第三章・赤い異世界生活~ICHIJI‘S view⑤~

 「キュロロロ」「キュロロロロロ」「キュロロロロロロ……」

 

 鈍重そうな見た目に反し、3頭のトカゲたちは通りに躍り出た俺に敏感に反応した。

 

 椅子取りゲームでもしていたかのようにグルグルと同じところを練り歩いていた足を止め。

 俺の姿を認識した途端、前衛に2、後衛に1というそれぞれの立ち位置を線で結べばちょうど正三角形の形になるような隊列を組んだ。

 

 寸分たがわぬ正確な位置取りといい反応の良さといい、まったくもって無駄がない。

 熟練した兵士だって奇襲にあえばもう少し慌てたりするものだというのに、陣形を組むまで流れるようなスムーズな動きは見事の一言に尽きる。

 

「……プログラムナンバー何某。何人であれ、陣地を侵そうとするものが現れた場合はフォーメーション・デルタにて容赦なく迎撃……って感じかな?」

 

 あまりの見事さ故に不自然さが際立つ。


 やはりこのトカゲ、どことなく機械じみている。


 これが遺伝子に根付いた元来からの性質であるのか、このトカゲについて事前知識のまるでない俺に判断は難しい。


 だからこそ、その赤黒い皮膚の裏側には、色とりどりのコードや各種おりおりのネジ、基板やチップなどがわんさか隠れているのではないかと、割と本気で勘繰ってしまう。


 なにせ俺のいた世界では、ネコ型の二足歩行ロボットだってそう遠くない未来にはロールアウトすることになっているのだ。


 ここが≪マホウ≫の世界でも……いや、≪マホウ≫の世界であればこそ、戦術的トカゲ型汎用兵器なんてものがあったっておかしくもない。


「「「「キュロロロロロロ」」」

 

 迎撃……という言葉を地で行くようにトカゲたちは、俺を迎えるようにジッとその場を動かない。


 ……あくまでもこの場所に誰も近づけないことが最優先事項ということか。


 このまま逃げ出しでもすれば、それだけでトカゲたちは警戒を解いてソッポを向いてしまうなんてこともあるかもしれない。


 三身が一体となった一個体。

 守りに特化した堅牢な陣形。

 まともに突破しようとしたらなかなか厄介だな。

 

「…………」


 ……まぁ、まともに相手はしないのだけれど。


 俺は剣を構えながら、ギルド会館とは通りの反対側にある方へ向かって走る。


 俺に照準を合わせているトカゲたちは、つられて顔、体、そして正三角形の陣形ごとこちらに向きなおっていく。


 容赦なく炎を浴びせられても面倒だし、ソッポを向かれてもまた困る。


 相手の間合いを見定め、攻撃するか否かの分水嶺ギリギリのラインでの移動を心がける。

 

「…………」


 視線を走らせてみたところスナイパーや観測手みたいな役割を持つものは確認できない。

 目視できる範囲に他の個体は見受けられないし、気配を探ってみてもひっかかりはない。


 ならば、この3頭さえこちらに釘付けにしておけばそれでいい、とても簡単なお仕事。


 俺は所定の位置にまで来て立ち止まる。

 思惑通り、トカゲたちは体を180度回頭して、俺たちが身を潜めていた路地に背を向ける。

 

「ここまでは順調……あとは……」

 

 ザッ……

 

 一歩だけ踏み出す。

 

「…………」


 ザッ……


 さらにもう一歩だけ踏み出す。


「キュロロロロロロロロロ……」

 

 それまで注意深く外してきた相手の間合いを、一歩一歩、侵していく。

 

「キュロロロロロロ」

 

 警告、勧告、警鐘。

 それ以上踏み込めば敵とみなし、攻撃を開始するといった事前通知にも聞こえる鳴き声。

 

 ……なんてことは気のせいだろうけれど、ジリジリとこちらが距離を詰めるたび、トカゲは臨戦態勢を本格的に整えていく。

 

「…………」

 

 俺は剣の切っ先をトカゲたちに向ける。

 剣に負けないくらい細く鋭くした目で向かい合う。


 今からこの刃でおまえらを切り裂くのだと。

 その紅く明滅する喉元に。野生を失って思考を停止したその脳髄にこの刃を無慈悲に突き立てるのだと。 

 俺は構えと視線でもって。

 語りかける。

 訴えかける。

 ……ねじ伏せる。


 「キュロロ……」


 前衛に立つ2頭の眼筋がピクリと小さく動いた。


 ザッ……。


 そこですかさずもう一歩。


 前衛が半歩ばかり後ずさる。


 俺の牽制……というにはいささか物騒な威嚇行為が、彼らの本能を小突いたような手ごたえ。

 ……なんだ、ちゃんと生き物やれてるじゃないか。


 そんな真っ直ぐに向けられた敵意を感じてたじろぐなんて行為、さすがに二十二世紀の科学の粋を結集でもしなければロボットには再現できないものだろう。

 

