第5話 codépendance

 共依存。

 俺たちの関係を最初にそう呼んだのは担当医だった。


「『お互いだけがいればいい』と考えたことはありませんか?」


 指摘されてドキッとした。

 自分の考えを読まれたからではない。この間、彼女がそう口にしていたからだ。確かに俺もそんなことを考えたことは何度かあったが、あのように本気で思い込んだことはなかった。


「君たちがお互いのことを大事に思っているのはわかっています。ですが、もう少し他の人たちと交流を持った方がいいと思います。」


 二ヶ月ぶりのカウンセリングは今までとは異なる言葉を言われた。

 この頃には医者と呼んでいた人間が内科医や外科医ではなく精神科医、すなわちカウンセラーなんだと気づいていた。俺たちの問題は発達障害などではなく精神的な病気なのだと大人たちは考えていたようだ。

 その傾向はこの前の一件を境に増していっていると医者は言った。

 もちろん、あの日、俺の部屋で何があったかを誰にも話してはいない。ただ、柊の様子がおかしいので彼女の親が心配しているらしい。そんな話が俺にも回ってきており、今日のカウンセリングとなった。


「ねぇ、悠。梨沙ちゃんと喧嘩したの?」

「喧嘩なんかしてないよ。」

「ならいいけど。最近、会ってもないみたいじゃない。」

「たまたまだよ。仲良くしてるよ。」


 診察室から出てきた俺に母親はそう声をかけた。

 嘘はついていない。彼女とはメールで連絡は取っているし、あの時のことをお互いに謝ったりもした。だから、仲違いしたとか別れたとかいうわけではない。以前、お互いを恋人として認識しているし、文面では好きだと伝え続けている。

 その一方で、彼女との意思疎通がままならなくなっているのは事実だ。彼女とのやり取りはここ最近、「悠だけいればいい」という話に行きついてしまう。どんな話をしていてもそこに持って行かれるのだ。

 また、ここ二週間ほど、柊と彼女の親との会話が成り立たなくなっているという話から考えても、彼女の精神状況は良くないと思われる。それを偏に俺のせいにされても困るが、一因は俺にあると思う。


「梨沙ちゃんも悠に会えなくて寂しいんだと思うよ。お医者さんはああ言ったけど、悠と仲良く話している時が一番楽しそうだし、会うようにした方が良いんじゃないかなって思うけど。」

「会わないつもりはないけどさ。」

「二人が仲良くなってから悠も梨沙ちゃんもよく話すようになったんだから、他の人と仲良くする前にちゃんと仲直りしないといけないよ。」

「だから、喧嘩なんかしてないって。たまたま会ってないだけでメールはしてるから。」


 そう、あの日以来顔を合わせないのはたまたまなのだ。意図的に避けてるわけでも、断っているわけでもない―と思う。

 実際の所、彼女に対して抱いた恐怖が消えないのは確かで、二人で会えば同じことが起こるのではないかという疑念はぬぐい切れない。あのまま進んでしまえば、超えてはならないラインを確実に超えてしまう。

 付き合っている男女としてそういうことをするのは当然なのかもしれない。興味はあるし、いずれは柊とすることもあるだろうという程度の妄想はしていた。あの日までは。



『もう一度会って話したい。』


 梨沙からそんなメールが送られてきたのは、あの日から三週間が経とうとした秋の終わりだった。


『俺もそう言おうと思ってた。』


 本音だが白々しい文面を返して、日取りを決めた。場所は彼女の部屋。

 約束の時間より五分早くインターフォンを押す。数秒の間があって、エントランスの扉が開く。見慣れたロビーを通り、エレベーターに乗り、4階へと上がる。エレベーターを降りて左へ行って突き当り。柊の表札が見える。

 インターフォンを押すよりも早く、扉が開き、柊に手招きをされる。


「お邪魔します。」


 玄関で靴を脱ぎ、彼女しかいない家にあがる。洗面所へと向かい手を洗い、うがいをする。この一連の流れは何度も繰り返し、身に染みたものだ。

 洗面所から出てきた俺を待ち構えていた柊が俺を抱きしめる。会わなかった時間を埋めるかのように強くお互いを抱き寄せる。ここまで言葉こそ交わしていないが、お互いの気持ちはわかりあっていた。

