練習曲

探掘坑

 


 ムジカの下に銀色の青年人形、ラスが来てから数日経った。


「明日は探掘にいくぞ」


 夕方になればランプの明かりが必要になるほど手元もおぼつかなくなる室内で、夕食を口にしながらムジカは宣言した。

 今日のメニューは適当に焼いた肉を挟んだパンと街頭で買ったベイクドビーンズだ。いつも懇意にしている店で、調味料をケチらないから味が濃い。

 ムジカの斜め向かいの椅子に座るラスが、声を上げた。


「ムジカは万全ではありません。打撲が完治していないものと推察します。探掘は体力勝負と書物に書いてありましたので、あと2、3日の休養を提案します」

「いつまでも休んでちゃ体がなまるし、金稼がなきゃいけなくなったんだよ。主にお前が原因で」


 ラスが不思議そうに瞬くのに半眼になったムジカはため息をついてパンにかじりついた。


 本当なら買い物の翌日には探掘に出るつもりだったムジカだが、斜面を転がり落ちたダメージが抜けきっておらず、丸一日寝込んでいた。

 ふと目覚めたときに、ラスがムジカのベッドの傍らに立ち尽くしていたときにはぎょっとした。なまじ顔が恐ろしく整っているために、無表情でいられると怖いのだ。


『なにか、命令をいただけませんか』

『じゃあ、湯冷ましの水を水差し一杯分作って、残りは借りてきた本でも読んでろ。足りなかったら、財布にある金で、借りていいから……』


 そう命じた後、気絶するようにもう一度眠りについたのだが。


「まさか、おいてあった金、全額使い切るとは思わねえだろ」

「規則通り、延滞なく返却をしていました」

「してなかったらてめえの頭を吹っ飛ばすところだった」


 財布に入れてあった金は、エーテル機関を売り払った約半分である。

 ラスの衣服や探掘用の道具をそろえて減っていたとはいえ、ムジカが1ヶ月は普通に暮らせる金額だ。

 それをすべて貸本に使い切ってしまったのである、この奇械アンティークは。

 命令さえあれば出歩けるのかという驚きも一つだが、ラスの奇械アンティークとしての学習能力をなめていた。

 ムジカは慌てて近所の貸本屋に向かったのだが、ラスは恐ろしいことにその貸本屋にある半分の書籍を読み終えていた。店主は一切ラスの正体を疑わず、快く許してくれたのが幸いだった。が、冊数分の金銭を先払いし店内に居座って読みふけるというのはかなり奇矯な行動である。

 お金さえあればさらに読みふけっていただろうことは、想像に難くなかった。


 つまりすでに、ムジカの稼ぎは半分消えてしまっている。


「まだ借金がのこってんだから、こんなとこで無駄遣いしてる場合じゃねえの」

「借金、返済しなければならない負債があるのですか」

「ああそうだよ。くそったれなおやじのせいでな」


 ムジカが本格的に探掘屋シーカーとなってから3年。なんとか半分にまで減った借金は、それでも低層部なら家一軒買える金額が残っている。休みたいのは山々だったが、休める蓄えがなかった。


「本当は連れて行きたくないんだけどな……」


 頬杖をついたムジカは恨めしげにラスを見やる。

 なるべく印象に残したくないというのに、今のところすべてが裏目に出ている。ならせめて自分の目の届く場所で監視して置いたほうがましだった。

 だが、そのような機微をラスがくみ取れるわけもなく、彼は平坦な声音で語るだけだ。


「ムジカの役に立つことが俺の使命です」

「頼むから余計な面倒ごとを起こさないでくれよ。前に言った注意事項は覚えているな」

「なるべく人間に擬態する。そのために人間は傷つけない、争いごとは起こさない、目立たない」

「そこに、遺跡内ではあたしの指示に従う。わからないことがあったら何でもあたしに聞く、を追加だ」

「了解しました。わからないことがあったらムジカに聞きます」


 質問にはうんざりしていたが、必要なのは確かだ。今回のような事態が起きないようにするためには、不本意だがムジカが目を光らせることが一番だった。


「んで、貸本屋で読んだからには何かわかったんだろ?」

「はい。ムジカの今までの言動と反応から推察し、ムジカにかかわる知識を中心に収集しました」

「ふうん、たとえば」


 何気なく聞いてみれば、ラスはムジカの食べているものを見た。


「ムジカ、食事が偏っています。人間は炭水化物、ビタミン、ミネラルなどを適切にとらねばなりません。緑黄色野菜の摂取を提案します」

「あーめんどいんだよ。高いし、今日は豆食ってるだろ」

「朝食が紅茶一杯だけですので、夕食がこのままですと栄養不足による様々な疾患が発生すると予測されます」


 耳が痛い話に、ムジカはふいと顔をそむけてベイクドビーンズをフォークで突っついた。

 バーシェには平地がほぼないため、食料品に関しては飛行船での輸入に頼っている。上層階には遺跡由来の野菜栽培設備があるらしいが、そこで栽培されるものはすべて上流階級で消費されるため意味がない。ゆえに下層民の食卓に上るのは、生きたまま運べる肉類や、日持ちのする根菜類や果物が大半だ。

 とはいえムジカは借金を抱えてはいるものの、それほど困窮しているわけでもないので、野菜を食べられないこともない。

 しかし街頭で売っているサラダ類は、利益率を上げたり見た目をよくしたりするために何が使われているかわからないのだ。

 だから野菜を安全に食べるには自分で調理しなければいけない。だが室内にエーテル結晶で動くキッチンがあっても、自分で食材を買って料理するより街頭で売っている焼き肉や、混ぜ物の少ないパンを買った方が楽だった。