 「キュロロロロロロロロ……」

 

 俺との距離が離れている分、後衛の方ではまだ余裕があるようで、粛々とプログラムに則した行動をとる。

 

 「……ぶぅぅぅぅ……」

 

 ようするに。


 「……ヴアァァァ!!!」

 

           ブヴァァァァァァァァァァ!!!


 一定範囲内に入ってきた敵対者への攻撃だ。

 

 仲間の2頭の間をすり抜けるように、後衛のトカゲの炎が俺に迫りくる。

 

 「…………」

 

 さきほどのように真っ二つに斬り裂くこともできた。

 それほど速度のあるものでもないし、身構えてもいたので躱すことだってできた。

 

 「……ふっ!」

 

 しかし、俺が選択したのは跳躍。

 

 大いなる大地の反発力と両脚の筋肉に込めた自身の力。

 それを合わせることによって拡張される移動範囲。

 

 横向きに使えば一瞬で距離を詰めることができるし、上向き使えばこの通り。

 立体的に俺の世界は広がっていく。

 

 ただの一足で概算10メートル、マンションの3階相当の高度まで飛びあがった。

 

 幼い時から俺を何度も助けてくれた『力の流用』という技術。

 技術というのも烏滸がましいほど、俺としては極々当たり前にやっていること。

 

 言葉にすれば簡単だし、数式にしてみてもごちゃごちゃとした計算も挟まずシンプルに『力+力=力力』という感じ。

 

 けれど、他人がいざ実践してみようとすると、これがなかなか難しいらしい。

 

 昔、仲間の幾人かにしつこく請われてしぶしぶやり方を教えてあげたのだけれど、誰一人としてまともにできはしなかった。

 

 獣じみた身体能力と獣並みの知能しか持たない獣みたいに本能に忠実な超人にも。


 引き金を引けば百発で百二十中くらい当てることのできた軽薄な射撃のスペシャリストにも。


 卓越し過ぎた演算能力から、もはや予測を通り越して予言のような解をはじき出すメガネの才女にも。

 

 そんな彼らを、そのすべてに抜きんでた才能とカリスマで持って統べる、金髪碧眼の漫画好きにも。


 それはできなかった。

 

 そのパツキンが、『異能……。それは紛れもなくイっくん固有のオンリーワンな異能なんだよ。真似しようなんてそりゃムリムリぃ』と言っていた。


 『この世に溢れるすべての力という力を己のうちに秘める天秤に載せてバランスを計り、自身の体へと投射して流用する能力……その名も≪正義の女神が掲げる天秤ユースティティアック・ライブラ≫。天秤にかけられた無限の力によって、俺はこの世の悪を打ち砕く!!きゃ~イっくんってばカッコイイ!!この強化系能力者!ラノベ主人公!大好き!!』

 

 『…………』

 

 『……隊長……』

 

 『ん?なぁに、パクチー?』

 

 『端的に言って、クソダサいです』


 『あの清純派メガネ女子のパクチーが汚い言葉遣いをするほどに!?』

 

 『単なる、クソです』

 

 『二回も言うほどに!?しかも凝縮されたことでなおのこと胸に刺さる言葉にぃ!!』

 


 「…………」

 

 ……あ、まずいまずい。


 戦いの最中にまったく関係のないところでイラっとしてしまった。

 ちゃんと集中しなければ。


 「……ふぅ」

 

 ……もちろん、俺の体の中に天秤は内蔵されていないし、そんな役割を担った内臓器官だって持っていない。


 異能でもなければマホウや魔術といった大仰な代物でもない。

 

 これは単なる体さばき。

 

 『合気』とか『縮地法』とか、世界各国の武術で似たような技はいくらでもどこにでもある。

 

 多少のコツはいるけれど所詮はコツ程度で扱えてしまう、そんな人体の機能からも人知の限界からも決して逸脱することのない、本当に本当に地味なものなのだ。


 「……少し重いな」

 

 中空を舞いながら、俺は呟く。

 やはり体が本調子ではない。

 

 いや、体力面や健康面は早寝早起きとホンス爺さんの手伝いによる適度な運動、そしてアルルの作る栄養

 バランスの取れた三食の食事のおかげかすこぶる良好。


 精神面だって別段まったく問題なく、平常・正常運航中。

 

