第6話

「それで、俺を呼び出して何をさせるつもりなんですか?」


 佐久間と名乗った女生徒に連れられて歩く最中、僕は彼女にそう呼び掛けた。


「あ、ごめん、説明がまだだったね。実はあたし、声優になるのが夢なんだ。それで声優に詳しい君に、あたしの演技を聞いてもらおうと思って」


 声優志望と佐久間さんは言った。本来なら応援すべきところなのだろうが、それが声優となれば話はまた違ってくる。

 何を隠そう声優業界と言うのは、もう何年も供給過多の状態が続いていてとんでもなく狭き門なのである。

 運よくその狭き門に入り込めたとしても、それで長期の安泰が約束される訳でもないという分の悪い業界なのだ。


(憧れる気持ちも分からなくもないけど、ここは適当にこき下ろして諦めさせるのが彼女のためかも知れないな……)


 そんな事を考えながら歩いていると、やがて佐久間さんはとある部屋の前で立ち止まる。


「第三音楽室?」

「そ、ここなら声が周りに漏れないでしょ?」

「それは分かるが、他の部は使ってないのか?」

「元々第三音楽室は狭くて使いにくい上に、今はどの部も勧誘で忙しいから使ってないよ」


 理屈はともかく、使われていない事を知っているかのような口振りである。いや、実際に使われていない事を確認しているのかもしれない。


(それにしても……)


 やはり誰も使っていなかったのだろう。進んで第三音楽室の中へ入っていく佐久間さんに続きながら、僕はある事を考えた。


(いくら声優になりたいと言っても、初対面の僕に演技を聞かせるとか、マジメというか何と言うか……。単にそういう事に抵抗が無いだけなのかもしれないけど……)


 僕が音楽室に入ると、VIP待遇とばかりに佐久間さんは椅子を用意して出迎えてくれた。

 僕がその椅子に座ると、佐久間さんはその正面に立ち、気恥ずかしそうにコホンと一回咳払いをしてみせる。


「ええと、これから福山君に私の演技を見てもらうワケだけど、まだアニメ化してないマンガやライトノベルで有名な作品、何か知ってる?」

「ん? どう言う事?」

「えっとね、君の知らないキャラクターを演じてもしょうがないと思うんだ。君が知らないと上手い下手が分からないと思うから。だからお互いが知ってるキャラクターを探ってそれを演じようと思ったんだけど……?」

「ああそれは確かに。アニメ化してない作品なのは正規の声のイメージに引っ張られないようにするためか。何かあったかな……」


 言われた通り、アニメ化してない作品で有名どころを思い返してみる。


(作品自体は結構浮かぶけど、それがどれくらいメジャーな作品なのかがよく分からないな。その上で女の子が読んでそうな作品となると……。マンガ……ラノベ…………ラノベ?)


 それまでメジャー作品を必死こいて考えていた訳だが、ある事を思い出して思考がそっちの方向に飛んでしまう。


(そうだ、花宮さんに読んでもらおうと思って今日とあるラノベを持参したんだった。参ったな、完全に忘れてたぞ)


 しかしその瞬間、僕の脳裏に閃光が走る。


「いい事を思い付いた。佐久間さんが元から知っているキャラクターだと演じるのも簡単だろう。君が知らないキャラクターを演じてみてくれないか?」

「えっ?」


 意味が分からなかったのだろう。佐久間さんは一瞬気の抜けた顔になる。


「今丁度こんなものを持って来ていてな」


 僕はカバンの中から某ラノベを取りだし、表紙が見えるように佐久間さんに差し出した。


「……これは?」


 受け取ったラノベの表紙を眺めながら、佐久間さんはそんな疑問を口にする。


「新作のラノベだよ。発売してまだひと月しか経ってない。だから多分マイナーなんだろうけど、現物がそこにあるから役作りは可能だろ?」

「うっ……」


 僕の提案により、知らないキャラクターを演じる事になった佐久間さん。

 無理といって却下する事も出来るのだが、知らない人に演技を聞かせる程ストイックな彼女には、そんな事はできなかったらしい。表情が固まる。


「佐久間さんに演じてもらいたいのは、それのヒロインのソフィアって子。外見はカラーページに載ってるし、彼女のキャラクターを掴むんなら一章だけ読めば十分だ。出来るな?」


