第五章・ここはマホウの世界~ARURU‘s view⑤~
「『
幼い彼の未来に待ち受けるであろう過酷な運命を包み隠さず宣告する言葉。
しかし、そんな彼の傍でずっと共に寄り添っていくのだと包み込むように宣誓する言葉。
黄金色の声が告げた黄金色に煌めくその言葉をこぼれ聞いたわたくしは、胸をチクリと刺した痛みをグッとこられ、言葉の内容の方に注意を向けます。
龍神の……子……。
「龍の神の子供……。ようするにアヤツはドラゴンの
「子供……嫡子……つまりイチジ様は竜型の魔人……ドラゴニュート?」
「いいや。魔の血が混じる混血だとか、サラマンドラのようにその系譜に属するだとかいう話ではない。ましてドラゴンのごとき強者を親に持つとかいう比喩的な意味合いなどでもない。……文字通り、ドラゴンの腹の中から生まれて出でてきた直縁にして直血。……ざっくりと言えば、タチガミ・イチジというお主の想い人は上から下まで紛れもなく、中から外まで万遍なく……」
「ドラ……ゴン……」
たぶん、ほんの数分前までのわたくしなら、こんな世迷言。
ツッコミとともに一蹴していたでしょう。
幾らこの一夜だけで随分とトンデモ体験に耐性がついたとはいえ、さすがにこれはないです。
イチジ様が……ドラゴン?
人の形をし、人の言葉を話し。
人のように悩み、痛み、苦しみ。
出会ったばかりの、しかも無理矢理自分を異世界なんてところに引っ立ててきた見ず知らずの小娘の危うさを厳しくも優しく諭したりすることのできる、温かさを持った人が。
いうに事欠いてドラゴン?
威光とどろく無慈悲な伝説の覇王?
魔獣の頂点にして、魔物の王ですって?
……馬鹿らしい。
……ホント、冗談にしたって面白くもない、下劣なたわ言。
ええ、たわ言。たわ言ですわ……。
「……信じられません……」
「まぁ……当然の反応じゃろうな」
「違います」
「うん?」
「そんな馬鹿らしい真実、そんなトンデモ中のトンデモ、たわ言だと……戯言だと、そう思っている反面。……すっと胸に落ちていくように受け入れている自分が信じられないのです、リリラ=リリス」
「にょほほ……まっこと、お主ときたら……」
「あなたは知っていたのですね?イチジ様が……ドラゴンであると?」
「もちのろんじゃ……。遥か昔……かれこれ二千とン年前からな……」
「二千年前……」
二千年前といえば、彼女が普通の人間として、生身の肉と魂を持って生きていた時代。
……そして、この≪
「世界のはじまりとイチジ様……まったく結びつかないのですが……」
「どれどれ。……これから大きな山を越えていかなければならないお主のため。たむけとばかりに少しばかり語ってやろう……」
よいしょ……と一声出して身を起こすリリラ=リリス。
体を支えようとするわたくしを手で制し、リリラ=リリスは静かに黄金色に包まれるイチジ様と向き合います。
「……これは我らしか知り得ない事実……お主らが創世と呼んでおる≪
「……え?」
……目の、錯覚でしょうか?
