第22話
「どうしたの、いつにもまして間抜けな顔して」
そう言ってきたのは僕の妹であり、人気ラノベ作家でもある生ハムメロン。考え事をしていたとはいえ、そんなに間抜けな顔をしていたのだろうか。
「いやちょっとね、考え事をしてて……」
「例のシナリオ絡みの事?」
いつもの事だがどうしてこう勘が鋭いんだこの妹は。
「まあそんな所だ」
「ふうん……」
興味があるのかないのか、どこまで理解しているのかいないのか何とも言えないリアクションだった。だがすぐに本当に興味を失ったかのように背を向けると、
「どうせあんたの事だから、目的と手段を間違えて悩んでるんでしょ」
なんて捨て台詞を吐いて去っていってしまった。
去っていくメロンに対して、
「そんな単純な話じゃ……」
と返した僕の言葉が、メロンにどれだけ届いていたかは不明である。
(……あれっ、よく考えたら本当にその通りなのか?)
目的と手段を間違える。よくある話で例えば結婚。結婚する事と結婚して幸せになる事は似ているようで、その実態はまるで違う。
単に結婚が目的なら、相手に対して嘘や隠し事をしたまま結婚まで扱ぎつければいい。が、果たしてそんな事をされた相手が、した当人に対して幸せになって欲しいだなんて思うだろうか? 結婚する事と、結婚して幸せになる事は根本的に違うのである。
(今の僕たちのケースだと……)
元々花宮さんをイジメから守るための部活だった。その為に二人で入部出来て人の少ないマン研を乗っ取った訳だが……。
マン研改めオタ研を守る事が、結果的に花宮さんを守ることにも繋がると、そう思っていた。けど今の僕たちは違う。オタ研を守るために花宮さんが辛い思いをするという逆転現象。これでは本末転倒だ。
「……明日花宮さんに会ったら謝ろう」
気付いてみたらどうということは無かった。オタ研だけじゃない、巻き添えを喰う佐久間さんや吉川さんにしてみたらたまったものではないだろうけど……。
(それでも僕にとっては花宮さんが一番大切なんだ)
それが、僕の出した結論だった。
翌日の朝、僕がいつも通りの時間に家を出ると、玄関先に花宮さんの姿を見付けた。土日も含めて実に六日ぶりとなる、花宮さんの制服姿である。とは言え昨日あんな事があっただけに、少々顔を合わせ辛いものがある。それは花宮さんも同様だったようで、初めて見るどこか後ろめたそうな表情であった。
「カノ……」
「シュン様……」
思わずお互いに名前を呼んでしまう。だが花宮さんとギクシャクするのは望む所ではない。結論は昨日の内に出している。僕は思い切ってその場で頭を下げた。
「ごめんカノ。昨日じっくり考えたけど、シナリオはやっぱりカノ一人にやってもらう事にするよ」
「シュン様……でもいいんですか? 今のままだと学園祭に間に合わないんじゃ……?」
「そうだけど、最悪ゲームが完成しなくても構わない。元々カノと一緒にいるために立ちあげた部だし、完成しなかった結果廃部になったとしても、それはそれで仕方のない事だ。佐久間さんや吉川さんは怒るだろうけどな」
「シュン様……」
「その時は、一緒に謝ろう」
「……はい!」
それは時間にしてわずか半日だけど、とても久しぶりに見たような、そんな笑顔だった。
「ところでシュン様、監督の仕事はあとどれくらい残ってるんですか?」
学校までの道すがら、花宮さんがそんな事を口にする。
「監督の仕事はもう粗方終わってる。音声の収録とデバッグはみんなで一気にやるつもりだから、残りの仕事はゲームが完成した後に細かな直しを入れていく程度だと思う」
「そうなんですか? それなら――――」
「シュン様、次の場面の書き出しはこんな感じでいいですか?」
「そうだな、ゲームの場合文字よりも先にまず背景が変わる。すると文字にしなくてもキャラクターが移動したという事がユーザーには分かるから……」
そして迎えた部活の時間。何故だか急に頻度を増した花宮さんの質問や相談の嵐に、ほぼマンツーマンのような状況になってしまった。
実際に書いているのは花宮さんだが、書こうと思えば僕でも首の向き一つ変えることなく書き込める。クーラーのおかげで辛うじて許されている、そんな密着状態。
自分の仕事に集中している佐久間さんとは違い、仕事も終わりかけている吉川さんは僕らに冷ややかな視線を送っていた。
(ち……違うんだ、これは別にイチャコラしてる訳じゃなくて、遅れている花宮さんを最大限サポートするために必要な事なんだ……)
しかし悲しいかな、僕と花宮さんは対外的にはカップルと言う事になっている。理由があろうが無かろうが、吉川さんにとって僕らがイチャコラしている事に違いはないのだ。
「福山君……? 私の作業がもう少しで終わるんだけど、次は何をしたらいい?」
いつもより何だか低い声だった。
