第21話
花宮さんが病欠して三回目の朝が来た。登校前の玄関の先、いつもの時間に花宮さんの姿を探してみるも、やはり彼女の姿は無い。
(今日も休みなのか……)
まだ三日だと言うのに、花宮さんに会えないのがとても寂しい。そんな訳は無いと思いつつも、もしかしてもう二度と会えないんじゃないかという想像に身を震わせる。
そろそろ禁断症状の兆候が出始めたため、どうにかして花宮さんに会えないかと考えを巡らせていた時である。僕はとある画期的な……訳でもないがとある方法を思い付く。
(そうだ、お見舞いに行こう。何で気付かなかったんだ)
一応言い訳しておくと、男子はあまりそういうことはしないタチなのだ。
(部活の方も段々僕のやる事も減ってきてるし、問題ないはず)
管理職と言うのは得てして、進捗が順調であればある程やることはなくなるのだ。
――いや、よく考えたら全然順調じゃなかった。
(お見舞いついでに、その事もちゃんと言っておかないとな……。病人に鞭打つようで悪いけど仕方が無い)
花宮さんには会いたい、会いたいのだが、それとは別に彼女に会いたくない理由も出来てしまったようで、気持ち憂鬱なまま学校までの道のりを歩いた。
「と言う訳で、これから花宮さんのお見舞いに行こうと思うんだが、二人はどうする?」
二人、当然吉川さんと佐久間さんの事である。共に作業は順調だし、一日くらいサボっても影響はないはずだった。けれども二人は目で示し合わせるようにしてすぐに向き直る。
「そうしたいのですけど、イベント画の方にもう少し拘りたいので遠慮させて頂きます」
「あたしも今作ってる曲が難航してて……」
と、あまり乗り気ではない様子。しかし心なしか二人共妙にニヤニヤしているような気がするのは気のせいだろうか。
「吉川さんは順調だし、佐久間さんも一日くらい開けても影響ないと思うけど」
「そうかもしれませんが、そんな時間があったら少しでもクオリティをあげたいと思うのがクリエイターなんです。花宮さんにしても、福山君一人で来てくれた方が嬉しいでしょうから、私たちは遠慮しておきます」
「むう……」
本当に恋人同士ならそうなんだろうけど、生憎僕と花宮さんは本当のカップルではないのだ。とは言えこの二人にその事を教える訳にもいかないんだが……。
「まあそう言う事なら仕方無い。俺一人で行ってくるよ」
「そうしてあげて下さい。行けない代わりに少しお金を出しますんで、これで何かおいしいものでも買ってあげて下さい」
なんて言いながらさらりと五千円札を取り出す吉川さん。学生の身分でそんな大金を差し出すあたり、吉川さんも実は結構なお嬢様だったりするんだろうか。
「ご……五千円も?」
「えっ、少し多かったでしょうか? でも一度は人に差し出したものですし、気にせずに使って下さい」
う~んこの金銭感覚。
「分かった。このお金で高級フルーツでも買ってあげる事にするよ。ありがとう」
「いえいえどういたしまして」
佐久間さんがおもむろに財布を取り出したのは、そんな時である。
「す……少ないけどあたしからも出させて」
なんて言いながら千円札を渡してきた。よかった、こっちは常識的な額だ。しかしフルーツを買うのには五千円あれば十分だろうが、一人だけ何もしないのは流石にバツが悪かったのだろうか。結果的に催促してしまったみたいで申し訳なく思う。
「うんありがとう。二人の事は俺から花宮さんに伝えておくよ。それじゃあ行ってくる」
「いってらー」
「お気を付けて」
なんて言いながら手を振る二人を後目に、僕は部室を後にした。
それからおよそ四十分後、僕はフルーツバスケットを片手に、とある民家の前にいた。花宮さんの実家であり、会長のそれでもある。
これまで花宮さんを送った際に来たことはあるが、実際に立ち入るのは今日が初めてになる。
(そういえば母親がいるんだっけ)
何が問題と言う訳でもないんだが、愛娘のお見舞いに僕みたいな最高にキモい奴が尋ねてきた母親の心中を察するに、いたたまれないものがある。
「メロン、青りんご、梨、パイン、バナナ、マスカット……。こんなもんでいいよな」
占めて七二八〇円。予算オーバーなのは故意である。流石に僕だけ一円も出さないと言うのは、花宮さんのこれまでの献身から考えても出来かねたのだ。
僕は道路に面した小さな階段を上り、空いている左手でドアの横にあるチャイムを鳴らした。
一秒、二秒、三秒……。静寂の中待つことおよそ五秒。やがて女性の、
