第9話
「ほらカノ、エサだ」
僕がそう言って前作を渡したのは、昼休みに入ってすぐ、花宮さんがお弁当を持って杉田の席に座った時のことである。
初めはその席に座る事に難色を示していた花宮さんだが、既に気にしなくなっている。
「エ……エサ!? って、もしかしてこれが昨日の?」
「そういう事だ。今朝渡すのを忘れていたからな」
「ははっ、それでは有難く頂戴仕りまつ」
あ、かんだ。
表彰状でも受け取るみたいに両手でラノベを受け取る花宮さん。
まあ一々指摘するのもなんだし、かんだのは気付かなかったという事にしておこう。
「へぇ……空サンと大分絵柄が違うんですね」
前作、空のサンクチュアリの時のように、表紙をまじまじと見つめる花宮さん。
「そりゃ別の人が描いてるからな」
「……えっ?」
「えっ?」
「で、でも作者の前作だって……」
「あのなカノ、文章書いてる人と絵を描いてる人は別だぞ。俺が作者って言ってるのは文章の方。マンガとかと違ってラノベは絵が少ないから基本的に外注だ」
「え、そ、そうだったんですか!?」
「そうだったんです」
よく分からないが、ラノベをマンガの延長のようなものだと考えていたのならそんな認識を持つのも仕方のないのかもしれない。
「絵の方を気に入っていたんなら残念だけど諦めてくれ。……まあ作者のデビュー作だし、内容もアレだしな。空サンよりツマラナイのは保障する」
「そんな言い方は……」
「そうだな、すまん」
まあなんだ、作者を知っている僕にとってはただの軽口なのだが、それを知らない花宮さんが作者批判と受け取るのも仕方のない事か。
「それよりシュン様、お弁当」
「おう」
花宮さんから青いチェック柄の包みのお弁当を受け取ると、小慣れた手付きで包みを開いていく。
まだ四日目だと言うのに、この状況に慣れてしまった自分が怖ろしい。
「ところでシュン様、今朝席を外していたのはもしかして……?」
花宮さんがそう切り出したのは、僕達が弁当を食べ始めてすぐの事である。
「だな。早めに佐久間さんを勧誘しておいた。遅れると厄介だからな」
実際は既に手遅れだったのだが、それを言うと空サンやその作者の事にも触れないといけなくなる。
ここは間に合ったという事にしておこう。
「流石ですシュン様。それで結果は?」
「少し考えさせてくれってさ」
「なるほど……って、いいんですかそれで?」
「……まあ早めに決めて欲しいとは言ってある。それよりカノ、お前の方こそどうなんだ? 他に入ってくれそうな人は見つかったのか?」
昨日の話し合いで僕が佐久間さんの勧誘、花宮さんと吉川さんが候補の選出をすると決まっている。
今朝の一件で僕はその義務を果たした訳だが、対する花宮さんはと言うと、
「あ、えへへ……」
なんて言いながら視線を泳がせる。流石にそんなリアクションをされたら僕でも分かる。要するに誰も浮かばなかったのだろう。
でもなんだがそのリアクションが可愛くて怒る気にもならなかった。これが可愛いは正義と言うヤツなのか。
「まあいい、後は吉川さんに期待するか」
イジメられている花宮さんよりは可能性が……って、そう言えばオタクバレする事を嫌がっているんだったか。じゃああんまり期待できないかも……。
「見付けてくれてるといいですね」
「お前が言うな」
チョップ。
「あてっ」
まあ何だ、佐久間さんが入ってくれればそれで済む問題なんだが、だからと言ってアテにする訳にもいかない。難しい所だ。
「お邪魔しまーす」
そう言って僕らが部室のドアをくぐったのは、午後五時前の事である。予想はしていたが、そこには既に吉川さんの姿があった。
(本当に授業受けてんのかなこの人……)
そう言えば彼女はイラストレーター志望らしいが、実際にはマンガを呼んでばかりで絵を描いている姿を見た事は一度もない。
マジメそうな雰囲気から勝手に真摯に打ち込んでいるものと思い込んでいたが、案外そうでもないのかもしれない。
「待っていました。花宮さん、実はあなたにお願いしたい事があるんだけど……いい?」
吉川さんがそう振ってきたのは、僕がパイプ椅子に座ろうと手をかけた時の事である。
「えっ、カノに?」
同じく座る直前だった花宮さんは、不意に動きを止めた。釣られて僕も静止するが、僕には関係ない話題であったため構わず席に着く。
「そうです。実はあなたにモデルになってもらいたくて……」
「モデル?」
「はい」
意味は分かるが、事情がよく分からないらしい。僕もだが。
フォローでも期待しているのか花宮さんは僕に視線を送ってくるが、よく分かっていないのはお互い様である。
僕は首を傾げてその意を示した。
「ええと……どう言う事?」
追っ付けイスに座りながら、花宮さんが尋ねる。
「別に深い意味はありません。人の絵を描く時の参考にしようと思っているだけです。観察は絵を描く上で最も重要なことですから」
なるほど、吉川さんが今までマンガばかり読んでいたのはその一環、だったんだろうか?
