第8話
それから程なくして、僕たちは西棟一階の生徒会室に辿り着いた。
これからあの生徒会長と会うのだと考えると、期待と共に緊張感を抱かずにはいられない。
「さあ二人共、心の準備はできていますか?」
吉川さんが僕らにそう声をかける。
自分だって緊張しているだろうに、僕らを気遣ってくれる姿勢は立派なものだ。
「カノは大丈夫です」
予想外に平静な態度で、花宮さんが応える。
「俺も問題ない」
続いて僕もそう答えた。
「……そうですか。では参りましょう」
不思議なほど冷静な花宮さんと、どっちかと言うと期待の方が大きい僕。そんな僕らを見て、吉川さんも少し落ち着いたのかもしれない。彼女は呼吸を整えると、気を取り直して生徒会室のドアと向かい合った。そっと右肘を持ちあげ、ドアを叩く。
程なくして中から、凛とした女性の「どうぞ」と言う声が届いた。ドア一枚隔てているとはいえ、間違えようもない。この声は生徒会長のそれである。
吉川さんはドアノブを捻って生徒会室に進み入ると、その後に僕と花宮さんも続いた。
(これが……生徒会室?)
実の所、僕はこれまで生徒会室の場所は知ってはいても、その中の様子までは知らなかった。だから一目見てそんな印象を抱いてしまったのも無理からぬ事だろう。
生徒会室の一番奥、一般的に上座と呼ばれる位置に、窓を背にして座る生徒会長その人の姿があった。
自然体でありながらどこか凄みのある眼で僕らを見ていたが、問題はそこじゃない。
何故か彼女以外の生徒会員の姿が見当たらなかったが、それはこの際どうでもいい。
彼女の座る机、いやここはあえてデスクと呼ばせてもらおう。そのデスクの見た目が問題だった。
彼女は生徒会長である。生徒の中で一番偉い。しかしあくまで生徒なのである。
だと言うのに、彼女が座るデスク、その大きさ。黒く分厚く、そして艶やかに光る天板から漂う高級感。
ヤシ科と思しき観葉植物にデスクトップPC、ファイル立てといった物が置かれていながらもまだ広々としている。
部屋の内装まで含めて、生徒会室というよりは校長か理事長でも座っていそうなデスクだった。
そしてデスクの正面には、会長以外の生徒会員が座るのだろう、低めのガラステーブルを囲んで、これまた高級そうなソファーが平行に並んでいた。
(生徒会とは一体……)
一瞬ツッコミたい衝動に駆られるが、状況が状況だし第一誰に突っ込めばいいのかも分からなかった為、そこは抑えた。
「それで、一体何の用かしら?」
僕らが会長の側まで近付いていくと、会長の方からそう声をかけてくる。
「はい。私達は現在、マンガ研究会という部を催しているのですが、この度部内でその活動内容に幅を持たせようと話し合った結果、部活名と活動内容に若干の変更を加えようと考え、その申請に来ました」
書類も既に準備済みです、と、件の用紙を差し出す吉川さん。
書類を受け取った会長は、背もたれに体を預けながらその内容に目を通していく。
「なるほど、申請書自体に不備はなさそうですが……」
何かを調べているのか、言ってデスクのPCを触り出す会長。マウスを使わない派なのか、何やらキーボードだけを使ってPCを操作していく。
やがて、その手を不意に止めた。
「なるほど…………残念ですが、部活動名と活動内容の変更を認める訳にはいきませんね」
そして会長はそんな事を言い出した。
「なっ――――何故ですか!? キチンと手順を踏んでいるはずです」
驚きと共に会長に喰ってかかる吉川さん。吉川さんの手前僕は黙っていたが、内心同じ気持ちだったのは言うまでもない。
資料に問題はないと会長は言った。という事は、それ以外の何かが問題という事なのか……?
