過去の足音



 酒場の薄暗い明かりの中でもその銀の髪と紫の瞳の美しさは損なわれず、くっきりと浮いて見えた。


「頬が紅潮し体温も上昇しているようです。体調不良ですか」


 ここ数日でいつも通りになったずれた反応に、ムジカは一気に肩の力が抜けて吹き出した。ひとしきり笑った後、目尻ににじんだ涙をぬぐいつつ応じる。


「酔ったのか? と聞けよ。ここは酒場なんだから」

「ムジカの摂取していた飲料物に、アルコールは微量であると確認していました」

「おま、あたしの飲んでたもん確認してたのか!?」

「肯定です。酔っ払いの介抱は、酔っていない者の義務だと教えらたため、ムジカが倒れた際は介抱をするべきだと観測していました」


 おおかた、ラスを囲っていた酔っ払いの話だろう。

 律儀な性格であるラスに頼ろうと思ったか、あるいはラスとムジカの仲を勘ぐって、下世話な話をしたか。ラスに正確な会話内容を聞けば正確に再現するだろうが、この顔からスラングまみれの汚い言葉を聞きたくなかったムジカは、そのあたりは放置し訂正しておいた。


「酔っ払いは自己責任だ。仲のいいやつじゃなくて命に関わらなきゃ、道ばたにでも転がしとけ」

「了解しました、記録します」


 こくりと頷いたラスの表情は変わらない。


「なあラス、大丈夫だったか」

「大丈夫、の範囲の指定をお願いします」

「そうだな、質問の仕方を変える。あいつらにどんなことを聞かれた?」

「ムジカとの出会いと、探掘を始めた理由、戦闘能力を身につけた経緯などです。主にムジカについての質問が多い印象がありました」

「お前でも、印象って使うのな。どう答えた?」


 小さく問いかければ、ラスは不思議とムジカの耳に響くような声で答えた。


「秘匿すべき案件と考え、ムジカの声のみに拾えるように音声を調整しています。返答は事前に設定していた筋書き通りに、設定外のものは拒絶し問題のない範囲であると考えたものは返答しました」

「たとえばどんな質問だ?」

「ムジカとの関係は、と問われましたので、唯一無二の従うべき存在ですと返答しました」

「ばっ!!!」


 最高に最悪な返答にあんぐりと口を開けるしかないムジカに、ラスは小首をかしげた。


歌姫ディーヴァの単語は使用不可でしたので、最適な表現を模索しました」

「誤解してくれって言ってるようなもんだそれ……」

「端的に表せたと自己評価をしていたのですが。次に居住形態を聞かれましたので」

「あーもういい! もう聞きたくねえ!」


 完全に同居がばれていれば、もはや恋人というのを否定しても焼け石に水だろう。ちらと周囲を伺ってみれば、好奇を揶揄の気配も色濃くこちらを伺っている。


「次はプライベートですから、で断れ」

「了解しました。質問をしてもいいですか」


 やはり早めに引きはがすべきだったとため息をついていれば、ラスに前置きをされて見上げる。


「先ほど頬が紅潮していた理由は何ですか」

「あーうーん。そうだな……」


 ムジカは視線をさまよわせたが、ラスはこちらが指示を出さない限りあきらめることはない。言いたくないでも良かったのだが、ムジカはエールのジョッキを回しつつ答えた。


「たぶんこれは、嬉しかったんだ」

「うれしい」

探掘屋シーカーって、自分のために潜って自分のために遺物を持ち出すもんだからさ。掘り出した遺物が誰かのためになるかって考えないわけ。例に漏れずあたしも自分のために潜ってた。だから今回ありがとうって口々に言われて。自分の仕事がすごいって言われたのがな。自分が案外悪くないことをしてるんじゃないかって気がした」


 集約するとそこに行き着くのだ。とムジカは思う。

 テッサ達がまぶしくて、探掘夫達から感謝されるのが照れくさくて。

 探掘屋シーカーである自分の技術を認めてもらえたようで満足を覚えたのだ。


「ムジカは他者の希望を叶えて、感謝されることを好ましいと考えるのですか」

「うーん。そうとも言えるんだけど。言葉にするの難しいなあ」


 あまり深く考えたことがない事柄に、ムジカは頭をひねりつつも言葉を紡ぐ。


「お前はあたしの命令を聞いて、役に立ちたいって言うだろ」

「はい、それが俺の基礎概念の一部です」

「人間にもそう言うところがあるんだと思う。ただ、人間は特定の誰かとかだけじゃなくて不特定多数でも対象になったりするんだよ。あ、もちろん自分が嫌いなやつじゃなかったり、嫌なじゃないことだったら、って条件がつくけど」

