逃走

 ムジカが囚われていた屋敷は、バーシェの上層部に位置する平地の一角だった。夜空には再び陰鬱な雲がはびこり、眼下にエーテル街灯による明かりが煌々と灯る。

 その中で、ラスは下層へ向けて緩やかに下降していた。


「ラス、適当なところで降りろ。翼が目立つ」

「なるべく敵勢力領域から離れることを優先すべきと考えますので、このまま拠点へ戻ります。人間の視界であれば視認される可能性は低く、このままでも問題ないと判断しています」


 確かに、上層に向かう道路には、いくつか関所のような門が設置されている。

 昼夜資格のないものを通さぬように門番がたむろしているが、誰も空を移動するとは考えもしなかった。なにより、このような空など誰も見上げない。

 けれど甘く忍び寄る毒のような言葉は耳にこびりつき、鮮烈な光景は目に焼き付いて離れない。

 心を荒れ狂わせていたムジカは、ラスの否定の言葉に体を震わせてしまった。


「どうしましたか、ムジカ。怪我をしていましたか」

「ねえよ。それよりも、お前は大丈夫なのか」


 その言葉がついたのは、ただ飛行中に不具合が起きたらムジカが大けがでは済まないと考えたからだった。

 自分よりこの青年人形が受けた傷のほうが物理的にひどいのだ。


「腹部の損傷は重度ですが、重要器官は回避していますのでエーテルエネルギーを補給できれば修復できます。安全拠点までは行動も可能です」


 言葉通り、ムジカを支える腕はびくともしない。

 少し前のムジカであれば、何も考えず身を預けられただろう。言葉尻をとって揶揄するくらいはしたかもしれない。

 だが今は地面が遠いことを、地に足がついていないことに不安を覚えてしまい、それがムジカの心に重いよどみを生み出していた。

 ムジカの異変には気がつかないようでラスはエーテル光を散らしながら問いかけてくる。


「では、寒いのですか」

「すこし、な」


 パニエの重ねられたスカート部分は暖かかったが、胸元の開いた上半身はコートもない中では寒い。雪がちらつく季節がさしかかっているのだ。

 ラスの推察に便乗してごまかして、ムジカは話をそらした。


「……なんで、あたしがあそこに居るってわかった」

「予想される帰宅時間を超過したため、第3探掘坑にてムジカの業務終了を確認した後、住民に足跡を聞き込み現場付近を捜索。路地でムジカの所持品であるナイフとエーテル塗料を発見し緊急事態と判断しました」


 塗料は主にマッピングのさい、一度通った道を見失わないために使うものだ。

 エーテルには固有の反応があり、一定期間であれば記憶して足跡を追うことができるとラスが言っていたことをかろうじて思い出し、ポーチからこぼしておいたのだ。だが、屋敷までは特定できなかったはずだ。


「それでよく、わかったな」

「あなたの声なら聞こえますので。ですが、そばを離れたことは俺の判断ミスでした。申し訳ありません」

「いや」

「追っ手の気配はありませんので、とりあえずは安全と判断します。ですが敵勢力の規模、能力がわかりませんので大回りします。許可いただけますか」

「……別に、あたしの許可なんて、いらないんじゃねえの」

「ムジカ?」

「なんでもない。それでいい」


 ラスの珍しく曖昧な表現も謝罪も、ムジカの頭の上を滑っていく。

 アルーフの言葉が、脳の中をぐるぐると巡っていた。

 300年前もあんな風に戦っていたのだろうか。自律兵器を壊し、人を殺し。

 ムジカはラスという青年人形が自律兵器だと表層では理解していたつもりでも、自分が狩る自律兵器と同じものだとわかっていなかったのかも知れない。

 話に聞いた最強の自律兵器、熾天使がラスだったなんて。

 アルーフの言葉を笑い飛ばすこともできなかった。ラスについて何も知らないことを改めて突きつけられた気がした。

 疑いだしたらきりがない。記憶を失っているというのも嘘ではないか。この青年人形は起動するためだけにムジカを欲したのではないか。

 いつ、裏切るかわからない。そんな泥のようなフレーズが、頭にこびりついていた。


 ラスが降り立ったのは、ムジカの部屋があるフラットの屋上だった。共有スペースとなっているため、階段ですぐに降りることができる。

 華奢なかかとの靴とかさばるドレスに苦慮しながら階段を降りて、部屋に入ったとたんムジカはほうっと息をついた。

 古びて壁が黄ばんでいたり、雑多にものが転がっていたりするが、それでもここが自分の居場所だと思うと安心できた。


「あーくっそ、装備品また買い直しか。というかこのドレスの代金請求されても払わねえぞ」


 独り言で気を紛らわせ、結い上げられた髪をくしゃくしゃとほどきながら着替えに部屋へ行く。だが窮屈な服は構造がよくわからず、悪戦苦闘したあげく背中にボタンがついていることに気がついてげんなりした。