すっくと佇むリリラ=リリス。
そこには今にも消え入りそうだった弱々しさなどまるでなく。
小さくて細々しかった幼女の姿さえどこにもなく。
結い上げてもなお長身の腰の下まで伸びた黒髪を揺らし。
深いスリットの入った煮えたぎる血よりもまだ濃い赤色のドレスに身をくるみ。
超然にして憮然。
厚顔にして不遜。
威風堂々、流麗優雅に背中を伸ばす。
かつて、その作り物よりも優れた美貌と、魅惑的な肢体でもって世界中の老若男女を虜にした。
脈々と民草の間に語り継がれる通りの艶やかな姿をさらす、大魔女・リリラ=リリス=リリラルルの姿がありました。
「元々、我らは吹き溜まった魔素をどうにかしようと集まった七人じゃった」
体の敏感な部分を妖しく這い回してくるような妖艶な声で、魔女は語ります。
「それぞれがそれぞれに卓越した能力と揺るがぬ信念、ひっ迫した事情を持った、本物の英雄。ある者は≪
「……ここでいきなりSF持ち出されても、という気分です」
「そもそもお主≪マホウ≫の世界の住人じゃろ?立派にSFやっとるよ。にょっほっほ」
その軽やかな笑い声にも、隠し切れない色香を感じます。
「まぁ、そんなこんなで集まった七人で、あれやこれやして飽和した魔素を抑え込んだわけじゃけれど……その後が問題じゃった。さてさて、それではこの冗談みたいに強大な力、一体どうすればいいのじゃろう?とな。……どれだけ安定させたとはいえ、秘めたる力は膨大も膨大、大膨大。しかもわずかな刺激で破裂してしまうおそれがあるほど敏感で繊細なもの……取り扱い注意の札を貼るだけで大爆発を起こして宇宙の一つや二つ、簡単に破壊せしめてしまう、何とも気難しく危うい爆弾じゃった」
「…………」
「そんな純粋なエネルギーの塊に新しい世界という方向性を示した結果≪
「……ですが、あなたたちは答えに辿り着いた」
「……これがな?そういうわけでもないんじゃよ」
「はい?」
「結局、我ら七人。誰一人として新しい世界を創ろうなどという考えに至った者はおらんかった」
「え?」
「我なんて『てか、もう誰か早く決めて~いい加減お腹すいたんですけど~』と半ば不貞腐れておった」
……目に浮かびますわね、その光景。
きっと偉そうに椅子にふんぞり返りながら爪でも整えていたのでしょう。
「そんな時じゃ。『それじゃぁ~ここは一つ、世界でも創ってほしいんだよ』という声が聞こえた」
「声?あなた以外の六人の誰かですの?」
「いいや……」
そこでリリラ=リリス=リリラルルは一つ間を置きます。
記憶を整理するように、在りし日の情景を懐古するように。
ふっと一つだけ、小さく嘆息します。
そしてその端正な眉を少しだけ潜め。
その蠱惑的な黒い目を少しだけ細めて、イチジ様を殊更に見つめます。
……というよりも。
イチジ様というよりも、彼を取り巻いた、今もなお煌めきを増増していく黄金色を見つめているかのような趣でしょうか。
「いいや……。あの空気の張りつめた場でそんな空気を読まない呑気な声をあげられる豪胆さを持っていたのは我くらいなもんじゃった。……しかし、それは我の言葉に答えた声じゃ。もちろん我なわけがない。我がこの耳で聞き、あまりにも予想外過ぎて不覚にも驚いてしまった声。……そう、予想外。我ら七人しかいないはずのその場で我ら以外の声がするというイレギュラー。……ここまで言えば必然、答えは出るじゃろう?」
創世の物語。
一日目。ある者が箱を『構築』した。
二日目。ある者が箱の中身を『構成』した。
三日目。ある者が箱の中身の細部を『精製』した。
四日目。ある者が箱の中身の細部の安定を『制御』した。
五日目。ある者がその箱に『時間』という概念を植え付けた。
六日目。ある者がその箱に『空間』という観念を縫い付けた。
七日目。……誰も何もしなかった。
そして八日目。
ある者がそれまで他の六人が作り上げてきたものすべてを一くくりに包括し、最終的に『世界』という形へと固めた……。
そうです。
そうなのです。
≪創世の七人≫と彼らをいいだけ祀り上げておきながら……。
どうして創世には八日間かかったのか?
どうして七日目に空白の時間が出来ているのか?