「ですが、ムジカは自律兵器ドールの存在を確認してすぐ向かいました。命に関わることは嫌なことではないのでしょうか」

「いや、とっさだったし、深く考えてなかったというか」


 自分がいつもより口が軽くなっていることを、ムジカは自覚していた。

 もしかしたら酒精がすこし回っているのかも知れない。


「ただ、あたしにできることで、あたしのやりたくないことじゃなかったからやった。それだけ。それで満足だったけど、感謝をされて嬉しかったってとこ。まあお前だったら達成感だと考えればいいんじゃねえか」

「……記録します」


 いつもと変わらず、そう答えたラスにムジカは肩をすくめてジョッキを傾けた。返答の声色に困惑が混じって居るような気がして少し戸惑った、というのもある。


「もう一つだけ、確認してもいいですか」

「あん? なんだよ」

「なぜムジカは奇械アンティークにまで気にかけるのですか」


 思わぬことを言われて、ムジカは青の瞳でラスを見上げた。


「は? 私がいつ奇械アンティークにまで」

「以前使用人型に黙とうしていました。本日俺に『気持ち悪くないか』と質問したことも該当します」

「そんなこと言われたってなあ。ただなんとなくこう、気にならねえか」

「俺たちは奇械アンティークです。人間の役に立てばそれだけでよい存在です。命令以外に気に掛ける必要はありません」


 厳然と言い切るラスに、ムジカは妙なかたくなさを感じた。

 自律兵器ドールとして高度な思考能力を有しているからそう錯覚しているだけだろうが、面白くなかったムジカは、唇を尖らせた。


「それだけじゃあ、寂しいじゃねえか」


 エールの炭酸がぱちぱちと弾ける中、紫の瞳が丸くなる。

 明らかに虚を突かれたその表情は驚くほど幼く思えてムジカは目を瞬く。だが幻のようにいつもの無表情に戻っていた。


「では炎蛙を気に掛けるそぶりを見せていたのも、寂しいからでしょうか」

「いやそれは……」


 今日倒した自律兵器ドールの音声。

 声こそ奇械アンティークのものだったが、まるで……


「人間が、しゃべってるみたいだったな、と思ってよ」

「ムジカ?」

「気にするなこの話はおしまいだ」


 グイっとエールを飲み干したムジカは、ジョッキを返すためにカウンターへ向かった。

 足元が少しふわふわしていた。酔い始めている兆候だろう。気を付けないといけない。


「ああ、ムジカ君! ここにいたか!」


 ジョッキを返したところで声をかけられ、ムジカはその事務畑の男を見上げた。普段ムジカが全く縁のない人種だが、蛙型の事情聴取をされた探掘坑ギルドの人間だ。


「何か用か」

「ウォースターさんがね、君を第3探掘坑の警備員に雇いたいと言っているんだ」

「ウォースターさん?」 

「第3探掘坑採掘ギルド、管理統括の名前です」


 ムジカが顔に疑問符を浮かべていれば隣のラスが答えた。

 思ったよりも大物だったと目を丸くしていれば、ギルドの男は弱り切った様子で話した。


「ひと月ほど前から、この探掘坑内に暴走した奇械アンティークが沢山出現していてね。今でも探掘屋シーカーをやっとっていたんだが、自律兵器ドールじゃお手上げだと言われてしまってね。蛙型を倒せた君たちならうってつけなんだ」

「第3にまで増えてんのか」


 驚きと共に、ムジカの胸中に違和と疑問が広がる。

 ムジカがよく潜る第5探掘坑にも奇械アンティークの目撃情報が増えていたのだ。

 おかげで久々の稼ぎ時だと探掘屋シーカーは大張り切りだったのだが、奇械アンティークの出現はほぼランダムが共通認識である。遺跡内の全貌は誰も知らないとはいえ、それでも遠いはずの第3と第5で同時期に奇械アンティークが増加するのは気になった。


「どうしますかムジカ」

「そうだな、ちょっとの間なら悪くないかも知れないな。もちろん二人分出してくれるんだろうな」

「当たり前だ! ウォースターさんは正当な報酬を約束してくれるさ」


 借金を返すためには、利益率の低い第3探掘坑に以上いつまでもいるわけにはいかない。だがどちらにせよ公認探掘隊とやりあったほとぼりが冷めるまでは第5探掘坑には近づけない。 

 晴れ晴れとした顔の男に案内されて、ムジカとラスは酒場の中を歩く。

 ふいに、酒場内が静まり返った。

 ムジカたちの位置からは原因は見えなかったが、酒場の熱気に冷気が混じっていることから、新たに訪れた者がいるようだ。

 気になったらしいギルドの男が、人込みを掻き分けていく後ろにムジカたちも続く。


 入り口で対峙していたのは、窮屈そうにフロックコートを着た男と、護衛らしき集団に守られた上等な帽子をかぶった紳士とした男だった。

 探掘屋シーカーたちと似た雰囲気を持つ前者がウォースター統括役だろう。渋い顔を隠しもしない彼が、口火を切った。


「珍しいなバセット議員。君は探掘屋シーカーから足を洗ったんじゃないのか」

「そう身構えるなウォースター。事故があったと聞いてね。様子を見に来ただけだ」


 周囲の探掘屋シーカーたちがざわりとどよめくなか、ムジカはその上等な帽子をかぶった男を凝視していた。

 平均より少し高い身長に、仕立ての良いフロックコートに包まれた体は厚みがある。皺が刻まれた顔にはひげが生え、丁寧に整えられていた。どこからどう見ても元探掘屋シーカーとは思えない立派な紳士だ。

 オズワルド・バセット議員。探掘屋シーカーであれば大体が知っている男だ。自律兵器専門の探掘屋シーカーだったが、数年前にバーシェの下院議員になったとたん、様々な策を打ち出し現在最も勢いのある党派を率いるようになった。

 探掘屋シーカーたちからあこがれとも羨望ともつかないささやき声が響いていた。

 ゆったりと言葉を返したバセットに、ウォースターが乱暴に鼻を鳴らした。


「へっ探掘屋シーカーを規制しようとしてるって聞いてたから、もうこっちに興味をなくしたのかと思っていたぜ」


 たちまち周囲の空気が困惑に彩られ風向きの変化を感じた護衛役たちが前に出ようとしたが、バセットは悠然とした態度を崩さなかった。


「私は常にバーシェの発展を考えているだけだ。ウォースター、君だってこの現状が最良と考えているわけではないだろう」

「今居る探掘屋シーカーたちを守るのが俺の役目なもんでね。ところで俺たちは懇親会の真っ最中なんだ。政治の話なら明日に出直してくれないか」


 言外に退出を求めるウォースターをバセットは意に介さず、ゆっくりと酒場内を見回す。

 そして、探掘屋シーカーの中でもひときわ小柄なムジカを認めわずかに目をすがめた。


「アルバの娘か」


 ムジカの体がこわばった。

 指先が冷たくなり、周囲にあった喧噪が遠のいていく。


「オズワルドさん……」


 ムジカが声を震わせれば、バセットはこつ、こつ、こつとステッキと革靴のかかとを鳴らして近づいてくる。


「まさかと思っていたが、アルバはどうしたのかね」

「……2年前に死んだ」


 自分でもわかるくらい硬質な声に、バセットはわずかに眉をひそめた。


「君ほど探掘屋シーカーと言うものが、どれだけ過酷かわかっている者もいないだろうに。なぜアルバと同じ探掘屋シーカーなどしているのだ」


 がり、と胸の奥の柔らかいところが削られた。

 バセットはムジカの顔色が変わったことにも気づかぬように、ムジカの細い肩に手をかけた。


「父親としては失格の男だったが確か声楽を仕込まれていただろう。そちらを生かしたほうが……」

探掘屋シーカーしかなかったからだよ!」


 ムジカは腕を振り回して怒鳴った。片手に持っていたジョッキからサイダーがこぼれて手を濡らす。

 その冷たさに我に返れば、店内は静まり返っている。


「ラス動くな」


 今にもバセットを拘束しようとしていたラスを止め、荒れ狂う胸中を深く息を吐くことで無理矢理なだめた。

 父親と同じ探掘屋シーカーになった。ぐわんぐわんとその言葉が頭を回っていたが、できる限り無視をしてバセットをにらみあげた。


「あたしは親父とは違う。歌なんざどうでもいい。あたしは誰の指図も受けない」


 今は己の足で立っている。己で道を選んでいる。

 どろりとこぼれかける感情を押し込めて、それだけは絞り出す。

 凍り付いた店内の中割り込んできたのは、ウォースターだった。


「バセットさん。帰っちゃくれねえか。今日の主賓に手を出してもらっちゃ困る」


 バセットの肩に手をかけ、柔和な表情の中に冷えた眼光で彼を射貫く。

 それを皮切りに、周囲の探掘屋シーカーたちと護衛役がにらみ合うが、ムジカは注意が離れた隙をついて足早に店から出た。


 逃げているのだと、悲しいぐらい理解してしまった。

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