 しかし、アルルが再三、酸っぱくした口に梅干しでも転がしているみたいに追い打ちをかけてしつこく俺に言い含めてきたように、俺の存在自体はまだ、ここ≪幻世界とこよ≫においてやっぱり不安定なものなのだろう。

 

 どうにもしっくりとこない。

 

 不本意ながらマリネのたとえを借りるとすれば、うまく天秤が働かない。

 

 主軸にしても力をのせる皿の部分にしても、主要なパーツに錆でも浮いているかのように、微妙な力の制御が利かない。


 イメージと肉体との連動がうまくかみ合っていないのだ。


 そんな違和感を、こちらに来てから常に感じてはいた。


 手斧で薪を割ったり、川に仕掛けた罠を引きずり上げたり、ちょっとイキっているチンピラをこらしめたり。


 日常生活を送るのならば特に支障もなかった微かなズレではある。


 ただのその小さなズレが。

 小さくとも確かに存在する微妙な誤差が。

 この緊迫した戦闘下においては、顕著にあらわれてしまったのだった。

 

 「……でもまぁ……単なるいいわけかな、それは」


 ……ようするに。


 子供の運動会で張り切ったはいいけれど、足がもつれて盛大に転んだ父親の姿を思い浮かべてくれればいい。

 

 若い頃の経験なり記憶なりからくるイメージのトレース。

 昔から運動神経には自信があった。

 運動部でレギュラーをはっていた。

 体育の成績は常に『4』だった。

 

 そのイメージに体がついてきてくれないことによって引き起こされた、なんと凄惨な悲劇。

 

 ふざけ半分ならまだ喜劇におさまったのかもしれないけれど、割と本気で、結構な深い傷を負って救護班のいるテントに向かう背中からは、なんともいえない哀愁が漂う。


 「はぁ……もう歳なのかな……俺……」

 

 自分の不甲斐なさに嘆息しつつ、俺は俯瞰から状況を整理する。

 

 目線を変えてみたところで何も変わらない赤い街。

 そこに模様のように混じり込む、焼け焦げた人体と立ち上る煙の黒。

 救いも何も、見つからない死に絶えた街を、俺は静かに見下ろす。

 

 「キュロロロロロロロロロ……」

 

 そんな俺を3頭のトカゲはおのおの見上げている。


 表情こそ相変わらずのものではあるけれど、妙に間延びした鳴き声を聞く限り、戸惑っていることは確かなようだ。

 

 またしても想定外。

 

 確かに領域を侵犯するものへの対処法は組み込まれてはいる。

 しかし、そのプログラムは領空までカバーするほど広義的なものではない様子。

 

 こちらに注意を向けたままで次の手を打ってこようとはしない。


  ……おおむね狙い通り。

 

 強いて言えば、一頭だけこちらに攻撃をしてみせたあの後衛の個体。

 そいつの喉元がまた紅く輝き始めたのが少しだけ懸念材料か。

 

 一撃目を躱された事実を踏まえて軌道修正後、即時の追撃準備。


 どことなく他の2体とは違うアルゴリズムを刻んでいるような気はしていたけれど、単に俺の威嚇が届かない後ろにいたからというだけでは説明がつかない適切な判断力。

 

 喉元の明滅も、それまで見てきたものとは少しだけ趣がかわり、瞬きの間隔がより大きく、より緩慢なものになっているのも不確定な要素といえば要素。

 

 些細なことではあるし、考えすぎなのかもしれない。

 しかし、こと命のやり取りをしている最中に神経質になってなり過ぎるということはない。

 

 それを俺は経験から知っている。

 それを俺は数々の血塗られた記憶からよく知っている。 

 

 ……注意だけはしておくことにしよう。

 

 「……(コソコソ)……」

 

 作戦の性質上、露骨に視線を向けることはしなかったけれど、視界の端で俺とトカゲたち以外にうごめく影をとらえた。

 

 「……(コソコソ)……」

 

 このカッコ書きは、足音を忍ばせている擬音の表現ではなく、文字通り影が小声でつぶやいているものだ。

 

 ……いやいやいや。

 

 あんた一応、賊を生業にしているはずだろ?

 『ユグドラシア』は強盗や追剥、空き巣だって幅広く手掛ける大山賊団のはずだろ?

 

 「……(コソコソ)……(コソコソ)……」

 

 なのになんだ?そのタイムなボカンの悪役みたいなコミカルな忍び足は?

 

 え?ギャグだよね?

 

 ピリピリしたこの空気を和ませようと命を張ったギャグをぶっこんできただけだよね?