あまりにも当たり前。
とにもかくにも常識すぎて、今までまったく疑問に感じなかった創世の物語の僅かな不合。
七人なのに八日。
七なのに八。
正史として伝えられる伝説だというのに、あまりにもおさまりの悪い数字。
誰も何もしなかったとだけ伝えられる七日目。
必然性のない、必要性の感じない唐突な空白の時間。
このおさまりよくするため。
その空白を埋めるため。
リリラ=リリスの語りの断片を繋ぎ合わせ、想像し、見えてきたもの。
それは……。
「八人目の存在……ですの?」
「さよう。……正確には、ソヤツ自体は何もせんかったら我らと一緒の勘定にいれるのはどうかと思うが、その濃縮した魔素をどうするかという話し合いの場にそしらぬ顔で紛れ込み、そして最終的に結論となった≪
歴史が根底から覆るような真実。
これまでの人生の中で常識だと疑いもしなかったものを真っ向から否定された衝撃。
八人……八人いた……。
たかが一人ですが、されど一人。
森の小人が一人増えてすら、その『七』という数字に込められた
それが公の元にさらされたのなら、崩れ去るのは
≪
「その『八人目』がどういった存在定義の元にあったのか、それは未だにわからん。だたの人だと言われれば人であったし、霊体とか思念体とか、実像を持たない何かだった言われればそれもまた納得できる。……我らが……この我ですら掴みかねているまったくの謎存在。……しかし、何かと腹立たしい女であったことと、その女の言葉が、我らの脳髄に天啓に打たれでもしたかのような衝撃を与えたことは確かじゃった」
腹立たしい女……。
そう言った時にリリラ=リリスが浮かべていた表情に、わたくしは目を見張ります。
言葉の厳しさとはまったく裏腹の柔らかい笑み。
例の意地の悪いようなニマニマした厭らしい微笑みなどではなく。
本当に、柔和で優しい笑み。
たとえるならばそう……今はもう会うことのかなわない無二の親友との思い出話を孫の寝物語に語る、老婆のような温かさがありました。
「……どんな方でしたの、あなたのご友人は?」
「……あんな奴、友人なものか」
ふん、とリリラ=リリスは鼻を鳴らします。
「とにもかくにもうるさくて、口をつぐんでいるという姿を見たことはなかった。自分の思いつくまま気の向くままに捲し立てて、こちらがウザったそうにしてるのに気が付いても今度はそこにしつこく絡んでくる、まぁ、はた迷惑な女じゃった。……一言で言うとバカじゃな、うん。いや、そんな一言では語り尽くせんくらいの大バカじゃ、あんなもん……」
あ、この恥ずかしそうにスネたふりをする顔もはじめてみます。
なんだ……どれだけ絶世の美女としての美しさを重ねていったとしても、女という生き物はちゃんと少女らしい可愛らしさをいつまでも忘れていないものなのですわね。
たとえ、二千とン年の月日が経ったとしても。
彼女の中で、ひねくれ者の幼女はいつだって愛らしく眠っているのです。
「……そんな大バカ者だからこそ。世界を創ろうなどという発想が出てきたのかもしれんがな。……そう大バカ……ただ一人の為だけに、その一人が生きやすいような世界を創ってほしいだなんて……正気では思いつかんよ……」
「それは……」
ブブ……ブブブ……ブブ……
「え?」
唐突に神域内に走るノイズ。
ブブ……ブブブ……ブブ……
「はぁ……さすがに限界かのぉ……」
ブブブ……ブブブブ……ブブ……
ブレ始める黒の結界術式。
どれだけ大規模に展開された魔術とはいえ、魔力を持って事象をなすという理屈は同じ。
常時発動型の魔術は術者の魔力供給が滞れば強制的に解除されることになります。
「それでも、もった方か……」
「リリラ=リリス……」
「なんて気の抜けた声を出すんじゃ」
ニタリ……そう擬音が聞こえてきそうな意地の悪い笑み。
そんな見慣れた笑みだなと認識した時にはもう、目の前にはやはり見慣れた黒い幼女が立っていました。
「忘れてはおらんか?お主、これから大仕事が待っているんじゃぞ?にょほほ」
いよいよ先細っていくリリラ=リリスの笑い声。
軽薄な感じはそのままですが、明らかに無理をしているのがわかります。
「……いってしまうのですか?」
「いってしまう?何をおかしなことを……」
シュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ……
