第11話
旧マンガ研究会部室。いや今もか。そしてこのままだと、オタク文化研究会でもない何か別の部室になってしまいそうな部室である。
生徒会室を後にした僕らは、長机を囲んで話し合いに興じていた。そんな僕らの表情は、皆一様にして暗いものであった。
「すまない佐久間さん。まさかこんな事になるなんて……」
今回一番の被害者を挙げるとすれば、それは彼女だろう。既に入部していた部活を辞めてまで入ってくれたと言うのにこの結果なのだから。
「気にしないで。そう決めたのはあたしだし、会長がまさかあんな事をするなんて誰も思わなかったでしょうしね」
諦めにも似た苦笑で、佐久間さんが応えた。……いや、そのものか。
「そうか、そう言ってくれると助かる」
「それはそれとして、これからどうしましょう」
吉川さんも溜息交じりに発言する。
佐久間さんが一番の被害者なら、一番落ち込んでいるのは吉川さんである。元々マンガが描きたくてマン研に入部した彼女だが、僕らに唆されて部名を変更しようとした結果、オタ研もマン研も失ってしまったのだから無理もない。
「まさかあんな手段に訴えてくるなんて……。絶対に許せない」
対して幾分落ち着いたとはいえ、ショックよりも怒りの方が大きそうなのが花宮さん。僕はというと、その中でも佐久間さんに近いだろうか。怒りも落胆もあるが、それよりも戸惑いの方が大きかった。
さっきから今後どうしようか考えているのだが、我ながら混乱しているのか一向に考えが纏まらない。
「と、とにかくどうにか会長を説得する方法を考えないと……」
自分自身に言い聞かせるように、そう発言する。
「説得、できるのかなぁ? 話を聞いた限り、かなり計画的な犯行だったようだけど?」
佐久間さんが訝しげに言った。部活の新設を勧めてからのこの仕打ちである。確かに計画的と言わざるを得ない。
「いっそみんなでオタ研を辞めて、マン研に入り直すって言うのはどうかな? 今すぐは無理でも、活動実績があれば部名を変えられるんだよね?」
花宮さんが発言する。実のところ、そんなに悪い手ではない。ただ一点、既にマン研の廃部か決定している事を除けば……。
「あの時の会長の態度からすると、部員が増えても廃部を強行するんじゃないかな? そうでないと意味がないし」
察するに、会長の真の目的は恐らく部室だ。その為に口八丁で僕らを追い出して、部室を確保しようとしたものと思われる。だから事前に言質をとったのだろう。
「そうだよねぇ……」
覇気のない、花宮さんの返事だった。僕らの中に、澱んだ空気を孕んだ沈黙が流れた。
「ごめんねみんな。お姉ちゃんのせいでこんな事になってしまって」
ふと、花宮さんがそんな事を言い出す。
「お姉……ちゃん?」
花宮さんには姉がいたのか。というかこれまでの経緯のどこに、花宮さんの姉が絡んできたと言うのか。しかしお姉ちゃんのせいと言うからには、今回の騒動の中心人物であると言う事であり、つまりは……。
「カノ、もしかして会長は……?」
お前の姉なのか、と。
「うん。あれっ、知らなかった?」
「全く」
名字が同じだったら可能性くらいは考えたかもしれないが、よく考えたら僕は会長の名前も知らないんだった。
「花宮天(はなみやそら)。カノの二つ上のお姉ちゃんで、身長166センチ、上から88、61、79……」
(でかい……)
何がとは言わない。
「そう、だったのか……」
言われてみれば確かに、育ちの良い花宮さんが、会長に対してだけは割と遠慮が無かった。以前言っていた、生徒会にいる知り合いとやらも恐らく会長の事なのだろう。
「ちょっと待て、それじゃあ会長は妹のいる部活を潰そうとしたのか? もしかして仲悪い?」
「多分だけど、カノにはもっとちゃんとした部に入ってもらいたいんだと思う。カノがオタ研に入る事をよく思ってなかったフシがあるから……」
「そう……か……」
オタ研。正式名オタク文化研究会。元々少人数でダラダラするために付けた名前だけど、そんなド直球なネーミングが会長の顰蹙(ひんしゅく)を買った可能性は高い。
「失敗したなぁ、もうちょっとマシな名前にすればよかった」
思わずそう漏らしてしまうが後の祭りである。
「そう、花宮さんは会長の妹さんだったのね」
吉川さんが呟く。その表情は一見無表情で見方によっては咎めているようでもある。
「ごめんね。隠すつもりじゃなかったんだけど……」
「いえ、その事は別にいいの。あなたにとっても寝耳に水だったんでしょうし。それよりも花宮さん、あなた、会長の弱点か何かを知らない?」
「弱点……?」
吉川さんの言葉に、花宮さんは首を傾げた。そんな事を知ってどうするつもりなのだろうと思っているのかもしれないが、対照的に僕は吉川さんの意図を一瞬で察してしまう。
真っ先にそんな発想が出てくるあたり、僕は心根が腐っているような気がしないでもない。
「弱点……か」
額に指を当てて考える花宮さん。
「例えばプライドが高くて見栄っ張りな所があるとか?」
「う~~~ん、少し弱いですね。出来ればもっと直接的で弱みになりそうなのがいいんですけど」
「直接的……」
そして再び考える花宮さん。
「……お姉ちゃんの恥ずかしい写真ならあるけど?」
なんと。
「ほ、本当に!? どんな写真なの??」
「ええと、ちょっと待ってね」
花宮さんはそう言ってスマホを取り出した。そしてとある画像データを呼び出すと、僕らに見えるようにスマホを差し出してみせる。
「……寝顔?」
思わず声に出してしまう。
恥ずかしい写真と聞いて少し期待したが、その内容は僕が期待したようなものではなかったようだ。……いやまあ恥ずかしい写真である事に違いはないんだが。