 

 「……(まってろ、まってろよぉ)……(俺が……俺が今見つけてやるからよぉ)……」


 ……ああ、これはマジだ。

 マジなやつだ。

 

 あの男、なんて真剣で曇りのない真っすぐな目をしやがる……。

 

 「キュロロロ……」


 「…………」

 

 ま、トカゲたちは中空にいる俺の方に釘付けになったまま、後ろで暗躍する存在に気が付いていないようなので良しとしよう。

 

 作戦は続行だ。

 

 「…………」

 

 俺は懐をまさぐってあるものを取り出す。

 

 「えっと……グッと握って、キーワードを言って、ポイっと投げる、と……」

 

 山賊の男から手渡された石。

 あの『地球儀モドキ』とはまた別の、もっとゴツゴツとした石らしい石。

 特に装飾が施されているわけでもなく、無骨な本体の中央部が仄かに青白く光っている。

 

 俺は教えてもらった手順通り、その石をグッと握る。

 

 そして……。


 「『煌めけ』」


             キィィィィィィィン

 

 「「「キュロロロォォォォ!!!」」」


 キーワードを言って、トカゲの組んだ陣形の中央にポイっと放り投げた途端、眩い閃光が辺り一面を白く染め上げる。

 

 『閃光石』……といわれる魔術道具の一つ。


 科学レベルが≪現世界あらよ≫に比べて著しく劣るこの≪幻世界とこよ≫。

 LEDどころか懐中電灯、そもそもそれらを動かす電池すら存在はしていない。

 人々が夜に抗う術といったら、油を燃やしたランプやたいまつがせいぜいだ。


 しかし、ここには科学の代わりに『魔術』という技術が発展した世界。


 手をかざし、呪文を唱えれば、それだけで夜の宵闇は一掃される。

 それもLEDも懐中電灯も比にならないくらいの高明度でだ。

 

 それでも、アルルから教わったところによると、魔術とは『誰でもできるけれど、誰しもができるわけではない』という言葉遊びみたいな理屈の上に成り立っているらしい。

 

 ≪幻人とこびと≫は生命維持活動に、酸素や食事以外に自然と魔力を消費している。

 誰の体の中にも魔力を精製する『魔力炉』と、その魔力を運搬する『魔力路』が備わっている。


 しかし、意図的な魔力の増幅や運用、自分の体外への干渉を行うには特別な訓練が必要であるし、何よりもその魔術行使に耐えうるだけの強靭な『魔力炉』、『魔力路』を生まれながらに持つ……つまりは絶対的な才能というものが必須なのだという。

 

 それはやっぱり異能。

 概念として、理論としてそこにあったとしても、汎用性にはかける特殊であり固有の技術。

 

 ……俺のこの『力の流用』と同じようなものなのだ。

 

 「…………」

 

 その限られた者に与えられた異能を、どうにか広く一般市民レベルにまで落とし込めないものか……誰かが掲げたその理念の元に誕生したのが『魔術道具』。

 

 特別な訓練も絶対的な才能もいらない。

 概念や理論のことごとくを省略化ないし簡略化した見事なまでの汎用性。

 

 威力や規模などは本家に遠く及ばないまでも、魔力の代わりに金銭を対価として支払うことで、先駆者の願い通り、『誰でもできるから誰しもができる』お手軽な魔術の再現が可能の世の中になったのだそうだ。

 

 「……たいしたもんだ」

 

 俺は遮光の為に目を押さえていた腕をはずし、そのまま地面に着地しながらそう呟く。

 

 「……こんな出力のフラッシュグレネードが一般家庭に必要かといわれればあれだけれども」


 道具の使い道は、あくまで道具の使い手次第。

 

 生み出されたものを夜に抗う照明に使おうが、魔物との戦闘時に目くらましにつかおうが、それは自由。

 立っている世界が変わったとしても、その理屈は同じなのだ。

 

 「「キュロロロ!キュロロロ!キュロロォォォ!!」」


             ブヴァァァァ!ブヴァァァァ!!

              ブヴァァァァァァ!!


