第1話
朝、いつものように目覚ましを三コールで止めた僕は、そのままベッドから立ち上がる。
寝ぼけた頭でのろくさと制服に着替えると、居間へと移動してテレビを見ながら朝食。食後すぐに玄関へと向かった。
靴を履こうと玄関で自分の靴を探した時である。靴はすぐに見つかるも、その瞬間僕は思わず動きを止めた。
視線の先にあるのは、学校指定の革靴。言わずもがな、昨日花宮さんに舐めさせた靴である。
(よく考えたら、僕もこの靴を舐めれば間接キスになるな……)
いや、しないけどね。
靴を履いて玄関をくぐり、自宅の敷地から一歩踏み出した時の事である。その時僕は、通りに誰かが立っている事に気付く。
「お早うございます! シュン様」
その人物は元気にそう挨拶をして来た。言うまでもない、僕を様付け呼びする人なんて、世界広しと言えどこの子くらいのものだろう。
「お、お早う花宮。何故ここに?」
「やだなぁ、下僕であるカノがご主人様の登下校に同行するのは当然の事ですよ」
花宮さんは笑顔でそう説明する。昨日から気になってはいたが、彼女は下僕と言う立場にあまり抵抗が無いのかもしれない。
「俺の住所はどうやって知ったんだ?」
「自宅の電話番号が分かれば、そこから住所を調べる事くらい簡単なのですよ」
「……そ、そうか」
僕はそうとだけ答えると、カバンを肩に掛けながら花宮さんの横を通り過ぎる。
「行くぞ、花宮」
背後の花宮さんに声だけで呼び掛けると、「はい!」という活気のある返事と共に、彼女の靴音が僕の背後に続いた。
学校までの道のりを、並んで歩く若い男女。
傍から見るとカップルか何かにでも見えるのかもしれないが、彼女、花宮香乃にとっての僕は単なるボディガードみたいなもので、その代価として下僕という立場に甘んじたにすぎない。
でもそうと分かってはいても、花宮さんのような美少女と歩く通学路は、いつもと違ってどこか華やいで見えた。
「ところでシュン様。シュン様の好きな事って何ですか?」
不意に花宮さんがそう話題を振る。
「……それは趣味の事を聞いているのか?」
「はいです」
肯定されて僕はわずかに戸惑った。僕にももちろん趣味くらいはある。あるのだが、僕はオタクだ。当然趣味もそっち方面のものが大半な訳で……。
(……いや、モノは考えようかもな。今更オタクバレした所で何が変わる訳でもなし、ここは正直に言っておこう)
そう考えた僕は、花宮さんに質問の答えを返す。
「これと言って特別なものは何もないぞ? ゲーム、マンガ、ラノベ。それくらいだ」
「そうなんですか? じゃあ近い内にお勧めの作品を教えて下さいね」
「……えっ?」
思わず足を止めてしまうが、
「……いや、何でもない」
そう言ってすぐに歩きだした。
(もしかしてこの子、僕の趣味に合わせようとしてくれているのか?)
もしそうだとすれば、イジメられるのが不思議なくらいにいい子である。その場限りのウソを言っている可能性もなくはないが。というかその可能性の方が高そうであはあるが。
「分かった。それなら明日、お勧めのラノベを持ってくる」
ゲームやマンガを学校に持って来たら問題だろうが、ラノベなら問題ないだろう。それに、こう言う事で花宮さんの真意を推し量ることも出来るかもしれない。
「えっ? いいんですか!?」
だがそれに対する花宮さんの反応は、実にあっさりとしたものだった。少なくとも純粋にラノベに興味を抱いているように見える。
「お、おう」
そのあっけらかんとした答えに、逆に僕が返事を詰まらせる羽目になった。
(僕の考え過ぎか?)
