第23話

 佐久間さんが全ての曲を作り終えたのは、夏休みに入ってからの事である。当初の見立てでは七月いっぱいくらいまでかかると予想していたが、作曲している内に慣れたのか、若干早めの終了となった。


「シュン君、次は何をしようか」

「放送室の予約は済んでるか? それなら次は配役を……いや、演技プランが先だな。吉川さんに書き終えた分のセリフをまとめて貰ってるから、その次はもう収録に入ってしまって構わない。配役決めの時には相談に乗るから声をかけて欲しい」

「ラジャー」


 そうして遂に、我らがオタ研は音声の収録に向かって動き出した。


「そう言えばシュン君、会長にも声を当ててもらうつもりなの?」

「そうだな、しおりちゃんのメインのキャラクターは四人。みんな女の子だ。会長にも演じてもらわないと人数が足りない。とは言え呼ぶのはあの会長だし、極力こちらの準備が整ってからにしたい。だからそれまでは、君と吉川さんで進めておいてくれ」

「それは分かったけど、花ちゃんとシュン君の収録はどうするの?」

「カノは最後、シナリオを書き終えた後だ。俺はそもそも声を当てるキャラがいないだろ」


 しかし佐久間さんは、やれやれと肩をすくめた。


「シュレ君がいるでしょ。あたしの見立てではシュン君は花ちゃんや吉川さんよりも上手いんだから、一人だけラクしようとしたってダメだからね」


 シュレ君、本名シュレディンガーの猫。つまり猫。主人公を本の世界へと導いた、案内人的なポジションのキャラである。


「えっあいつ? あいつの声は割と高いイメージがあったけど……」

「いいのっ! 良くも悪くも女の子を導くのは男の子の役目なの! そう決めたの!!」

「そ……そうか」


 まあ確かに、最後の大仕事ともいえる音声の収録に僕だけ参加しないと言うのは、それはそれで悲しいものがあるか……。


「分かった。まあセリフの量は少ないはずだし、やるならカノの前かな。その段取りも整えておいてくれ」

「はい了解」


 さて当初の僕の予定では、七月いっぱいまでに音楽、絵、シナリオの作業を全て終わらせ、そこからみんなで一緒に音声の収録に入る手筈だった。けれどもシナリオが半月ほどズレ込む事になったため、書きあげた分からどんどん収録していく方向に切り替えたのだ。

 現状手の空いている吉川さん、佐久間さんが先行して収録するのは言うまでもなく、シナリオにかかりきりになる僕と花宮さんは後回し。生徒会の仕事で忙しい会長はその中間と言ったところか。

 会長にはスクリプト入力と言う作業もあるが、運のいい事に花宮さんと会長は姉妹。花宮さんが書き上げたシナリオをすぐに会長に打ち込んでもらう事が可能だ。

 また嫌味の一つも言われるかと思ったが、不思議とこれに関して会長は文句も嫌味も言う事は無かった。


「シュン君、配役とスケジュールを決めたからチェックしてくれる?」


 そう言って佐久間さんは、一枚の書類を差し出した。


「決まったのか、どれどれ……」


 書類によると、主人公の詩織が会長。妹で終焉の夜の正体でもある佳織が佐久間さん。現実世界からの親友である由紀が吉川さん。本の世界で親しくなったユリアが花宮さんといった具合である。


「う~~~ん…………」


 配役としては妥当なのだが、それ故に一つ問題があった。それは……、


「何か問題があった?」

「……会長と佐久間さんの配役は逆の方がいいな」

「えっ、そう? 佳織は実質二役だから、あたしがやる方がいいと思ったんだけど」

「技術面ではそれで正解だ。だけど、詩織は四人の中で一番セリフの量が多い。多忙な会長に演じさせるわけにはいかない」

「あ…………っ」

「かといって、詩織と佳織をカノや吉川さんに演じさせのは論外。会長には佳織をやってもらう」

「そうね、了解」

「逆にセリフがストーリーの前半に偏ってる由紀に吉川さん。後半に偏ってるユリアにカノというのは、シナリオの進行具合からもこれでいいと思う」

「うん、じゃあ次にスケジュールだけど、現状手の空いてるあたしと吉川さんが段取りを整えつつ優先的に収録。会長とシュン君はシナリオの進行に合わせて二、三回に分けて収録。最後に花ちゃんね」

「おう、そのプランでOKだ。ただ誰が収録する時でも、演技指導とデータ管理に君が立ち会うようにしてくれ」

「うん、了解」


 ……よく考えたら佐久間さんの専門は音楽ではなく声である。作曲を請け負ったのは単にそれが出来たのが佐久間さんしかいなかったからに過ぎない。そのせいだろうか……?