「それで、何でカノ?」
「花宮さんのプロポーションが身近な人の中で最も女の子らしいと気付いたんです。……どうですか?」
「どう、って言われても……」
助けを求めるように再び視線を向けてくる花宮さん。吉川さんの理屈はもっともだ。痩せても太ってもなく、それでいて結構ある胸。確かに理想的である。
「ええと、モデルって具体的に何をさせるつもりなんだ?」
助け舟と言うかとりあえず情報を集めてみる。内容次第では断る理由になるだろう。
「大したことではありません。私が指定するポーズを……そうですね、とりあえず十枚ほど写真に撮らせて頂ければ」
吉川さんはそのように説明する。
(なんだ写真に撮るだけか、それなら時間もかからなさそうだし……って、待てよ?)
「なあ吉川、さっきカノのプロポーションがどうのと言ってたよな?」
「言いましたが、それが何か?」
「……制服着てたらプロポーションとかあんまり関係なくないか?」
当たり前だが制服の上からプロポーションなんて分からない。
「いえですから、花宮さんにはヌード、最低でも下着になって頂いて……」
何言ってんだこの子。
「む、ムリ!! 絶対ムリです!」
そう言って慌てた花宮さんが強く拒絶する。
「そこを何とか!」
ああ、うん。花宮さんの裸にはちょっと興味があるけど、流石にヌードは限度を超えている。これは擁護のしようがない。
「ムリなものはムリです! お嫁にいけなくなっちゃう」
「じゃ、じゃあ下着だけでも……」
「下着でもムリです。カノの体はもうシュン様の物なんですから!」
「俺を巻き込むな。あと誤解を招くような発言はやめろ」
しかし花宮さんが僕を巻き込んだ理由も分からないでもない。ようは断り辛くなった花宮さんが僕を口実に使ったんだろう。
「なるほど。では福山君の許しがあれば構わないんですね?」
「え……ま、まあ……」
戸惑いながらも肯定する花宮さん。早速僕を口実にした事を後悔しているのかもしれない。……まあ僕が首を縦に振らなければいいだけの話なのだが。
「と言う訳で福山君、私に花宮さんをレンタルさせて下さい」
「おういいぞ」
「ちょっ!!」
あっさり僕が同意したことで、花宮さんが素っ頓狂な声を上げる。しかし何を隠そう僕には考えがあるのだ。
「ただし、その場合はお前も脱げ、吉川。カノだけ脱がせるのはフェアじゃない」
そう、これが僕の作戦。他人を脱がせようとする以上は、自分が脱がされるリスクも負うべき。
こうすることで吉川さんも自身の行為の愚かさを悟り、諦める方向へと……。
「分かりました」
「って、分かったんかい!」
「しゅ、シュン様ぁ……」
恨めしそうな瞳で見つめてくる花宮さん。
申し訳ないとは思うが、吉川さんが脱ぐという条件をのむなんて、一体誰に予想できただろう。
「ま……マジで……?」
「まじです」
「誓って?」
「誓います」
どうやら本気らしい。決意は固いようだが、一体何が彼女をそこまで駆り立てるのか。絵の上達に賭ける思いの成せる事か。
「……すまんカノ。お詫びに俺も脱ごう」
赤信号、みんなで渡れば怖くない的な。
「え!? いいんですか!?」
「い、いいんですかって……」
全力で止められると思ったのに……。やはり変態か。
「なるほど、そういう事なら協力しないでもないですよ。もちろん下着までだけど」
しかもなんかやる気になってるし……。
「待てお前ら。二人共女の子なんだから、もっと慎みってもんをだな……」
「カノだって本当は嫌なんです! でもシュン様のためには仕方がないじゃないですか!」
