第五章・ここはマホウの世界~ARURU‘s view➁~

 「ちょ、まっ……」

 

 ちょっと待って、の一言もうまく出せず。

 

 改めて言い直すような間もないまま、黒い幼女が描いた、黒い黒い魔術の陣が足元を埋め尽くします。

 

 見たこともない文字列。

 見覚えのない紋様。

 

 そんな未知の術式が刻まれた六枚の環が、それぞれ思い思いに陣の中で不規則に動き回っています。

 

 「また空気の読まない者……いいや、自分に都合の悪い空気になるのを良しとしない者の無粋に割り込まれても面白くないからのぉ。ちょいとここら一帯に神域結界を貼らせてもらった。いわばここは無菌室。世界から隔絶や時間停止までとはいわずとも、独自の理でもって築き上げられたこの空間は、どんな雨だろうが槍だろうが、どのような魔術だろうが魔素だろうが領域を侵すことができない。……だから、安心して励むがよい」

 

 空間の神域化……ですって?

 

 結界魔術と一口に言っても、対象の姿形を見えなくしたり、意識そのものを対象から逸らしてみたりと、効果の範囲も様式も数多くあります。

 

 機密文書を保管した箱や城の宝物庫などの扉などに施される封印術式もその類でありますし、もっと身近に、家の戸締りをすること、畑を害獣に食い荒らされないためにカカシを置くなんてことも、実はある種の結界とも言えます。

 

 ようするに外部と内部との干渉を断ち切るという前提の元に存在するのが結界というものの定義。

 

 それを踏まえれば、このリリラ=リリスが施した空間の一部を神域化……つまりは人の身では絶対に見ることも触れることもできない神様の住まう聖域のごとき場所として作り換えてしまった術は、結界としての極点に位置するような大魔術です。

 

 なにせ、今、この瞬間。

 

 この黒い陣の中にいるわたくしたちは、環の外側からは存在すら認識できない。

 

 いわば、簡易的な異世界の中にいると表現しても過言ではありません。

 

 こんな大掛かりな術にお目にかかれただけでなく、あまつさえその中にとらわれるだなんて……。

 

 魔術研究家としては、なんと光栄なことでしょうか。

 

 まさに垂涎ものの体験。

 

 ……ええ、そうです。

 

 状況が状況でなければいくらでもなんででも垂れ流してやりたいところなのですが……。

 

 今は術式の芸術的に美しい羅列にほれぼれしているような余裕はありません。

 

 ≪魔法≫を……作る??

 

 「……この大魔術の上で、それを越える≪魔法≫を……発動するのではなくて新しく作れ……と?」

 

 「そうじゃよ」

 

 「誰が?」

 

 「お主が」

 

 「いつ?」

 

 「いま」

 

 「どうして?」

 

 「どうしても」

 

 「…………」

 

 「…………」

 

 「…………」

 

 「…………」

 

 「いやいやいやいや!!」

 

 全力で否定するわたくし。

 

 なんなら身振り手振りも交えて訴えたかったところなのですが、塞がっている両手ではそれもかないません。

 それでも空いている首を、せっかく落ち着きかけた傷口がパックリと開くのも構わずブンブンと振り回してリリラ=リリスへと抗議します。 

 

 「むりむりむりむりむり!!!!」

 

 「ダイジョブ、ダイジョブ。アルルならいけるってぇ~」

 

 「クラスメイト的な気軽さで励まされても無理!!」

 

 「あいつケッコー人気あるし、このまま何もしなければ他の誰かに取られて、後悔したまま残りの学園生活を灰色にして過ごすことになっちゃうかもだよ?ほーら、女は度胸、だゾ☆」

 

 「告白を無責任にうながすお節介な親友Aみたいに言われても無ぅ理ぃぃ!!」

 

 「そうそう。主人公の手助けをするばかりで『じゃぁお前、自分の学園生活は何色なの?』とツッコみたくなるくらいにお人好し。むしろお前が主人公やれよっていうデキた友人な」

 

 「いや、そこで盛り上がっている場合じゃないんですの!!」

 

 「そうじゃよ。よく状況を飲み込めているではないか?」

 

