錬金街



 スリアンの下を後にしたムジカは、しかたなくラスをつれて街頭市へと向かった。

 昼を過ぎた時刻で快晴のため、町中にもそれなりに日光が入り込みぬくもりを感じた。靄がかかったような空にはどこからかの貨物便だろう、大型の飛行船が飛んでいく。頂上近くにある発着場に停泊するのだろう。

 スカートにある隠しポケットにある財布には、エーテル機関の売却資金の一部が入っている。装備品の大半をダメにしたことを知ったスリアンの計らいで、正規の販売価格で引き取ってもらったからだ。

 人間の形をしたものを一つ、養うことになったのだ。それなりに物入りだったために心底助かった。


奇械アンティーク用の整備道具はスリアンが用意してくれるとはいえ、やっぱり服だな」


 今のラスの格好はひどい、とムジカは傍らを歩く青年人形を見上げた。

 現在のラスは、一応、探掘街シーカーストリートの酒場にいそうな普通の格好をしていた。

 だが、くたびれたシャツにジャケット、貧相なクラバットまではましなものの、案の定ズボンのウエストはぶかぶかで、ベルトも用をなさなかったのでひもで縛り上げている。 

 袖とズボンの丈も足りなかったが、それはどうしようもない。あいにく靴はなかったため、ラスの足を適当なぼろ布で足を包んで結んだムジカは、朝から一仕事を終えた気分だったものだ。

 だが元の見てくれが良いだけに努力もむなしく、ちぐはぐさが際だって悪目立ちをしていた。

 ちらちらと感じる奇異な視線に、どうにかしなければならないとムジカは改めて決意した。が、ふとスリアンの表情にほんの少しだけ痛みのような感情がよぎったのを思い出し、少し暗い気分になる。


 スリアンはムジカの父親とそれなりに親しかった、らしい。

 ムジカにとってはいい思い出のない父親だったが、彼女には思うところがあるのだろう。


「あー湿っぽいのやめやめっ! こうなったらあたしも奮発するぞ!」

「何を奮発するのですか」

「あたしも必要なものを買うってこと……ああそうだ」


 ムジカは適当な路地にラスを連れ込み、向き合って言い聞かせる。

 スリアンの所では衝撃と情報が飽和して呆然としてしまっていたが、街中に繰り出す前に念を押しておかねばならなかった。


「お前、さっきの話は聞いてたな」

「はい」

「いいか、あたしのためにお前のためにも、お前が自律兵器ドールってことはばれちゃいけないんだ。人間になれ」


 マスクと帽子で顔を隠していたラスだったが、何を考えているかわからない紫のまなざしでムジカを見下ろしていた。


「俺は自律兵器ドールです。人間ではありません」

「なら自分を人間に見せかける努力をしろ。これは命令だ」

はいイエス歌姫ディーヴァ

「……まずそれを絶対に人前でやるんじゃねえぞ」


 言っているそばから心配になってきたが、どうにかやり抜くしかない。

 まずムジカは古着屋が多く連なる一角で、靴と服、そして手に合う手袋を探した。とにもかくにも球体関節を隠さねばと思ったのだ。


 幸いにも、いくらもたたずラスでもはめられそうな革手袋を見つけたので、きっちり値切って買い求める。そして目立たない場所で靴と手袋を身につけさせた。

 ついでにムジカのだめになったペチコートの代わりなどを求めた後、ちょうど小腹が空いたので、街頭商人からフィッシュアンドチップスを買う。


「お前、そういや飯は食べられるのか」

「有機物をエーテルエネルギーに変換できますが、効率は劣ります」

「ふうん」


 平坦な口調で告げるラスにムジカは少し考えた後、芋を揚げて作られたチップスを一つ差し出した。


「試しに食ってみろ」

「はい」


 ラスは言われたとおり口に運び咀嚼する。

 嚥下するところまでじっと観察したが、ムジカが懸念していたのが肩すかしのように自然な動きだった。食べる仕草が上品すぎるのは否めないが、もし他人の前で食事をすることになっても問題ないだろう。