「はーい」
と言う声と共に、廊下を小走りで駆ける足音が迫ってくる。
(花宮さん……ではないな。花宮さんにしては声年齢が高いし、そもそも花宮さんは寝込んでいるはずだ)
そして案の定、玄関のドアから花宮姉妹の母親と思しき女性が顔を覗かせた。しかし想像以上に若い。高めに見ても三十代前半くらいにしか見えない。
本当に若いのか、若く見えるだけなのかは判断が付かなかったが。
「あら、君は?」
「えっと、俺はカノさんの友人で福山瞬と言います。カノさんが病気で休まれているので、友人を代表してお見舞いに来ました」
「そうなの? わざわざごめんなさいね。それじゃあカノを呼んでくるから、上がって待っていて下さいな」
そう言って僕を招き入れる花宮母。怖い人だったらどうしようかと思っていたが、おっとりしていて品のある、優しい人のようだ。
「お……お邪魔します」
促されるままにスリッパに履き替え、リビングへと通された。そして花宮母は僕をテーブルに座らせると、一人二階への階段を登っていく。
僕はリビングのテーブルに座ると、その上にバスケットを置いて待った。花宮母を待つ間、特に意味はないが周囲の状況を観察してみる。
綺麗な室内であった。生活感を残しつつも清掃の行き届いたリビングは、外観のみならず内観もモデルルーム然としていて清涼感がある。花宮さんの育ちの良さが窺えるようだ。
(本当、何でこんな子が僕の下僕なんかになってしまったんだろ……)
謎である。
その後一、二分程して戻ってきた花宮母の案内で、二階にある花宮さんの部屋の前へと通された。
「それじゃあごゆっくり。もう熱も引いてるけど、うつるかも知れないから気を付けてね」
「そうですね、ありがとうございます」
しかしこの母親は、娘の部屋に男を入れる事に抵抗が無いのだろうか。アバウトと言うか大らかと言うか……。
ともかくあまり気にしすぎてもしょうがない。僕は花宮母が去った後、『香乃』というネームプレートの掛けられた部屋のドアをノックする。
「ど……どうぞっ!」
すると僅かに声を上ずらせながら、よく聞き慣れた、けれどもここ二、三日聞いていなかった、そんな声が聞こえた。
(花宮さんって、何気に声も可愛いんだな。欲張り過ぎだろ……)
顔に声に性格に……。出来るものなら一つくらい分けて欲しいものだ。変態だけど。
「お、お邪魔します……」
ドアノブを捻って進入を果たすと、向かって正面奥のベッドの上に、何故だか正座待機している花宮さんの姿があった。
さっきまで寝ていたのだろう。ゆったりした黄色いパジャマを身につけている。
「ええと、何をしてるんだ? カノ」
正座待機の意図が分からなかったので問いただしてみる。
「いえあの、シュン様が初めてウチに来てくれた訳ですし、何か粗相があってはいけないと思いまして……」
それで正座待機? ますます分からん。
「……あのなカノ、今日俺はお前のお見舞いに来たんだ。そのお前に気を使われたら本末転倒だろう。気を使う必要はない。むしろして欲しい事があったら何でも言え」
「な……何でも!?」
何故そこに反応する。
「体調はどうだ? 明日は学校に来れそうか?」
「うん、今日は大事をとって休んだだけだから、明日からはまた一緒に登校できると思う」
「それは良かった。これ、お見舞い用のフルーツだ。よかったら食べてくれ」
部屋に入った僕は中央のテーブルにバスケットを置きつつ、そこに座った。
「ねえシュン様?」
「どうした?」
「……その、一つだけワガママを聞いて貰ってもいい?」
「いいぞ。一つと言わずに何回でも聞いてやる」
「ほ、本当?」
「ああ本当だ」
……その場のノリで何でも、何回でもなんて言ってしまったが、花宮さんに限って無茶なお願いとかはしてこないだろうし大丈夫だろう。多分。
「じゃ、じゃあその……梨を剥いて食べさせて下さい」
「お安い御用だ。ちょっと待ってろ」
とは言えよりによって僕が剥いた梨が食べたいとは……。妙な事を言い出すもんだ。僕は一階から果物ナイフとフォークと小皿を借りてくると、再び花宮さんの部屋に戻った。もちろん手を洗うのも忘れてはいない。
「どれくらい食べる? 半分?」
「はい。残り半分はシュン様が食べて下さい」
「おう」
僕は四分の一に切った梨からさらに皮と芯を切ると、それを二切れ皿に乗せて渡した。しかし花宮さんはどこか納得がいかないような、微妙な顔を見せる。
(あれっ、何か失敗したか?)