 「……くぅっっ……なんでこう、トンデモないことをさらりと……しかも、いちいち後出しで説明するんですの……」

 

 「そっちの方が面白いからに決まっておろう」

 

 「性格悪っ!!」

 

 「にょっほっほ。律儀にツッコんでいてよいのか?ほれほれ、集中しなければ何もかもが台無しじゃぞ?」

 

 「ぐぬぬ……」

 

 ……言われずともわかっていますわよ……まったく。

 

 「キュ……オ……」

 右手の紅。

 

 「…………」

 左手の黄。

 

 キィィィィィィンンンンン……


 どちらも強大な≪魔法≫を内包した球体はもはや起動済み。

 

 たとえここが神域と化そうが、捧げ持った者の力がまだまだ未熟であろうがお構いなし。

 

 わたくしの戸惑いなど我関せずとばかりに、淡々と術の段取りを整えていきます。

 

 「…………」

 

 ええ、確かに≪魔法≫は発動しています。


 

 「…………」

 まず目がいくのはもちろんイチジ様。

 

 左手の黄色≪存在認知リコグニション≫。

 

 『宝玉』の起動時こそ苦し気だったイチジ様のお顔ですが、今はすこぶる穏やかなもの。

 

 目をつむり、言葉を発しない穏やかな様子は、まるで立って眠っているかのようです。

 

 「ふむ……この調子ではもう少し肉体の構築には時間がかかりそうじゃの。……しかし、ここまで拒絶反応が出ないとは……やはり随分『宝玉』と相性が良いみたいじゃの。……ほら……キレイな顔……してるだろ?」

 

 「……ツッコみませんわよ」

 

 「にょっほっほ。今しばらく待つのじゃ。急いたところで片腕がないとかナニがないだとか中途半端な体でコヤツも生きたくはないじゃろうて。……お主だってそうじゃろ?」

 

 「な、ナニって!?……そ、それよりも、い、イチジ様は今どういう状態ですの?一度は完全に消滅してしまったハズですのに」

 

 「にょっほっほ。オボコイのぉ」

 

 「イ・チ・ジ・さ・ま・はっ!?」

 

 「しばらく待てと言ったじゃろ?時が来たら嫌でもわかるようになる……。じゃから先に≪魔法≫を創造する準備。そのためにこちらから進めるぞ」



  ブゥン……ブゥン……ブゥン……


「キュオ……キュオ……」

 

 イチジ様を取り巻く静けさとは違い。

 

 ≪空間誘導ディレクション≫の紅色の輝きを受けてその巨体がブレはじめたドラゴン。

 

 外側からの借り物の力である茨のツタの拘束は結界の発動と同時に解かれましたが、今はその揺れに苦しんでいます。

 

 まるで魂魄、あるいもっと根本的な存在意義みたいなものを≪幻世界とこよ≫から引きはがされていくよう……。

 

 次元の狭間へと誘われるという過程がどういうものなのか?

 

 リリラ=リリス本人が書き記したと思われる魔導書を読み、効果や特性を理解した上で想像くらいはしていました。

 

 「キュ……オ……」

 

 しかし、文字だけではわからない。

 言葉だけでは伝わりきらない。

 

 転移先の次元に適応したものに作り換えて送るのならばまだしも、存在を維持したままで、その存在ごと強制的に別次元に移すということ。

 

 登山では、昇っていくにつれて空気が薄くなる環境に体を慣らすため幾らか時間を置きます。

 

 海底から引き揚げられた深海魚は、気圧の違いによって体が膨張し、最悪破裂してしまうと聞きます。

 

 何百メートルか、普段生活している環境よりも高度や深度が高いか低いかするだけでもそうなのです。

 

 それが次元という、メートル法などでは計り知ることのできない単位での環境変化を起こすのですから、その分の備えは、数日のビバークや、耳抜きなど比になりません。

 

 ≪次元転移コネクション≫は、その備えを十全にするための術。

 

 環境変化の影響を可能な限り緩和するゲート、安全なトンネルを開通するためのものでした。

 

 もちろん時間もかかれば、手間もかかります。

 

 それでいて完全に遮断できるわけではありませんので、さらに相当量の魔力を体にまとわせてゲートをくぐらなければなりません。

 