「俺の……為?」
デッサン用のモデルがどうして僕の為になるんだろう。僕が下着姿を見たがっているとでも思っているのだろうか。否定はしないけど。
「ま……まあいい、腹が決まっているのなら俺から言う事は何もない。それで吉川、そのモデルとやらはいつやるんだ?」
「今です」
「今かよ!」
「もちろんです。善は急げと言いますしね。さあ二人共脱いで下さい」
脱ぐとは言ったが、実際そんなに簡単に脱げるもんじゃない。躊躇うように僕と花宮さんは顔を見合わせる。
(女の子を先に脱がす訳にはいかないか……)
そうなると必然的に脱ぐ順番は決まってくる。
「じゃあ俺が先に脱ぐ。次は吉川、お前だ。そしてカノが最後な」
今回完全に被害者である花宮さんを最後に持ってくる名采配……のハズだったのだが。
「か、カノが最後ってどういうコトですか!? シュン様はカノの下着姿に興味がないんですか!?」
最後となった花宮さんが何故か抗議の声を上げる。
「何でそうなる。カノは今回巻き込まれた側だから最後にしただけだ」
「そんなの納得できません。カノが先に脱ぎます!」
「分かった、勝手にしろ」
彼女の精神に一体どんな変化が起こったのかは不明だが、本人が脱ぎたがっているなら別に止める理由も無い。
しかし何だかんだ言いつつ脱ぎたがっていたのか。やはり変態か。
「聞き捨てなりませんね。まるで私に女としての魅力が無いかのように聞こえます」
そして治まりかけた問題を再びほじくり返す、言いだしっぺの吉川さん。
いや君だって早く花宮さんに脱いで欲しいんじゃないのか? 頼むから黙っててくれ。
「みたいじゃなくて無いんですよ。シュン様は筋肉のある女の子がタイプなんです。シュン様は優しいからカノが嫌がってるのを見て気を使ってくれただけなんですから」
うん、間違ってはいないけどさ、嫌がるなら最後まで嫌がって欲しかったよ。
「それは花宮さんの想像でしょう? 福山君に先に脱げと言われたのは私の方です」
いやそれは言いだしっぺが先に脱ぐべきと言う、妥当な判断の上での事であってだな。
何故か意味の分からない事で仲違いを始めた二人。これまで別段仲は悪くない、むしろ吉川さんは友達以上の好意を抱いていると思っていただけに、いがみ合う二人を見るのは何だか気が引けた。
「分かった分かった。それじゃあ二人共一緒に脱げ。それで恨みっこなしだ。それで納得できないって言うんなら、もうこの件は無しだ」
僕の一言が効いたのか、渋々諍いを中断する二人。
冷静に考えると、モデルの話が無くなった方が花宮さんにとってはいい事のような気がするけど、脱ぎたがってもいるようだしそうでもないのか? もう訳が分からん。
「どうやら落ち着いたみたいだな。じゃあ脱ぐぞ」
二人の順番がどうあれ僕が先に脱ぐことに変わりはない。僕は席を立つと、部室入り口付近の広間で上着のボタンを一つずつ外していく。
(し、視線を感じる……)
感じると言うかガン見である。畜生。脱いだ上着をテーブルに寝かせ、次はワイシャツである。
いつもやっている事だが、二人に見られているととても恥ずかしい。
(くそっ、二人が脱ぐときは絶対ガン見してやる!)
仕返し半分実益半分である。ワイシャツを脱いで下に着ていたTシャツを脱ぐ。
四つ折りにしてテーブルに放ると、そこでふと二人の視線の変化に気付いた。
(何か妙にニヤニヤしてるなこの二人……)
珍獣を晒しモノにして楽しんでいる感覚なのか、いやそのものか。
(こいつら……。この恨みはすぐに倍にして返してやるからな!)