 そんな佐久間さんを半ば無視して話を進める僕。当初は演技を聞いて扱き下ろす予定だったけど、やっぱり酷い言葉を投げかけるのには抵抗がある。

 これで自信をなくすようならそれが一番なんだけど……。

 ラノベの表紙を眺めながらしばらく考えていた佐久間さんだったが、ややあって覚悟を決めたように顔を上げた。


「分かった。やってみるから少し時間をちょうだい」

「ああ、急がなくてもいいぞ。何なら明日にしても……」

「いいえ、それじゃあ意味が無い。悪いけど、少し待っててもらえる?」

「そ、そうか」


 やはりマジメというか何と言うか……。声優になりたいという決意は固いようだ。

 佐久間さんは少し離れた場所にある机に座ると、その場でラノベを開いて読み始めた。


(ヒマだ……)


 一章とは言っても四~五十ページくらいあったはずだ。急がなくてもいいとは言ったが、読み終わるまで暇なのは事実なのであって……。


(宿題でもするか)


 そう考え机に移動すると、カバンから宿題と筆記用具を取り出した。



 僕が椅子を引く音に気付いたのは、それから二十分ほど経ってからの事である。

 音の方を見ると、そこにはラノベを両手で挟んで立ち上がる佐久間さんの姿があった。


「準備は出来たか?」


 そう問いかけると、


「……ええ」


 意外と落ち着いた態度で佐久間さんは応えた。

 僕はやりかけの宿題と筆記用具をカバンに仕舞うと、先程のイスに移動する。同様に佐久間さんも、再び僕の前へと歩み出た。

 斯くして唯のキモオタである僕と、声優志望の佐久間さんとの対決が始まったのである。


「私はこれからどうなるの?」

「お前はこれから遠く離れた場所で、名前を変え一市民として生きる。それだけだ」

「普通? 奴隷として生きる事が?」

「何か勘違いをしているな。俺は奴隷商人じゃないし、お前を誰かに売り飛ばす気もない」


 ヒロインのソフィアを演じて欲しいとは言ったが、彼女の演技はご丁寧に主人公の少年まで演じてくれている。

 いや、その方が分かりやすいのは事実なんだが、この作品を出版前から穴があくほど読み返している僕としては、主人公のセリフなんぞなくてもどの場面かくらいは十分分かる。

 それどころか、わざわざ低い声を作って主人公を演じている佐久間さんを見て軽く吹きそうになったのは本人には秘密だ。


「どう言う事? お金のために私を攫ったんじゃないの?」

「……俺はある人物の依頼でお前を助けた。だからお金のためと言えばそうだが、お前が考えているような内容ではない」

「助けた? まるでお城が襲撃される事が分かっていたかのような言い方ね」

「……そうだ」


 ……やばい、上手いぞ。主人公の声はともかく、ヒロインのソフィアの声は僕のイメージそのまんまだ。

 声質だけの問題じゃない、声量、トーン、感情の込め方。そこら辺まで綺麗にソフィアとシンクロしている。


(参ったな、扱き下ろすつもりだったのに、これじゃあ何も言えないぞ)


 佐久間さんの演技を聞きながら、僕は扱き下ろす材料について必死で頭を巡らせていた。


(流石にこの演技を扱き下ろす勇気は無いぞ。なら扱き下ろすならそれ以外の部分か?)


 僕の前では佐久間さんが尚も演技を続けている。上手いと言ってもソフィアだけなのだが、元々ソフィアの演技しか依頼していないのだからそれはいい。

 そもそも他のキャラを演じる必要すらない。


(演技以外の部分……)


 わざわざ一章の終わりまで演じさせておいて申し訳ないが、既に僕は、彼女の演技をほとんど聞いていなかった。

 彼女の演技力が分かったというのもあるが、扱き下ろす材料を探していてそれどころではなかったのである。


(例え実力があってもイマイチメジャーになりきれないのが今の声優業界。なんでかっていうと、人気も知名度もある有名声優が仕事を半ば独占してしまっているから。起用する側としてもファン層が読めない新人声優よりも固定ファンのいる有名声優の方が使いやすい……。この辺りから攻めてみようかな)


 僕がそんな風に考えをまとめていると、やがて演技を終えたらしい佐久間さんが本を閉じて安堵の息を漏らした。


「……どう、だった?」


 不安そうに佐久間さんは尋ねる。対する僕は勿体ぶって間をおくと、静かに口を開く。


「……いや、予想外に上手かったんで驚いたよ。佐久間さんの演技は既に俺ごときが口を挟めるような領域じゃない。すまない」


 平たく言うと絶賛である。

 それで佐久間さんはというと、やはり褒められて悪い気はしないのか、ふっと表情を緩ませた。しかしそれも一瞬。続く僕の、


「だから今回は演技以外のところから言わせてもらう」


 という言葉に、即座に表情を引き締める。


「ええと、俺に演技を聞かせたって事は、佐久間さんはアニメやゲームの仕事をメインにやっていきたいと考えてるって解釈でいいんだよな?」

「……そのつもりだけど」

「それはよかった。正直ナレーションや吹き替えに関しては何も知らないからな。それで結論から先に言うと、アニメやゲームの制作者に君を起用しようと思わせるにはどうすればいいのかって話だよ」


