第四章・雨色に染まる異世界生活~ARURU‘s view⑤~
その幕間。
時間にして十分ほどだったかと思うのですが、ハッキリとは断言できません。
なにせ、肝心の時間そのものが停止していたのです。
いくら≪マホウの世界≫だとはいっても、こんなとんでもな体験、そうそう出来るものではありません。
困惑にはじまり、戸惑いで終わる……。
終始、冷静さを欠いていたわたくしの感覚なんて当てにできないことこの上ないですわ。
ドクン……
「……っう……」
わたくしたちを置き去りにした世界が正常さを取り戻したのか。
それともわたくしたちの方が世界を置き去って異常であったのか……。
どちらにしても、再び世界の針が動き始めた時。
空気感の違いや、改めて体に当たる雨粒の感触よりもまず先に押し寄せてきたのは酩酊感でした。
晴天から落ちてきた雷よりも唐突に。
地べたから吹き上がってきた間欠泉よりも突然に。
前兆らしい前兆もないまま、瞬く間にわたくしをとらえていく頭痛と吐き気。
症状としてはさほど深刻なものではありませんが、あまりの脈絡のなさに、体が驚いているといった趣の方が強いでしょうか。
パニック状態になった三半規管はとりあえず、わたくしをはしたなくもえづかせ、またしても膝を地面に付けさせてしまいました。
「『揺り戻し』というやつじゃな」
すぐ横でそう話す幼女は、ケロリと平気な顔をしています。
ホントにこの魔女ときたらどんな時でも余裕ですわよね……。
いつの間にやら全身のゴシックなロリータファッションに似合う、フリルのあしらわれた可愛らしい黒い傘を広げてちゃっかり自分だけ雨を避けてやがりますし。
「うますぎるマッサージを受けた後のむしろ揉まれる前よりもヒドイんじゃね?という筋肉の張りや、お高い皇帝液を飲んで二徹を敢行した後にやってくるあの絶望的なまでの虚脱感と原理としては同じじゃよ」
「で、ですが世界の方の時間が止まっていたのですわよね?」
「その通りじゃ」
「なら『揺り戻し』があるにしても、普通そちらの側にくるんじゃありませんの?」
「うん、もちろんきとるよ。今まさに」
クルクルと傘を回しながら、こともなげにリリラ=リリスは言ってくれます。
「目に見えて地揺れや異常気象でも起きると思ったか?いやいや、そんな単純なものであるわけがなかろう。時間……もっと正確に言えば時空そのものが停止していたんじゃ。その存在の規模からすればノミの心臓の中に開いた毛穴に詰まった皮脂汚れくらいの小さなものではあるが、穴は穴。時空には確かに空白ができておる。それを世界きゅんは持ち前の……あ~修正力?みたいなものでせこせこと一生懸命にどうにかしている真っ最中じゃよ」
いちいち例えが≪
修正力……それって≪
「たぶん、世界きゅんはその停止していた時間を取り戻すのではなく、なかったことにしようという結論を出したんじゃろうな。この数分間は元から存在しなかったのが本来のあるべき形……それこそが正常だという定義でな。じゃから、同じように時間停止していた者たちにはなんら影響はない。その物語は語られない。……ほれ」
そうリリラ=リリスが小さな顎をしゃくって示す方にわたくしは目を向けます。
そこには、時間が停止する前と寸分変わらない、ピンと伸ばした背中をこちたに迎えたままのイチジ様と、横たわったドラゴンの亡骸がありました。
「なにせ正常の世界に従順に従った者たちじゃ。新たな正常の定義が『数分の空白があった』であるならば、同じく空白の時間を抱えるやつらはおしなべて正常。正す必要などはじめからない」
「……ということは……その空白を持たないわたくしたちは……」
「正常からは限りなく逸脱した異常。異分子以外の何者でもないのぉ」
「……異分子……」
「はたらいている細胞に駆除される側ということじゃ」
「だから、ちょいちょい≪
「割とあの白い主人公、タイプなんじゃよね。クールだけど優しくて」
「聞いてませんわ!ガールズトーク諦めてなかったんですの!?」
世界をあるべき形に正そうとする力……。
ミクロな世界観の話はともかく。
時間移動系の物語の中で、価値観の違いや歴史上の大事件に巻き込まれるなどして、その度困難を乗り切って行く主人公ですが。
なんやかんやで結局その修正力は、ところどころで彼らの邪魔をしたりヒロインとの恋を引き裂こうとしてみたり、悪の親玉みたいな立ち位置で扱われることが多いような気がします。
ただ、その物語の場合でも、今この場合でも。
世界にとってはただ当然の権利を行使しているだけ。
悪でも正義でもなく、ただ粛々と己が有した機能を発揮し、義務をこなしているだけなのでしょう。
その絶対的な中立性ゆえに強く。
その公正性ゆえにほとほと厄介。
融通の利かなさでいえば、操られたサラマンドラの何倍も頑なです。
「そんなわけで我はもちろんじゃが、寂しさを紛らわすのに道連れにしたお主にも修正力は働きかけておるのじゃ」
「……やっぱり単なる巻き添えでしたのね」
「船酔いみたいなその感覚は、お主の中で刻々とあの数分が空白として書き換えられていることによる副作用みたいなものじゃ。別に悪意があるわけでも大きな改変をしているわけではないから安心せい。しばらくすればお主の中からあの数分は永遠に削除され、晴れて世界に招き入れられることになる。我と楽しく語らった記憶はそのままに、時間だけが消滅する……そのパラドックスに不快感を覚えるほど繊細でも潔癖でもあるまい?」