後の栄光の為の布石だと思えば――。
やがてズボンまで脱ぎ終えた僕は、開き直るように元から座っていたイスにふんぞり返る。
「さあ、次はお前らの番だぞ」
これから見る光景は僕的永久保存版だ。脳細胞を総動員してでも記憶に鮮明に留めておく価値がある。
加えて先程の一件から、僕がガン見しても当人達にはそれを咎める権利が無いというオマケ付きである。
なればこそ先程の屈辱にも耐えた甲斐があると言うモノだ。
「ねえシュン様?」
「何だ」
「触ってもいい?」
触ってどうする。やはり変態か。
「まず脱げ。そうしたら考えてやらん事もない」
「本当ですか!? そ、それじゃあ失礼して……」
そう言ってイスから立ち上がると、意外と抵抗なく制服を脱ぎ始める花宮さん。
それでもやはり恥ずかしいのか、脱いだ衣服を抱きながらちらちらとこちらの様子を窺っている。
(堂々と見れるってのがいいな。視線を意識しているかどうかの違いと言うか……。盗撮とかだとこうはならないはず)
今日日女の子は異性の目が無ければそうそう隠さないと聞く。僕はあまりそういうのに興味が持てないのだ。
焦らすように脱いだ制服を逐一畳んでいく花宮さん。強敵だ。最後……いやまだスカートがあるか。
ともかくスカートを残したまま両腕を上げて肌着を脱いでいく花宮さん。
やがてその下から、シンプルながらも可愛らしいデザインのブラが露わになる。
僕の視線がそこらへんに釘付けになったのは言うまでもない。
(水色か、思った通りでかいな。八十半ばくらいか? いや、身長が低めだからその分でかく見えると言う可能性も……)
やがて花宮さんが肌着から首を取り出すと、同時にふわりと髪が舞った。その際に胸が揺れた事に気付かない僕ではない。眼福である。
「やはり……、私の目に狂いはなかった」
吉川さんである。先程一緒に脱ぐと言っていたのに、見るとまだブレザーすら脱いでいない。
容姿はともかく貧相そうな彼女の下着姿にはあまり興味が持てなかったので、無意識にスルーしてしまっていたようだ。とはいえそれを許す僕ではない。
「何をしている吉川、お前も脱ぐんだろう」
花宮さんは腰のジッパーを下ろしてスカートを外した所である。と言うかそんな構造になってたんだ、そのスカート。
「あ、あの……、やっぱり脱がないとダメでしょうか?」
一番抵抗が無いと思っていた吉川さんだが、今頃になってそんな事を言い出す。
「当たり前だ。人を脱がせておいて今更自分は脱がずに済まそうだなんて、そんな虫のいい話は無いぞ」
「そ……そうですよね。あはは……」
分からん、脱ぐのが嫌なら最初に交換条件を突き付けた時に拒否すればよかったんじゃないのか? それともそこまでして花宮さんの裸が見たかったのか。
「うう、こうなるって分かってたらもっと可愛い下着を着てきたのに……」
花宮さんはそう言うと、脱いだブレザーをその場で羽織り、再びイスに座った。
近くで見るときめの細い綺麗な肌だ。おまけに肉付きに過不足が無く、いい体つきである。……個人的には腹筋の凹凸が分かるくらいに筋肉があるともっといいんだけど。
「そういう訳で後はお前だけだ。早く脱げ吉川。それとも俺に強引に脱がされたいか」
「うっ……」
流石にそれは嫌だったのか、吉川さんは渋々イスから立ち上がる。
「シュン様、それじゃあご褒美になってしまうのでは?」
「それはお前だけだ」
「えぇ……」
よく分からないが、何だか不満そうだ。イスから立ち上がった吉川さんは、僕らに背中を向けながら静かに制服のボタンを外していく。
(こういう脱ぎ方もアリだな……)
花宮さんは吉川さんの裸に興味が無いのか、緩んだ顔でしきりに僕の二の腕をなぞってくる。
嘘だとも思わなかったが、触りたがっていたのは本心だったらしい。
「まさか人前で脱ぐことになるなんて……」
そういう吉川さんだが、そのセリフが君の口から出てくるのはおかしくないか?