 顔を上げて彼女を見上げる。気のせいかもしれないが、以前にあった時よりも彼女の顔が近くに感じる。会わない間に俺の背がそこまで伸びたのだろうか。

 目が合う。キスをする。この数ヶ月で何度も交わしたキスだが、今日だけは特別に甘く感じた。


「ありがとう。」


 何分も続いた口づけが終わると柊はそう言った。


「好きだよ。」

「私も悠のこと愛してる。」


 もう一度だけ、軽く口づけをする。これ以上続けると延々と続いてしまうだけだとわかっているのでほんの一瞬重ねるだけのキス。

 柊は俺の手を握ると、そのまま彼女の部屋へと俺を引っ張っていく。案内されずとも場所くらいわかっているが、大人しく従う。

 見慣れた部屋につくといつものように床には座らせられず、ベッドに深く腰かけるように指示された。言われるがままに座る。彼女は隣に座るのかと思いきや、こちらを向いて俺の膝の上に乗る。

 自分より大きな彼女を支えきれずベッドに倒れ込んでしまうと、まるで彼女に押し倒されたかのような体勢だ。


「ねぇ、このまま話をしよ。ううん、話したいことがあるの。」

「話したいこと?」


 倒れ込んだせいで真横にある彼女の顔。言葉を発すると時折触れる息。

 興奮と緊張を感じながら、言葉を待つ。


「うん。この間からずっと考えてたの。私と悠のこと。」

「俺たちのどんなことを?」

「これからどうしていこうかなって。私が前に母さんに釘を刺されたわけだし、この前、悠の家から帰った後も少しだけ問い詰められたの。別に何があったとか話したわけではないけどさ。」


 そう話す声色は以前と違って震えておらず、しっかりとしたいつもの声だった。


「それって、このまま付き合い続けるかってこと?」

「違う。私は悠のことが好きだし、悠が嫌じゃなかったらこのまま付き合い続けたい。それはきっと親も許してくれるだろうし、むしろ喜んでくれると思うの。」

「じゃあ、何を考えていたの?」

「なんて言えばいいんだろう。うーん、難しいけど、付き合う『ペース』かな。どれくらいで進んでいくかって。母さんは中学生の間はキスまでっていうけど、もうそれ以上のことも―お互いの体触ったりまではしてるじゃん。」


 確かに性器までは見せたり触ったりはしていないものの、上半身までは触りあっている。それはきっとキス以上のことに分類されるのだろう。


「数は少ないけどしてるね。」

「それでね。言うの恥ずかしいんだけど、この前、悠の家に行ったじゃん。あの時、本当は悠と、その、悠としようと思って行ったんだ。エッチを。避妊具も持って。」


 小声で告白をする柊と思わず声を漏らし驚く俺。

 恥ずかしさからか、俺にしがみつく力が少し強くなる。


「それはかなりびっくり。」

「でも、結局恥ずかしくなって途中で帰っちゃったんだけどね。それで決めたの。悠とエッチする日を決めちゃおうって。」

「どうしてそうなったの?」

「きっと母さんたちは成り行きでそういうことをしてしまうことを心配してるんだと思うの。だから、私たちはきっちりとペースを決めて進んでいこうって、そうしたら誰にも迷惑をかけず、心配されず、邪魔されずに付き合っていけるんじゃないかって。それなら悠はずっと私と一緒にいてくれるんじゃないかってわかったんだ。」


 あぁ、彼女はまだ思いつめているのだ。見えていないだけで、きっとこの前と同じような表情をしているのだろう。

 ここで拒絶したら今度こそ彼女はふさぎ込んでしまうかもしれない。このまま何をされるかもわからない。

 そんなことを考えながら、彼女の背中に腕を回して抱きしめる。


「もう日にちは決めてあるの?」

「うん。一月五日。この日が良いなって。」

「その日って―」

「そう、私の誕生日。どうかな?」

「いいんじゃないかな。会いやすい日でもあるだろうし。」

「ありがとう。」


 柊は俺の体の横に手をついて起き上がり、俺の上に覆いかぶさるような体勢に移動すると、顔を近づけてきてキスをされた。そのまま位置を調整して、俺の胸に頭を置いて寝転がる。


「その日までは、胸触られるくらいまでで止めておこうと思うの。それ以上行くと止まれないかもしれないから。」

「わかった。そうしようか。」

「別に今日も胸までなら触っていいんだよ。」


 その誘い方はずるいと思ったが、抗えなかった。いや、恋人の誘いに抗う必要なんてないんだ。

 会わなかった三週間を埋める作業の続きを、日が暮れ始めるまで行った。


「私、悠がいてくれたらそれだけでいいんだ。」


 柊が時折そう口にするのを当たり前のように受け入れながら。

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