 しかし、備えは備え。 

 

 どうして同じような次元干渉型の≪魔法≫を二つもリリラ=リリスが作り上げたのか。

 

 目の前の光景を見れば自ずと納得してしまいます。

 

 備えもなければ、予告もない。

 

 丸裸のまま唐突に次元間移動にさらされるその苦しみは一体どれだけのものでしょう。

 

 大空を支配した強靭な肉体と圧倒的な魔力量をほこるドラゴンの適応力を持ってしてもそれは耐えがたいらしく、抵抗することもできずに弱々しく喘ぐばかり。

 

 こう実際に目の当たりにしてみると、その残酷さに思わず眉をひそめてしまいます。

 

 「…………」

 

 「見るにたえんか、小娘?」

 

 「……おぞましいものですのね……≪魔法≫というものは……」

 

 「忘れるなよ、そのおぞましさを」

 

 「…………」

 

 「強大な力はその在りよう一つで何かを壊してしまいかねん。有機物でも無機物でも形があるものはもちろんじゃが、心や精神、秩序や倫理などの目には見えないものですら、≪魔法≫では手が届く。それがどれだけ恐ろしくて醜悪なものであるのかを理解し、煩悶し、躊躇えるお主には、十分に≪魔法≫を唱える資格がある」

 

 「資格……わたくしが?」

 

 「じゃというのに、恐れも抱かなければ敬意もはらわない。負うべき責任をまったくもって無視して闇雲に術法だけを我がものとせん不敬者がおる。……それが、このザマじゃよ」

 

 そうリリラ=リリスが顎でしゃくった場所には……もちろん。

 

 「ギュ……ギュギュ……」

 

 「ドラゴン?ですの?」

 

 「うむ」

 

 「これが≪魔法≫による産物?」

 

 「正確には≪魔法≫を得ようとする大まかな、本当にそれを頂点とした過程で生じた副産物、じゃな」

 

 「副産物……そんな、おまけでこの伝説が復活したというですの?」

 

 「伝説……か……」

 

 なおも≪空間誘導ディレクション≫の影響によって苦し気にうめくドラゴンを見るリリラ=リリス。

 

 その幼女の体よりも何回りも大きな魔獣を、彼女は静かな瞳で見つめます。

 

 「本物のドラゴン……お主の言う伝説はな、こんなしけたサイズではないぞ」

 

 「え?」

 

 「色も違ければ、抱える魔力量だって比にならん。ここにもし本来のドラゴンがあらわれたのなら、今の我ごとき力では傷どころか抑えるのでさえ無理じゃったろう」

 

 「そん……な……」

 

 「キュオオ……」

 

 ただそこにいるだけでわたくしを圧倒せしめたドラゴン。

 

 イチジ様に足蹴にされたり、リリラ=リリスが振り回したり。

 

 確かに、伝承にあるような覇王としてはいいようにあしらわれてはいました。

 

 それでも、ドラゴンはドラゴン。

 

 リリラ=リリスによって守られたからいいものの、あの≪破戒光線≫の威力や、佇まいの神々しさは、まさしく伝説の魔獣。

 

 時代を越えて覇王が降臨したのだと……そう疑ってはいなかったというのに。

 

 ……これがおまけ? 

 

 「まぁ、牙だか爪だか一本分の触媒ではこの程度がせいぜい。量産する兵器としてはよくデキている方ではあるが、ドラゴンとして考えるのならばデキは劣悪極まりない」

 

 「量産兵器?」

 

 「さしずめ、このある特定の魔素が十分に満ちた今宵のこの街で実用実験を行った……というところじゃな」

 

 「魔素……実験……今夜……ドナ……あっ!?」

 

 天啓のようなものを受け、わたくしは思わず声を上げてしまいます。

 

 乱雑に散らばり、各々に別途の思惑と意味があった様々な疑問点が、一本の線で繋がったような感覚。

 

 「察しがついたか?」

 

 「そうです……魔獣や魔素の兵器利用……。疑似魔人化実験、無数のサラマンドラ、あっさりと陥落したギルド会館……そして……≪龍遺物ドラゴノーツ≫……。そうです……そういうことだったんですのね……」