ゆっくりしたペースではあるが、ブレザー、ワイシャツと順番に脱いでいく吉川さん。
脱ぐことに抵抗があっただけで、約束を違える気はなかったようだ。
次は肌着なのだが、見ていると吉川さんは、肌着で顔が隠れるより先に、左肩と腕を抜いてしまう。
(ううむ、服の脱ぎ方一つとっても個性があるんだな……)
やがてスカートまで脱ぎ終えた吉川さんは、脱いだ衣服を胸に抱えながらイスへと戻っていく。
そしてイスに座ると、大仕事でも終えたかのようにテーブルに投げだした衣服に顔をうずめるのであった。
「ええと……、で、どうするんだっけ?」
確かモデルがどうとか言っていた気がするが、今の吉川さんを見る限り、目的を忘れているように見える。
それとも脱ぐことに体力を使い果たしてしまったのか。
「そ……そうよ、花宮さんを私のモデルに……。大丈夫、ムリはさせないから」
うん、どっちかと言うと吉川さんの方が大丈夫じゃなさそうだけど。
足元のカバンからデジカメを取り出した吉川さんは、再びイスから立ち上がる。
「それじゃあ花宮さん、まずはドアの前の開けた所に出て来てもらえますか? そこで私がポーズをとるので、その真似をして下さい」
「……はぁい」
ブレザーを脱いで立ち上がる花宮さん。未だにちょっと嫌そうなのは申し訳なく思う。
「じゃあまずはこんなポーズをとってみて下さい」
そう言って吉川さんは、両手と両膝を床に突いて背筋を伸ばしたポーズをとる。。
(め……雌豹のポーズ?)
一般的にそう呼ばれているポーズである。いわゆるセクシーポーズに当たる。
「こ……こう、ですか?」
ぎこちなくも真似をして見せる花宮さん。それにしても雌豹のポーズが出てくるとか、一体どんなマンガを描くつもりなんだろう。
「もっと背筋を伸ばして、両手の間隔もせまく。そう、そのまま……」
花宮さんにポーズの指導を行い、デジカメを構える吉川さん。
「それじゃあ撮りますよ。せーのっ」
(せーので撮るのか? まあこの場合、イの口ではおかしいから妥当か……)
内心そんな事を考えながら、シャッターが切られるまでの時間を、静寂を持って迎えた。
その人物が現れたのは、僕らがそんな風に写真を撮っていた時のことである。
突然ガラリと部室のドアが開いたかと思うと、そこに一人の女生徒が立っていたのである。
「すいませーん、入部したいん……です……け…………ど……」
部室の状況を正しく認識していくにつれてか細くなっていく声。間違えようもない、今朝僕がオタ研に勧誘した佐久間さんその人である。
早めにという条件を付けた為、その日の内に演劇部を辞めてここに来たものと思われる。
(お……終わった……)
そしてこの惨状を目の当たりにした訳だが、四つん這いの女子とその少女にカメラを向けるもう一人の女子。
その二人をイスから見下ろす男子。言わずもがな全員半裸である。どう考えてもアウトだ。
(い、いや、佐久間さんは決して話の分からない相手じゃない。ここはきちんと事情を説明すればきっと分かってもらえるはず! けど一体何て説明しよう。『花宮さんをモデルにデッサンの練習をしようとしてたけど、一人だけ下着姿にするのが可哀想だったから皆で下着になった』って感じか? ちょっと長いけど、他に説明のしようもないし……)
花宮さんが動いたのは、僕がそんな事を考えていた時のことである。
「あっ、入部希望者の方ですか? 待ってましたよ、どうぞこちらへ」
「えっ? えっ?」
何事もなかったかのようににこやかに対応する花宮さん。そんな花宮さんに促されて、佐久間さんは僕の向かいのイスに案内された。
人間思考が停止すると周りに流されてしまうと聞いた事があるが、こんな感じなんだろうか。花宮さんが引いたイスに、躊躇いがちに座った、その直後である。ドアの辺りからガチャリという音を聞いて視線を向けた。
そこでロックに触れている吉川さんを見て、内側からカギをかけた事を理解するまでに、時間はかからなかった。
(何だこのコンビネーション。意外とたくましいなこいつら……)
呆れつつも安堵したのは言うまでもない。とりあえずこのまま逃げられるような事にはならなさそうだ。
「あ、今から服を着るから少し待ってて下さいね」
言いつついそいそと制服を身につけていく二人。この機に乗じて僕も服を着たのは言うまでもない。
