たちって本当に他人と話せない頃があったからさ。付き合いたての頃は本当にお互いに依存しあっているみたいな状態だったしね。」

「でも、梨沙みたいな同性も羨むような可愛い彼女にそんなこと言われたら男としては嬉しいものなんじゃないの?」


 空気が重くなったことを感じてか、茶化すように話を振る。

 日笠もこの一年の付き合いの中で柊の不安定さに気づいていいるのだろう。

 俺に向けられた好意が彼女にとっていかに大きなもので、俺からの好意を柊がどれほど欲しているのか。

 直接言わないだけで、おそらくもっと「確認」をされているのだろう。詳細に頻繁に。


「日笠に負担をかけ過ぎないように梨沙に言っておくよ。」

「そこまでしなくていいよ。迷惑とか思ってないし。でも、欲を言えば、もう少し梨沙には落ち着いてほしいかな。今まで見たいに湊と梨沙が仲良くやってくれて私がそれを落ち着いて眺めていられるようなくらいがありがたいんだけどね。」

「本当に申し訳ないな。」

「湊は優しいね。」


 その一言に胸を締め付けられた。

 無理矢理作った笑顔で「大丈夫だ」と笑う日笠を見るのは辛かった。

 今までのように三人で仲良くやっていきたいなら、そんな顔をさせてはいけない。彼女を巻きこんでまで在る幸せに価値はないのだと。


 それから先輩や他の一年生が来るまでの五分は、少し重たくて、何故か悲しい空気に包まれていた。

 お互いに目を合わせることもなく、会話を交わすこともなく、一人の少女を思い浮かべていた。

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