第五章・ここはマホウの世界~ARURU‘s view①~
キラキラキラ……
それは『金』。
キラキラキラ……
優雅でもなければ、豪奢でも絢爛でもなく。
目を見張るような華やかさもなければ、栄華や威光などの押し出しの強さもない。
どこまでも柔らかく、どこまでもたおやかな金。
キラキラキラ……
右から見ても左から見ても。
前から見ても上から見ても。
雨に打たれても。
夜の帳に覆われても。
己を失わないだけの確かな存在感を見せる。
どこまでも美しく、どこまでも清廉な輝き。
まるで、粉雪のように。
まるで、天からの賜りものように。
雨にも夜にも何にもはばかることなく。
一柱の筋となっていずこから突如として降り注ぐ金色の光。
キラキラキラ……
そんな金色から静々とわたくしへと流れ込んでくる、誰かの意思。
あるいは思念。
もしくは記憶。
たとえば記録……。
いいえ、いいえ。
大層な言い回しは必要ありません。
大仰な言葉はいりません。
それはもっと剥き出しで、人として最も純粋な形での想い。
誰かの心が、わたくしの中に流れ込んできます。
キラキラキラ……
……こんなにも美しいのに。
……こんなにも揺るがないのに。
どうして、あなたはそんなにも悲しげなのでしょう?
どうして、あなたはそんなにも儚げなのでしょう?
こんなにも美しいというのに。
こんなにも確かな輝きがあるというのに。
あなたは、そんな自分のことをどうして醜いと思うのでしょう?
あなたは、そんな自分のことをどうして認めてあげられないのでしょう?
……どうして。
……どうして。
あなたは、そんなにも自分のことが嫌いなのでしょう?
キラキラキラ……
……ねぇ。
……ねぇ。
……答えてください。
……応えてくださいまし……。
……ねぇ……。
「……イチジ様……」
降りしきる金色に魅せられている間。
流れ込んでくる心を見せつけられている間。
そのわたくしの意識の隙間をつくように。
気が付いた時には、目の前に見覚えのある背中がありました。
「…………」
わたくしよりも頭一つ分以上高い身長。
見るからに硬そうな、短くてツンツンとした黒髪。
衣服を盛り上げる、決して隆々ではなくともみっしりと中身の詰まった筋肉。
老木のように朴訥としていて、そのくせ若木のような無垢さも併せ持つチグハグな佇まい。
大きな背中。愛しい背中。
大きな手の平。優しい手の平。
守られたくて、守られた。
守りたくて、守り切れなかった。
そんな二度とは会えない……そう諦めてしまった殿方が、わたくしの目の前に立っていました。
「……わたくしは何をすればいいんですの、リリラ=リリス?」
「工程はたった三つじゃ」
どうして消滅したはずのイチジ様の肉体が再びここにあらわれたのか?
今もなおチロチロと、激しくはなくとも、小川のせせらぎのように流れ込んでくるこの想いは何なのか?
一体、何が起こっているのか?
この何もかもは何なのか?
