第四章・雨色に染まる異世界生活~ARURU‘s view⑥~
風雲急を告げる……とは、言語文化がいささかカオスじみている≪
風もなければ雲らしい雲もなく。
ただ、しずしずと大粒の雨が天から落ちるばかりの時には、急いで告げられるような何かはないのでしょうか?
……ええ、きっとないのでしょう。
時間が停まろうが進もうが。
どこかで誰かが世界を書き換えようと躍起になっていようがいまいが。
雨はただ雨。
大地を潤し、炎をかき消し、何かを清めるためにただただ降り続くのが彼らの有した唯一の存在意義なのです。
「…………」
ではこちらはどうでしょう?
相変わらず凛と伸びた背筋。
殿方らしく盛り上がる逞しい筋繊維。
あちこちにほつれや破れが目立つ衣服。
その裂け目からのぞいた、一際鮮やかな無数の傷口。
そして、こぼれ落ちる金……。
「……イチジ様……」
だらりと垂らした両手の先から、ホロホロと金色が剥がれていきます。
わたくしが時間をかけて何重にも付与した魔力。
その正体を誰よりも理解しているハズですのに、わたくしの目にはその金が何か別のものに見えて仕方ありません。
ホロホロと……キラキラと……。
粒子の細かさや色合いのせいか、地面に落ちては儚く消えていくその魔力が、わたくしに砂時計を連想させます。
時間が停まろうが、進もうが。
世界が改変されていこうがいくまいが。
砂に見えようが稲穂に見えようが。
そんなことはお構いなしに、とめどなくイチジ様の両手から流れ出る金。
それが何を告げるものなのか、何を刻むためのものなのか。
……わたくしにはわかります。
わたくしが一番、わかっていなければなりません。
「……今、まいりますの」
「待て」
イチジ様の元へ向かうために足を一歩踏み出そうかという時。
スッと黒い影……いいえ、黒い傘がわたくしの行く手を阻みます。
「少しだけ待て、小娘」
「……なんです?まだガールズトークがしたりないんですの?」
ひとり相撲もはなはだしいですが、へこんだり戸惑ったりの紆余曲折を経ながらもようやく立ち上がる気概を見せたその出鼻。
そこを挫かれたことに対してわたくしは苛立ちを隠しもせず、進路に傘を差し入れたリリラ=リリスに冷たく言い放ちます。
「……すまんな」
「あら、殊勝な態度。それはなんの謝罪ですの?さきほど物言いは下品でも送り出してくれた舌の根も乾かぬうちに、今度は邪魔をしようとするその天邪鬼な性格をですか?いいえ、別に謝ってもらっても仕方ありません。そんなことはどうでもいいです。今更あなたの性格の悪さをとやかく言うつもりはありません。ええ、まったくどうだっていいのです。……だから、その傘をよけてくだいませんか、リリラ=リリス=リリラルル?ちょっと今、おふざけに付き合っているような余裕はないんですの」
「……すまん」
「っっつぅ!だからっ!!……」
ガバリと力任せに傘を払いのけ、睨みつけてやろうと魔女の方にキッと顔を向けます。
あまりに気まぐれな行動にさすがに怒り心頭のわたくしは、その憤りをぶつけるべく口を開いたのですが、そこで黒い幼女がわたくしとまったく同じ感情をわたくし以上の露骨さで浮かべている顔を見て、あとの言葉が継げなくなってしまいました。
「……本当に……時代がどれだけ移ろおうとも、人間とはいつまでたっても愚かなもんじゃ……」
「……え?」
「想定していたなかでも限りなく想定外に近いものを引き当ててしまったのぉ。……そうまでして『神』になり替わろうとして、その先に何を求めるというのじゃ……」
「リリラ=リリス?」
わたくしに言っているわけではありません。
真っ直ぐに。
わたくしが踏み出そうとした時と同じように、ただ真っ直ぐイチジ様の背中を見つめ。
けれどその背中にではなく、ここにはいない、どこかの誰かに向かってリリラ=リリスはそう小さく呟くのです。
「一体、な……?」
ドゴォォォォォォォッォォンンンンンンンン!!!
一体、何があったのか……そう尋ねようとした言葉が、突如として響いた大音響と巻き起こった突風によって、またしても継ぎ目を失い、霧散します。
どこか聞き覚えのある音。
どこまでも馴染みのある不吉な予感。
どちらもアレの降臨の際に軽くトラウマ気味に植え付けられてしまった、嫌気たっぷりの記憶を呼び起こすものでした。
「すまんな、小娘。乳揉みは後回しじゃ」
パタン……。
わたくしの行く手と視界を遮っていた黒い傘が閉じられます。
「お主には少々手が余る。下がっておれ」
そうして拡がりを取り戻したわたくしの視界。
そこに映り込んだ幾つかのもの。
わたくしを庇うような位置に躍り出た小さな黒い背中と。
強風に正面から吹かれながらも変わらず巌のように微動だにしない大きな背中。
そして……。
「そうしなければ……死ぬぞ」
キュオオオォォォォォォォンンンンン!!!
再び降臨した天空の覇王・ドラゴンが、大きな大きな翼を広げている神々しい姿でした。
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