「あんに図太いと?……まぁ……そうですわね、それくらいならば別に……」
どうせならこの出会いごと削除してくれればとは思いますが。
「……それでも……我らと同じように、世界の理からはずれてしまった者もいないこともない」
「この街にですの?」
「いや、相手は世界だと言っておるじゃろ。世界とはつまり≪
「え?それほど大事になってますの?玉からロリババアが滑り気味に出てきただけですのよ?」
「……お主、それで自分が図太くないとでも言うつもりなのか?」
「……では、世界中でわたくしたちのように時間が停止しなかった方が?」
「いると考えるのが妥当じゃろうな。数の多少はともかくとして、少なくとも我らだけだと断言できるような論拠は一つもない。こういうのは、ようは耐性の問題じゃから。あ、魔術耐性のことではないぞ?こういった摩訶不思議も柔軟に受け入れられる度量を持った者、ある程度こういった事態が起こりうると備えていた者、そして何度も同じような体験を繰り返してきて免疫ができている者。そういう輩……とくに最後の方のやつなら間違いなくあの時自由に動き回れたであろうし、世界の再起動時にも特に不調を感じなかったじゃろうな」
「何度もって……何度も世界の改変を経験してきたということですの?」
「正確に言えば改変を試みてきた……ということじゃ」
「っ!!……なんて恐ろしいことを……それではまるで……」
「世界を創造しようとしているみたい……じゃろ?」
相変わらずクルクルと傘を回すリリラ=リリス。
その度に水滴がちょうどこちらの顔に飛んできて、いい加減イラっとしてきたところでした。
しかし、出会ってから常に飄々とした態度を崩さなかった見た目あどけない幼女が、その瞬間、少しだけ垣間見せた実に魔女らしい辛辣な横顔に、わたくしのささいな憤りなどあえなく引っ込んでしまいました。
「我らの専売特許を主張する気はサラサラないんじゃがな……世界の創造などという大罪、我らが我らだったからこそ背負いきることができているというのに……。大した覚悟も信念も犠牲もなく、中途半端に手を出そうとするのだから困ったものじゃ」
大罪……ですか。
それも背負うことが『できた』ではなく、『できている』と現在進行形でリリラ=リリスは言いました。
やはり、どれだけ彼女が強大な魔力や、それ以外にも色々と規格外のものを有していたとしても、所詮は一人の人間。
世界を新たに創り上げるという、言葉だけ見れば思春期男子ではなくとも思わず心くすぐられる恰好の良い響きですが。
実際、それは神の御業。
人の身で行おうとするには、その神の領域にまで足を踏み入れなければならないということ。
その不敬を承知の上で事を為そうとする覚悟。
その道程の険しさを承知の上で突き進もうとする信念。
そしてその偉業の成就の為、切り捨てていったたくさんの犠牲。
決して文献では伝えられない。
決して伝承では語られない。
決してキレイ事や神秘的な美しいものだけでは済まされてはいけない。
世界創世に至るまでに自分が体験してきた、そしてこうしている今も抱え込み続けている何か。
そんな人間としての生々しい部分までをまとめて。
伝説の大魔女・リリラ=リリス=リリラルルは『大罪』という言葉に凝縮したのです。
その一言の中に込められた想いの深さと浅さ、強さや弱さなんて。
わたくしはもちろん、今、この世のどこかで同じように世界による書き換えを感じているであろう誰かにだって。
きっと一生かかってもわからないものなのでしょうね。
「ふん……我も大概、思春期をこじらせているようじゃな」
「……見た目は幼年期、実際年齢は更年期を遥かに過ぎている年増の台詞じゃないですわね」
「にょっほっほ。やはり相当図太いよ、小娘」
「図太いついでに、さきほどはぐらかされてしまった様々な疑問に対する答え。あとでキッチリと話していただきますからね」
「今ではなくてよいのか?」
「……ええ、今は……」
今度は怒りの勢いまかせではなく。
わたくしは自らの意志でもって、すっくと立ちあがります。
そして顔を上げ、真っ直ぐに前を見据えます。
視線の先にはあの人の背中。
時に焦がれ。
いつもトキメキを持って見つめていた愛しい背中。
「今はロリババアのムダに意味深な謎かけより、もっと向き合わなければいけない大事な問題がありますから」
「にょっほっほっほ。思春期じゃのぉ」
ええ、それで結構。
ええ、ええ、大いに結構。
短期間に色々とありすぎて少しだけ失念していました。
わたくしはアルル。
アルル=シルヴァリナ=ラ・ウール。
一国の姫君にいして、稀代の魔術研究家にして、すべての魔術を操ることのできる天才にして。
旅の者にして、バケモノにして、白銀に呪われし者。
そして何より。
一人の恋する思春期乙女だったのですわ。
「ええのぉ、ええのぉ。若いってええのぉ」
それを思い出させたのが、どこかのホンスさんみたいにニヤニヤと笑っている。
この性悪魔女っ娘というのが、はなはだ不本意ではありますけれど……。
「その持て余し気味のたわわな乳。揉みしだかれに行くということじゃな?」
「下世話!!」
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