第2話
そして迎えた放課後。僕と花宮さんは例の部室があるという東棟三階に来ていた。
「あんまり人いないな」
思わずそう漏らす。
「この辺りは文化系の部活の中でも、弱小部の部室になっているものが多くて、人もあまり来ないみたいですよ」
「そうなのか?」
「はい。だからこそ部室の扱いも割とズサンなんですけど」
なるほど数ヶ月とはいえ、部員のいない部活がそのまま放置されていたのは、そんな立地の悪さもあっての事だったのかもしれない。
「あ、ここです」
やがて花宮さんは、そう言ってある部室の前で立ち止まる。
「マンガ研究会?」
その部屋の表札には、そんな事が書かれていた。
「そうですね。元々はそんな部の部室だったみたいですよ」
僕は絵が描けないし、マンガなんて論外なのだが、身近にそれに近い創作活動をしている人間がいる立場としては、少しだけ興味があったり。
(もしこの部活が残っていたら、体験入部くらいはしたかもなぁ)
などと、一人感慨にふけった。
「まあいい、とにかく入ってみよう」
そう言って僕は、花宮さんを伴って部室のドアを開く。
「……えっ?」
そして思わずたじろいだ。
部室にマン研時代の名残でもあればと期待していたが、どうやらそんなものはなさそうだ。それはいい。
中は殺風景で、本棚と長テーブルとパイプ椅子、あと奥に掃除用具入れと思しきロッカーがあるが、重要なのはそこじゃない。
問題なのはそのパイプ椅子の一つに、何やら女子生徒が座って本を読んでいた事である。その女子生徒もすぐに僕の存在に気付き、視線が重なる。
だがそれも一瞬。女生徒は本に栞を挟んで伏せると、椅子を引いて僕らの方に近寄って来る。
「えっと……入部希望者の方ですか?」
色白でほっそりとした少女であった。髪を左右で縛っており、花宮さんより十センチ程背が高い。だが体重はそう変わらないのではないだろうか。
「ええ、まあそんなとこです」
「そんなとこ……。もし見学や体験入部をご希望でしたら諦めて下さい。この部は実質廃部になっていたようなもので、当時の設備ももう残っていないんです」
「そうなんですか?」
……まあ知ってたんだけどね。
「ええと、どうするか彼女を話し合うから、少し時間を貰うぞ?」
そう言うと僕は、花宮さんと共に女生徒から二、三歩距離を取り、背を向けた。
「どうするんだ花宮、話が違うぞ」
「あはは……、どうやらあの人に先を越されてしまったみたいですね」
女生徒には聞こえない程度の声量で、そんな事を話し合う。花宮さんにとっても予想外の事態なのだろう。ただ苦笑していた。
「いや待てよ、先を越されたと言っても相手は一人。しかも線の細そうな女子だ。ここはとりあえず入部しておいて、多数決と言う名の数の暴力で部の主導権を握ってしまおう!」
我ながら名案だと思う。そして花宮さんも、
「わあ、シュン様ったらずる賢~い!」
なんて褒めているのか貶しているのかよく分からない事を口にする。
「ま、まあそれでいいよな?」
「はいです」
と、そんな風に打ち合わせた僕らは、再び女生徒の前に立った。
「すまない。今彼女と話して正式に入部しようという事になった。構わないだろうか?」
現状部員は一人。きちんと活動しようと思えば、部員は絶対に必要な筈である。
「入部……ですか? その前に一つ聞きたい事があるのですが」
「何だろうか?」
「あなた達は……その、付き合っているんですか?」
「…………何?」
質問の意図が読めずに戸惑った。本当は下僕とご主人様の関係なのだが、そんな事を堂々と公言出来る訳も無く……。
「えへへ……。はいそうで~~~す!」
そんな僕の戸惑いをよそに、花宮さんが勝手にそう答えてしまう。しかも同時に僕の腕に絡み付くというオマケ付きである。
彼女の行動に一瞬ドキリとさせられるが、否定したらしたでまた拗れそうでもある。僕はあえて否定しない事で、肯定の意を示した。
「……そう、付き合っているんですね。それなら残念ですが、入部は諦めてください」
てっきり普通に入部できるものと思い込んでいた僕らは、思わず面食らってしまう。
「何故だ? 廃部同然だったんじゃないのか?」
「私としても心苦しいのですが、カップルの入部はお断りしているんです。ただでさえ部室にこもって作業をする事が多い部活、カップルで入部しようものなら部活動よりも私的なやり取りに終始してしまう事でしょう。部が荒れる原因にもなりますしね」
なるほど確かに。しかしそうなると困るのはこちらの方だ。無意識にせよ、さっきからこの女生徒は僕らの計画の邪魔ばかりしている。