とにかくそんな感じで、僕ら二人は学校への道のりを歩いた。
やがて僕らは目的地である朽木学園、その校門が遠くに見える場所まで辿り着くが、そこで何やら校門周辺の様子がおかしい事に気付く。
一言で言えばやたらと人が多い。登校中の生徒はいつも通りなのに、これは一体どういう事か。
「部活動の勧誘みたいですね。シュン様はもう入る部は決めているんですか?」
同じ場所を見ていた花宮さんが、あっさりと真実を言い当ててしまう。なるほど確かに、上級生と思しき生徒が登校してきた下級生にビラを配ったり話しかけたりしている。
「いや何も。そういう花宮は?」
「カノも全く」
「そうか」
「……あ、でも出来ればシュン様と同じ部に入りたいです」
少し気恥ずかしそうにしながら、花宮さんはそんな事を言う。
「えっ?」
思わず声を漏らしてしまったが、考えてみれば当然か。僕をボディガードにするために側にいるのだから、可能な限り一緒にいなければ意味が無い。
そんな会話を交わしつつ校門を通過すると、例に漏れず僕らも勧誘に声を掛けられてしまう。
「やあそこの一年生のステディ。二人共演劇に興味はないかい?」
芝居がかった台詞と大仰な動きでそう話しかけて来たのは、演劇部と思しき男子生徒。そしてその隣には、三つ編みにメガネといういかにもな外見の女子生徒がいた。
勧誘に使うのだろう。女子生徒は大量のビラを抱えている。
「いえ、ないです」
絡まれるのが嫌だったので、即座にそう返した。
「そうかい? 少しも?」
「はい」
「これっぽっちも?」
「無論です」
「……いや、実に残念だよ。君達二人にはスターの素質があると感じたんだけどねえ」
(スターの素質、ね)
花宮さんに関してなら分からなくもない。オシャレをしなくてもこれだけ可愛いんだから、舞台用にオシャレをしたらきっともっと可愛いんだろう。しかしそれに対して、人に不快感を与える容姿の僕にスターの素養なんてある訳が無い。ましてやこれは勧誘、どこまで本気なのか分かったものじゃなかった。
「残念ですが他を当たって下さい。行くぞ花宮」
「あ、はい」
僕はそっけなく返すと、先輩を無視して人だかりの中を進んだ。少しだけ名残惜しそうにしている花宮さんには申し訳ない事をしてしまったかも知れない。
本当に残念な顔で見つめる先輩二人を後目に、僕らは昇降棟へと急ぐ。その後も他の部活の勧誘に二、三度声をかけられはしたものの、気のない態度を取っていた為あまり深入りはされなかったようだ。
やがて人だかりを抜けた僕らは、靴箱で靴を履き替え、僕らの教室へと進んだ。
教室へと入った僕は、真っ直ぐ自分の席、窓際の一番後ろの席に座る。
だがそこまで付いて来た花宮さんは、居心地が悪そうにその場に立ち尽くす。僕の記憶だと、花宮さんの席は中央付近だった筈である。だというのに未だに僕の側にいるのは、何か意図があるのか。
「そこ座れば?」
僕は隣の席に向かってアゴをしゃくる。
「え? でも……」
「いいよ、どうせそいつが来るのは遅刻ギリギリだし、来るまで座っていればいい」
若干戸惑いを見せる花宮さんだが、僕がそう言うと恐る恐る椅子を引いてそこに座った。
「それにしても部活か。何しようかな、実際」
頬杖を突きながら、そんな話題を振る。
「候補とかないんですか? せめてこんな部活がいいとか」
「そうだな……」
言われて少しだけ考える。
「楽なのに越した事はないし、出来れば文化系かな。それも大会とかが無いやつ」
我ながらなんともやる気のない意見ではあるが、一応自分の本音である。
「それならいい方法がありますよシュン様」
言って花宮さんはぺちっと手を叩く。
「と言うのは?」
「理想の部活が無いなら作ればいいんですよ」
「……いや待て、まだないと決まった訳じゃない」
「いいえ、既に部として成立している以上、そこに部員がいるのは当然なんです。新しく作ってしまえば活動内容も自由に決められるし、何より余計な部員も存在しません。シュン様の言うように部員の少ない部活に入ろうと思えば、一から作るのが理想なんです!」
花宮さんはそうまくし立てる。
(あれっ、僕、部員が少ない方がいいなんて言ったっけ?)