 

 「なにを一人で納得しておる。さぁさぁ、何も知らないリリーたんにもわかり易く教えてくれんか?」

 

 ジョルソンという医師兼研究者。

 

 彼が長年研究していたのは魔力ではなく魔素そのものを武器として利用すること、もしくは本人が身を持って行ったように体の組織を魔物のそれに作り換える魔人化。

 

 結局、元いた施設では完成させることはできませんでしたが、彼はそこから成果のあらかたを持ち出して脱走し、このラ・ウールのはずれにある小さな街・ドナで独自に細々と研究を続けました。

 

 街の人々を騙し、戯れにめとった妻を騙し、一人孤独に、密やかに繰り返される実験。

 

 その成果がようやく形あるものとして実を結んだのはそれからまた幾数年。

 

 サラマンドラというドラゴンの血統を持つ魔獣の命……伝説の遺伝子を魔素の結晶として安定させることに成功します。

 

 タイミング的には、おそらくそんな人知れない喜びに打ち震えていた頃合いだったのでしょう。

 

 隠れ潜むために情報収集が日課であったジョルソン氏の耳に、とある噂が入ります。

 

 ―― ギルド会館にとんでもないお宝が運び込まれる ――


 どことなく気になったその情報をより精査していった結果、彼はあまりの偶然に驚き、そしてそんな偶然を運命だと思って歓喜したかもしれません。

 

 ギルド会館に運び込まれる予定の代物が、自らの研究の終着点である伝説の魔獣・ドラゴンの体の一部≪龍遺物ドラゴノーツ≫であったことに。

 

 既に命の魔素を結晶化することには成功していました。

 

 ≪龍遺物ドラゴノーツ≫から取り出した魔素ですら、自分の技術をもってすれば実用レベルの武器におとしこめる……ジョルソン氏は疑ってもいなかったでしょう。

 

 苦渋を飲み続け、研究のためだけに生きてきた人です。

 

 当初の目的だった軍事流用や研究の完成などもはやどうでもよく、ただただ、その成果を見せつけ、自分を排斥し、馬鹿にしてきた天才たちの驚く顔が見たかったのかもしれません。

 

 彼は積み荷を強奪する決断をします。

 

 それこそ研究の副産物と言ってはいましたが、自由に操れるようになったサラマンドラ、百体を率いて……。

 

 「……街を破壊して回ったのは、本当についでだったんですわね。今の今まで信じられませんでしたが」

 

 「研究者というのは、えてしてそういう生き物じゃろ。自分の目的のためには周りのことなど目もくれない」

 

 「自分のことを棚上げにしておいてよく言いますわね……」

 

 「ん?我、なんかしたかの?」

 

 「はぁ……」

 

 一日千秋の思いで待ち続けた日がようやくやってきて、ジョルソン氏は躊躇いなくギルド会館を襲撃します。

 

 研究畑の人間だったとはいえ、それなりに教練過程を受けてきた頭で立案した作戦はスマートに、効率よく遂行されます。

 

 ええ、それはそれは筋書き通りに。

 

 あまりの順調さに、多少なりとも修羅場をくぐり抜けてきた人間であるならば、そこを訝しんだりするものですが、ジョルソン氏は自身の病院の二階で無力な住人を演じながら、内心でホクホクと浮かれていたに違いありません。

 

 自分の手の平の上で踊るようにことが進んでいく、その全能感に酔って。

 

 誰かの、もっと大きな手の平の上で、自分が転がされているのだと思いもせずに。


 

 ドンドンドン……。


 あの時。


 ドンドンドン……。


 どこかの旅の少女が隠れていた病室のドアを叩いた時に、自分がもう、役割を終えて舞台から降りなければならない端役だったことに気が付きもせずに……。

 

 「……疑問には思っていたのです。あまりにも簡単にギルド会館が堕とされたことは」

 

 「そうじゃの。何せ極秘裏の積み荷じゃ。いくら大々的に護衛を付けるわけにはいかずとも、それなりの手練れを複数人配置することぐらいはできたじゃろうて」

 

