子守歌



「俺が補給を求めなかったのは、あなたが歌いたくないと、言ったからです」


 虚を突かれたムジカは、ラスを見下ろした。

 未だに床へと倒れる彼の紫の瞳が、テーブルに置かれたエーテルランプの明かりで揺れていて。それが泣くのをこらえている迷子のように見えた。


「なに、それ」

「記憶しているエーテル供給方法は、一般に販売されているエーテル流動体の経口摂取ではなく、歌姫ディーヴァの声によって最適に調律された空間で過ごすことでした」

「調律、されたって」

「俺の場合、ムジカの声です。最も効率が良いのは、韻を踏んだ歌唱でした」


 確かに奇械アンティークには、音声や韻を踏んだ指揮歌で様々な影響を与えることができる。だが補給にまで及ぶなんて、考えもしなかった。

 全身から力が抜けるムジカが見下ろす先で、ラスは淡々といつもと変わらず言葉を紡いでいく。


「蛙型の鹵獲をした時には、補給を求めるべきだと認識していました。ですが、ムジカは歌いたくないと言いました。どちらを優先するべきか思考した結果、ムジカの意思を尊重すべきだと結論づけました」



『……ムジカは、歌いたくないということでしょうか』

『端的に言えば、そうだ』

『俺はムジカのための自律兵器ドールです。あなたの希望を叶えます』


 

 酒場から逃げかえった日の会話を思い出したムジカは息を飲む。

 あのときの言葉はそういう意味だったのか、とようやく気がついた。こみ上げてくるものが何かわからず、ムジカはぎゅっとスカートを握りしめる。


「なんで、そんなこと気にするんだよ。それでこんな風にへばるなんて、何してんだよ。高度な判断ができる最強の自律兵器ドールじゃねえのかよ」


 激高した時と似たような言葉を繰り返したムジカだが、その声に力はない。

 すると、ラスがゆっくりと瞬いた。


「ムジカ、今あなたは、苦しいのですか」

「どうして」

「あなたの表情は、父親のことを話した日と同じように、見えます」


 戸惑いのまま、青い目を見開くムジカに、ラスは訥々と続けた。

 自分でも、何を言っているのかわからないように。


「あなたがそのような顔をすると、俺の思考回路にノイズが走ります。できる限りその顔をさせたくないと考えました。ムジカは優先上位対象の希望が、対象のためになるのであれば叶えるべきだ、と教えてくれました。俺はムジカの希望をかなえたいと考えその通りにしました。しかし予測が甘くあなたにその表情をさせてしまったのは俺の落ち度です」

「……なんだよ、お前」

「そして先ほどの問いですが。俺が再稼働するためにはあなたが必要でした。ですが稼動を義務づけられてはいませんでした」


 よくわからなくて、ムジカが首をかしげたが、ラスはどこか茫洋としたまなざしで言葉を紡いでいく。


「俺の現在の記憶はあなたの歌声から記録されています。視覚情報はあなたの青い瞳で始まっています。そして俺に生きていたいと語ったあなたの声のために、機体の性能を発揮することが最良であると、ムジカの歌でなければだめだと思考したのです」