 まともに閃光弾を食らって視界が奪われたトカゲは、めいめいにパニック状態に陥った。

 

 プログラムも陣形も関係がない。


  突発的に視覚を襲った光に、乏しかった生物としての生存本能が慌てて跳ね起き、とにかく身を守ろうと遮二無二、炎を辺りへ撒き散らす。

 

 上に下に、縦に横に。

 十分な溜めもなく、弱々しい炎がボウ、ボウと吐き出されてはすぐに消えていく。

 

 後ろのあいつはどうだ?……俺は素早く目を走らせる。


 「キュロロ……」


 やはり他の個体とは違い、暴れ回ることはしない。


 冷静に、沈着に。

 ジッと首を下げて奪われた視力の回復に努めている。

 

 しかし、それでもその後衛のトカゲにより強く効果があるようなところに投げた『閃光石』。

 思惑通り、しばらくは行動不能だろう。

 

 ……さて、お膳立ては充分だけれど……。

 

 俺は視線を、今度は後衛のトカゲを更に通り越した後ろへと移す。

 その質はどうあれ隠密行動をとっていた山賊の男はどうやらうまくこの混乱に乗じたようで、姿が見えない。

 

 ギルド会館だった建物跡への侵入は成功したようだ。

 

 「……続いてフェイズ・ツー」

 

 山賊の探索がどれくらいかかるのかはわからない。

 一応、タイムリミットは設定したけれど、正直、男が律儀に時間を守ってくれる保証はない。

 

 ただでさえ直情的な人間だ。

 目の前の瓦礫に仲間がまだ生きて埋もれているかもしれないという可能性がある以上、確信的な何かを見つけるまではいつまでも探し続けるだろう。


 最初からあてにはしていない。

 計算外も計算のうち。


 だから俺にとって作戦のフェイズ・ツーとは……。


 「……っふ!」


 ガキィィン!!


 「キュロロロォォォ!」

 

 男が満足するまでの時間稼ぎだ。


 「……っは!」


 ガキィィン!!


 「キュロロロロロォォォォォォ!!!」


  未だに視覚が回復しない先頭のトカゲとの距離を詰め、俺は剣を振るう。


 「……っふぅ!」


 ガキィィン!!

 

 『閃光石』は何も山賊の男を無事、会館に侵入させるためだけが目的ではない。

 この次なる作戦、トカゲとの直接戦闘ありきのフェイズ・ツーで俺が有利に立ち回るための、文字通り、布石でもあった。


 「……っは!」


 ガキィィン!!!

 

 「キュロロォォ!!キュロロォォォォ!!」


 「……やっぱり、硬いか……」

 

 最初から俺に一撃でトカゲを無力化できるだけの突破力があれば、こんな面倒な手順を踏まなくてもよかったのだけれど。


 今の俺にはこれが精いっぱい……。

 小粋な手品なんて披露している余裕もなく、愚直に振るっては弾かれる俺の剣。

 

 ……予想はしていたけれど、刃が思うように通らない。

 

 ホーンライガーと戦った時もそうだった。

 

 ≪幻世界とこよ≫の理から大きく外れた俺に、こちらのモノへの干渉はできない。

 

 剣でも、斧でも、果物でも、たとえジャムをすくうための小さな匙であっても、本来ならば、俺は触れることすら許されない。


 直接・間接、有体・無体なんて問わず、俺の行う『行動』そのものが拒まれるのだ。

 

 アルルが毎夜施してくれる魔力のコーティングのおかげである程度は支障なく生活できるようにはなったけれど、こんな本格的な戦闘行為、世界そのものから拒絶されてしまう。

 

 元から固そうな皮膚をしているところに加え、この覆すことのできない制約。

 相手がこちらを視認できてない以上、圧倒的に有利なはずなのに、手数ばかり増えて一向に有効打を与えられない。


 「……はぁっ!」


 ガキィィン!!


 「キュロォォ……ロォォォ!!」


             ブヴァァァァ!


 とうとうまともな炎を吐き出す猶予まで与えてしまう始末。

 

 まったく……奇襲を仕掛けておいて相手を立ち直らせるまでグダグダするなんて、作戦行動としては失敗も失敗。

 懲罰ものの大失策だ。


 「……はぁっ!」


 ガキィィン!!ガキィィン!!ガキィィィィンンン!!


 それでも俺は手を止めない。

 身を屈めて炎を躱し、すかさずの三連撃。


 「……はぁっ!」


 ガキィィン!!ガキィィン!!ガキィィィィンンン!!

 

 間を置かず、さらに三つ。

 どれだけ俺の攻撃が通らなくとも、早さには制約がついていないのだ。


 頭、首、足、胴、背中、そして喉……。

 

 斬りつける場所を変え、少しでも手ごたえのありそうな部位を探るために俺は剣戟を浴びせ続ける。

 

 「キュロロロロ……」

 

 ヴゥォン!

 

 「……ちっ」

 

 更なる攻撃に移ろうと構えたところで、横から突進してきたトカゲを躱す。

 

 別個体。

 もたもたしているうちに、もう一体のトカゲも正気を取り戻して参戦してくる。

 

 加えて……。


             ブヴァァァァ!

