最終話

「風が気持ちいいね」

「そうだな……」


 そして辿り着いた東棟屋上。九月下旬のお昼の空はまだ少々暑かったが、そこはそれ。給水塔のブロックの陰に腰を下ろすと、外の熱気がウソのような快適な涼しさに包まれる。

 今この場にいるのは僕と花宮さんだけ。人が少ない事は予想していたが、どうやら大当たりだったようだ。


「本当涼しいなここ。このままここで昼寝でもしていたい」

「ダメですよシュン様、お昼から体育館で演劇やバンド演奏を見るんですから」

「分かってる。ほんの冗談だ」


 しかししばらく涼んでいたいのもまた事実。午後の体育館の演目までまだ時間はある。それまでゆっくりしていよう。そう思っていた時……。


「ねえシュン様、シュン様は……自分の事が嫌いなの?」


 不意に、花宮さんがそんな質問を投げかける。その質問があまりにもクリティカルで、一瞬で心拍数が跳ね上がる。


「え、ど、どうしてそれを……?」


 当然、嫌いなのだが、それを誰かに言ったり、表に出した事はなかったはずだ。それはまるで僕の心の中を見透かされてしまったようで、情けなく動揺する他なかった。


「分かるよ、シュン様の事だもん」

「そ、そうか」


 全く、どうしてこの子は臆面もなくこんなことを言ってしまえるのか。


「それでね、もしよければ教えてほしいな、シュン様が自分のことを嫌いになってしまった理由……」

「……いいけど、あんまり気持ちのいい話じゃないぞ?」

「いいよ、シュン様の事なら何でも知りたい」

「……分かった」


 正直、この話をするのは少し抵抗があった。でも花宮さんになら、と、そう考え、僕は語り始めた。


「僕の両親はさ、すでに離婚してるんだ。離婚理由は母さんの浮気……って事になってるけど、実際のところは少し違う。……逆だったんだ」

「……逆?」

「そう、浮気相手の人……Aさんとしておこうか。母さんが本当に好きだったのはずっとそのAさんの方で、ある意味浮気相手は父さんの方だった」

「そんな!?」


 たぶん花宮さんには想像もできない世界だろう。あんなに素敵な両親の元に生まれ育った花宮さんには……。


「でもそんなときに僕が生まれた。だから母さんは仕方なく父さんと結婚したんだ。それから十年、僕が十歳になるまで、父さんと母さんの奇妙な夫婦生活は続いた。そして十年後のその日、母さんは家を出て行った。『あんたさえ産まれてこなければ』って言ってね。それまで僕は、結婚っていうのは深く愛し合った男女だするものだと思ってた。でも違ったんだ、少なくとも僕の両親は」

「…………」

「結局、僕が生まれたことで父さんも母さんも、Aさんもみんな不幸になった。母さんの言葉通り、僕は生れて来てはいけなかったんだ」

「非道いよ! それって全部お母さんが悪いんじゃない。シュン様が引け目を感じることなんて何もない!」

「……まあそうなんだろうけど、何でかな、不思議と母さんを恨む気持ちは全く湧いてこないんだ。だからこそ怒りの矛先が全部自分に向いてしまったのかも」

「シュン様……」

「だからカノも、子供ができて困るような相手とそういう事をしちゃいけない。僕の母さんみたいになりたくなかったらね」


 自嘲して花宮さんの顔を見て、その時にようやく気付いた。いつの間にか花宮さんが、目に涙を溜めていたことに。花宮さんの涙を見たのはいつ以来だろう、僕の記憶が確かなら、あの日、付き合い始めたとき以来だろうか。


「泣いているのか?」


 僕なんかのために?