消えゆこうとする術者と連動し、それまでわたくしたちを何者かから守ってくれていた漆黒の結界が収縮していきます。
もはや、術を維持する力もくなったのか。
もはや、必要がなくなったと解いたのか。
どちらとも取れるようなタイミングです。
「それを言うなら、小娘。……我はとう昔に逝ってしまっている者じゃぞ?」
「……ホント、軽口の減らないロリっ子ですわ」
「そんなロリっ子の最後のお膳立て、無駄にするんじゃないぞ?」
「……デウスエクスマキナでしたか……良く言ったものですわね」
「じゃろ?盛り過ぎた謎と伏線によって収拾のつかなくなった混沌を、突然あらわれた神が整然と整えてすべてを解決に導く演劇の手法。『最後の問題に正解すれば一億点!!』みたいな過程をぶち壊しにした結末……我な、そんな無理矢理な大団円、大好きじゃ」
「古典ならともかく、現代で発表する物語としては三流ではないかと思うのですけれど?」
「よいのじゃよいのじゃ。一流じゃろうが三流じゃろうが……秀作じゃろうが駄作じゃろうが構わん。……どうにかして皆が幸せになるようにと結んだその作者の馬鹿みたいな優しさ、素敵だと思わんか?」
「……現実では、そんなハッピーエンド、なかなか拝めませんものね」
「にょほほ。わかったような口をきく」
「わからないこと……最後に一つだけ聞いていいでしょうか?」
「……いうてみい」
わたくしは思考を全力で回転させます。
聞きたいこと、知りたいことがたくさんあります。
まだまだ教えてもらいことがたくさんありすぎます。
≪創世の魔女≫の名に恥じないだけの知識量。
≪空前の悪女≫の名を体現するだけの性格の悪さ。
あれこれと気ままに振り回されて腹が立ちました。
意地の悪さにムッとしました。
何もかもを知ったような意味深な物言いにイライラとしました。
放って置けばどこまでも脱線していく話に呆れもしました。
……ですが。
……はい、ですがやっぱり。
どうやらわたくし、この幼女のことが嫌いではないようなのです。
どれだけ想像していた人物像とかけ離れていても、やっぱり心からの尊敬を抱き、憧れてしまっているのです。
決して巡り合うことはなかったであろう伝説の大魔女。
こうやって少しの時間でもご一緒できたのは、それこそ0から100、奇跡と言って差し支えない出会いでした。
もう二度と顔を合わせることはないでしょう。
いかにリリラ=リリスとはいえ、そう何度も頻繁に現界することはかなわないでしょう。
だからこれは、最後の会話。
未熟なわたくしに彼女が教えを授ける最後の機会。
……わたくしは思考を全力で、全速力で回転させます。
数ある疑問、置き去りにされたままの謎。
そんな中から、わたくしが一番聞きたいことを。
わたくしが一番知らなければならないことを。
簡潔に、まとめなければなりません。
思考が回る、回る、回る……。
回る。……魔素の箱庭≪
まわる。……魔物や魔獣が当たり前に存在する≪マホウ≫の世界。
マワル。……創世の八人目。煌めく黄金。龍神の子。
回る。回る。回る。
……ただ一人のための世界……。
「リリラ=リリス……」
「ん?」
「≪
「ただ一人、タチガミ・イチジの為ためだけに創られた箱庭じゃよ」
「ありがとう……ございました」
「にょほほ 」
深々と頭を下げるわたくし。
尻切れた笑い声を聞くまでもなく。
顔をあげても、もうあの意地悪な笑い顔はそこにはないのだと、わかりました。
………
……
…
そうしてリリラ=リリス=リリラルル。
≪八日目のある者≫にして。
≪創世の魔女≫にして。
≪空前の悪女≫と人々に畏敬とともに呼ばれる、黒い幼女が。
音もなく。
光もなく。
派手好きな彼女としてはなんとも静かに舞台から退場していきました。
ドラゴンのように何かを残すというわけでもなく。
最初から最後まで、あの幼女は幻だったのではないかと思うくらい、後腐れのない去り際です。
ですが、リリラ=リリス?
確かにあなたは、ここにいました。
だってそうでしょう。
こんなにも、あなたのニヤニヤ顔が、わたくしの頭から離れてくれないんですもの……。
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