「そ……そうだな、じゃあ音声の収録に向けて、メインキャラクター全員のセリフと、それが誰のセリフなのかが分かるようなリストを作ってほしい」
「ええ、分かったわ」
しかしその視線は、僕の今の心境を分かってくれているようには見えなかった。
「シュン様、ここは?」
「そうだな、ここは――――」
質問の回数は増えたが、それに比例して書くスピードも確実に上がっている。そう言えば以前の花宮さんは、悩んでばかりで一向に手が進んでいない事がよくあった。それに加えて今朝の質問である。無関係とは思えなかった。
「なあカノ、もしかして今までシナリオを書く時に悩んでばかりいたのは……?」
「ごめんね、考えるのは苦手だけど、シュン様の手を煩わせる訳にもいかなくて……」
「…………!」
要するに、僕が忙しそうにしていたから、今のように質問攻めにする事が出来なかったというのが実態ようだ。花宮さんは申し訳なさそうに釈明するが、元を辿ればそれは僕に気を使った結果なのである。
(そうとも知らずに僕は花宮さんを切ろうとしてたのか……)
結局僕は全体の進捗ばかり気にして、一番身近な女の子の事を把握していなかった訳だ。
(くそっ、昨日までの自分を殴ってやりたい)
だと言うのに花宮さんは、嫌味はおろか嫌な顔一つせずに接してくれる。そんな花宮さんの姿を見ていると、彼女の可愛いという印象が、違って見えたような気がしたのであった。
それからしばらく時間がたった頃、朽木学園に一日の終了を告げるチャイムが鳴り響く。
時間は十八時五十分。その時間になると、部活にいそしむ生徒も含めたすべての生徒は帰宅を余儀なくされる……はずなのだが、何かペナルティがある訳でもなく、実際の所はただの目安にしかなっていない。
「……なあカノ、今日はどれくらい進んだ?」
「ええと……さ、三ページくらいですね」
「三ページか……」
これまでからすると破格のペースである。だがそれでも、完成までの予想ページ数から考えると厳しい。
「悪いがカノ、シナリオの完成までの間、遅くまで付き合ってくれないか?」
「付き合う? それじゃあシュン様も……?」
「もちろんだ」
流石の僕も女の子一人を学校に残して帰るなんて、そんなことはしない。
「それならいいよ」
「即答だな。両親は何も言わないのか?」
「シュン様と一緒だって言えばきっと大丈夫。優しくて格好良くて頼りになる、素敵な彼氏だって紹介してるから」
(うん、見事なまでにどれ一つとして合ってないね……)
そして困った事に、僕と花宮母は実際に会っているのだ。少なくとも僕が格好いいと言う情報が偽りである事は、既にばれてしまっているものと思われる。
(ええと、花宮さんを夜まで帰さない事が問題なんだから……)
「きっと……か。なあカノ、もし両親の同意が得られなかったら、妥協案としてカノの家で作業する事を提案してくれないか?」
それなら帰りが遅くなることはないし、花宮母の目もあるから安心なはず。
「なるほど、流石ですシュン様」
「ちなみにカノ、人と交渉する時は、さも仕方なさ気に、妥協案で妥協した風な空気を醸し出す事が重要だ。早々に妥協案を出さずに、その前案で引っ張って勿体ぶる。いいな?」
「はいです! ではいってきます」
花宮さんは気持ちのいい返事を返すと、通話の為に部室を後にした。
(ふ……不安だ。根拠はないけど、花宮さんは腹芸とか駆け引きが苦手なイメージがある)
だが不安だからと言って僕が替わってあげる事はできない。今の僕に出来るのは、花宮さんを信じてただ待つことのみである。
そして待つこと二、三分。通話を終えたらしき花宮さんが部室に戻ってくる。
「ど、どうだった?」
「それが……」
やはりダメだったのか、成功したとは思えない程に、花宮さんの表情は曇っていた。
「カノの家で書くのならいい、って」
「いい……のか?」
セリフと表情が一致してない。その為何か裏があるのかと思ってしまう。
「うん。こっちから提案するまでもなく、家で書けばいいって言われちゃった」
「なん……だと……?」
確かに自宅なら安心だろうけど忘れてはいけない、そこには僕も行くのだ。自分らからそれを提案するなんて流石に不用心ではないのか?
「俺も付き合うって事はちゃんと伝えてあるんだよな?」
「うん。逆にそれを伝えたら家で書けって言ってきたよ」
「え~~~…………」
それは不可解だ。先程の花宮さんのように微妙な反応になるのも頷ける。
「ま、まあ何にせよ結果オーライだ。これからしばらく厄介になるけどよろしくな」
「いえいえこちらこそよろしくお願いします」
何か裏があるのか、それとも僕があまりにブサイクすぎて、却って無害だと思われたのか。とにかくシナリオ完成に向けての新たなスケジュールはこうして決まったのである。
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