 「いえ、そこももちろんそうなのですが、極秘裏の積み荷……それにしてはその情報、殆ど秘密の体をなしていませんでした。最初はギルドに属する傭兵から聞いたといいますが、正直、こんな辺境のギルド。立場が一番上の人間でも組織全体の地位としてはあまり高くないような気がします」

 

 「そんな閑職の立場まで正確な情報は回ってこないと?」

 

 「ええ、そう思います。仮にその支部長ないし支部の上層部にキチンと情報が伝えられていたとしても単なる街医者、それも人々の前では人畜無害の善人を演じていたジョルソン氏です。そんな機密事項を易々と探り当てるツテがあったとは考えにくいのですわ」

 

 「わからんぞ。医者という立場だからこそ、ある日、支部長の愛娘が原因不明の病を突如として患ったがその命を医者が救い、そこから友好を深めていった……なんてパターンもない話ではないぞ?」

 

 「……もちろん、大いにあるでしょう。愛娘を襲った病についてジョルソンさんのマッチポンプ感がはなはだしいところまで含めて。……しかし、どちらにしてもです。積み荷が、よりにもよって彼の研究に類する≪龍遺物ドラゴノーツ≫であったこと、そして正確に、疑いようもなく確信を持って荷が≪龍遺物ドラゴノーツ≫であると信じていたことから推察するに、やはりその情報はあえて彼の耳に入るように仕組まれていたとというのは間違いありませんわ」

 

 「陰謀説か。この思春期め」

 

 「なんとでも。……ですが、その陰謀をたくらんだ黒幕……想像通りでしたらちょっと笑えませんわね……」

 

 どうしようもない男でしたが、ジョルソン氏を研究者として見えればあれほど純粋でひたむきな人もいませんでした。

 

 戦いの最中にも同族だの似た者だのと言われて嫌悪感を抱くと同時に妙に共感してしまう自分も確かにいました。

 

 ただ彼は己の研究をずっとしていたかった。

 ただ知識欲を満たせればそれよかった。

 

 周りの人よりも少しばかり頭がよくてプライドが高かっただけの田舎の神童。

 

 他の多くの神童たちに埋もれて挫折をし、心を歪めてしまったのはひとえに彼の弱さが招いた結果ではありますが。

 

 その弱さに漬け込み。

 その結果を利用し。

 

 脱走後に所在を掴みつつもあえて泳がせ、人知れず監視の目を向けていたものがあるとすれば……。

 

 これ以上ないくらい、人間というものの尊厳を踏みにじった畜生です。

 

 「≪龍遺物ドラゴノーツ≫を取り込んだジョルソンさんは疑似魔人化……ドラゴニュートとなってわたくしと戦い、そしてわたくしが勝ちました」

 

 「うむ、見事な脳筋バトルじゃった」

 

 「……こほん……。そして、わたくしが目を切ったところで」

 

 「この紛い物があらわれた、と」

 

 「その仕組みもようやく納得しました。……サラマンドラの魔素ですわね?」

 

 「ヤツが指に嵌めていた四つの指輪。そこらに転がる総勢百頭近くの新鮮な魔素。そしてドラゴンの牙とそれらを組み合わせることができる今のところ唯一無二の技術。そうしてあら不思議。なんちゃってドラゴンの完成じゃ」

 

 「……それこそが今宵の悲劇の元凶の元凶。黒幕のねらい……」  

 

 「じゃな。あのエセ医者。存外に優秀でな。周りからの待遇と評価が正当だったかはともかく、研究の成果は買われていたのではないかのぉ。少しばかり行動を共にしたから情がうつったから言うわけではないが」

 

 「……なるほど。≪存在認知リコグニション≫の『宝玉』。ジョルソンさんが所有して山賊に奪われた物とはそれでしたのね」

 

 「いかにも。『宝玉』の力までは把握しておらんかったようじゃが、何かの役に立つとは思ったんじゃろうな。つい最近、流れ流れてアノ者の手にわたっておった」

 

 「それすらも何某かの思惑が働いていそうと思うのは、やはり思春期病でしょうか?」

 

 「仕方があるまい。このリリラ=リリス=リリラルルをもってしても、すべてを把握しきれている自信はない。……まぁ、疑いはじめればキリがないからこそ陰謀説というものは揶揄の対象となるわけじゃが」

