第3話

「シュン様、どうして部の方針についての話題を話したんですか?」


 学校からの帰り道、花宮さんはどこか咎めるような口調でそう言った。


「あ、悪い。最初は俺も話さないつもりだったんだけどさ、何か押したら押せそうだったんでつい……」


 とは言え事実それで押し切れてしまったのだから別に問題はないだろう。


「……もう」


 そう言って花宮さんは口を尖らせるが、それは怒っている事の意思表示のようなもので、本気で怒っている訳ではなさそうだ。


「ところで花宮、お前の家はこっちでいいのか?」


 今朝はごく自然に僕の自宅に来ていた為特別意識していなかったが、普通に考えて花宮さんの通学路に僕の自宅があったとは考えにくい。


「うん、今のところは一緒だよ。シュン様の家の前を通ると遠回りになるけどね」

「……そうなのか。なあ花宮、下僕とは言っても、わざわざ遠回りをしてまで迎えに来なくてもいいんだぞ?」


 僕が花宮さんの立場ならはっきり言って面倒くさい。つまりは僕なりの善意からの言葉だったのだが……。


「ど、どどどどう言う事ですか!? やっぱりご迷惑だったんですか!!?」


 なんて明らかに取り乱して尋ね返してきた。


「いや、そういう事じゃなくて、毎朝俺の自宅まで来るのは面倒なんじゃないかと……」


 何故だか僕の方が弁解をさせられたような形になってしまう。


「そんなことはありません! カノが好きでしている事ですし、面倒だなんてこれっぽっちも。シュン様さえよければこれからもご一緒させて下さい!!」


 力強くそう宣言されてしまった。真意はどうあれ、本人がこう言っているのであれば別に気にする必要はなさそうだ。僕は、


「そ、そうか。それなら別にいいんだ」


 とだけ応えて了承した。


「あ、けど花宮にだけに遠回りさせるのは気が引けるな。朝花宮が家に来るんなら、帰りは俺が花宮を家まで送るよ」


 うん、される一方と言うのは男として少々情けなくもある。僕は改めてそう提案する。


「え! いいんですか!?」

「ああ、まあそれくらいはな」


 お弁当のささやかなお礼のつもりでもあったのだが、素直に喜んでもらえるとこちらも嬉しく感じてしまう。


(いい子だよなあ花宮さん。こんな子が本当に彼女だったらなぁ)


 そんな理想と現実とのギャップに、僕は心の中でまた溜息をついた。


「でもねシュン様、カノの家、お母さんが専業主婦でたいてい家にいるんだ。多分今日もそうだと思う。だからその…………ごめんね」


「……いや何の話だ」

「えっ、違うの?」

「だから何がだ」

「……えっと……今から家に来るって話じゃ……?」

「送るだけだぞ」

「…………」

「…………」


 そして沈黙。一体なぜそんな勘違いをしたのか、一度問いつめてみた方がいいかもしれない。


「ま、まあいい。とにかく案内してくれよ、花宮」

「……はい」


 花宮さんが僕に一体何を期待していたのかは定かではないが、少々落ち込んでいるのは確かなようだ。

 とは言え、その理由が分からない僕にはフォローのしようもないが……。



 僕の通学路から外れて歩くこと十五分。僕らはとある邸宅の前に辿り着く。

 豪邸とまではいえないが、中流以上、上流未満くらいの三階建て。そのまま家のコマーシャルにでも使えそうなオシャレな雰囲気と清涼感があった。

 その家の敷地と道路をつなぐ、門を兼ねた小さな石階段の前、そこで立ち止まった花宮さんは、くるりと僕に向き直る。


「送ってくれてありがとうシュン様。カノの家はここだから、ここまででいいよ」

「そうか、まあ気にするな。ささやかすぎて申し訳ないくらいだ」

「えへへ……。シュン様って結構律儀なんですね」

「そうか? 別に気にした事はないが……」


 と言いつつ内心照れていたのは僕だけの秘密だ。


「うん、でもありがとう。またねシュン様」


 再びお礼を言って僕に手を振る花宮さん。僕がそれに応じると、花宮さんはやがて背を向け自宅前の階段を昇って行った。


(やっぱりいい子だなあ、花宮さん……)