「う、う~~~ん……」
どうしようかと思案に暮れていると、花宮さんが袖を引いて僕に耳打ちをする。
「シュン様、ここは壁ドン作戦で行きましょう」
「壁ドン? 隣の部室を驚かすのか?」
「いいえ違います。シュン様が壁ドンであの人を脅して、入部を認めさせるんです」
「え~~~……」
作戦と言うか強引なだけである。
「それで何で壁ドン?」
「何を仰いますか、シュン様に壁ドンされれば、どんな女の子でもイチコロですよ」
「そ、そうか」
(僕みたいなブサイクに壁際に追い詰められたら、そりゃ怖いだろうが……。と言うか僕がやるのが前提なのか。確かに僕が適任なんだろうけど)
僕が二の足を踏んでいると、それを察したのか再び花宮さんが僕の袖を引いた。
「出入り口はカノが固めます。シュン様、ファイトです!」
プロかお前は。
しかし応援されたことで、何となく一歩を踏み出す踏ん切りがついた。形はどうあれ、花宮さんのような美少女に応援されて奮起しない男はいないだろう。多分。
ゆっくりとではあるが、僕は静かにその一歩を踏み出し、女生徒との距離を詰めた。
「……どうしても、ダメか?」
その時僕が一体どんな顔をしていたのか、僕自身は知る由もない。ただ確実に言える事は、女生徒がその時の僕にただならないモノを感じて後ずさったという事だ。
「……ど、どうしてもダメです!」
そう言ってはいるが、先程までと比べてその声は何処か弱々しい。
「これだけ頼んでも?」
「どれだけ頼まれても、です」
共に一歩。
「絶対に?」
「絶対です」
更に一歩。
「そうか、それなら仕方が無いな」
そう言って僕は一気に距離を詰め……ようとしたが、よく考えたら女生徒の背後にあるのはテーブルである。
このまま追い詰めても壁ドンならぬテーブルドンになってしまう。そう判断し、立ち位置を変えて女生徒の逃げる方向を調整、そこから改めて距離を詰めた。
「ひっ!」
そんな僕の行動に驚いたのか、女生徒は慌てて後ずさるがそれはそれ。方向を調節した甲斐あって、いい感じに壁に阻まれてしまう。それでも構わずに距離を詰めた事で、僕らの距離は限りなくゼロに近づいていく。
「な……何のつもりですか! 人を呼びますよ!」
女生徒はそう言って威嚇する。それを聞いて僕は一瞬立ち止まるも、これからやろうとしているのはただの壁ドンである。そのため別に問題ないと考え、さらに距離を詰めた。
やがて壁に触れられる場所にまで迫った時、僕は女生徒の肩の上を通して壁を叩く。
「ひあっ!」
衝撃に驚いた女生徒はそう声を漏らす。そんな女生徒に僕は無言で顔を近付け、そして、
「入部、認めてくれるな?」
囁くように、そう言った。
すると女生徒はふっと力が抜けたように、壁に背を預けたままへなへなとその場に座り込んでしまう。
「…………はい」
それと同時に、蚊の鳴くようなか細い声ではあったが、僕らの入部を認める旨の発言を、僕はこの耳で確かに聞いた。
(よかった、上手くいったみたいだ)
女生徒も相当怖かったのだろうが、それに劣らずやっている本人も内心かなりビビっていたのは本人だけの秘密だ。
「OKもらったぞ花宮」
僕はそう入口の花宮さんに声をかける。すると彼女は、
「流石ですシュン様。やはりカノの見立てに間違いはなかったようですね」
なんてことをちょっと得意気に言った。
「驚かせてしまってすまない。立てるか?」
そう言って女生徒に手を伸ばす。一瞬こんな状況でも僕の手なんて握りたくないだろうかと考えたが、意外にも女生徒は一瞬戸惑っただけですぐに僕の手を取ってみせた。
手を引いて立たせてあげると、女生徒はスカートをはたいて身だしなみを整える。その間、女生徒は終始うつむいたままであった。
「ええと、とにかくこれから宜しく頼む。俺は一年の福山瞬。こっちは……」
「カノは同じく一年の花宮香乃です」
そう二人して自己紹介をする。
さっきから女生徒は一言も喋っていないため、内心怒りを覚えているのかもしれない。そんな可能性を考え、わずかに身構えるも、
「よ……吉川はるか。…………私も一年です」
数拍遅れて普通にそう返してきたため、ほっと胸をなで下ろす。
その間も、吉川はるかと名乗った女生徒はずっと俯いたままであった。
それから僕ら三人は、テーブルについてお互いの情報交換を行った。
方針についても話し合おうと花宮さんは持ちかけたが、正式に入部していない状態で不用意な事を言うのはリスクが高いと判断し、その案は却下した。