静寂の中、三人の衣擦れの音だけが響く奇妙な時間が流れた。
「あ、あの……、やっぱりあたし帰らせてもらうね……」
そんな中、自身の置かれた状況を理解した佐久間さんが、そう言って立ち上がる。しかし今更そんな事をした所で時既に遅し。
ドアには鍵がかけられている上、その前では地獄の門番と化した吉川さんがわざわざ制服を持って来て着替えている。
一件普通に着替えているだけだが、彼女から迸る無言のプレッシャーは、既に部屋中を覆っていた。
「あの……どいてもらえないでしょうか?」
そんなプレッシャーを感じているのかいないのか、吉川さんの近くに寄った佐久間さんがそう話しかける。
「あら、もう帰ってしまうんですか? もっとゆっくりしていって下さい」
分かり切った事だが、この状況で退いてくれないかと言われて素直に退く訳は無かった。
「お願い! あたしを帰して!」
「まあそう言わずに」
可哀想だとは思うが、ここで帰られてこの場で見た事を誰かに喋られでもしたら、下手をすれば僕らの学生生活が終わりかねない。ここは強引にでも引き止めて、きちんと事情を説明する他あるまい。すまん佐久間さん。
そうこうしている内に、真っ先に服を着終えた花宮さんが再び佐久間さんの手を引いてイスに座らせる。
諦めの境地なのか何なのか、何故だか抵抗はしなかった。
続けて服を着終えた僕と吉川さん、そしてイスに佐久間さんを座らせた花宮さんも順次席に着いた。
佐久間さんの正面に僕ら三人、まるで面接のような配置である。
「最初に、先程あなたが見た光景は、私が花宮さんにモデルをお願いしたところ、一人だけ下着になるのが恥ずかしいとのことでしたので、私と福山君も下着姿になったと言うモノです。他に深い意味はありませんのであしからず」
開口一番吉川さんがそう説明する。少し違うが、まあこれが一番それらしい理由だろう。
「そ……そうですか」
対して佐久間さんは、割とどうでもよさげに返した。分かってくれたんだろうか? 分かってくれているといいな。
「じゃあ次に、この部に入ろうと思った決め手を教えて下さい」
「決め手……ですか?」
続いて花宮さんがそんな質問する。何気に入部したがっていると言う事になっている気がしないでもない。
「その…………初めてだったんです」
「はじ……めて……?」
花宮さんが無言でこちらを向く。怖い。
「ど、どう言う事ですか?」
よく分からないが、花宮さんが何か思い違いをしているのは明白である。早めに誤解を解いてもらう為に、僕はそう発言する。
「もう知っているかもしれないけど、あたし、声優になりたいんです。それで演技の参考にしようといろんな人に演技を聞いてもらったりしてたんですけど――」
何故か気恥ずかしそうに、視線を泳がせる。
「福山君だけだったんです。簡単になれるとか諦めろとか無責任な事言わずに、あたしと同じ目線でアドバイスをくれた人は。厳しい業界なのはあたしだって分かってるんです。それでもあたしは声優になりたい。だから演技以外の部分も磨けって言ってくれた福山君の言葉が凄く嬉しかった。そんな福山君が一緒に部活をしないかって誘ってくれたから、悩んだけど福山君と同じ部活に入ろうって思ったんです」
「……そうだったんですね」
佐久間さんの言葉に心動かされたのか、吉川さんと花宮さんはすっかり歓迎ムードになっている。
まあ動機がどうであれ入ってもらわないとこっちが困る訳だが。
けど当事者である僕には分かる。今佐久間さんが語った動機は単なる口実にすぎないと言う事を。
彼女は生ハムメロンのファンで、僕を介してメロンに何らかの要求をするためにこのオタ研に入ったのだ。第一僕のようなブサイクに恩を感じるなんて、そんな事がある訳が無い。
だからこそ佐久間さんがオタ研に入ろうと思った真の動機、生ハムメロンに対する要求の中身が気になったのだが……。
(とはいえわざわざ二人の前でそれを聞くほど野暮じゃない。内容次第では手間がかかる事もあるかもしれないし、早めに確認しておこう)
ともかくこれで部員も四人になったことだし、一安心といったところか。
「それで……結局入部は許して貰えるんでしょうか?」
こちらの顔色を窺うように、佐久間さんが尋ねた。