 僕が側にいる事でイジメの被害が少しでも抑えられるのなら、いくらでも協力したい。改めてそう思った。



 花宮さんの姿を見送り、来た道を戻り始めた時である。僕はふと、道の先で見知った人物の姿を見付けてしまう。

 流れるようなロングヘアに僕らと同じ朽木学園の制服。女性としてはやや高めの身長と、それとは対照的な女性らしい体付き。

 その女生徒は僕を知らないだろうが、僕は彼女を知っている。……いや、僕に限らずおそらく学園中の生徒がそうだろう。

 なぜならその女生徒は、僕ら朽木学園の学生の頂点、生徒会長なのだから。

 思わずその場で立ち止まってしまう僕。そんな僕をよそに、会長は何を気にするでもなく歩き続けた。


「あら、あなたは……」


 てっきりそのまま素通りするものと思っていたが、そうではなかったようだ。

 不意に立ち止まった会長にそう声をかけられる。


「ウチの学園の生徒のようね。見ない顔だけど、近所の人?」

「初めまして会長。俺は友人の家に寄って帰るところです」

「……そう、帰宅前の寄り道はあまり感心しないわね。気を付けてちょうだい」


 会長はそれだけ言うと、長い髪をなびかせて再び帰路についた。

 そんな会長の後ろ姿を見送ると、僕は一人ほっと胸をなで下ろす。


(こうやって直接会うのは初めてだけど、やっぱり綺麗だよなあ会長)


 僕が会長の事を知ったのは入学式の時。

 この時は遠目で見ていただけだったが、何を隠そう、その時から僕は会長に憧れていたのである。


(……まあ憧れるだけならタダだからね。それにしても、会長の実家ってこの辺りだったのか。今日みたいに花宮さんを送っていたらまた会えるかな?)


 なんて事を密かに期待しつつ、僕も家路についた。



 翌朝、僕が自室を出ようとした時、本棚に飾られた一冊の本が、視界の隅を横切る。


「おっとあぶない、忘れるところだった」


 しかし例の件を思い出すだけならそれで十分。僕はその本を手に取りカバンに押し込む。

 朝食を食べて玄関を出ると、昨日同様、そこには花宮さんの姿があった。


「おはよう花宮」

「おはようございますシュン様!」


 挨拶をすると花宮さんも元気に返してくる。

 何気ない日常でも近くに花宮さんのような子がいてくれるだけで、なんだか華やいで見えるから不思議なものだ。花宮さんだけに。


「じゃ、いくか」

「はい!」


 そう言葉を交わして、僕らは歩き始めた。


「ところでシュン様。ひとつお願いがあるんですけど……」


 歩き始めて少ししてからの事である。花宮さんが不意にそう切り出す。


「ん? どうした?」


 花宮さんのお願いなら何でも聞いてあげたいのだが、ムチャな要求をされても困るためあえて聞くとも聞かないとも言わない。

 僕が花宮さんの言葉を待っていると、花宮さんは少々ドモりながらも言葉を続けた。


「……その、今日で下僕になって二日目じゃないですか。もうそろそろ次のステップに進んでもいいのではないでしょうか、と」

(次のステップ? 下僕から格上げして欲しいのだろうか?)


 気持ちは分からなくもない。たった二日で何がそろそろなのかは分からないが、下僕扱いのままと言うのは流石に嫌だろう。


「それで、具体的には?」

「えっと……次からカノの事を下の名前で読んでもらいたいんです」


 どうやら下僕扱いに関しては割とどうでもいいらしい。


「……カノ」

「はうっ!!」


 早速下の名前で呼んでみると、花宮さんはそんな声と共に自分の左胸を押さえてよろめいた。……何をやっているんだろうこの子は。


「ええと、花宮?」

「カノです。それとシュン様、カノはシュン様の下僕なんですから、カノの名前を呼ぶ時はキチンと〝俺の〟を付けてくれないと困ります」


 前言撤回。下僕はむしろステータスらしい。


「そ、そうか」

「ではシュン様もう一度」

「俺のカノ」

「はううっ!!」

「…………」


(今まであまり考えないようにしてたけど、もしかしてこの子はヘンタイなのではなかろうか。今まで良い子だと思ってたけど、意外な落とし穴が……)


 まあ花宮さんがいい子であることには変わりないんだが。


「……すまん花宮。カノだけで勘弁してくれ」


 流石に人前で〝俺の〟なんて言う勇気はない。


「そうですか? 残念です」


 名残惜しそうだったが、どうやら分かってくれたようだ。


「じゃあ代わりに、〝マイスウィート〟なんてどうですか?」


 分かってねぇ。


「却下」


 分からん。花宮さんの趣味が全くもって分からん。

 特に意味はないが、安易に良い子だと判断するのは早計かもしれない。そう強く心に刻んだ。

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