「なあ、味はわかるのか」

「人間が感じている味覚はわかりませんが、成分分析である程度予測することができます」

「まどろっこしいけど、うまいかまずいかはわかるんだな」

「はい。ムジカの摂取している食物は、油分が過多に思えます」

「うるせ、消費するからいいんだよ」


 彼の話し方は独特でどうにも調子が狂うと思いつつ、残りのフィッシュアンドチップスを腹に収めにかかる。ムジカの仕事は体力勝負だ。少々気になったとしても、これくらい油分が多くないと、体力が持たないのもあるのだ。


 市場にはそれぞれ特徴があるものの、そろわないものはない。

 腹ごしらえを終えたムジカは再び市場の中を進み、探掘に必要な道具を買いそろえていった。

 あの荷物は二度と戻ってこないだろう。遺跡内に落ちているものは、見つけた者に権利がある。潜って取りに行くにしても、潜るためにはある程度装備品が必要だった。


 はじめこそ義務感しかなかったが、呼び売りの声や買い物客で賑わう雑踏のなかで品物を見ていれば自然と心は浮き立つものだ。ムジカは必要なものを次々と思い出し、財布の中身と相談して手に入れていく。


「それにしても、お前それだけ持ってて大丈夫なのな」

「重量に関してでしたら問題ありません。1トンまで運搬可能です」


 切らしていた食料まで節操なく買い集めたため、腕や背中に負われた荷物はそれなりの重さになっているはずだ。そのあたりはやはり奇械アンティークらしい。

 ひとまずもう少し買い物をしても大丈夫そうだと思ったムジカは、次の店へと向かった。


錬金具アーティファクト系を全部なくしたのが痛いなあ。在庫も少ないから買っとくか」


 探掘に使うための道具の中には消耗品も多い。

 一つ一つはそうでもないが、消耗品である以上累積すれば手痛い出費になる。


「錬金具、とは何でしょうか」

「お前の時代にはなかったのか? エーテルの節操のない変化を利用して、地水火風の原理を再現できる道具のことだよ。うちにあるコンロとか水道とかにも使われてる」


 錬金具の元となる錬金術は、エーテルの柔軟な性質を利用するための技術体系だ。それは庶民の生活水準でも浸透しており、様々な分野で利用されている。

 ムジカが言う錬金具もその一つだ。たいていは触媒とエーテルの変質を定義する錬金陣がセットで、用途に合わせて使いやすいように設計されていた。

 とはいえムジカも原理はほとんど知らない。使えればいいものなのだ。


「エーテル銃の弾丸はもちろん、大きながれきを崩すための爆薬だったり、浄化マスクのフィルターもそうだし、簡易トイレの浄化……」


 これは言わなくていいことだったと、ムジカが顔を赤らめて口を閉ざせば、ラスは平坦な声音で言った。


「それなら俺が再現できます」

「はあ? 属性が違えば全く違う錬金陣と術式が必要なんだぞ?」

「可能です」

「はあ、そうかい」


 繰り返したラスの言葉に、ムジカは疑わしげなまなざしをむける。

 奇械アンティークはエーテルをより円滑に利用するために研究されたものだ。自律兵器ドールに備えられている兵装はすべてエーテルを利用しているため、錬金術を常に発動するために膨大な錬成演算をし続けなければならない。