「順を追って説明します。まずあなた達が所属しているマンガ研究会。こちらは生徒会にも認められた正式な部です。それは間違いありません。ですがこのマンガ研究会は、先のメンバーが全員卒業したのを期に全く部員が存在しない状態になっていました。そこに今月に入ってアナタ達が入部を果たし、一応の部としての体面は保たれたようですが……」
会長は静かにデスクの上で手を組んだ。そのよく分からない威厳に、僕らは気圧される。
「それからほぼ間を置く事なく、部活名変更。つまりあなた達には実質マンガ研究会としての活動実績が何一つない事になります。こちらとしては、あなた達はマンガ研究会ではなく、マンガ研究会を利用して部活を新設しようとしているようにしか見えないのです」
す……鋭い。流石は会長。
「それならそれで構わないのですが、そうなるとあなた達に不足している物が出てきます。お分かりですね?」
さも知っていて当然と言う風に訪ねてくる会長。まずい、何の事か分からない。
しかしそんな僕とは対照的に、吉川さんは会長の言わんとする事を察したらしい。
「部員数……」
ぽつりと、そう呟いた。
「そうです。学園の規定で、部活動を新設する際には最低四人の部員が必要になります。しかしあなた達は全部で三人。残念ですが認める訳にはいきません」
規則ですから、とでも言いたげな顔で会長はピシャリとそう宣言して見せた。
「ええと……、結局どう言う事なの?」
そんな中、一人状況が分かってない花宮さんが惚けた声を漏らす。花宮さんは実は結構頭が悪いのだろうか。
「つまり、今回の俺達の行動は部活の新設と受け取られているみたいだな。そしてその場合、部員数が足らなくて認められない……と」
「そ……そんな、何とかならないの?」
「なりません。部員を増やしてもう一度申請して下さい」
取り付く島もない。花宮さんの訴えに、会長は冷たく言い放つ。
ムムム……と睨み合いを始める二人。でも僕としても会長と事を構えるような真似はしたくない。僕は花宮さんの前に割って入る。
「ここは一旦引くぞ、カノ。会長も部員がもう一人いれば認めてくれるようだし、俺達でもう一人入ってくれそうな人を探そう」
「シュンさ……シュン君がそう言うなら……」
とりあえず花宮さんは分かってくれたようだ。
「吉川さんもそれでいいか?」
「私は最初からそのつもりです」
とりあえず部員全員の了解は得られたようだ。僕は改めて会長に向き直る。
「という訳で会長。今は一旦引いて、部員を増やしてからまた来ます。失礼しました」
「ええ、待っているわ」
そう応える会長を後目に、僕らは生徒会室を後にするのだった。
所変わってオタク文化研究会になり損ねたマンガ研究会部室。生徒会室から戻った僕らは、そこで作戦会議を開いた。
まあ作戦会議と言っても、いかにして部員をもう一人引っ張ってくるかというだけの内容なのだが。
「じゃあまずは吉川さん。オタク文化研究会に入ってくれそうな人、誰か知ってる?」
とりあえず最初に交友関係が不明な吉川さんに尋ねてみる。何故僕が仕切っているのかとか突っ込んではいけない。
「すみません。今まで黙っていましたが私……」
(え、何この切り出し。何かのカミングアウト? このタイミングで?)
疑問には思ったが、話の腰を折るのも何なのでこの場は黙っておく。
「実は私……、オタク趣味の事は友達には隠しているんです」
まあ分からなくもない。見た目の印象は線の細そうな女の子だし、最初から知っていた僕らはともかく、知らずにカミングアウトされたら確かに対応に困ると思う。
「それで……できれば今後もオタク趣味の事は隠しておきたい、と?」
申し訳なさそうに「……はい」と肯定する吉川さん。まあ仕方ないか。
「じゃあ次はカノ…………もいないか」
「ええっ!?」
何故か驚く花宮さんだが、よく考えたら彼女はイジメられているのだ。そんな彼女に友人を紹介しろというのは酷な話である。
「という訳で最後は俺か……。いない事もないけど、野郎ばっかりなんだよなぁ……」
この両手に花状態のマン研メンバーに、僕以外の男を混ぜるのは正直気が進まない。かといって僕に女友達なんていないし、男を入れるのは最後の手段って事で。
「後は俺たちの友人以外から探すパターンだけど、誰か思い当たる人、いる?」
僕らの友人から探すとなると、何だか悲しい結果になりそうだ。今更だけど。
「はいっ! 茅野先生がいいと思います!」
元気に手を挙げてそう発言する花宮さん。
「茅野先生は顧問だ。却下」
どんな時でもユーモアを忘れない花宮さん。ええ子や。
しかしまとも(?)な意見が出てきたのもそこまで。元々交友関係の薄い僕ら、オタク系の部活に入ってくれそうな知人というと更に限定される。
「名前だけでも貸してくれる人がいればいいんだが……」
三人で首を捻っていた最中、不意に花宮さんが「そういえば……」と口火を切った。その声に、僕と吉川さんは注意を向ける。
「昨日シュン様を呼び出した子、確か声優志望でしたよね? もしかしたらそっち方面にも詳しいかも……」
「……なるほど」
昨日演技を聞かせてくれた生徒、佐久間さんと言ったか。声優志望だからオタクと考えるのは安直だが、一般人から無作為に抽出するよりは確かにオタク率は高そうだ。
「でも応じてくれるかな、昨日結構キツイ事言ってしまったし、第一声優志望なら放送部か演劇部に入るんじゃないか?」
光明が差したような気がしたのも一瞬、そんな会話を最後に、僕らは再び沈黙する。
(いやでも佐久間さんって確か、アレの作者のファンなんだっけ? 作者ネタで釣ればもしかしたら、って、何考えてるんだ僕は。昨日作者バレはさせないって誓ったばっかりじゃないか。……いやでも状況が状況だし、例えばサインと交換に部に入ってもらうとか、実は作者と知り合い何で~くらいのノリなら作者バレすることなく交渉できるかも?)
