亡霊



 若干焦げたサンドイッチだったが、それでも溶けたチーズがハムに絡めばごちそうだ。ムジカが紅茶と共に楽しんでいれば、ラスが顔を上げた。


「エーテル濃度の上昇を確認。浄化マスクの装着を推奨します」


 反射的に見えるところに置いていた懐中時計に視線をやり、無言で背負っている浄化マスクに手を伸ばす。

 文字盤の燐光が徐々に濃くなってきていた。

 エーテル濃度はたとえ安全だといわれている領域でも、何かの拍子で一気に変わる。浄化マスクを装着し終えた頃には、文字盤は明かり代わりとでもいうように、煌々と緑の光輝を放っていた。危険域だ。

 人の姿をしていてもこのエーテル濃度で平然としているラスが訊ねてくる。


「ムジカ、体調に変化は」

「ちょっと頭がぼーっとするけど、これくらいならまだ大丈夫だ。ただ、話していてくれ」

「了解しました、移動しますか」

「ああ、撤収の手伝いたのむ」


 今までの経験から言えば、急激に上がったエーテル濃度はすぐに下がりやすい傾向にある。とはいえそれも確実ではない。

 この区域はエーテル濃度が不安定に変化する。慣れない探掘屋シーカーが軒並み急性エーテル中毒に陥り再起不能になりやすいことが、忌避される理由の一つだ。

 そしてもう一つは、撤収作業をしている間に起きた。


『ォオォォォ……―――オオォォオォ……―――』


 うなるような、慟哭のような声にムジカは身構えた。


「あれがくるか……」


 どこからかあふれ出してくるエーテルの燐光によって、あたりは真昼のように照らされている。通路の向こう側から、蛍光色の緑の光がゆらりゆらりと近づいてきた。

 光が寄り集まっているような質量のないそれは、物質というのもおこがましい。だが煙のようにあるいは影のように形を持っている。

 動物のような四つ足や、人の形のようなそれらがゆっくりと滑るようにムジカの前を通り過ぎていく。

 彼らの語る言葉はわからない。ただのうなり声としか聞こえない。

 しかし、意味がわからずとも、伝わってくるのは強い感情だった。


 悲哀、怒り、理不尽。それらは区画で命を落とした人々の断末魔をエーテル結晶が保存した、残像のようなものだった。


「今回も団体さんで勢揃いだな」


 浄化マスクの少しこもる空気の中で、ムジカはつぶやいた。

 探掘屋シーカーの間では亡霊ゴーストと呼ばれている現象だ。


 エーテルは、周辺にあるものを固定化し、維持する性質がある。

 それは無機物に顕著に表れるが、こうして人間の強い思念まで固定化するのだ。ただし、生前の強い思念を写し取っているだけで、本人の意思はないというのが通説である。

 エーテルの塊であるため、接触すると急性エーテル中毒を引き起こす可能性があるが、受け答えもできず、同じ行動しかとらないため対処も容易だ。

 しかしこの区画は、明確に音を発する亡霊が頻繁に出ることから、験を担ぎたがる探掘屋シーカー達は近づきたがらないのだった。


 亡霊が近づかない隅へと避難したムジカは、緑の影が荒れ狂うのをぼんやりと眺める。

 今日は特に多い。これだけ亡霊に囲まれてしまえば、一体にも当たらずに抜けることを考えるよりは、収まるのを待っていたほうが良い。

 すると、律儀にムジカの命令を守り撤収した荷物を持ってきたラスが話しかけてきた。


「あの映像たちは、どんな感情を表しているのですか」

「あれはただの残りかすだ。あの亡霊ゴースト達はエーテルのいたずらで残されちまっただけだから、実際に感じている訳じゃないぞ? そもそも訊いてどうするんだ」


 素朴な疑問をぶつければ、ラスは淡々と答えた。


「表情と感情を結びつければ、その感情を装うことができます。ですが状況に応じて適切な表情を浮かべなければ不自然となるため、多くの情報を蓄積する必要があります」

「なるほどな。それなら、悲しいだろうけど」


 いぶかしく思ったムジカがラスを見上げれば、彼はゆらりゆらりと残像を結ぶ亡霊の一つを指さした。


「あの残像は、ファリンという少年が浮かべていた表情と約60%合致します。ファリンは何を悲しんでいたのでしょうか。学習の一環として、情報提供を求めます」


 妙なことに興味を持つと思いつつ、ムジカは紫の瞳が見ている人影の一つを見る。確かに男性は顔をゆがめ、もの言わぬ慟哭をあげていた。

 亡霊は数が多くムジカもすべては覚えていないが、何度か見たような気がする。


「たぶんファリンは悲しいじゃなくて、悔しかったんだろうと思うぞ。あたしについて来たがっていたからな」

「なぜ、ファリンはくやしいを俺に向けたのでしょうか」


 ムジカは頭がぼんやりとするのを自覚しながらも思考を巡らせる。

 浄化マスクの中和カセットでもすべてを中和できるわけではないから、影響が出ているのだろう。

 あまり愉快な話題ではないが、ムジカはラスの問いかけに応じた。


「あたしにも確かなことはわからないさ。本人に聞いてみても素直に答えてくれるもんでもないし。気分がいいもんじゃないがしょうがないさ」

「気分が良くないのであれば、解消するべきなのでは」

「無理だよ。あたしはあいつの望みを叶えてやる気がない。ファリンがあきらめるしかないんだよ」


 うまく思考が回らないのもすべてエーテルの影響だ。こうして実感するたびに決意は固くなる。

 エーテルの燐光が乱舞するなか、ムジカはそれぞれの感情をあらわにする亡霊達を眺めながら思いつくままに言葉にした。


「エーテルってやつはとにかく現状維持ってやつが好きらしくてな。無機物もこんな残留思念ってやつもそのまま残そうとする。それが人間に影響がないわけないだろ? えーとたしか生命体には」