「好きな人が辛い目にあってて、平気でいられる訳ないよ」


(好きな人……か)


 あの日以来、何度か言われた言葉だ。僕はこれまでずっとその言葉を信じていなかった。けれども花宮さんと付き合ってて分かったのは、彼女は苛められてもいなければ嫌いなものを好きだと偽るような性格でもないという事だ。

 つまり彼女は、初めから僕の事が……。


「カノはシュン様の事が好き。世界中の誰よりも。だからお願い、カノの半分だけでもいい、自分の事を好きになってあげて」


 自分の事を好きになってあげて、か。優しいな、花宮さんは。


「……ごめん、今までずっと嫌いだったものを、急に好きになることはできないよ」

「…………そう、ですか」


 そう言って花宮さんは手の甲で涙を拭った。


「でも」

「?」

「君が僕の事を好きだと言ってくれるのなら、その分だけ自分の事も好きになれる気がする。僕も、君が好きだ」

「シュン様……!」


 その言葉で何かスイッチが入ったのか、突如花宮さんは、僕の足を跨いで真正面から顔を近付ける。


「なろうよ、シュン様。みんなが羨むような素敵なカップルに。シュン様の両親のような不自然なカップルじゃない、誰よりも深く愛し合う恋人同士に」


 なれるんだろうか、この僕が。そんな両親の元に生まれた僕が、誰からも望まれずに生まれて来た僕が。だけど……。


「……そうだな、君となら」


 花宮さんが僕の側にいてくれる、そう考えるだけで、不思議と迷いや不安は霞のように霧散した。考えるよりも先に答えていた。


「あ、あのっ、不束者ですが、これからもよろしくお願いします」

「……うん、これからよろしく」


 それから僕らはどちらからともなく口付けを交わして、晴れて正式なカップルとなった……訳だけど、端から周囲のみんなには普通のカップルだと思われていたわけで、その内容も具体的に何が変わったかと言われると返答に困る。これまでと花宮さんに対する接し方が変わったかというとそんな事もないからだ。

 ……いや、一点だけこれまでと大きく変わったところがあったか。それは――。


 明朝、いつもより更に早い時間に起床した僕は、手早く身支度を整え、ジャージに着替えた。そもそも今日は学園祭の代休で学校は休みである。そんな日のこんな時間に起きだして何をするのかというと……。


「シュン様、お早うございます」


 玄関先で出迎えてくれたのは、同じくジャージ姿の僕の彼女。そう、学園祭二日目に知った、花宮さんが体を鍛えていたという事実。このまま花宮さんにだけ続けさせるというのも彼氏として情けなかったので、相談の上一緒にジョギングに勤しむ事にしたのである。


「ああ、お早う。ところでカノ、もう下僕って訳でもないんだし、様付け呼びする必要はないんだぞ」


 そもそも僕から様付けで呼べだなんて言ったことすらない。全ては花宮さんが自主的にやっていることだ。


「えへへ、そうなんですけど、なんだかもうシュン様はシュン様って感じで、今さら呼び方を変えても違和感しかないんです」

「そ、そうか。……まあカノがそう呼びたいんなら別に構わないが」

「はい」

「それじゃあ行くか」

「はい!」


 未だ残暑の厳しい九月、その早朝。僕たちはお互いの未来に向かって今走り出したのであった。



 ……さて、当の僕らは大分後になって知った事だが、実はこの日、生ハムメロンのファンスレにて、とあるゲームの存在が話題に上がり、物議を醸した。僕らオタ研メンバーが作った魔本少女しおりちゃんのゲームである。

 クオリティが評価された……と言いたい所だがそうではなく、エンドロールに記載された『原作 生ハムメロン』の真偽を巡って議論が交わされたのである。

 本当に生ハムメロンが関わっているのか、同じ名前の別人ではないのか。散々議論されるが確かなことは分からず、結論の出ないまま三年の月日が流れた。その頃には既に、メロンの正体が現役女子高生美少女ラノベ作家として周知されており、一部熱狂的なファンを得るに至っていた。

 そんな時、メロンが出した新刊にて魔本少女しおりちゃんと共通するキャラクター、ユリアと詩織を登場させたことから、長年決着の付かなかった議論が一気に決着、お祭り騒ぎとなった。そしてその話題性に後押しされる形で、魔本少女しおりちゃんの中古価格は一気に高騰、元値の五〇倍を超える価格で取引されるようになるのだが、それはまた別の話である。

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ネガティブ男子と下僕的な彼女 サザビーB2 @sazabyB2

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