第12話

 その日の夜十時過ぎ、僕は自宅のベッドで生徒手帳を開いていた。目的は校則。言わずもがな、会長の主張する部室の優先権についてである。

 手帳の後方にびっしりと書き込まれた校則の記述。その中から今回の件に関係ありそうな項目を探していく。


「あった。『新しく部を作るには、最低四人の部員と顧問が必要になる。なお、この条件に満たない場合は同好会として活動する事とする』」


 今更と言えば今更な内容。欲しいのはこの情報ではなく、部室に関する情報なのだ。その後ページをめくる事二回。校則の記載されたページの最後まで、部室の優先権に関する記述は見付けられなかった。しかし代わりに、何やら気になる記述を見付けてしまう。


「ええと『本校則に記載のない事案は生徒会預かりとし、違反者については教職員預かりとする』……?」


 さてこれは一体どう解釈するべきか。もし部室の優先権についての何らかの条件が明記されていたら、仮に会長を説得できたとしても無意味だったろう。

 けど実際にはそうではなく、生徒会預かりにすると記載されている。つまりそれは、花宮さんの提案した会長の説得こそが、部室を取り戻すための唯一の方法であると断定されてしまったに等しい。


「マジか……」


 個人的には実績のある部や部員数の多い部とかきっちり明記されていた方がまだよかった。もしそうなら僕らが会長と取引する事に意味はなくなり諦めもついたのだが、このように記載されたことで、花宮さんの考えた作戦が実行に移すだけの価値のあるモノとなってしまったのである。


「参ったな……。規則にウダウダ書いてあれば、逆にそれを利用する事も出来たのに。これじゃあ逆に少なすぎて手が打てそうにないぞ」


 つまり現状、僕らのとり得る手段は……。


「やるしか、ないのか……?」


 会長との取引を。



「さてみんな、ついにこの日がやってきた訳だが……」


 いつもの部室、その長机。僕は手を組み、肘を突いて三人に問いかける。


「泣いても笑っても今ここで行われる話し合いで俺達の命運は決まる。みんな昨晩は色々と調べ、そして考えた事だろう。もしかしたらそうでないものもいるかもしれないが、とにかく今この場の判断で俺たちの運命は決まる。一つだけ言える事は、各自後悔のない判断を下してほしいと言う事だけだ」


 何で僕が仕切っているのかとか考えてはいけない。その場のノリだ。


「決を採る前に、まずは昨夜君たちが調べた結果として何らかのアイデアがあったら言って欲しい。俺も一応調べては見たが、記述が少なすぎて何も浮かばなかった。残念ながら」


 仕切っていると無駄に期待をかけられそうなので、早めに白状しておく。


「シュン様でも何も思い浮かばなかったなら、強硬策しかないんじゃないんですか?」

「なぬ!?」


 控え目に挙手しながらの花宮さんの発言。言われてみれば最もな気がしないでもない。


「そう……なのか?」


 口振りからすると、花宮さんに案はなさそうだが、問題なのは残る二人である。花宮さんの発言の意を問うてみると、示し合わせるでもなく二人は同時に頷いて見せた。


「…………まあ覚悟はしてたが」


 話し合いと言えるほどの話し合いもなく、結論が出てしまったようだ。……そう、会長と取引すると言う結論が。


(できればこうなる事は避けたかったんだけど、仕方ないか)


 会長に憧れてはいるが、それでもオタ研のみんなは裏切れない。でもその前に僕には、もう一度確認しておかなければならない事があった。


「それじゃあ最後にもう一度だけ聞くぞ。本当にやるんだな?」


 昨日は会長に対する怒りで三人共冷静さを失っていた。そう思っていた。しかし……、


「お姉ちゃんの事は嫌いじゃないけど、今回の事は絶対に許せない。シュン様や他のみんなまで巻き込んで……。少なくとも半端な形で終わらせたりはしないんだから」


 力強く応えたのは、会長の妹でもある花宮さん。


「私も同意見です。部名の変更から部活の新設へシフトさせてからのこの仕打ち。きっちり落とし前は付けさせてもらいます」


 静かな怒りを携えてそう語ったのは吉川さん。


「あたしは途中参加だから三人程じゃないけど、でも状況から考えて悪いのは会長だと思う。折角入った部をこんな形で潰されるのは嫌だしね。やれることは何でもやるよ」


 最後に比較的中立寄りの立場からそう述べた佐久間さん。みな思う所はあれど、会長に対して何らかの報復を望む姿勢は同じようだ。


「みんな意見は変わらないようだな。分かった。そこまで言うなら俺も腹を括るよ。それで、実際に誰が交渉するかだけど……」


 かなり重要な役割である。下手を打てば会長が開き直る可能性も高い。そうなれば多分、みんなもタダでは済まないだろう。僕はそれを訴えるように、静かに見回した。


「ええと……、カノの中では初めから決まってる、かな」


 その意味を理解しているのかいないのか、あっけらかんとした口調で花宮さんが言った。


「根拠はありませんが、なんとなく私と同じ人のような気がします」


 続いてそう語る吉川さん。


「やっぱり二人もアレの経験があるんだ? そうだよね、一度アレを経験しちゃうと、アレ以上に有効な交渉手段なんて思い付かないよね……」


 アレだの経験だのと語る佐久間さん。僕にはアレが何の事なのかさっぱり分からなかったが、花宮さんや吉川さんのリアクションを見る限り、二人にはそれが分かっているようだ。三人は一体何を経験したと言うのか。