疑問に疑問を重ねて謎をふりかけた後に蒸して焼いてコトコトと煮込んだような、疑問の塊が目前に盛りつけられています。
ですが、それにナイフをいれるのはとりあえず後回し。
どうやらその前に、やらなければならないことがあるようです。
そんなわたくしの察しの良さに、リリラ=リリスも得意の戯言を挟まず、端的に要点を述べてくれます。
「肉体を安定させ、魂を固定し、そしてコヤツに何としても生きたいという意志をもたせることじゃ」
「……簡単そうに言ってくれやがりますわね。……特に三つ目」
「にょっほっほ。なに、お主なら造作もない」
「……サポート、お願いしますわ」
「言わずもがなじゃ。我はがわざわざ窮屈な檻の中からあれこれとお膳立てをして条件を整えてやったのは、ひとえにこの瞬間のためだけじゃからな」
「……檻?」
「お主の腰に下げた袋。そこに手を入れるのじゃ」
またしても謎めいたリリラ=リリスの発言は置いておき、わたくしは言われるまま腰に巻いたポシェットの中をまさぐります。
「……これって……」
ゴソゴソと掻きまわす手に触れたものの感触に、わたくしは眉をひそめます。
魔道具に戦力の大部分を依存しているわたくしですから、持ち歩く道具の種類や数の把握には確かな自信がありました。
ですので手探りとはいえ、そこに少しでも違和感があれば敏感に察知することができます。
あるべきものが無いだとか。
もしくは、無かったものがあっただとか……。
この場合は後者。
その違和感ごとポシェットの中から取り出したものは、そこに入れた覚えが微塵もない。
しかし、入れたであろう犯人の心当たりと見覚えだけは嫌になるくらいにある、紅色と黄色に光る二つの球体でした。
「……いつの間にわたくしの『多次元ポシェット』の中に紛れ込ませていたんですの……」
「……こんな時になんじゃが、ギリギリアウトなネーミングじゃな」
「それで?この球体、あなたは『宝玉』と言っていましたか?これをどうすれば?」
「まずはそれぞれの『宝玉』に付与魔術の要領で魔力を流せ。それほどの量はいらん。お主の余力でも十分にまかなえる」
「わかりました」
右手に紅色を。
左手に黄色を。
それぞれ握り込み、集中します。
枯渇しそうな魔力炉から、血管にそうように張られた魔力路を経由し、球体へと魔力が送られます。
キィィィィィィンンンンン……
確かに、武器に付与したり、魔術を発動する時ほど魔力を奪われる手ごたえもなく、すぐに両手に持った球体がそれぞれの色をもって、それぞれに輝きはじめます。
ええ、本当に手ごたえがありません。
これから何か……わたくし史上、最も困難な魔術的な儀式を執り行うであろう前準備にしては。
「拍子抜けか?」
顔に出ていたのでしょうか、目を開くと、リリラ=リリスがニマニマと厭らしく笑っている顔とかち合います。
「系統としてはお主お得意の魔道具の類に分類されるじゃろうかのぉ。しかし、一つ一つが複雑怪奇な術式を何重にも何十にも編み、その素材となった魔石も今代ではまずお目にかかれないほど稀少にして貴重なものなんじゃ。そこいらの量販品とは比べるべくもない」
「別に馬鹿になどしていませんわ。……というかむしろ……こちらの方が小馬鹿にされているような気がするのは気のせいですの?」
「にょっほっほ。言い得て妙、というやつじゃな。なにせ、それ自体が一つの≪魔法≫。起動するキーとして外側から魔力を送る必要はあるが、一度目覚めたのなら人間ごとき、あとは黙って見ておれとでも言っているのかもしれんのぉ」
魔術の正統なる上位互換≪魔法≫。
事象や現象を顕現させる魔術では決して越えることのできない法則や原則、倫理なんかを軽やかに食い破る、まさに魔の法にして邪法。
わたくしが……まぁ、色々と大幅に予定は狂わされたものの、発動自体は成功させた≪
苦節ン年。かかった費用ンンン……。
年頃の少女としてぼうに振った青春にいたっては数値や値段に置き換えられないほどの犠牲といってもいいでしょう。
それほどまでに苦労して成し遂げた≪魔法≫です。
その開発者がにょほにょほと笑っている前で、こんな少ない魔力消費で、こんな小さな球体の形で、今わたくしの両の手に乗ってることが、なんとなく切ないですの……。
「……わたくしの青春……」
「何を言う。その青春を取り戻すために、今こうしてお主はここにいるんじゃろう?」
「……ええ、もちろんですわ」
「では、その右手の紅≪
紅の魔法≪
字面的にはテレポートやアポ―ツなどの物理的な移動魔術のようですが、それとは似て非なるもの。
なにせ物理ではないのです。
粒子や分子に体を分解して云々かんぬんではなく、対象をありのまま。