「あの……シュン様」
花宮さんに声をかけられたのは、僕がそんな事を考えていた時のことである。
「……何だ?」
「可能性が低いのは分かるけど、この際ダメ元でも勧誘してみるのはどうですか? 選択肢自体が限られている以上、少ない可能性にでもかけてみるべきだと思うんです」
「カノ……」
花宮さんのいう通りだ。可能性が低いからと言っても、まだ勧誘できないと決まった訳じゃない。やってみる価値はある。
「……そうだな、今日はもう帰ってるだろうし、明日聞いてみるよ。それでいいか?」
「はい! お願いします」
花宮さんにお願いされると僕も頑張らないと、という気持ちにさせられるから不思議だ。
成功率を上げるために作者ネタを使う必要もありそうだ。今日中に作戦を詰めておくか。
「じゃあ俺の方針は佐久間さんの勧誘で決まりだな。後は二人共、このミーティングで名前は出なかったけど入ってくれそうな人、考えておいてくれよ」
「了解でアリマス」
「分かりました」
今日中に部活名を変えられなかったのは残念だけど、部員を一人増やせばそれで済む問題なんだ。それに、三人で協力し合うこの状況も別に嫌いじゃない。
なんだかんだ言ってこの現状を楽しんでいる僕が、そこにいた。
翌日の早朝。僕は一年D組の教室の前にいた。
僕と花宮さんのクラスはB組である。つまりここは僕達のクラスではない。そんな僕がD組に何の用かというと……。
教室の前でしばらく待っていると、やがて目的の人物が一人の友人と共に歩いて来るのを確認した。
僕は急いでその人物に駆け寄ると、思い切って声をかける。
「あ、ごめん。ちょっとだけ時間いいかな? ……佐久間さん」
「え? あ、福山君? どうしたの? 何か用事?」
嫌な顔一つせずに応じてくれる佐久間さん。少なくともこの前の事を根に持っている感じではない。
「今日はちょっと大事な話があってね。五分くらい時間貰ってもいいかな?」
「あたしは別に構わないけど……」
佐久間さんはそう言うと、連れの女の子に「先に行ってて」と、その場を去らせた。
去り際にその子が佐久間さんに耳打ちしていたが、一体何を話しているのか。
「ごめんね待たせちゃって。それで話って?」
「うん、手短に話すけど、実は今、俺達で新しく部活を作ろうとしてる最中なんだ」
「この前のオタク文化なんたらってやつ?」
「そうそれ。それで三人は集まったんだけど、正式に部として認められるには、もう一人部員が必要みたいでさ、それで、もし佐久間さんさえよければ、俺達の部活に入ってもらえないかと思ったんだけど……」
言ってしまった。ちょっと卑怯だけど、佐久間さんがどの部に入っているかとか入る予定なのかという事はあえて聞かなかった。
決めるのは本人とは言え、いっそ辞めさせるつもりで話を持ちかけたのだ。聞くだけ無駄、いやむしろ心象が悪くなる可能性の方が高い。
しかしそんな佐久間さんは、わずかに表情を曇らせる。
「ゴメンね福山君。誘ってくれたのは嬉しいんだけど、あたしはもう演劇部の方に入部届けを出してしまってるんだ……」
「そう……か」
想定していた中で一番最悪なパターンだ。入部前ならまだ翻意させる事もできたかもしれなが、既に入部後というのでは本人の意識的にもかなり辞め辛いのではないだろうか。
とはいえまだ想定の範囲内である事に変わりはない。それならまだこちらには策がある。
「佐久間さん、君はこの前、生ハムメロンのファンだって言ってたよね?」
「そうだけど……?」
生ハムメロン。例のラノベの作者のペンネームである。
「実は俺、メロンとはちょっとした知り合いでね。よく未発表の作品の感想とか求められたりしてる。もし君がオタ研に入ってくれるのなら、俺が奴に頭を下げて、サインでも何でも貰ってきてあげてもいい」
そう、これが僕が昨晩必死こいて考えた作戦である。しょぼいとか言ってはいけない。
「う……うそっ!」
「本当だ。……まあ作品のイメージを守りたいなら直接会うのは止めておいた方がいい、とだけ言っておく」
「えっと、証拠とかってある?」
流石は佐久間さん。きちんと裏をとる事も忘れない。
「……悪いが今すぐは無理だ。新巻の内容をかいつまんで教える事は出来るが、それが発売になる、つまり確認が取れるのはまだ先だろう」
あごに手を当てて考える佐久間さん。考えていると言う事はやはり悩んでいるのだろう。
もしこれが入部前であれば、おそらく即決してくれていたであろうことを考えると残念でならない。
そしてややあって彼女が出した結論は――――。
「……少しだけ、時間をちょうだい」
本人も相当悩んでいるのだろう。それが苦渋に満ちた表情から絞り出すように発せられた、彼女の言葉であった。
「そうだな、確かにこの場で即断出来るような事ではないか。待つよ。ただ……」
「……?」
「他の部員も四人目の勧誘に奔走している。君の決断が遅れて五人目になるような事があれば、その時はさっきの約束には応じられないから、そのつもりでいてくれ」
「そ……そんな!?」
「残念だが仕方のない事だ。俺達に必要なのは四人目であって五人目ではないからな」
我ながら酷い奴だと思う。でもこっちとしてもあんまりのんびりしている訳にもいかないのだ。
佐久間さんに早めに決断してもらう為にも、こう言っておく必要があった。
「それじゃ、そろそろホームルームが始まるからいくよ。いい返事を期待してる」
僕はそう言うと、半ば突き放すようにその場を離れた。去り際に見た佐久間さんは、呆然と立ち尽くしているように見えた。
(またやってしまった……)
佐久間さんと別れてすぐ。僕は机で一人自己嫌悪に陥っていた。
靴を舐めさせる、壁ドンで脅迫ときて、今度は生ハムメロンの名前を利用しての脅迫じみた取引である。
それでも花宮さんと吉川さんは普通に接してくれるが、佐久間さんには本格的に嫌われた自信がある。
……いや、花宮さんと吉川さんも内心は怒り狂っているのかもしれないけど。
(なんか最近、女の子に対して酷い事ばっかりしているような気がする……)
僕は結構目的のために手段を選ばないタイプなのかもしれない。気を付けないと……。
けどまあそれはそれとして、佐久間さんが僕らの部活に入ってくれる事を期待せずにはいられない。結構美人さんだし。嫌われたのは残念だけど、それは慣れてるし。
生ハムメロンの前作は主人公が強くてイケメンで周りの女の子にもモテモテだった。僕とは何もかも正反対だけど、もし佐久間さんがオタ研に入ってくれたら、女の子に囲まれているという状況だけは同じになる。実態はともかく。
(生ハムメロンの前作……? あっ!)
すっかり忘れていた。昨日花宮さんに貸すと言っていた中二バトルハーレムモノ。
昨夜カバンに詰めておいたが、今日佐久間さんをどう攻略するかばかり考えていて完全に思考の外へと追いやっていた。
(……昼にでも渡すか。今渡すとまた相手してくれなくなりそうだし)
花宮さんオタク化計画はあくまで一緒に趣味の話をするためのものであって、それで僕らの時間が削られたら本末転倒だ。
ラノベに嫉妬している訳じゃないぞ。一応。
(けど気になるな、実際。くどいようだけどジャンルがジャンルだし、できれば自分で自分の好きなジャンルを開拓していってくれるようになるといいんだけど……)
まあこればっかりは仕方がない。
でも次に読ませるやつはアニメ化もしてるし、気に入ってくれればその流れでアニメに手を出す切っ掛けになるかもしれない。
あのアニメには僕も関わりがある。花宮さんがあのアニメを見たら、一体どんな評価を下すんだろうか。
花宮さんの顔を斜め後ろから眺めながら、僕はそんな事を考えていた。
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