「アレ……って何だ?」


 思わず口に出してしまう。すると……、


「ほらシュン様、カノや吉川さんと交渉した時のアレですよ。鬼畜モードというか……」

「き……鬼畜モード??」


 それは何か? みんなとそれぞれ交渉した時の高圧的な態度の事を言っているのか? 確かに鬼畜と言われても仕方のない事ばかりしていたような気がするけど……。


「アレはやばいですよシュン様。アレを使われたら何だが従わないといけないような気持ちにさせられてしまうんです。卑怯です」

「そう言われてもな……」


 そりゃ僕みたいなブサイクに凄まれたら誰だって怖いだろうけど……。

 ともかくちょっと特殊な性癖のある花宮さんの意見だけ聞いていても仕方が無い。僕は残る吉川さん、佐久間さんの意見も聞いてみる事にした。


「ええと、二人の考えを聞かせてもらってもいいかな?」

「花宮さんの意見に全面的に同意します。女でアレに逆らえる人はそんなにいないんじゃないでしょうか」

「右に同じ」


 と、二人も特に異論はないようだ。


(単に重役を押し付けようとしてるだけなのか? アレは単に緊張してテンパってるだけなんだけどな……)


 ともかく三人が僕を推している以上、無下にする訳にもいかず……。


(モテる奴はきっとここではっきり自分の意見を言うんだろうな。モテない男は辛いぜ)

「つまり三人とも交渉役は俺がいいと思ってるって事か」


 要は僕が交渉した時の高圧的な態度、通称鬼畜モードとやらが有効と考えているらしい。


「はい、むしろシュン様以外の人が交渉して成功する気がしません。だからお願いします」


 そう言ってぺこりと頭を下げる花宮さん。毎度の事だが、花宮さんに応援とかお願いをされると非常に断り辛い。むしろやってやるぜと言う気になってくるから不思議なものだ。


「……仕方ない、やるか」


 僕がそう言ったのと実際にやる気を出したのは、果たしてどちらが先だったのか。


「本当ですか!?」


 そう言って花宮さんはここ一番の笑顔を見せてくれる。この笑顔が見れただけでも引き受けて良かったと思える。


「ああ、やるよ。でも結果に期待はするなよ?」

「あ、はい、それで構いません。よろしくお願いします」


 再び笑顔で対応してくれる花宮さん。

 ころころと表情を変える彼女は元々の容姿の良さも相まってとても可愛らしい。こんな子に応援されて奮起しない男はいない。

 彼女の為にもやれるだけの事はやってやろう。そう心に誓った。



「それじゃあシュン様、カノ達は邪魔が入らないように外で見張ってますから、お姉ちゃんの事はお願いしますね」


 調べたところによると、今生徒会は新一年生の入部シーズンやらで結構忙しいらしい。逆に言うと、今の時期を逃せば会長が一人になる機会がぐっと少なくなると言う事だ。その為に僕らは早めに行動に移した訳だが……。


(不安だ。いくらみんなの賛同は得ていると言っても、失敗した時の責任がどこまで及ぶかと考えると……)


 女の子一人と個人的な取引をしていた今までとは訳が違う。正直、怖い。


「シュン様? 聞いてる?」

「ああ悪い、緊張してた」


 生徒会室の廊下に面した階段、そこから生徒会室入口の様子を見ながら、僕らは決行の機会を窺っていた。


「シュン様でも緊張するんですね」

「お前は俺を何だと思ってるんだ。カノ達の頼みでなければとっくに逃げだしてるよ」

「……そう、だったんですね」


 どうやら本当に意外だったらしい。彼女の瞳に一体僕はどう映っているのだろう。知りたいような、でも知りたくないような、そんな気がする。


「まあやれるだけの事はやるさ。みんなを巻き込んでしまった責任みたいなのもあるしな」

「シュン様……」

「それじゃあ行ってくる」


 僕が意を決して歩き出すと、すぐに花宮さんの「待って下さい」という声に呼び止められてしまう。

 僕が立ち止まって彼女の方に向き直ると、


「頑張って下さい! 例えどんな結果になっても、カノはシュン様の味方ですから!」


 そう言った花宮さんのエールに手と表情で応えると、僕は再び歩き出した。

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