自宅のリビングと思しき部屋、そのソファーで気持ちよさそうにうたた寝する会長。寝ているとはいえ普段の会長からは想像もつかないような気の抜けた姿である。おまけに口元からは涎の痕が垣間見えると言うオマケ付きだ。
会長本人からすれば、顔から火が出る程恥ずかしい写真であろう事は想像に難くない。
「この写真を使ってお姉ちゃんを脅……取引するって言うのはどうかな?」
「「…………」」
花宮さんの案に、一同が閉口したのは言うまでもない。
いつもならにべもなく却下したであろう案だが、今に限っては全員が会長に対して怒りを抱いている。その為か案に対して消極的な意見を出す人も皆無だった。
「このままじゃ部室を取られちゃうよ? それでもいいの?」
花宮さんが重ねる。そして再び沈黙。しかしその中において、先程とは明らかに面構えの異なる人物の姿があった。
「……やっちゃおうか?」
佐久間さんである。
「えっ、本当に?」
思わず問いかけてしまう。だが一度言葉にした事で覚悟が決まったのか、彼女の表情にもはや迷いは無かった。
「もちろん。やられっぱなしなんて性に合わないしね」
そう言って胸の前で拳を固めて見せる。
分からない。佐久間さんはこの中でも一番の新参者で、オタ研に対する思い入れも薄いだろう。彼女がそこまでする動機が感じられない。なにせ彼女は生ハムメロンの為に入部したようなものなのだから。
僕がそんな風に考えていると、
「……そうですね。戦わずして失うよりは、戦って失う方を選びたい。私も賛成します」
対して思い入れはともかく性格的に穏健派だと思っていた吉川さんも加わったことで、遂に僕を除いた全員が強硬派に鞍替えした事になる。
「みんな本気か!? 下手を打てばシャレじゃ済まなくなるぞ?」
言いだしっぺの花宮さんにしてもそう。本来はこんな事を言うような子ではない。会長への怒りとその場の雰囲気に流されているだけの可能性が高い。その為の警告じみた言葉である。あったのだが……。
「シュン様こそ悔しくないんですか!? あんな方法で部室を取り上げられて」
「そりゃ悔しいさ。でもそれとこれとは別問題だ」
ともかく今彼女たちを止められるのは僕しかいない。なんとか思い留まらせないと……。
「ふうん……そっか、そう言うコトか……」
何か一人納得したように含みのあるセリフを言う花宮さん。元が明るい子なだけに、そのギャップが怖ろしい。
「そういえばシュン様って、背が高くて筋肉のある人がタイプだって言ってましたよね」
「ちょっっっ!!」
やはり根に持っていたんだろうか? 根に持っていたんだろうな。
何気に吉川さんと佐久間さんも意外そうな反応を見せるが、二人は僕の事をどう思っていたのだろう。
「背が高くて週に二回ジムで体を鍛えていて、性格はともかく容姿にも秀でておまけに巨乳。よく考えたらシュン様の好みど真ん中ですよね。ねえシュン様?」
一見すると笑顔のようだが、目は笑ってない。まずい。
「いや待て、俺が巨乳好きだなんて、そんな事一言も言ってないぞ」
その通りだけど。
「へぇ、好みのタイプなのは否定しないんですね」
「嫌に突っかかるな。そりゃ綺麗な人だし、多少憧れていたのは否定しない。けどそういう表面的なことだけで人を好きになったりはしないよ」
さっきから花宮さんが妙に不機嫌なのは、僕一人が賛成しない事に業を煮やしたからか。
「そうなんですか? それならなぜ反対を?」
「反対とは言ってない。ただ今は会長の所業を目の当たりにしてからそれほど時間が経ってない。みんな怒りで冷静な判断が出来てないんじゃないかと思ったんだよ。その場の感情で動くのは得策じゃない」
「シュン様……」
今の言葉は多少効いたらしい。僕の言葉で花宮さんも多少落ち着きを取り戻したようだ。
「でもそれじゃあ一体どうしたら……」
今度は一転して不安顔になる花宮さん。
「それじゃあこうしよう。今日はとりあえず解散して、各自校則に利用できそうな記述が無いか調べておく。それでも何の打開策も打てないようなら、明日もう一度ここで同じ質問をする。それでもみんなが……会長と取引するべきと考える人が多いようなら、その時は俺も腹を括るよ」
最後に「どうだ?」と付け加えて判断を仰ぐ。やはり即断はできないようで、各自考えるように間が空いた。
「シュン様がそう言うんなら……」
渋々、という感じではあるが、とにかく花宮さんが同意してくれる。
言いだしっぺの花宮さんが同意してくれたのは、僕を立ててくれたからなんだろうか? 何にせよ有難い。
「……二人は?」
催促するように声をかける。佐久間さんと吉川さんは戸惑うように顔を見合わせると、
「そう言う事なら……」
「私たちだって別に嫌がらせがしたい訳ではありませんしね……」
花宮さんに続いて二人も同意してくれた。
「うん、ありがとうみんな」
一時はどうなる事かと思ったが、どうやらみんな思い留まってくれたようだ。切っ掛けを作ってくれた花宮さんには感謝だな。
「じゃあ今日はこれで解散だね。このまま話してても過激な意見しか出そうにないしね」
一応過激な手段に訴えようとしていた自覚はあるらしい。花宮さんがそう切り出した。
「そうだな。繰り返しになるけど、各自何か別の作戦を考えておいてくれ」
あとは話がぶり返さないように早々に解散するのが正解か。
程なくして僕らは、適当に身支度を済ませて部室を後にするのだった。
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