(なんだかちょっと活き活きしてるな……)


 声をかけ辛い雰囲気のあった作曲の時とは違う。そこには好きな事に一生懸命取り組んでいる佐久間さんの姿があった。



「この辺はほのぼのしているように見えて、後半の伏線や仲間との絆を深める重要な部分だ。特にユリアの描写は丁寧にな」

「はい」


 花宮家、花宮さんの私室。夏休みの最中でゲーム開発も佳境に入ったことで、最近は部活のメンバーが集まる機会もめっきり減っていた。手の空いている佐久間さん、吉川さんの二人には、学校で収録の段取りをやってもらっているが、僕と花宮さんはシナリオ。例外はあるが基本学校に来る必要がない。

 そんな訳で昼下がりからこっち、僕らは花宮邸でシナリオ書きに勤しむのであった。


「さて、そろそろ休憩するか」


 始めてもう一時間が経つ。そろそろ集中力も続かなくなってくる頃だろう。


「あ、はーい」

「という訳でトイレ借りるぞ」

「行っていらっしゃい」


 勝手知ったるなんとやら。花宮家に出入りするようになって早一週間。トイレを借りるのも当然初めてではない。僕は迷いのない足取りで真っ直ぐにトイレへと向かう。だがその際ドアが半開きになってしまっていた事に、この時の僕は気付いていなかった。


 半開きのドアに気付いたのは、トイレから戻って来た時の事である。廊下を歩いてカノの部屋の近くまで来た時、僕は半開きのドアの隙間から中にいる花宮さんの様子が窺える事に気付いてしまう。

 何かしらの意図があった訳じゃない。ただ廊下から見えた花宮さんの姿が、とて脱力しているように見えて少し気になったのだ。目を凝らして見てみると、何だか写真立てを眺めているように見える。


(何の写真だろう。思い出の写真とかかな?)


 最初にそんな事を考えるが、それだとわざわざ僕が外している時に見る理由が無い。となると次に考えられるのは……。


(好きな人の写真……か?)


 花宮さんはイジメめられた末に僕と付き合った。そして彼女は、僕がその事を知らないと思っている。好きな人の写真を見られては困る理由がそれである。


(そうだ、今まで何も言わなかったけど、いい機会だからその事についてちゃんと話し合ってみよう。そうすれば花宮さんも無理して恋人のフリをする必要もなくなり、晴れて正式な仮面カップルになれる。それ所か、僕が花宮さんの恋をサポートしてあげる事も可能になる)


 花宮さんと離れてしまうのは残念だけど、元々僕らは釣り合ってないのだ。あるべき姿に戻るだけとも言える。


(そうと決まれば善は急げ。まずは自然な流れで僕が写真を見てしまう状況を演出しよう)


 思い立った僕は気付かれないようにドアを通過し、物音を立てないようにそろりそろりと花宮さんの背後に近寄った。産まれてきたことそれ自体が罪である僕にとって、気配を消して移動するなんて造作もない事だ。

 そして手の届く距離にまで近付いたあと、やや強めに花宮さんの肩を叩いた。


「何をしてるんだ、カノ?」

「ひあっ!!」


 そんな可愛らしい悲鳴と共に、写真立てはふわりと宙を待った。


「えっ? あっ! シュン様!?」


 余程見られたくなかったのか、花宮さんはかなりテンパっていた。


「おう、さっきから何の写真を見てるんだ?」


 写真が見れなければ作戦は失敗である。僕は言いつつも宙を舞って下向きに着地した写真立てに手を伸ばす。


「あっ、ダメ…………っ!!」


 しかし僕は花宮さんの制止をスルーして写真立てを拾い上げる。そこに飾られた写真は――――


「…………俺のパンイチの写真?」


 佐久間さんがオタ研に入部したその日、みんなで下着姿になった時のものだ。あの時僕と花宮さんは、お互いに自分の下着姿の写真を交換し合ったのだ。


「……………………」


 予想外の事態に固まっていると、普段の花宮さんからは想像もできないような早業で、僕から写真立てを奪い取った。そして今度はそれを守るように胸元に抱え込む。


「み……見た?」


 耳まで赤くしてこちらを睨んでいる花宮さん。こんな状況だと言うのに、そんな表情も可愛いと思ってしまったのは秘密だ。


「へ…………」

「へ?」

(ヘンタイだ~~~~!!)


 叫びたかったが、それは何とか耐えた。

 しかし一体何と言ってあげるべきなのか。あの状況で見ていないと言うのは流石に無理がある。考えた末に僕は……。


「ま、まああげた物をどう使おうがカノの自由だ。気にするな」

「う…………っ」


 気休めの声をかけたつもりだったのだが、花宮さんは不服だったようである。


「って、バカなことやってないで続き書くぞ続き」

「……はあい」


 やや強引に、というか見なかった事にする感じで話を進めると、花宮さんは素直にそれに従った。自分の変態趣味が他人に知られるなんて恥ずかしいなんてレベルじゃないだろうし、ここは変に騒ぎ立てずに終わらせてあげるべきだろう。

 その後僕らはいつものようにシナリオの続きを書いたが、その後の花宮さんが妙にそわそわしていた理由は不明である。

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