 

 また別角度からの攻撃。


 あの後衛にいた個体……閃光石に目をくらまされても、一体だけさほど取り乱すことなくジッと視力の回復を待っていた要注意個体。


 漫然としていただけではなく、灼熱の炎を吐き出すのに充分な溜めも同時に行っていた様子だ。

 そいつからの遠方射撃が、突進を躱した俺にタイミングよく迫りくる。


 「……っく!」

 

 ダァン!!

 

 着弾の寸前。

 俺は全力全開で地を蹴り、高跳びの要領で炎を躱す。

 

 「……うまいなぁ」

 

 せっかく詰めた距離がまた広がる。

 

 加減をせずに飛び上がったために着地後も滑っていく体の勢いを両脚と片手を使って殺しながら、絶妙なタイミングで放たれたその炎攻撃に素直に感心した。


 「キュロロロ……」


 実にクール。

 

 自分の読みがピタリとはまったことにもう少し誇った顔をしてもよさそうなものだけれど、相も変わらず、3頭目は無表情を崩さない。


 俺と他の2頭との動きを完璧に把握し、これ以上ないくらいのタイミングで放たれた火炎放射。

 スポーツバーでケバブを食べながら観戦するサポーターも大満足の、実にレベルの高いキラーパスだ。

 

 ……不確定要素を確定要素へと修正。


 紛れもなくあいつが、この戦いの肝だ。

 

 まったく……この部隊にちゃんとした司令塔がいるのならば、もう少しわかりやすくキャプテンマークや勲章でもつけてくれればよかったのに……。

 

 「……ぶぅぅぅぅ……」

 

 さきほど突進してきた個体が溜めに入る。

 

 「…………ぶぅ……」

 

 時間差で、俺が斬りつけていた方もまた溜めを行う。

 

 「…………」

 

 司令塔はそれを静かに傍観する。

 

 いや、俺のあずかり知らぬところ、俺の理解が及ばない方法で、2頭の部下に指示をとばしているのだろう。

 

 共感覚、テレパシー……呼び方はなんでもいい。

 

 とにかく闇雲に放つのではなく、時間を空けて波状的に火炎を打ち出すそんな組織的な攻撃。

 

 おそらく斬り裂いたり躱したりしてこれらを防いだところで、アイツはまた何かしらの策を講じてくるに違いない。

 

 そう買いかぶっていいだけの力が、あの後衛のトカゲにはある。

 

 優秀な指揮官の下で統率の取れた敵との多対一。

 ……結構、しんどい状況だ。

 

 「……ふぅぅぅ……」

 

 今まさに第一射が放たれようとしているのに、俺は大きく息を吐き、体の力を抜いていく。

 

 別に絶望のあまり正気を失ったわけでも、諦めたわけでもない。

 

 相手の脅威判定が上がったのなら、上がったなりの対処をすればいいだけの話。

 

 幸い、さきほど無駄打ちした剣戟の中から、ある程度打開策は見つけている。

 問題はそれを実行するだけ……実行しうるだけの力が俺にあるのかということだ。


 「……ふぅぅぅ……」

 

 イメージ。イメージ。またイメージ……。

 

 「…………」

 

 思い描くのは輝かしい勝利ではなく、泥臭くとも生き残るための道筋。

 「…………」

 

 今の自分を知れ。

 今、目の前にある敵を知れ。

 

 「…………」

 

 思考を回せ。

 血液を回せ。

 力を回せ。

 

 「……ぶぅぅぅぅ……」

 

 最善を探れ。

 最適を捜せ。

 最良を求めろ。

 最高をもとめろ。

 

 ……何があっても生き抜くために。

 ……何を置いても死なないために。

 

 

 「……ふっ!!」


 「……ヴアァァァ!!!」

 

             ブヴァァァァァァァァァァ!!!

 

 第一射。

 それが放たれると同時に、俺は真正面へと跳躍する。

 

 そう、駆けるのではなく、跳躍だ。


 まったく字面の通りの意味で、俺は『力の流用』によって弾丸のように跳んでトカゲへと突っ込んでいく。

 

 迫りくるどころかこちらから炎を迎えにいく形になる。

 

 どこからどう見ても自殺行為。

 何をどう言いつくろってみても最悪の愚行。

 

 散々、考えた挙句に選んだ選択肢が正面突破……俺は本当は死にたいのだろうか?