「それって」


 饒舌に語るラスの言葉に、ムジカはじんわりと、胸の奥底からこみ上げる熱を感じていた。にもかかわらず、先を聞くことを恐れる自分もいる。

喉がからからに渇くような心地がした。


「このような思考に最適な単語は何なのか、書物やテッサ達、統括役ウォースターやムジカの言葉や行動を観察し考察し照らし合わせて、一つ見つけました」


 宝石のような紫の瞳が、ひたりとムジカの青の瞳に合わさる。


「おそらく、あなたの歌が、好きなのだと思います」


ずっと欲しかった言葉が、ムジカの中に落ちていった。

空っぽだった底に、こつりと音がひびく。

固く冷え切っていた物がほどける。 

とたん激流のように溢れてこようとするものを、ムジカは必死でこらえた。

 なんてことだと、思った。たった一言、単純なそれだけの言葉。

けれど淡々と、まっすぐな声がどろりとよどみきった心を洗い流していった。


「なんだよ、お前……」


 漏れかける嗚咽をこらえながら、ムジカは言葉を紡ぐ。

 起動したとき聞こえた歌と言うのは、使用人型を従えるために歌った指揮歌だろう。

 つまりこの青年人形は、自分のために歌われた訳でもないのにムジカを選んで起動したのだ。

 それなのに一度も歌ってくれと願わなかった。ムジカの想いを尊重して起動した理由である歌を聴くことすらあきらめて。ムジカが嫌だと言ったという、それだけで。

 ほとりとラスの白磁の頬に雫が落ちた。


自律兵器ドールのくせに、馬鹿じゃねえの」


 紫の瞳が驚きに見開かれる。

 ぱちっと、ラスの腹部からエーテルの燐光が光った。

 ラスの瞳はこんなに雄弁だったのか、とムジカはいまさら気づいた。

 奇械アンティークのことはわからない。熾天使セラフィムなんて言われてもピンとこない。ましてや無機物の塊に、感情が生まれるなんてわかるはずもない。

 けれどラスが悩み、選択し思考してたどり着いたその結論だけは、まっすぐ受け止めたかった。

 しずくが落ちるまま、ムジカは案じるようなラスの瞳をのぞき込む。


「お前は、奇械アンティークだ」

「はい」

「けど、あたしの相棒だ。だから言う」


 ひどい顔だろう。化粧を施された顔で泣いて、似合わないドレスを着て床に座って。倒れている人形に向かって話しかけているなんて、珍妙以外の何物でもない。

 それでもムジカは、自分を選んだ青年人形に向けて想いを吐露した。 


「あたしは確かに歌が嫌いだ。できれば歌いたくないと思う。けどな、それがあんたに必要ならほんのちょっぴり曲げるくらいはしてやれるんだ」


 父親への憎悪は収まらない。教え込まれた指揮歌に嫌悪感もある。

 だが同時にムジカの胸には、幼いころ酒場で伸び伸びと声を響かせ喝采をもらった時の高揚感が残っているのだ。

己の歌が好きと言われて満たされるくらいには。


「だから、ちゃんと言ってくれ。じゃないとあたしだってわからないよ」


 またひとつムジカの雫が白磁の頬に落ち、ラスはゆっくりと瞬いた。

 言うことを、ためらっているようだった。

 ちゃんと見ればこんなにもわかりやすい。どれだけの物を見逃していたのだろう。


「歌って、くれるのですか」

「いいよ、あんたのためなら。……まあ喉のほうはだいぶさび付いてるけど」


 戸惑いがちに確認するラスがおかしくて、ムジカがおどけながら答えれば、ゆっくりと瞑目する。


「お願い、します。あなたの音が聴きたいです」


 ラスのたどたどしく、ささやくような声音は幼子のようだった。

 ムジカはラスを仰向けにして、銀髪に包まれた頭をそっと膝に乗せる。自律兵器であるラスの体は見た目より少し重く感じた。


「なあ、腹は痛くないか」

「問題ありません。俺に痛覚に該当する物はありません。思考にノイズが多く走りますが、遮断できます」


 ずっと聞きたかったことを聞けて、ムジカはほっと安堵の息をつく。


「歌は、何でもいいのか」

「はい。あなたの声で奏でられるのだったら、なんでも。ですが指揮歌の発声法ですとより効率的に補給できます」

「良いって言ったとたん、要求が増えやがって」


 からかうように言いながら、さあ何を歌おうかと考える。頭の中の楽譜をめくっていたムジカだったが、じんわりと苦い思いがこみ上げた。

 父親の影がちらつく。暴力と痛嘆の記憶がよみがえる。


「ムジカ」


 すこし案じるような声音に、ムジカは銀の髪を漉くことで応じた。

 ちがう。これは自分のためでありラスのためだ。父親の思い通りになるわけじゃない。

 そうだ、あれにしよう。

 すう、と息を吸う。

 テンポは歩くように。


『月なき空に 星は瞬き

星なき闇夜も 静寂のゆりかご』


 ムジカが選んだのは、子守歌だった。

 暖かくも、どこか哀愁を感じさせる旋律を穏やかに紡ぐ。

 指揮歌独特の発声法により音階が重なるように響き、空間を満たす。

 傷に障らないように、できるなら早く直るように。


『眠れ 眠れ 詩歌に揺蕩い

 眠れ 眠れ 安らかに

暁闇ぎょうあんが明けるまで 天光の御胸に抱かれて』


 宵闇に沈む室内に、ぽうとエーテルの燐光が灯る。

 ちいさく、はかない光の粒がムジカとラスの周囲を遊びだしたが、ムジカは無心に音を生み出していった。

 最後の一音を終えて、ムジカが軽く息をつけば、ほうとどこか熱を帯びたため息が重なる。

 ため息の主は、膝の上のラスだった。先ほどよりも肌には血の気が戻っているように思え、何より表情が穏やかだ。

 ラスはそっと自身の手を伸ばすと、髪をいじっていたムジカの手に重ねた。


「ありがとうございます、ムジカ」

「お前、動けるのか」

「今の指揮歌リードフレーズで最低限の補給はできました。ですが腹部をふさぐことはできません」


 見てみれば、腹部は若干エーテルの燐光が和らいでいるものの、痛々しくえぐれたままだった。

 これがふさがるとも思えないが、どこか安らかな表情のラスを見れば、悪い気はしない。


「もう一回、聞くか」

「はい。――やはりあなたの歌は、好きです」


 ラスはムジカの手にすり寄るように頬を寄せる。

 まるで猫のような仕草に軽く驚いたムジカだったが、一つ笑みをこぼして、もう一度旋律を紡ぎ出したのだった。

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