僕が剥いた梨なんて誰も食べたくなんかないだろうが、今更それを言うくらいであれば最初から剥いてなんて言わないはずである。それとも他に何か目的があったのか……。
「ねえシュン様?」
「……どうした? 食べないのか?」
「食べさせて」
「!?」
それは何か? 僕が花宮さんの口まで運んで食べさせると言う事か? それじゃあまるで本当の恋人同士みたいじゃないか。
「……ダメ?」
「いやそんな事はない。何でも聞くって約束だしな」
真意は不明だが、とりあえず言われたとおりにやってみよう。
僕は剥いた梨にフォークを突き立てると、それを花宮さんの口元に近付けた。すると花宮さんは、ゆっくりと口を開いて、梨の先に噛り付く。
しゃり、という瑞々しい音と共に、彼女の艶やかな唇が閉じられる。
「美味いか?」
「はい、甘くてとっても美味しいです」
……まあ今日持ってきたフルーツは全部高級品だからな。不味かったら逆に困る。
僕は花宮さんの様子を窺いながら、一切れ分を食べさせた。一切れ食べさせて分かったのは、どうやら本当に食べさせて欲しかっただけだと言う事だろうか。
「……ねぇシュン様?」
「……どうした?」
一切れを食べ終わって小休止していた時である。
「次はカノが食べさせてあげる」
「!!?」
唐突にそんな事を言い出した彼女は、僕からフォークと皿を奪い、残った梨にフォークを突き立てる。
(あのそれ間接キス……。相変わらず抜けていると言うか脇が甘いと言うか。僕でなければ絶対勘違いしてるぞ)
とは言え僕の後に花宮さんがフォークを使うとも思えないし、僕にとってはメリットしかない。ここは余計なことは言わずに食べさせてもらう事にする。
花宮さんが差し出したフォークのささった梨。ぼくはそれを三分の一ほど齧ってみせた。奥歯で咀嚼する度に、梨特有のさわやかな甘みが口全体に広がっていく。
「美味しい?」
「ああ、美味いよ」
買ったのも切ったのも僕だけどな。
「良かったです。このまま二人で一玉食べちゃいましょう」
「待て、そのフォーク、まだ使うつもりなのか」
「えっ? 何かおかしいですか?」
どうやら花宮さんは、間接キスと言う事にすら気付いていないらしい。
「……いや何でもない」
「そうですか? ヘンなシュン様」
さて、そうして僕らは互いに梨を食べさせ合って一玉平らげた訳だが、実の所、今この場で花宮さんに一つ言っておかなければならない事がある。食べ終わって微妙に会話が途切れたタイミングを見て、僕はその話題を切りだした。
「なあカノ、これから大事な話があるんだが……」
「は、はい」
大事な話と言ったからか、花宮さんはその場で姿勢を正す。……ベッドの上だけど。
これから話す内容を聞いた時の花宮さんの反応を想像するのは怖かった。けど僕ら二人だけでゲームを作っている訳ではないのだ。話さない訳にもいかなかった。
「その……シナリオの件なんだけどさ、そろそろ本格的にまずい状況なんだ。メロンに話したら今からなら八月頭くらいまでにはあげてくれるって話でさ、それで……」
「ま、待って下さい! それってカノにシナリオを降りろって事ですか!?」
「すまない。でも作り始めて一月半ほど経ってるのに、まだ全体の四分の一と言った所だ。これから倍のペースで書き上げたとしてもまだ間に合わない。メロンも八月からまた忙しくなるって話だし、今が限界なんだ。分かって欲しい」
酷い事を言っているのは自覚している。でも花宮さんだって状況は理解できているはずなのだ。だから当然分かってくれるものと思っていたのだが……。
「……嫌です」
それは、沈黙の後にようやく絞り出した、そんな言葉だった。
「……えっ?」
「絶対に嫌です! カノは最後まで一人で書き上げます!」
「……カノ」
当然嫌がるだろうとは思っていた。けれどもこんなにはっきり拒絶されるとは正直思っていなかった。嫌がっても根気よく説得すれば分かってくれるだろうと。
予想外に強い反応にしばらく目で会話をしていたが、
「……仕方ない。とりあえず今日の所はこれで帰るよ」
そう言って腰を上げ、爪先をドアへ向けた。
「しゅ、シュン様?」
「今日のところはひとまず帰るよ。他に手が無いかもう一度考えてみる。だからカノも考えておいてくれ」
「……わかりました。また明日」
部屋を出た僕は、一階で花宮母に挨拶し、すぐに玄関へと向かう。
一度自宅に戻っているので荷物はフルーツバスケットのみ。それも先程おいて来たので、今は手ぶらである。来る前よりも軽くなった手と、重くなった心で、僕は花宮宅を後にした。
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