「私が入部届けを出したのは今日の事です。そういう意味では立場的にお二人とは大して変わりません」
吉川さんがそう語る。
「そっか、だから資料に載ってなかったん…………あてっ」
不用意な事を口走った花宮さんに、僕はチョップの制裁を加える。
「……資料?」
「気にするな、こっちの話だ。それよりも具体的な活動内容を教えてくれないか?」
「……そうですか?」
とやや疑問を抱きながらも、部活動の内容を語ってくれる。
「知っての通り、この部はマンガ研究会。その活動内容はマンガを書くこと。参考用にマンガを持ち込む事はありますが、基本的にこれだけだと思ってもらって構いません」
予想はしていたけど、その活動内容は僕らには少しハードルが高そうだ。これは早めに方向転換させないとマズいかもしれない。
「なるほど。ところで吉川はマンガを描いた事があるのか?」
情報収集目的でそう振ってみる。方向転換の糸口にでもなればと思っての事である。
「いえ、ありません」
「ないのか? それなら何故マン研に?」
「私、本当はイラストレーター志望なんです。でもそんな部活なんて無いし、とりあえず一番近そうな部に……」
吉川はそう伏し目がちに応えた。
「イラストレーター志望? それならマン研より美術部の方がいいんじゃないのか?」
「いいえ、それはそうなんですけど……」
「……?」
僕と花宮さんは互いに顔を見合わせる。
「……その、マンガの話題で部の人と盛り上がれたらいいな……って」
俯きつつもわずかに口角が上がったような気がした。なるほどつまりこの子は僕の同類という訳だ。……本人は一緒にされたくないだろうが。
要するに、吉川さん自身も絵が描ければそれでよく、マンガである必要はないという事か。僕は意を決して、吉川さんの姿を正面に据える。
「なあ吉川、一つ提案があるんだが……」
「はい何でしょう?」
「別にマンガに拘らなくてもいいんじゃないか?」
「と言いますと?」
「もっと活動内容の範囲を広げて……、例えばゲーム制作部にするとか。それなら絵も描けるし音楽にも関われる。大体な、マンガなんて読む分には楽しいかもしれないが、描くのは地味で大変な作業だぞ? ストーリーやコマ割りを考えたりと、絵を描く以外にもやらないといけない事が多過ぎる。君は良くても新入部員が現実を知って辞めていく可能性は高いだろう」
実際はただの口実なのだが、そんなにおかしなことを言っている訳ではない筈だ。多分。
「……そうかも知れませんが」
「だろう? この部が廃部寸前なのも同じ理由なんじゃないのか?」
「………………」
案外説得力があったのか、吉川さんは押し黙ってしまう。
僕はここが正念場とばかりに大きく息を吸い、そして吐いた。
「だからさ、俺は今後この部を、絵も描ける、音楽も作れる、シナリオも書ける、そんな部活にしたらどうかと考えたんだが、どうだろうか?」
どうだろうか、なんて聞き方をしているのは、僕らがまだ部外者だからである。しばしの沈黙の後、吉川さんは……、
「……そうですね。部活を立て直す以上、前回と同じ轍は踏まないようにしませんとね」
そう覚悟を決めたように言った。
「決まりだな。じゃあ次の話題だが、新しい部活名は何にしようか」
僕は吉川さんの気が変わらない内に、さっさと話題を次の段階へと移した。催促するように二人に視線を送る。
「ええと……ハーレム部?」
花宮さんがしばらくぶりに口を開いたかと思えば、その中身は相変わらずの内容である。
「主旨変わってるぞ」
「じゃあ何でもあり部」
「定義が曖昧すぎる」
「あの~~~……」
吉川さんが遠慮がちに挙手してきたのは、僕と花宮さんがそう話していた時の事である。
「どうした、吉川」
「それならオタク文化研究会なんて名前はどうでしょうか?」
なんて、ド直球な部活名を言い出した。
「……いや、意味的には問題ないと思うが、吉川はそれでいいのか?」
「ええ、私は別に構いませんが」
吉川の真意が読めずに顔を見合わせる僕と花宮さん。
確かにこの名前は、多少の気恥ずかしさはあるものの、本来の目的を考えればそう悪いものでもない。むしろ半端にいい名前の方が、新入部員が集まってしまってマッタリ出来なさそうな気がするのは確かだ。
「そ、そうか。それじゃあ特に反対意見もないようだし、新しい部名はオタク文化研究会に決定と言う事で」
僕がそう結論を述べると、花宮さんと吉川さんは無言で頷いて見せた。
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