 人間では限界のある演算能力を超えられる自律兵器ドールだからこそ、あの強力な兵装を操ることができるのだ。

 とはいえ、それもあらかじめ定められた錬成術式によるものだけである。

 たしかに自律兵器ドールであるラスには、ある程度エーテルを扱える能力があるだろうが、そこまで自由度があるものではなかったはずだ。


 ラスが何か勘違いしているのか認識が違うのかわからないが、ムジカはそれを突き詰めて聞く気にはなれなかった。 


「排泄物の分解も」

「それ以上言ったら、エーテル弾ぶちかますぞ」


 地を這うような声音の迫力に気圧されたのか、ラスが口をつぐんだ。

 ムジカはラスの無遠慮な回答や質問にいい加減疲れてきていたが、スリアンの忠告を思い出していらだちを抑える。


「こいつは赤ん坊、しゃべれるだけで何にも知らないから、教えなきゃいけないんだ。冷静にいこうぜ冷静に」


 だがこんなでかい子供のお守りから始めなければならないとは、やはり貧乏くじだったのではないかと思わなくもない。

 そんなムジカの心境など知らぬげにラスは彼女を見下ろしていたが、不意に顔を上げた。


「あちらにあるものが、錬金具ですか」


 ラスが見ている区画は、錬金術師アルケミストたちが作った錬成具の店が軒を連ねていた。

 どこかいかがわしく、そこかしこから蒸気が吹き上がり、薬のような鼻につんとくるものや、何かの金属を熱しているにおいが立ちこめている。

 呼び売りをしている人間の数も少なく、だが客の問いかけには熱心に答えている様子がで見られた。

 そしてその店先に並んでいるのは、知識のないものにはどう使ったら良いかわからない様々な道具だ。さらに動かない奇械アンティークやその部品も商品として並んでいた。錬金具は奇械アンティークとも近しいため、こうして隣り合った場所で売られていることも珍しくない。


 客は先ほどの日用品を扱う界隈とは違い、探掘屋シーカーらしき荒々しげな男や、どこかなまめかしさを感じる女性など堅気らしからぬ空気をまとっている。生活に必要な錬金具はあちら側でも売っているため、専門街に来る人間はある程度後ろ暗い人間が集まりやすいことは否めなかった。


 ムジカは密かに気合いを入れつつ、店の一つに目星をつけて入る。

 若い娘であるムジカと目深に帽子をかぶったラスが近づいてくると、店主はいぶかしげな顔をしたものの、特に声をかけてこない。

 探掘は、十代の少年でもやる仕事だ。そもそも錬金具を扱う人間たちにはものを買ってくれる人間に何も言わない。ともかく話しかけられないのは助かった、とムジカは物色していく。