 我ながらただのキモオタが随分と偉そうな言い草である。


「どう言う事? さっき上手いって……」

「ああ、確かに佐久間さんの演技はレベルが高かった。でもそれは所詮素人目線での話。きっとオーディションでは君くらい上手い人が大勢来るんだろう。それ以外にも、少しアニメに詳しい人なら誰でも知っているような有名声優たちとも張り合っていかないといけない。そんな人たちを押しのけて採用してもらえるようなプラスアルファが必要だ。君にはそれがあるか?」


「それは……」


 言葉に詰まる佐久間さん。察するに、彼女はストイックに演技力だけを磨いて来たのだろう。その志は立派だが、それだけでは心許ないのが今の声優業界。

 役に合うとか実力優先で使ってくれるかとか、そういう作品とスタッフに恵まれるかどうかは完全に運である。

 一見当たり前のようだが、意外と出来ていないのが今の業界だったりする。


「たった一クールのアニメに何十人の声優がオーディションを受けにくると思ってるんだ? 実力なんてあって当たり前。その上でスタッフをあっと言わせるような何かが必要だ。妥当な線だと声質、極端な例だと容姿やコネでもいい。君にはそういう何かがあるか?」


 言ってしまった。間違った事を言っているとは思わないけど、何様だよ僕。でもまあ厳しい業界だし、これくらいキツめに言っておいた方が佐久間さんのためなのも事実だろう。


「という訳で俺はそろそろ帰るよ。本、返して貰っていいか?」

「あ、はい」


 僕が右手を差し出すと、佐久間さんはそこにラノベを合わせた。

 僕は受け取ったラノベをカバンに仕舞うと、イスを戻して棒立ちする佐久間さんに向き直る。


「それじゃまたな」


 キツい事を言ってしまった手前、どこか居心地の悪さを感じていた僕は、気持ち急いで第三音楽室を出ようとする。その時……。


「待って!」


 そんな佐久間さんの声を聞き、僕は歩みを止めた。


「……何か?」


 そう聞き返す僕の体に緊張が走る。そういうタイプには見えないが、彼女が反撃してくる可能性もゼロではなかったのである。

 だが続く彼女の言葉はと言うと……、


「えと、付き合ってくれてありがとう。おかげで何だが視界が開けたような気がする」


 と言う感謝の言葉であった。


(なん……だと……? まさかお礼を言われるとは。本当にマジメなんだな)

「あ、ああ、参考になったんなら何よりだ」

「うん、あ、それとね福山君、さっきの演技、実は少しだけズルしてたんだ」

「……ズル?」


 演技にズルもなにも無いような気がするが、一体どういう事なんだろう。


「うん、実はあたしね、その作者のファンなの。だからその作品も以前から知ってたんだ」

「そ、そうだったのか……」


 今明かされる衝撃の真実。作者のファンらしいが、迂闊な事を言って佐久間さんの夢をブチ壊したりしてはいけない。ここはスルーで。


「まあ演技力はかなりのものだったし、本当に知らなかったとしても佐久間さんなら上手く演じられたんじゃないかと思うよ、俺は」

「そう? ありがとう」

「それじゃあ今度こそ本当に帰るよ。またな」

「うん、また明日」


 僕は佐久間さんとそんな会話を交わすと、第三音楽室を後にした。


「まさかこんな所にファンが……。意外と身近にいるもんなんだな」


 とは言え作者が誰なのかを佐久間さんに教えてあげるつもりは毛頭ないが。

 下手をすればファンを一人失いかねない。イメージ戦略は大切。


「それにしても……」


 のろくさと昇降棟で靴に履き替えながら、花宮さんのいない帰路の事を考えていた。

 よく考えたら一緒に登下校するようになってまだ二日目なのだが、もう結構長い事一緒に登下校していたような気がする。それくらい今の下校が味気ないものに感じられる。


「一年か……」


 僕と花宮さんの関係、その期間は一年。少なくともその期間は、僕と花宮さんとの関係も続いているものと考えてしまっていいだろう。

 問題はその後。今から一年後、僕と花宮さんの関係は一体どのように変化しているのだろう。

 例えばクラス替えによってイジメられる事もなくなれば、わざわざ僕と行動を共にする必要もなくなり、僕との関係も自然消滅してしまうのだろうか。


 僕はふと、いつか訪れるであろうその日が、少しだけ怖ろしくなった。

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