 

 「…………」

 

 そんなわけがない。

 そんなはずがない。

 

 俺はたとえ ≪幻世界とこよ≫と≪現世界あらよ≫、二つの世界をまたにかけたとしても……。


 「……っつ!」

 

 たぶん、双方で最高ランクの生きたがりだ。

 

 ザアアアアァァァァ!!

 

 跳躍の勢いもそのままに、石畳の上をスライディングで滑っていく。

 

 地面と火炎との間にできたわずかな隙間。

 

 さきほど俺が同じ炎を空へと飛びあがって躱したことを踏まえてか、いくらかでも照準が上向きに流れていたことは重畳。

 

 もちろん、司令塔の指示だろう。

 戦略を考えられるだけの優れた知性があるとわかった以上、これまでの戦闘を分析して対処してくることくらいは織り込み済み。

 

 何も考えず、ただ本能の赴くまま。

 トカゲのその地を這うくらいの低姿勢のままで放たれていたら、こうはうまくいかなかった。

 

 ……それでもまぁ、本当にギリギリの紙一重。

 コピー用紙一枚分でも俺の鼻が高かったのなら、今頃そこから着火して全身火だるまになっているところだ。

 

 「キュロロォォ……」

 

 「……どうも……」

 

 再びの肉薄。

 

 ビルの3階分まで飛び上がることのできる脚力で加速した速度。

 ところどころ剥がれたり瓦礫のかけらが転がる地面を滑り抜けた摩擦。

 

 明らかに世界の判定としては情状酌量の余地なく有罪を下されたであろう無茶な滑り込みのせいで、ホンス爺さんから借りたズボンにも、その下にある皮膚にもかなりのダメージを受けた。

 

 ……おまけに。

 

 パキ……パキ……

 

 何かが割れるような音。

 何か薄くて固いものがひび割れていくような音が聞こえたような気がした。

 

 「キュロ……」

 

 「……わるいな……」

 

 俺はスライディングをした足から中腰の姿勢にまで体を起こし、そのまま上半身だけを柔軟性の許す限り後ろに捻り上げる。

 

 右手では剣の柄の存在感を。

 視界では炎が終息した直後ポッカリと残された大口……その柔らかそうな虚空をしっかりと意識にとらえる。


 そして……。


 ズブゥシャァァァァ!!!

 

 「ギュ、ギュボボボボボボボボォォォ!!!」

 

 捻りから生まれたエネルギーを十二分にのせた剣を、トカゲの口の中に真っすぐ突き入れる。

 

 「ギュボッ……ギュボッ……」


 あの特徴的な甲高い声はもう響かない。


 長い舌を裂かれ、口腔内の肉を刻まれ、震わせるべき喉をえぐられ、収縮するはずの声帯をつぶされ、強固なはずの頭蓋を貫かれたトカゲ。


 その口からは、もはや噴き出す血液と空気の混ざり合う濁った水音が苦し気に漏れ出るばかりだ。

 

 パキ……パキパキ……


 「…………」

 

 トカゲの後頭部から飛び出た剣の切っ先から血がしたたる。

 

 この街を、あの街を、あの記憶の中を埋め尽くしたのと同じ、燃えるように真っ赤な血。

 

 この鉄くさい匂いを覚えている。

 この脂の溶け込んだドロリとした粘度を覚えている。


 「……まず一つ」


 「キュロロロロロォォォォォォ!!」

 

 いつの間に近づいていたのか。

 仕留めた1頭目の全身の痙攣がまだ治まってもいない中、襲い掛かって来る2頭目。

 

 四本の足を精一杯に伸ばして大きな体をのけぞらせ、俺を潰そうとのしかかりを仕掛けてくる。

 

 「……ふっ!」

 

 グワァキィィィィンンンン!!!!


 「ブモォォッッ!!」


 いまだ1頭目の喉に刺さったままの剣を勢いよく引き抜き、そこで生じた力の流れに身を任せてその場で右に半回転。

 

 迫りくる2頭目のトカゲ。その横っ面を、俺の剣戟がクリティカルにとらえる。

 

 柔らかな口腔内ならばまだしも、硬い皮膚や太い骨には世界のルールによって刃は通らない。

 だからこそ、俺は引き抜いた剣の角度を変え、表面積の多い刃の腹の部分で打ち据えた。


 ねらいは斬撃ではなく、殴打。


 どれだけ干渉を拒絶されたところで、巻き起こった現象自体をなかったことにはできない。


 二つの相反するものがぶつかり合った事実は消えないし、そこで新しいエネルギーが生まれた現実もまた覆せない。


 剣で横薙ぎに殴りつけた力とそれを否定しようと反発する力。

 

 衝撃波が発生した。

 

 その荒ぶるだけ荒ぶり、乱れるだけ乱れた波は空気を伝ってトカゲの頭蓋に達し、その中に納まれた脳を外側から激しく揺さぶる。

 

 「キュロ……ロロ……」

 

 脳震盪。

 

 意識を飛ばすほど重たいものではないけれど、それでも一瞬だけトカゲの体から、あらゆる力がすっと抜けていく。 

 

 「………ふうっ!!」


 グワァキィィィィンンンン!!!!