そのままの体組織を一切壊さず、空間を越えて飛ばしてしまうもの。
しかも空間とはいいますが、実のところ次元と次元の狭間、たとえるならば永遠の虚無にまで有無も言わせず誘なうものです。
次元を舞台とすることに関しては≪
そして黄の魔法≪≪
わたくしが次元を渡る術と並行して研究していたものの一つ。
『何か』の存在を世界に認めさせる……効果としてはそれだけですが、その『何か』の効果範囲は控えめに言って無限。
たとえばなんてことない、そこらで舞い散る木の葉を貨幣として認めさせれば、それが世界の常識となり、現存する金貨や紙幣はただの綺麗な円形の金属と紙切れになり下がります。
ええ、幻惑で人の認識を誤認させたり、タヌキやキツネが木の葉を貨幣に化かしたわけではありません。
それが万国共通、万人共通の常識、当たり前の理になるのです。
二千年も前に生きた人間を現代に顕現させたり。
まったく違う世界の住人をこちらの住人として認めさせたり。
言ってみれば、さきほど話題に上った世界の修正力の干渉を退けるための裏技みたいなものでしょうか。
世界に真っ向から喧嘩を売るのですから、あるいは≪魔法≫の中でも一番にロックなものかもしれません。
世界さえ騙してしまうようなとんでもないスケールの中、術者だけがその常識が挿げ替えられたことを知覚でき、理屈だけならいかようにも世界を好きなようにいじくりまわせる絶対的な力。
絶対的すぎるがゆえ、その術式の繊細さにしても消費する魔力量にしてもケタ違い。
そして術者のリターンを遥かに上回るほどのリスクにしても、やはりロックに跳びぬけています。
「……そんな爆弾、あっさりと持たせないでくださいまし……」
「にょっほっほ。臆したか、小娘?」
「ええ、なにせ二千年にわたってその悪名を轟かせるどっかのロリっ子と違って、こちらはどこにでもいる普通の小娘なものですから」
「どこにでもいる普通の小娘がただ魔力を送り込んだだけでこの『宝玉』が起動するわけがなかろう?」
「……わかっていますわ……」
ええ、わかっています。
わたくしは所詮、どこにでもいる普通の女の子になりたいと願う者。
この白銀の髪と瞳。
血液と魂と、他のもっともっと深いところに刻まれたものがそれを許してはくれません。
威力はともかく、属性や系統にとらわれることなくあらゆる魔術を操ることができたり。
≪魔法≫の詰まった塊をいともたやすく輝かせたり。
魔女のことは言えません。
自分も十分に人外の域にいるのだということぐらい、理解していますの。
「……≪
そう、改めて自分のするべきことを口にしながら、わたくしは紅・黄、それぞれの球体をそれぞれに捧げ持ちます。
対象の座標固定。
右手はドラゴン。
左手はイチジ様。
カチリ……と実際に音が鳴ったわけではありませんが、両手を通して意識を『宝玉』と一体化したわたくしに、カッチリと術がはまった感覚が走ります。
……≪魔法≫の発動です。
「うむ、そう単純なものではないんじゃよ」
「え?」
もう後戻りができない、そんなタイミングで、リリラ=リリスはこともなげに言います。
言ってくれます。
言ってくれやがります、この性悪。
「それならば、わざわざ我が手助けをせんでもよかったじゃろう」
「どういう……」
「キュ、キュオォォォォォォンンンンン!!!」
「っっっぐ……がぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」
わたくしが反射的にリリラ=リリスの方へと振り向こうとした時です。
苦悶にみちた甲高い鳴き声。
痛々し気に上ずった低い声。
二つの慟哭が、わたくしの首を正面へと引き戻します。
「い、イチジ様!?」
「お主はな、既存の≪魔法≫の行使などではなく……」
トン……
閉じた傘を地面に突き立て。
ブゥゥゥゥンンン……
その傘が地面へとそのまま吸い込まれていき……。
ドゥルルルルルルルルルルルル!!
そうして生まれ出でた、大きな大きな。
銀の少女と黒い幼女。
苦悶する覇王と打ち震える異邦人。
そのすべての足元を埋め尽くす大きくて幾何学的な文様を描く漆黒の陣の上から。
「新たなる≪魔法≫を創造するんじゃよ」
リリラ=リリス=リリラルル。
全知全能と自らうそぶく大魔女が、そう告げます。
さも当たり前のように。
さもさも、そうすることが遠い昔。
わたくしが生まれる、遥か昔から決まっていたかのように……。
徹頭徹尾の軽い調子で、そう、告げるのです。
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