第24話

「二人共いるかー?」


 なんて言いながら僕は、実に十日ぶりに部室のドアを開けた。


「あ、福山君」

「久しぶりー」


 吉川さんと佐久間さんは、そう言って僕を迎えてくれる。


「一冊目の収録が終わったと聞いたから二冊目を持ってきたぞ」


 そう、この二人には先行して声の収録をやってもらっていたのだが、先日一冊目のノートの収録が終わったとの連絡を受け、こうして二冊目を持ってきたのである。


「ありがと。そこに置いといて」


 なんてそっけない対応をする佐久間さん。一冊目が終わったのだから二冊目を喉から手が出る程欲していたのかと思いきや、そうでもなかったようだ。

 二人は何やら一台のノートPCを食い入る様に見つめている。


「何してるんだ二人共」


 気になって声をかけてみると、


「ああこれ? 折角音声まで入れた事だし、チェックも兼ねて実際にプレイしてみてるの」

「なるほど」


 スクリプトのデータは会長から直接貰ったのだろう。至って普通の行動である。


(そう言えばBGMのリテイクは一切してないんだよな……)


 もちろんそれには理由があって、音楽の素人である僕はBGMをそれ単体で聞いても、その善し悪しが分からなかったのだ。それより完成後にプレイしながら聞くことで、作品全体のまとまりや雰囲気を重視しようと考えた。


「俺にも聞かせてくれ」


 僕がそう要求すると、「はい」という返事と共に、吉川さんが使っていたイヤホンの片方を差し出した。当たり前だが序盤の日常のシーンである。このシーンに登場しているのは詩織と由紀しかいない。


(佐久間さん、こんな声も出せるのか……)


 以前聞いた時も上手いと思ったが、今回のキャラはその時とは違う、ほんわかしたキャラである。であるにも関わらず、今度もまた違和感なく演じている。けど考えてみれば当然か。彼女は高一にして声優事務所に所属するエリートなのだ。そして問題の吉川さんは……。


(……あれっ、結構様になってるな)


 まあ棒と言えば棒なんだが、予想していたよりは悪くないと言うか……。


「佐久間さんが上手いのは分かってたけど、吉川さんもいい感じだな」

「本当ですか!?」


 僕が褒めた事で吉川さんは嬉しそうに反応するが、実の所佐久間さんの功績だと思っている。由紀は元々クールなキャラだし、それを棒でも違和感の無いようにまとめたのは彼女だろう。


「ああ、意外と上手くて驚いたよ」


 しかし僕はそれを正直に言えるような性格ではなかった。


「シュン君、先にこれ渡しておくね。後花ちゃんと会長さんの分もよろしく」


 そう言って佐久間さんが手渡してきたのは、クリアファイルに挟まれたユリアとシュレ君の設定資料らしきものであった。

 紙の左上にキャラクターの全身イラスト、右上に身長、年齢、体重といったプロフィール。そして紙の中央から下には、キャラクターごとにこうやって演じて欲しいという要望が詳細に書き込まれている。


「これは……演技プランか?」

「そ。シュン君たちはまだ先だけど、これを読んでイメージだけでも掴んでおいてくれると、それだけで全然違ってくるから」

「なるほど、了解した」

「うん、お願いね」

「ああ、けど生年月日とか血液型の設定って必要かこれ」


 身長、年齢、体重は声にも影響がありそうだから分からなくもないが……。


「いいの! 演技する人が少しでもイメージを掴み易くするために書いてるものだから!」

「……ふうん」


 しかしそれを言ったら僕の役はどうなんだ? イメージ以前に人間ですらないぞ。……まあ言うだけ野暮か。


「分かった、カノには俺が渡しておくよ。それで今後の話になるけど、二冊目の収録が終わったら、他のキャラ、特に佳織のセリフを優先して纏めておいて欲しい。三冊目に入る前に会長に声を入れてもらうか、入れずに三冊目に入るかはシナリオの進み具合で決めるから、そこまで終わったらまた連絡してくれ」

「はーい」

「それじゃ、俺は戻るよ。またな」

「またねー」

「お気を付けて」


 久々に会ったのに早々に立ち去らねばならないのは残念だけど仕方が無い。今最優先すべきはシナリオで、その担当である花宮さんは僕がいないと筆の進みが遅くなるのだ。

 僕は先程通って来たばかりの、焼けるように熱いアスファルトの上を一人帰っていくのであった。



 そして……その日、花宮さんはシナリオの最後の〝。〟を、勿体ぶって書き込んだ。


「……これで完成?」


 完成した事が信じられないのか、念押しするように尋ねる。


「ああ」

「本当に?」

「本当だ」


 僕が再度応えたその直後である。


「やった! ありがとうシュン様。これでようやくゲームを完成させられるんですね」


 とか言いつつまた抱きついてくる。いい加減この癖直さないと後が怖いぞ?


「ああ、よくがんばったなカノ」


 しかしこれも毎度の事だが、こうして喜んだ姿を見せる花宮さんに対して、そのような指摘をするのは少々抵抗があった。


「ありがとうシュン様、カノを信じて付き合ってくれて。おかげでようやくシナリオを完成させる事が出来ました」

「そんなことはない。書き上げたのはカノ自身の力だし、俺の方こそ途中で交代させようとしてしまってすまなかった。俺がきちんと相談に乗っていれば、こんなに切羽詰まった状況にはならずにすんだんだよな……」

「そんな事……。シュン様がいないと速く書けないカノがダメなんであって……」


 なんてお互いに庇い合ってみるが、実に不毛である。


「ともかく残りのめぼしい作業は音声の収録とデバッグくらいだ。佐久間さんと相談して二、三日は休めるように調節しておくから、ゆっくり休め」

「えっ、でもそれじゃあシュン様は……?」

「俺の事は気にするな。間に合うように手を尽くすのが俺の役目だ。心配しなくても完成の目処がたってから休ませてもらうさ」

「そうですか? それじゃあお言葉に甘えて休ませて貰います」

「おう、そうしろ」


 学園祭まではおよそひと月と言ったところか。会長が優秀なおかげでスクリプト入力によるタイムロスはほぼないと言ってしまっていい。実際シナリオのペースが上がってからも、当日の内にシナリオの入力作業を終えていたみたいである。


(会長がいなかったら絶対に間に合わなかったな。監督とスクリプトの兼任なんて僕には出来なかった)


 そして幸運。花宮さんと会長が一つ屋根の下に暮らしていたから助かった部分も大きい。そしてその切っ掛けになったのは……。


(不思議な子だ。突拍子もない事を言っているようで、後々思い返してみるとそのどれもが正解だったような気がする)


 僕があれこれ気を回さなくても、この子は勝手に幸せになるのではないか。だとすれば、今僕がやっている事に意味はあるのかと、ふとそんな考えが頭をよぎった。

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