言ってないような気がするけど、あながち間違いでもないのでその場は黙っておいた。
その後、程なくして予鈴のチャイムが鳴り、花宮さんは自分の席へと戻っていく。何かヤル気というか使命感に満ちていたような気がするのは気のせいだろうか。
やがて午前の授業の終了を告げるチャイムが校内に鳴り響いた。僕はパンでも買って食べようと教室を後にするも、直後に何者かに、
「シュンさ……シュン君!」
そう呼ばれて立ち止まる。
「……花宮?」
君付けで呼んだのは空気を呼んだ結果なのだろう。見ると花宮さんは、両手に一つずつお弁当らしき包みを抱えている。
「あ……あの、シュン様。お昼をご一緒しませんか?」
何故か軽くテンパりながらそう言った。
「構わないけど……、パンを買ってくるから、少し待っててくれないか?」
「その事なんですけど……」
そう言うと花宮さんは、おもむろに包みの片方を突き付けてくる。
「実はお弁当を作って来たんです。よければ食べて下さい」
突き付けたお弁当をさらにずいっと、押し付けるように迫った。
お弁当を作ってきた……だと……?
「ええと、本当にいいのか?」
「どうぞどうぞ。シュン様のために用意したモノですから」
「そうか、そういう事なら……」
言って弁当を受け取った。もちろんお礼も欠かさない。
(まさかお弁当まで作ってくれるとは……。徹底してるな)
今日日普通のカップルでもここまでしてくれる子は稀だろう。僕のイメージだけど。
「じゃあ早速食べるか。教室でいいか?」
一応花宮さんに確認する。他の人に見られた方がいいのか、見られない方がいいのかは僕には判断がつかなかった。
だがどうやら教室で正解だったらしい。明るく「はいです!」という声で彼女は応えた。
「そういえばシュン様、今日の放課後時間あります?」
教室。今朝来た時に座った席。それを二つくっつけてのランチタイム。花宮さんが作ったというお弁当は、正直あまり期待してなかったのだが、その出来栄えは世間の奥様方の作るものとなんら遜色ない、むしろ余計に手間がかかっていそうな、そんな印象を受けた。
「あるけどそれが?」
「んふふ……。実はですね、今朝話してた新しい部活、その部室が確保できそうなんです」
得意気に、それでいて悪巧みを自慢するような、そんな悪い顔で花宮さんは言った。
「え、そうなのか?」
「はい。何でも部員全員が今年卒業してしまったらしいです。それで、今年の一年生が誰も入部しなければそのまま廃部になるんだとか」
「なるほど、そこに俺達が入部して活動内容そのものを変えてしまおうという訳だな?」
「そうです」
……やばい、やってる事はしょぼいけど、なんかちょっと楽しくなってきた。
「それにしても、この短時間でよくここまで調べたな。そんな時間はなかったと思うが」
そう、僕らは登校してからホームルームまでずっと一緒だった。授業にもちゃんと出ていた事から察するに、調べられる時間は授業の合間の休憩時間くらいしかなかったはずだ。
「身近に詳しい人がいるんですよ。カノがやった事と言えば、資料を貰ってそれに目を通した事くらいです」
「……なるほど」
身近に詳しい人? 生徒会に友人でもいるのだろうか?
「フッ……面白くなってきたな。続報を期待しているぞ花宮三等兵!」
「はいっ!」
そして敬礼。急なネタ振りにも即座に対応して見せる。ええ子や……。
(花宮さんが本当の彼女だったらなぁ)
まあ僕にとっては高嶺の花宮さんなのだが。
そんな現状に、僕は心の中でふぅと溜息をついた。
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