 

 「ですわね。さすがにわたくしや……おそらくはイチジ様が百頭近くのサラマンドラを倒すこと、あなたがこうやってしょうもない登場の仕方で現界したことまで計算づくであったならなんて思いたくもないですわ」

 

 「……しょうもないあの登場こそ、黒幕が仕組んだ最大の布石じゃ。いやぁ~まったくもって外道じゃな、そやつらは本当に。人間のすることとは思えないのじゃ。うん」

 

 ……幼女のしょうもない見栄はともかく。

 

 そうして線を繋ぐことで導き出された一つの答え。

 

 そんな街や人や魔獣。

 尊厳や人権。

 誰かの夢いたいなものや虚栄心さえ利用した大掛かりな実験を行うその所業。

 

 鬼畜にして外道。

 外道にして人間としての理を無視した最大の悪。

 

 それがまさか……。

 

 この大陸全土を治める、わたくしたちの先導者にして指導者。

 

 概念としての今代の覇王。

 

 「……ラクロナ帝国でしたか。……そこまで落ちているとは……」


 「いや、ホントじゃよ?あれ、我のセンスとかでは決してないんじゃよ?」


 「どさくさに紛れて人様に自分の非センスをなすりつけないでくださいまし」


 「ラクロナ……許すまじっ!!」


 「相変わらず揺るぎないですわ……」


 「しかし、ラクロナか……。そうじゃったな。今はいっちょこまえに『帝国』を名乗っているんじゃったのぉ」


 「??その言い草……ラクロナは世界創世のあと散り散りになった≪創世の七人≫がその前に力を合わせて作り上げた国であり、≪幻世界とこよ≫の魔素の故郷。世界の中心なのではないんですの?」


 「ふん、なぁ~にが世界の中心じゃ。あんなミソッカスのボンクラが統治した小国」


 「ミソッカスて……」


 「我らがそれぞれに散ったのは事実じゃ。世界を創ったはいいが、それはまだまだ未開の原始の地。ある程度文明らしい文明の軌道がのるまで我らが手助けをしなければとな。……ラクロナは確かにその手始め、我ら全員の手が加わったプロトタイプにして、そこそこ完成された国じゃ。あとは住人たちに任せておけばそれで良かったものの……あんのボンクラ。一人で開拓するのが不安だとか言ってそのまま残りよったんじゃ。もはや手を加える必要のない、安定した国で神のごとき扱いをうけながらな」


 「……ああ、まさかあの歴史の本で一番章をさくあの大英雄が……。あんまり聞きたくはなかった楽屋裏……」


 「歴史なんて所詮は誰かの手による創作物の一つじゃよ。書き方によっては大英雄にも大悪女にでもなろうて」


 「え?まさか≪空前の悪女≫の数ある悪辣なエピソードも実は……」


 「我……あやつのことイジメとったからなぁ……」


 「はい、多分、すべて真実ですわね」



 「キュ……」

 

 「む?」

 

 「キュオオォォォォォォンンンン!!」

 

 それは悲鳴。

 それは悲痛。

 

 あまりにも痛々し気な鳴き声が、神域と化した空間に轟きます。

 

 「こちらの準備は整ったようじゃな」

 

 その聞く者の心をもつんざくような咆哮こそ合図だと言わんばかりに。

 

 リリラ=リリスは呟きます。

 

 「……思えば、このドラゴンに罪はないのですわね」

 

 「罪か……いや、コヤツもまたちゃんと深い業を背負っておるよ」

 

 「帝国に利用されるために無理矢理生み出されただけですのよ?」

 

 「やはり若いのぉ、小娘。そして高潔じゃ」

 

 「リリラ=リリス?」

 

 「意志はどうであれ、コヤツはドラゴンという神にも等しく尊ぶべきものを真似たもの。どこかの誰かの、醜い欲望の具現化。放っておいてもまだ街に濃密にたちこめている魔素を吸収して全快するじゃろうし、ここの魔素を吸い尽くせばその翼を広げて、近隣の街を焼き払うじゃろう」

 

 「街……を?」

 