「ご令嬢は毎度こんなもんを着てるのかよ……」


 ナイフで裂いてしまおうかとも考えたが、これだけ仕立ての良いものなら古着で売れる。仕方なく手伝いを頼もうと部屋を出て声をかけようとした。

 重いものが転がる音と振動。

 盛大なそれに驚いて聞こえた居間へと向かえば、ソファとテーブルの間にラスが倒れていた。


「ラスっ!? どうした!?」


 気鬱さも忘れ、ムジカはかさばるドレスをたくし上げて駆け寄った。

 ラスはムジカを見上げようと、腕を使って上半身を持ち上げようとするが失敗する。そんな人形めいたぎこちない動きは初めてだ。

 ムジカは胸が引き絞られるような動揺に混乱しながらも、彼のそばに膝をついた。にもかかわらず、首だけをこちらに向けたラスの声はいつもと変わらなかった。


「申し訳ありません。動力不足です」

「は、お前、空気中のエーテルエネルギーで十分だって……」

「省エネルギー稼動をしていたため問題ありませんでした。ですが今回は緊急事態と判断し予備動力まで使用したため、強制機能制限がかかりました。解除予測時間は36時間です」

「そんなに時間がかかるのか!?」

「予備動力も微少だったため、現在残存しているエーテルエネルギーは3%です。会話は可能ですが最低限の移動ができるまでしばらくお待ちください」


 そこまで枯渇していたことに気づかず愕然としたムジカは、ふと疑問に思う。 

 どのような奇械アンティークでもエネルギーが一定値を下回れば、エネルギー補給を要請してくる。その要請をごまかして、ぎりぎりまで補給しない不届きな所有者もいるが、たいていは十全な機能を発揮できるよう2日に1度は精製されたエーテル結晶か液化エーテル燃料が必要だ。

 自律兵器ドールは高度な稼働ができる分特に燃費が悪いものだというのが常識なため、さらにこまめな補給が必要なはずだった。

 ムジカは初期の頃にラスが自己申告した言葉を真に受けて、特に何もしてこなかった。なぜなら、奇械アンティークが自分の生命線に関わることに虚偽の申告をする必要がないからだ。

 しかし、嘘をつくかも知れないという疑念を持った今のムジカは悟ってしまった。


「もしかして、ずっと前から必要動力が足りなくなっていたんじゃないか」


 どんな反応も見逃すまいとムジカが注視する必要もなく、ラスは言いよどむように沈黙した。


「……肯定です」


 秘密を持たれていた。

 その返答に、ムジカは今の今までため込んでいた苛立ちを爆発させた。


「何で言わない!? そんなにあたしが信用なかったか! それともスペックを十全に発揮するほどあたしに従う気がなかったか!? はっそれでこんなに壊れて馬鹿じゃねえの!」


 柄にもないことでかんしゃくを起こしていると心の隅ではわかっていたが、止められなかった。

 いくらひどい言葉を投げつけようと、ラスの表情は変わらないことがムジカの苛立ちを助長させる。


「それともあたしが女だから御せるとでも思ったか! それなら別のもっと御しやすい人間にさっさと乗り換えれば良かったんだ。歌姫ディーヴァなんてのも単なる方便だろ? 探掘屋シーカーのおっさん達に誘われてんの知ってるんだぜ。もっと稼げる第4や第5探掘坑で一攫千金を狙おうって」


 ラスの自律兵器すら圧倒する戦力を期待した探掘屋シーカーたちが誘いをかけるのを聞いたのだ。ムジカには声をかけてこなかった。それは女だからだ。

 ラスが何も言ってこなかったことがずっと心の隅に引っかかっていた。

 ムジカは引きつった笑みを浮かべて続ける。


「あたしなんかにかまわずに行けば良かった。あたしが必要ないんならとっとと出て行けば良かったんだ!」


 倒れ伏すラスの胸ぐらをつかみあげて衝動のままに揺さぶる。彼が手負いだということも頭の外だった。

 けれどその瞬間、ムジカははっとする。手にかかる重みはべたりと張り付くような物の重さだった。

 ようやく自分がなぜ怒りを覚えていたかを思い知る。

 ラスを一つの人格として、信頼しかけていた。今までわずかなりとも積み上げてきたものが裏切られた気がして、悲しみとやるせなさを覚えていたのだ。ずっと1人でよいと思っていたはずなのに。

 すうと熱が下がったムジカは、ラスをつかんでいた手をゆっくりと下ろした。

 どれだけむなしいことをしているかわかったからだ。

 人形なのに人の形をしていたばかりに錯覚していた。


「……もう、いい。そこに居ろ」


 探掘屋シーカーになってから、ムジカは誰も信用しなかった。

 自分を利用しようとする者だけだったからだ。役に立たないと突っぱねられ、利用価値があるときだけ乱雑に扱われる。

 その繰り返しだったから、本当に信用するのは自分だけだった。

 温かく迎えてくれたスリアンのことすら、最後には裏切るのではないかと怖かったのだ。


 だめだ。自分は弱くなる。


 この人形を手放そうと、ムジカは心に定める。

 もともと自律兵器ドールから身を守るためだけに指揮者登録をしたのだ。

 今までだって不都合はなかった。明るみに出ればムジカの生活を脅かす可能性があるから仕方なくそばに置いていただけで、自分の安全が確保された上で手放せるのなら問題ないはずだ。

 何よりアルーフは少し協力すればムジカの借金を返してくれるとすら言ったのだ。渡りに船とはこのことだろう。

 ムジカは乾いた心の底に積もる澱を押し込めようとして。


「ムジカ、訂正を求めます。俺にはあなたが必要です」


 泥のように重い思考に、ラスの声がそっと触れてきた。

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