「お前が料理できればいいんだけどな」

「俺は自律兵器ドールです。料理に関する情報は入力されていません」

「言うと思った」


 ラスに残っている記録情報はすべて戦闘面に特化していることは理解していたから、初めから期待していない。とはいえムジカとて食べたくないわけではなく、探掘中の昼食はほとんど行動食で済ませるので、夜くらいは温かいスープが欲しいとは思う。


「ですが、家政読本にて料理法を入手しましたので、台所の使用と材料の調達を許可していただければ作成可能です」

「へえ。そりゃいいな。ちなみになんて本だ?」

「バートン夫人の家政読本です」

「やめろ、めちゃくちゃやめろ」


 ムジカは顔を引きつらせて止めた。

 ベストセラーとなっている家政読本は、中上流階級の奥様向けに作られているため、その中に入っているのはもてなし用のレシピだろう。そんなものを作られたら金銭が持たない。


「うちにそんな贅沢な料理を作らせる余裕はねえから。庶民的で気軽な飯じゃなきゃだめだ」

「気軽な飯。それは普段に食べるような食事という意味ですか」

「その通り。ほらこの話はおしまい! 明日は早いんだからな。お前にもめいっぱい働いてもらうぞ」

「はい」


 従順にうなずくラスを見つつ、ムジカはパンのひとかけらを口に放り込んだのだった。



 *




 翌日。夜明け前に起きたムジカは、砂糖をたっぷり入れた紅茶を流し込んだあと、まだ真っ暗な街へ出発した。

 今日は霧が薄いおかげで、エーテルで灯る街灯だけで十分歩ける。

 荷物持ちがいると言うことで、ムジカは数日もぐり続ける目算で背嚢をラスにも背負わせるほど準備して来ていた。


「ムジカ、どこに向かわれるのですか」

「第3探掘坑だよ。公認探掘隊と顔を合わせたくないからな」


 バーシェの各所にあるいくつかの主要探掘坑は、使用料さえ払えば誰でも潜ることができる。安くはない使用料だが、それでも人が絶えないのは確実に金銭になるものが手に入るからだ。

 エーテル結晶は常に供給を必要としており、定期的に巡回する奇械アンティークを待ち伏せられるポイントもある程度絞られている。だから着実に見入り良く稼げるのだ。

 それでも未踏破の遺跡に眠る遺物で一攫千金を狙う探掘屋シーカーが、未許可の探掘坑を秘匿していることもままあるが。


 ムジカたちは最寄り駅で、カンテラを頼りに馬型ホースタイプ奇械アンティークに引かれてやってきた乗り合い馬車に乗る。奇械アンティークの馬が引く馬車の中は、探掘屋シーカーとおぼしき荷物を背負った人間ばかりだった。

 男性が7割に女性が3割ほど。どちらもムジカほど若い人間はおらず、場違いとも言える若いムジカとラスにいぶかしげなまなざしを向けてくる。

 いつものことなので、ムジカはすべてを無視していた。


 だがちらりとラスを見れば、茫洋とした瞳で、どこともしれぬ場所を眺めている。 

 やがて馬車は街の外れへたどり着き、終点についたとたん探掘屋シーカーたちは我先にと降りていった。馬車の隅で彼らが降りるのを待っていたムジカに、ラスが問いかけてくる。


「ムジカは急がなくていいのですか」

「いいんだよ。あいつらはエーテル採掘だから、目的が違う」


 普通の探掘は日雇いか月決め契約だ。親方の陣頭指揮の下、必要分のエーテル結晶を取りに行く。一定数採掘した後は歩合制となり、採掘した分だけ自分の取り分にできるところが多い。

 仕事はきついが短期間で稼げると、日雇いの空きは常に競争が激しかった。

 だがムジカの目的は奇械アンティーク狩りのため、採掘夫たちが去った後にゆっくりと降りる。

 夜も明けない早朝は、探掘坑が一番賑わう時間帯だろう。


 探掘屋シーカーを当て込んだ酒場や露天売りがランプを掲げていて、排ガスで常に霞がかっている周辺をわずかに照らしていた。

 買い忘れた人間用の錬金具店はもとより、娼館、宿屋など、ここだけで小都市の機能を有している。遺跡を利用した浄化設備があるため上下水道は整っているはずだが、それでも片付けられないゴミや汚物が道路転がり、悪臭が立ちこめていた。

 程度の差はあれ、探掘坑近くはだいたいこのような風景が広がっている。


 その奥にぽっかりとあいているのが探掘坑だった。


 高さは傍らの三階建ての建物と同程度。幅も同じくらいある。遺物の資材で補強されたそこには、縦穴を潜るための巨大な昇降機が設置されていた。

 ここから潜れる範囲は、大方の奇械アンティークが取り尽くされ、安全域と危険域が明確だ。一番稼ぎは少ないが、比較的安全と呼ばれる場所だった。公認探掘隊も興味を示さないらしく、目撃情報がない。ムジカも確実に利益を出したいときにちょくちょく潜っている。

 ラスが何ができて何ができないかを知るためにはちょうど良いだろうと、今回はこの第3探掘坑を選んだ。


 初心者向けと呼ばれる探掘坑のせいか、慣れない様子の人間が目立っている。

 彼らが生き残れるかは彼ら次第。


 悠々と歩いていたムジカは、にぎわう探掘坑前広場の中に小柄な少年を見つけて青の瞳を半眼にした。


 

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