 「……そうじゃ、こうしている今も進化を続けておるんじゃよ。もはやサラマンドラの魔素だけではなく、万物あまたの魔素を取り込めるように体を自ら作り換えておる。言ってみれば不死性の獲得じゃ。そうして新たなる魔素を求めて各地を放浪、コヤツが通り過ぎた場所の魔素は全て食らいつくされるじゃろう」

 

 「ですが……」

 

 「よいか、小娘」

 

 諭すように、リリラ=リリスは言います。

 

 「この世にはな……存在するだけで罪となる者、というのが必ずいるんじゃよ。まだ若い、お主にはわからんじゃろうし、変にわかろうとせんでもよいがな」


 「……わかりました……」

 

 「わからんでもいいと言っておろうが」

 

 「意地悪ではなく、仄めかしでもなく。あなたが、わたくしを本心から想って言ってくれているのだわかりましたわ」

 

 「我、≪空前の悪女≫じゃぞ?」

 

 「承知しています。ですが、あれはイジメられっ子の可愛い復讐なのでしょ?」

 

 「にょっほっほ。言いよる」

 

 そのイジメっ子気質の幼女の軽やかな笑い声に、わたくしの心が少しだけ楽になりました。

 

 「キュオオオオンン!!キュオオオオンンン!!」

 

 人生のうちで魔獣や魔物を無数殺めてきたわたくしです。

 今更、聖人ぶって不殺を掲げるつもりはありません。

 

 その咎は受けましょう。

 その業を背負いましょう。

 

 どれだけ全知全能の魔女に諭されても。

 どれだけあなたが、これから多くの命を奪う可能性を秘めていても。

 

 やはり、わたくしにはあなたに罪はないのだと思います。

 

 存在するだけで罪だなんて……そんなの悲し過ぎます。

 

 ……ですから、これはわたくしの罪。

 

 あなたを生み出した醜悪な人間の欲望を挫くため。

 

 立ち止まらず前に進むため。

 

 あなたの命を背負ったまま、わたくしは罪深く生きていきましょう。

 

 「…………」

 

 左手に持った紅の『宝玉』、そして唇ををわたくしはグッと握り込みます。


 『……れ、己が身の正しさを疑わぬ者よ……』


  不思議と≪空間誘導ディレクション≫の……いいえ、正しく『宝玉』の使い方がわたくしにはわかりました。

 

 『……れ、己が身の誤りを疑う者よ……』

 

 魔力を注ぎ込んだ時点からわたくしたちの間に目に目得ないパスのようなものが繋り、そこを通して、『宝玉』自体がわたくしを導いてくれます。

 

 『……れ、幾千の朝、幾万の昼、幾億の夜を越えてなおまつろわぬ愚者よ……』


 

 ゴーン、ゴーン、ゴーン……

 

 

 ああ、またこの鐘の音。

 

 

 『……れ、幾千の声、幾万の音、幾億の詠を越えてなおかえりみぬ愚者よ……』


 

 ゴーン、ゴーン、ゴーン……


 

 いつでも荘厳で、さもさも意味深に鳴り響く鐘の音。



 『……幽世に揺らめく煉獄の炎を……悠久にはためく永久とこしえの旗を……」



 『……水晶の瓦礫を踏みしめて……紅玉の破片を噛みしめて……』



  ゴーン、ゴーン、ゴーン……



  『……仰ぎ見ては懸想しろ……安寧の明日を夢想しろ……』


 

 「キュオオォォォォォォンンンン!!キュオオォォォォォォンンンン!!」



 

  ……ごめんなさい。

 

 


  『……≪空間誘導ディレクション≫……』



  パリン……


 

  『……≪発動ボム≫……』



  「キュオオオオオオオ       」


 

 シュウィィィィィィィィィィィンンンンンン!!!!

 

 ………

 ……

 …



 『宝玉』が弾け、わたくしが最後の詠唱を終えた時。

 紅色に世界が染まり、その紅が引いた時。


 造られた伝説の紛い物の姿はなく。

 

 そこにはくすんだ乳白色の物体だけが残されました。


 それはまるで。


 どんな汚らしいものが親だったはいえ。


 確かに自分は生きていたのだという証しをドラゴンが残していったかのようでした。


  


 

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