「生命体に対するエーテルの影響は主に、内臓の機能不全にくわえ生命力の減衰。そして肉体のエーテル化です。重篤になりますと四肢の末端から徐々にエーテルエネルギーとなって消滅します」

「そのとおり」


 ムジカは回収し損ねたオレンジの皮が、緑の燐光に包まれてほどけてゆくのを見るともなしに見た。

 第五元素であるエーテルは、その純粋さゆえに有機物をすべて同一化しようとするのだと、スリアンに教えられたことがあった。

 だから遺跡内で死んだものは骨も残らない。すべてエーテルに還っていく。

 もしかしたらここにいる亡霊達も、遺跡内で死んだものなのかもしれない。


「なあお前、探掘屋シーカー達を見て比較的、女の探掘屋シーカーが多いと思わなかったか」

「俺が視認した範囲では男性7割女性3割だったと記憶しています。探掘は肉体を酷使する職業であるにもかかわらず女性の比率が多いと思われます。理由は女性のほうがエーテルに対する耐性が強いからですか」

「なんだよくわかってるじゃねえか」


 マスク越しではわからないだろうと思いつつ、ムジカはにやっと口角を上げて続けた。


「お偉い学者さんの話はわからないけどな、女のほうがエーテルに強いのは本当なんだ。ついでに言うと、男はエーテルにさらされ続けると種なしに、女は子供を産みづらくなるらしい。こうやって浄化マスクをしていたとしても、確実に人間の体はエーテルによって戻されているんだよ」


 実際、この都市の娼婦達は避妊のためにエーテル浴と称して、遺跡内で過ごすことも珍しくない。月のさわりが重くならないなどいいことづくめだと言う女もいるが、体は確実に壊れていっているのだ。

 ムジカは若く、無茶な探掘計画を立ててはいないためまだ目立った影響はないが、それでも形のない不安は背後に感じている。


「ファリンくらいの子供は、てきめんに効いちまうはずだ。あたしが探掘を始める前だけど、細い道を探るために子供を探掘に使うことがはやった時期があったらしい。けどそうして働いた子供は軒並み半年以内に死ぬか、成長しなくなった。エーテルに時間を止められたんだ」


 バーシェの子供はよく死ぬ、というのは前々から知られていたことだが、数年前にようやくエーテルとの因果関係が解明された。当時の7割の子供がいなくなり、国が重い腰を上げて規制に乗り出したほどだ。

 そして12歳以下は探掘坑への侵入を禁止され、探掘坑へは許可証を持った探掘屋シーカーの同行が必要になった。だからファリンはしつこくムジカに同行を迫っていたのだ。

 しかしそれも正確な年齢がわからない孤児の場合、12に見える体格になったら素通りさせるため規制は有名無実と化している。今でも労働力として使っている探掘屋シーカーはいたし、ムジカが12歳になった年に規制されたため、正直恩恵を受けた側でもあった。


 それでもムジカは、悪影響が明確なファリンをつれて入ることはできないと思うのだ。


「エーテルに強いあたしでも、一度潜ったら一日以上は空けないとエーテルの影響が抜けない。子供はもっと抜けづらい。それにな、ファリンはあたしよりも目端が利くし、頭もいい。ならこんなやくざな商売なんてやらずに、地上のまっとうな商売について欲しいんだよ」


 ファリンがあの年齢で身を立てていけるのは、間違いなく彼の才覚に寄るものだ。

 探掘で一発逆転を狙わずともこのままいけば、下層から中層に上れる。ならば自分から体を壊しに行くことはないと、そう思うのだ。


「ムジカはファリンが探掘屋シーカーをやるべきではないと、考えているから拒絶しているのですか」

「あたしのちゃっちい感傷だよ。ファリンにはそんなことどうでもいいから、潜らせろ! って言われるだろうし。金を手っ取り早く稼ぎたいんだって言われたらおしまいだしよ」


 ムジカは選ぶことができなかった。


「だからあたしはこれからも、ファリンは連れて行かないんだ」

「ムジカはなぜ、探掘をしているのですか」


 ラスに訊ねられ、ムジカははっと彼を見上げた。

 その紫の瞳に他意はない、わかっている。こいつは気になったことを聞いただけ、何かに配慮できる情緒はないのだから。

 女の身で父親に押し付けらられた膨大な借金を返すためには、娼婦か探掘しかなかった。

 だが、もう一つ続ける理由があるとすれば。


 湧き上がる焼き付くような憎悪と渇望に、ムジカは無意識に奥歯をかみしめた。

 父親が追い求めた黄金期の遺産がこの自律兵器ドールであることは、間違いないだろう。幼いムジカを顧みずに探求し、借金だけを残して道半ばで死んだ。


「知りたかったんだ」


 ぽつん、とつぶやいた言葉は、迷子の子供のように頼りないとムジカは自嘲した。

 言葉として認識できない悲哀や怒りの声を上げる人間達は、それだけの強い感情があったのだ。エーテルがそこに焼き付けるほどの強いものが。

 それなのにムジカは消えていってせいせいしたはずの人間に囚われて、振り払えないでいる。


「ムジカ、知りたかったというのは」

「この話は終わりだ」

「……はい」


 拒絶すれば素直に従ってくれることは助かると、ムジカはまた一つ一つ消えていく亡霊達を眺める作業に戻るなか、心の澱を吐き出した。


「ざまあみろ」

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