「あ、ごめんなさい、試すような事を聞いてしまって。興味本位で聞いてみただけで、内容はどうあれ入部は認めるつもりだったんです」
ばつが悪そうに花宮さんが説明する。僕との取引内容を気にしていた花宮さんだからこその発想か。
「そ、そうだったのね」
「うん、という訳で歓迎します。ええと……」
「佐久間です。佐久間亜衣。これから宜しくお願いしますね」
言ってぺこりと頭を下げる。そんな佐久間さんを、僕らは拍手で迎えた。
「ええと、私が部長の吉川はるかです。彼女が花宮香乃さん。そして既に知っているでしょうが、彼が福山瞬君。
こちらこそよろしくお願い致します」
形式的な挨拶を終えると、吉川さんはふう、と一息をつく。
それに影響されてかどうかは不明だが、そんな彼女を皮切りに何処かマッタリした空気か流れ始めた。
「ええと、見た所ろくな設備もなさそうなんだけど、具体的には何をする部活なの?」
ふと佐久間さんがそんな事を口にする。まあ事情を知らなければ至極当然な疑問だろう。
「この部は元々マンガ研究会という部だったんです。ですが今年の初めごろに部員がいなくなって、事実上の廃部になってしまったと聞いています。そこで新入部員でもある私たち三人が、先代と同じ轍を踏まないために、マンガに限らずオタク文化に関する全ての事について活動できるように部を作りなおしている…………途中なんですけれども……」
「……何かあったんですか?」
「活動内容と部名の変更に加えて、メンバーが一新している事で、元マン研ではなく新規の部と捉えられてしまったようです。ご存知かもしれませんが、その為に四人目の部員が必要だったんです」
「なるほど、そんな事情があったのね」
そういえば佐久間さんを勧誘した時、四人目が必要とは言ったがその理由までは言っていなかったか。
「ってことはあたしが入ったことで……?」
「そう、ようやくオタ研として正式に発足する事が出来ます。正確には書類を提出してからになりますが、今度は問題ないはずです」
新しい部として認められるには部員が最低四人は必要。そして佐久間さんを入れで四人。これで何の問題もなくオタ研として活動できるはずだ。
「じゃあ早速書類の提出に行くの?」
「いえ、今日はもう遅いですし、書類の準備だけしておいて提出は明日にしましょう」
「そう、分かった。それじゃあ今日は……?」
「佐久間さんが来て中断してたけど、さっきまでデッサン用の写真を撮ってたよね?」
今日の予定を確認しようとした佐久間さんに、花宮さんがそう応じる。
花宮さんの口角がわずかに上がったのは、その言葉の直後である。
「ねえ佐久間さん? 一つ言い忘れていた事があるんだけど……」
「はい、何ですか?」
「ゴメンね佐久間さん。あなたの事信じてない訳じゃないけど、さっき見たことを誰かに話されでもしたら、カノたちピンチなの。だから……ね?」
「ええと……?」
念押ししているだけなのだろうか? その割には違和感のある言い回しだけど……。佐久間さんの反応も僕と似たようなもので、その真意が分からずに戸惑っているようだ。
「安心して。みんなも一緒だから」
「えっ? えっ?」
イスから立ち上がり、どこか加虐的な笑みを浮かべてにじり寄っていく花宮さん。
「ええと、何が始まるの?」
「ほら、人には言えない秘密を共有すると、人は仲良くなれるって言うじゃない?」
「ぐ……具体的には?」
「具体的には……佐久間さんにも…………脱いでもらう!!」
「ひっ! いやっ!!」
次の瞬間、襲いかかってき花宮さんと揉み合いになる佐久間さん。
ぱっと見抵抗しているように見えるが、入部を決めた手前その抵抗は今一つである。
「じっ……自分で脱ぐから! 放して!」
「却下」
そんな二人にさり気なく吉川さんも加わり、カオスな事になっていく部室。
最初は普通に眺めていた僕だったが、時間が経つにつれて何だか見えてはいけないモノまで見えてしまいそうになっている事に気付き、さり気なく体を180°回転させる。
(ごめん佐久間さん。間が悪かったと思って諦めてくれ)
それから佐久間さんが下着に剥かれるまでの数分間、僕は背中で彼女たちの嬌声と衣擦れの音を聞きながら、一人悶々とした時間を過ごすのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます