第7話
「カノ、これ読んで感想くれよ。実は昨日も持って来てたんだけど、渡すの忘れててさ」
翌朝の登校の最中、そう言って僕は花宮さんの頭に昨日のラノベを乗せた。
「……これは?」
花宮さんはラノベを頭から引き抜きながら尋ねた。
「ライトノベルという物だ。オタクの入門書くらいに思っておけばいい。誰にだって好みはあるからな、合わないようだったらまた別なの持ってくるよ」
「なるほど、了解でアリマス」
内容も普通の冒険譚だし、女性から見てキモいと思うような部分は無かったはずだ。多分。後は挿絵が入っているくらいで、入門書としては申し分ないという判断だったのだが。
ラノベというモノが珍しいのか、すぐにカバンには仕舞わずに空に掲げてみたり数ページめくってみたりしていた花宮さんだが、やがてラノベを鼻先に持ってくるという謎の行動に出る。
「……何だかこの本から、知らない女の人の匂いがします」
「ぶっ…………!!」
あまりにも予想外な花宮さんの一言に、僕は激しく吹いてむせ返る。
「あ、だ、大丈夫ですかシュン様!?」
「ああ、まあ何とか。しかし匂いというのは?」
「えと、シュン様に物を借りるのは初めてだったので、少し小粋なジョークをですね……」
どうやらただのジョークだったらしい。よかったよかった。……よかった。
「そうか、よかった」
「えっ?」
「い、いや何でもない。とにかく読める所まで読んだら感想をくれ。その内容次第で次に持ってくるラノベを考えるから」
「はいです」
(そりゃそうだよな、佐久間さんに貸してたって言っても、三十分かそこいらのはずだ。単なる偶然か……)
横目でラノベを仕舞う花宮さんを見ながら、僕はそんな事を思っていた。
「ところでシュン様、この本はいつ頃までに読み終わればいいですか?」
「別に急ぎではないからいつでもいいんだけど……そうだな、一週間くらいを目安にしておいてくれ。それとさっきも言ったが、つまらなければ無理に読む必要はないんだからな」
「そうなんですか? 折角勧めてくれたのに……」
「ああ、人の趣味趣向は千差万別だからな。カノも無理に俺に合わせる必要はないからな?」
そう、一口にオタク文化と言ってもそのジャンルは幅広い。中二バトル、燃え、萌え、百合、BL、etc……。
最初に手にしたジャンルが合わなかったからと言ってオタク文化その物を敬遠してしまうのは残念なことのような気がする。
「そうですか、分かりました。でもそれじゃあ……」
「……えっ?」
続く言葉がよく聞き取れずに聞き返してしまうも花宮さんは……。
「な、何でもありません!」
そう言って何処か怒ったようにはぐらかすのであった。
「そ、そうか?」
何だか少し不機嫌な感じになってしまった花宮さんに対して、僕は口数を減らさざるを得なかった。
(情緒不安定なのかな? それとも僕が気にしすぎているだけか?)
悲しいかなこれまで女の子とちゃんと付き合った経験のない僕には、一般的な女の子の情緒というモノが分からないのである。
それからなんとなくお互いに言葉数を減らしながら、僕らは教室へと辿り着いたのであった。
教室に着くと花宮さんは真っ先に自分の机でラノベを読み始めてしまい、朝の雑談は本日もお預けとなった。本格的に怒っているのか、単に雑談よりラノベを優先したのかは、僕には判断が付かなかったが……。
ピンと背筋を張ってラノベを読みふける姿は思わず感心させられるような、それでいて何かが間違っているような、妙な気持にさせられる。
(この分じゃあお昼までは迂闊に話しかけられないな……)
何だかラノベに花宮さんをとられてしまったような、そんな気持ちになった。
「えっ、もうそこまで読んだのか?」
「うん、意外と面白くて止まらなくなっちゃった」
そして迎えた昼休み。僕と花宮さんはごく自然に二人で昼食をとっていた。メニューはもちろん花宮さんの手作りお弁当である。
「面白い、か。それはよかった。勧めた人間としては嬉しい限りだよ。きっと作者も喜ぶだろう」
「作者?」
「いやごめん、こっちの話」
その内作者の正体を知る日が来るかも知れないが、とりあえず今は黙っておこう。うん。
「そうですか? それでカノはあのネコさんが好きなんですが、シュン様は誰が好きですか?」
(お前だよ)
なんて言える訳もなく……。
「ネコさん? 整備士のやつ?」
「いえ、ヒロインを巡って船長と戦う人です」
思いっきり敵じゃねぇか。……まあ確かに悪い奴ではないんだが。
「船長って、そいつ一応主人公なんだけどな。確かに人に好かれるタイプではないが……」
「それで、結局シュン様は誰が好きなんですか?」
「そうだな、基本的にみんな好きだけど、あえて一人に絞るんならエルビアかな」
「エルビアちゃん……」
「そう。体は大人なのに心が大人になりきれてない感じが……変な意味じゃないぞ?」
「ふうん……」
僕の答えを聞いた花宮さんは、何か思案するように視線を泳がせた。
「それは背が高くて筋肉もあるから?」
「えっ? いや別にだから好きって訳じゃ……というかそれって」
どこかで聞き覚えのあるフレーズだと思ったら、よくよく考えると最初に花宮さんをフッた時の言葉だ。単なる口実のつもりだったが、本人は結構気にしていたのかもしれない。
「違うんだ? でもエルビアちゃんって、お姫様のソフィアちゃんより美人って設定だったよね?」
「いやそうだけどさ、二次元で美形っていうのはもはや当たり前の事であって、設定以上の意味は無いんだから」
「そうかもしれないけど……。それじゃあエルビアちゃんのどんな所が気に入ったの?」
(何でそんなに喰ってかかるんだ。僕の好みのタイプなんてどうでもいいだろうに……)
そんな風に考えつつも無視する訳にもいかず、真面目にエルビアの魅力を考察してみる。
「ええと……そうだな、美人なのに自分で自分を美人だと思ってない、もしくはそれに価値がある事だとは微塵も思っていない所、かな」
うん、魅力と言われれば沢山あるけど、一つに絞るとしたら詰まる所コレな気がする。
「つまり、シュン様はナルシストな女の子は嫌いって事?」
「え、うんまあ、嫌いというか苦手かな。別に女の子に限った話じゃないけど……」
容姿に限らず天狗になっている人は横柄なんじゃないかと思う。勝手なイメージだけど。
「そっか、気を付けないと……」
花宮さんが小声でそんな言葉を漏らす。思わず「えっ?」っと聞き返してしまうも花宮さんは、
「ううん何でもない」
と誤魔化し、再び同じ言葉を漏らす事は無かった。
(聞き違いかな? ナルシズムとか花宮さんとは最も無縁な事のような気がするけど……)
自意識の高い人が他人のクツを舐めたり、下僕という立場に甘んじたりはしないと思うのだが、それは本人にしか分からない事なのかもしれない。
「そういえば今日は部名変更の申請予定日だったな。署名はしたけど、他に何もしなくてもいいのかな」
そう、昨日その署名をしたが、顧問が帰っていたために今日に持ち越しとなった。といっても部員として現状何をしないといけないのかが分からないという状況である。
「え~っと、用紙は吉川さんが持ってるハズだし、特に何もしなくていいんじゃないかな? もしあれば昨日みたいに言ってくると思うし……」
「それもそうか」
とは言え言いだしっぺは僕らなのに、その手続きを吉川さんに押し付けてしまったみたいで心が晴れない。部長だからといってしまえばそうなのだが。
「通るといいな、申請」
主に僕らの平穏な部活動生活のために。
「そうですね。でもまあ仮に通らなくても……」
「えっ?」
花宮さんが何か妙な事を口走ったような気がして向き直る。
「いえ、何でもないです」
しかし先程と同様、花宮さんが同じ言葉を発する事は無かった。
(今日の花宮さんはなんだか隠し事が多いな。気のせいだろうか)
……まあ多いから何だって話なんだが。
そんな風に駄弁りながらお弁当を食べている内に、僕は先にお弁当を食べ終えてしまう。対して花宮さんのお弁当はというと、まだ四分の一くらい残っていた。
急かすのも悪いのでお弁当を丁寧に開封前の状態に戻すと、そのまま手を合わせる。
「御馳走さまでした」
「おそまつ」
「……? 何だそれ」
唐突に発せられた謎の呪文。その名はオソマツ。効果は周囲の人を混乱させる事。
「知らないんですか? ご馳走様の後にはそう返すのが正解なんですよ?」
「……マジ?」
「まじです」
「ローカルルールとかじゃなくて?」
「ろーかるるーるとかじゃないです」
花宮さんは真っ直ぐ僕の目を見て応える。
「し、知らなかった……」
家の大きさから察するにそこそこお嬢様なのかと思っていたが、やはりそうなんだろうか。それとも単に古風なだけか。
「世界は広いな……」
見上げた先には突き抜けるような青い空と燦々と照りつける太陽……ではなく、見慣れた教室の天井があった。
「お互い様です。シュン様にだったらカノに出来る事なら何でも教えてあげちゃいますよ」
「おう、その時はよろしくな」
良く分からないが、とりあえずそう返しておく。
(しかし何だか妙な言い回しだな。この場合知ってる事ならとかじゃないのか?)
まあそんな些細な事にいちいちツッコミを入れたりはしないが。
そう話している内に、続いてお弁当を食べ終えた花宮さんもお弁当を包み始めた。
包み慣れているせいか僕のそれより数段手際がいい。
「それじゃあぱぱっと続きを読んじゃいますね」
そう言うとお弁当箱を回収してさっさと引き上げていってしまう花宮さん。今朝あまり相手をしてくれなかったのは、単にラノベを優先した結果だったようだ。
このペースなら授業が終わる前に読み終えてしまいそうである。
放課後でも帰宅後でも読めるんだし、急ぐ理由がよく分からないが。それとも続きが気になってしょうがないのか。
(……暇になってしまった。散歩にでも行ってくるか)
そう考えた僕は、席を立ちえっちらおっちら教室を後にするのだった。
「大変面白かったですシュン様。勧めて頂いてありがとうございました。つきましては誠に恐縮なのですが、次巻の方をお貸しして頂きたく……」
花宮さんがそう話しかけて来たのは、終礼が終わってすぐの事である。いつにもまして堅苦しい言葉を使っているような気がするのは気のせいだろうか。
「時間? ああ次巻ね。そんなに畏まらなくても普通に貸してあげるよ。と言っても、それ一番新しい奴だから続きはまだ出てないんだけどね」
「なんですと……?」
そう、作者は今、二巻目を鋭意執筆中だ。
「で、ではシュン様、続きはいつ頃出るんでしょうか?」
「作者の執筆ペースから考えるに次は多分八月頃、今から三ヶ月くらい先だろうな」
「そんな……」
まるでこの世の終わりでも見て来たかのように、よろけて落ち込む花宮さん。まさかそんなにハマるとは思わなかった。最新のやつを持ってきたのは失敗だったかもしれない。
「げ、元気出せよカノ。それの続きは無理だけど、同じ作者の前作なら貸せるからさ」
「そうですね、無い物ねだりをしていても仕方ないし、楽しみが増えたと思えば……」
「そうそう発売日に買った奴なんか、合計四ヶ月も待つ事になるんだし、それよりはマシだろ。それまで同じ作者の前作でも読みながら気長に待とうぜ。明日持ってくるよ」
「あ、えっと、よろしくお願いします」
ご丁寧に頭を下げる花宮さん。しかし作者の前作とは言っても、内容はテンプレ中二バトルのハーレム物だ。どう考えても女の子ウケするような内容じゃない。
「……まあいいか」
ウケそうにないからと言ってウケないとは限らないし、仮にウケなくても所詮はただの繋ぎである。気にする程の事ではないだろう。
花宮さんに先んじて部室のドアを開いたのは、それから程なくしての事である。
何となくそんな気はしていたが、部室には既に吉川さんが来ており、前回のようにマンガを読みふけっていた。
(よく考えたら吉川さんを部室以外の場所で見た記憶が無いんだけど、気のせいだろうか)
もちろんたまたまなんだろうが、それを言葉にするのは何故か躊躇われた。
「お邪魔します」
「お、おじゃまします……」
僕に続いて花宮さんもそう挨拶をする。僕らを認識した吉川さんは、即座に読んでいたマンガを伏せて立ち上がった。
「来ましたね二人共。既に準備は整っています。早速参りましょう」
何のこっちゃ。
「ええと……悪い、話が見えないんだが」
多分部活名絡みの事なんだろうが、それにしてもこれから何をするのか分からないまま動きたくはない。心臓に悪い。
「あら、これは失礼しました。てっきり知っているものと……」
言うと吉川さんは、カバンからどこかで見たような書類を取り出して見せた。
「この通り、今日顧問の茅野先生からハンコを貰ってきました。後は実質生徒会長のサインを貰うだけなのですが、調べた所によると、会長のサインを貰う為には署名したメンバー全員の同席が必要とのことです。なのでお二人が顔を出すのを待っていたのです」
「あ~……」
話が順調に進んでいると思ったらそんな落とし穴が……。まあこのまま吉川さんに任せっきりになるよりはマシなのかもしれない。
「待ってたって事は、もう準備は出来てるって事でいいのか?」
「はい。先程も言いましたが既に茅野先生のハンコは貰っています。後は生徒会長にこの書類を渡せば晴れてマン研はオタ研にグレードアップします」
名前的にはグレードダウンだが。
「……で、その会長に渡すためには署名人の同席が必要、と」
「そうです。他に校長先生の認可も必要になりますが、そこは既に生徒会長の領分ですので、こちらから何かをする必要はありません。ただ実際に会長がこの件に関してどのような判断を下すのかまでは分かりませんが……」
申し訳なさそうに目を伏せる吉川さん。いやそこまでやってもらって更にそんな顔をされたら、僕らが本物のクズみたいじゃないか。やめて。
「十分だ。なら早速行くか。カノも時間は大丈夫だよな?」
「もちろんです。と言うか先約があってもシュン様のためならキャンセルしちゃいますよ」
「そ……そうか」
流石は花宮さん。既に腹は決まっているらしい。
「仲、いいんですね」
僕らのやり取りを見て、事情を知らない吉川さんが能天気なコメントを残した。確かに僕らの真の関係を知らなければそんな風に見えてしまうのも仕方ない事なのだが。
「えへへ、そんなことは――――あるけど」
あるんだ……。そう言えば吉川さんに対しては恋人同士って事にしてたんだった。
今更訂正して突っ込まれても困るし、このまま通すか。
「そうですか、残念です」
そして発せられる意味深な言葉。僕と花宮さんは思わず顔を見合わせる。
(ど、どう言う事だ? 僕と花宮さんの仲が良いと何が残念なんだ?)
仲が良いと残念と言う事は、裏を返せば仲が悪い方が吉川さんにとっては好ましいと言う事で、そこから導き出される可能性が一つだけある。
つまり彼女は…………好き、なのかもしれない――――そう、花宮さんの事が。
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