「閃光弾は投げてみないとわからないからな……」

「うちのは全部、腕が確かな錬金術師から仕入れてるよ」


 独り言を拾ったらしい店主の言葉を無視したムジカが目の前の閃光弾を見比べていれば、傍らにたたずんでいたラスが口を開いた。


「ムジカ、その錬金具は98パーセントの確率で錬金陣が不発に終わります」

「は?」


 ムジカが弾かれたように見上げれば、ラスは淡々と錬金具を指さしながら続けていく。


「そちらは内蔵されているエーテル結晶不足で、錬金陣から想定される威力の30パーセント程度の威力しかありません」

「うちの商品にけちをつけるとはいい度胸じゃないか、営業妨害だぞ!」


 さすがに黙っていられなかったらしい店主が立ち上がってつかみかかってこようとしたが、ラスはその手を逆にとって締め上げる。


「敵対行為と判断します。ムジカ排除の許可を」

「排除されるのはてめえだポンコツ! 争いごとを自分から起こしてどうする!?」


 ムジカががんっと腰のあたりを殴れば、ラスは錬金具屋の店主を放したが小首をかしげた。


「俺はムジカの『良質な錬金具を購入する』という行為を補助できませんでしたか」

「できなくはなかったが言い方、やり方ってもんがある。こんな風に真っ向からやるのは最悪だ!」

「申し訳ありませんでした、学習します」


 無表情に言うラスに、反省の色が見えるのかよくわからなかったムジカは頭痛を覚えた。

 行動力と思考能力があるだけ、赤ん坊よりたちが悪い気がする。


「おい、ガキどもこの落とし前どうつけてくれるんだ!」


 ラスに拘束を解かれた店主が、今度はムジカにかみついてくる。

 わめく声をムジカは無視して、ちらりと銀髪の青年人形を見上げた。


「なあ、ラス、さっき言ったことは本当だな」

「はい」

「やはり女は馬鹿ばかりだな! 家を出るとろくなことがない!」


 それだけ確認したムジカは、ポケットから閃光弾一個分のコインを取り出すと、店主へと弾いた。

 店主がコインを手玉にとっている間に、ラスが指摘した閃光弾を手に取ったムジカは安全装置となるレバーを押し込む。

 この雑踏の中で安全装置を外したムジカに店主が目をむく中、ムジカはその閃光弾を無造作に転がした。

 足を止めてことの成り行きを見ていた野次馬たちはとっさに顔をかばったが、強烈な光はいつまでも来ない。

 呆然とする店主にムジカは内心の動揺を押さえ込み、にやりと口角を上げて見せた。


「なあおっさん、この閃光弾ちゃんと使えるんだったよな。驚かせたわびにその金はいらねえよ。じゃあな」


 そこまで言い切ったムジカは、ラスの手をつかんで雑踏の中へと消えた。

 あれだけの衆目の中で不良品が混ざっていると周知されたのだ、十分な仕返しになったことだろう。

 店主が粗悪品をつかまされたのか、錬金術師と結託して売っていたのかはわからないが、あの焦りようからすると後者のほうが可能性は高い。

 ともあれムジカの胸はすいたのでよしとしたが、看過できないことがあった。

 十分に離れたところで、ムジカはラスに向き直って詰め寄った。


「なんてことしやがるんだ! あたしたちは目立っちゃいけないんだぞ」

「何を怒っているのですか」


 なにがいけなかったのか全くわかっていない様子のラスに、ぐああと頭をかきむしったムジカは指を突きつける。


「お前は、人に、擬態しなきゃいけないんだ! 人間はなるべく傷つけない、争いごとはなるべく起こさない! なにより目立たない!」

「具体的にどのようなことをすれば良いのでしょう。定義が曖昧で命令を遂行することができません」


 表情が変わらずとも明らかにわかる困惑の色に、ムジカはどっと疲労が増した。なまじ高度な思考能力を有しているせいで、命令をしたとしてもその命令を正しく遂行するために知識が必要なのだ。説明しなければわからない。

 だがムジカには、どこをどう説明すればこの赤ん坊のような青年人形に理解させられるのかわからなかった。


「まずは、人間がどう言うものか学んでくれ。生活の仕方から、受け答え方、全部だ。特に感情については優先的にだ。おい、かがめ」

「は、ひ……?」


 素直にかがんだラスは、ムジカに頬を引っ張られて間抜けな声を出す。

 人間の皮膚とは違う感触だが、顔は柔らかい素材でできているのだなとムジカはどうでもいいことに気づきつつ、すわったまなざしで言った。


「その人形顔じゃあ疑ってくれって言ってるようなもんだ。せめて表情が動かせるようになってくれ」

「俺は奇械アンティークです」

「だからまねでいいって言ってる。あたしもお前が何考えてるのかわからないから薄気味悪い」

「うすきみわるい」


 ムジカはどことなく神妙な顔になった気がするラスの顔を引っ張るのをやめた。完璧に整った顔を崩すのは大変に愉快だったが、いつまでもそうしているわけにはいかない。


「それは、命令ですか」

「ああ、命令だ。あたしと円滑に暮らすために、感情を学習しろ」

「了解しました、ムジカ。……ですが感情を学ぶには何をしたらいいでしょう」


 そこまでは考えてなかったムジカは言葉に詰まり、視線をさまよわせながらも言葉を紡ぐ。


「まあ、観察、とか? 人間を見て覚えるとか?」

「では先ほどムジカが覚えていた感情を教えてください」

「そう来るよな……」


 少し面倒さが混じるが、ムジカは一つ一つ思い返してみる。


「あんたへの怒りと、いらだちと、後はそうだな……すかっとした!」

「すかっと?」

「あの店主の青い顔見ただろ? あれは気分良かった。馬鹿にするんなら、やり返される覚悟を持ってもらわないとな。そういう面ではお前、役に立ったな」


 ムジカだけであればその場から去るだけだったろう。なし崩し的にラスが騒動を引き起こしたために、派手に発散することができた。

 怒りはしたが、あまり根に持たない質のムジカはすっきりしていたのだ。


「怒っていないのですか」

「さっきまでは怒ってたけどな、もう気は済んだよ。そうだ、貸本屋に寄ろう。あんたに必要な知識を勉強するためにもな!」


 本は高い。だが質問攻めされる回数を減らして、ムジカの心の安寧を手に入れるための投資だ、喜んで支払おう。


「了解しました、書籍で学習します」


 なかなか良い案のように思えて気をよくしたムジカは、困惑するラスの手を引いて歩き出したのだった。

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