 

 もう一撃。

 弾かれた反発力で流れる体に逆らわず左回転。

 

 剣の持ち手も素早く左に換えて、今度は初手とは逆側からの一薙ぎ。

 

 「キュ……ロ……」

 

 ぴったりと、最初の一撃とは真逆の位置に、同じくらいの威力で俺の剣が放たれる。

 ぶつかり合った力によって生じた衝撃が、さらにトカゲの頭蓋の中でまたぶつかり合う。

 

 「……っはぁ!!」

 

 そして、もう一撃。

 グワァキィィィィンンンン!!!!

 

 「……は!!」


 グワァキィィィィンンンン!!!!

 

 さらに、もう一撃。

 

 もう一撃。

 もう一撃。

 もう……一撃。


 グワァキィィィィンンンン!!!!

 グワァキィィィィンンンン!!!!

 グワァァァキイイイイィィィィンンンン!!!!


 弾かれては薙ぎ、弾かれては薙ぎ……。

 右に左に、俺は剣の持ち手を目まぐるしく換えつつ、その場で幾度も半回転しながらトカゲの顔を何度も何度も打ち付ける。

 

 「キュ……………ロ………」

 

 ツゥゥゥ……

 

 そのうちトカゲの目や鼻から血が流れ落ちてくる。

 剣がとらえたわけではない。


 それは直接的に体に負った裂傷などではなく、脳や毛細血管など体内へのダメージが蓄積されたことで流れ出た血液。

 

 鮮やかな赤色ではなく、体内の大事な何かも一緒になった溶け込んだ、すこしだけ鈍色混じりの赤だ。

 

 「……これで……」

 

 キン……。

 

 ここが攻め時。

 俺は改めて剣の刃を立てる。

 

 もう何度目になるかわからないトカゲとの立ち合い。

 いい加減、弱点みたいなものが明確に見えてきた。


 ……狙うのは喉の一点突破。


 硬い皮膚が全身を覆う中、その炎を吐き出す前に紅く瞬く喉元だけが他の部位と比べて明らかに柔軟だった。


 最後の殴打の反発で流れる体。

 

 今度はそれを半回転して剣を打ち付けるのではなく、そのまま左に一回転、二回転と回って慣性に変換。

 

 そして……。


 ズブゥシャァァァァァァァァ!!!!

 

 反発や弾性ではなく、慣性をのせた刺突。

 それがトカゲの喉から脳天へと向かって突き抜ける。

 

 「……二つ」

 

 「…………(ピク、ピク、ピク)……」

 

 悪あがきをすることも、断末魔を上げることもできず。

 2頭目のトカゲは脳髄を一直線に貫かれて、即、事切れた。

 

 パキパキ……パキパキパキ……

 パキパキパキパキ……

 

 この≪幻世界とこよ≫の理……その正確な定義や、そもそも誰がどのように監視しているのかなんて知る由もない。

 

 けれどこれまでの経験や獲得してきた知識。

 今、実際に目の前の魔物というよりは世界そのものに喧嘩を売っているような状況から推察したところ。

 

 一定の数値。……たとえば体力や強度といったものがある程度の水準まで落ちてくれば、今の俺でもギリギリ干渉することが許されるラインみたいなものがあるようだった。

 

 裂けた皮膚であるならそこから警棒を突き入れることもできた。

 何度も同じところに斧を振るえば、大きな木だって倒すことが出来た。

 ジャムの蓋を開けたり、大人げなく少年にからんでいったチンピラの腹を殴るくらいならなんなくセーフであったし、勢いの乗った刃なら、魔物の口内を貫くことも問題なくできた。

 

 ……だから、削った。

 

 愚直といわれても、無駄だといわれても。

 何度も剣を打ち付けたことで、間接的に俺の剣はトカゲの生命力を削った。

 

 立場が許されないなら。

 届かないならば。

 生物としての次元が違うのならば、こちら側に引きずり込んでやればいいだけのことだ。

 

 「…………」

 

 ぐったりとして動かなくなった2頭目のから剣を引き抜く。

 

 主要な血管でも傷つけたか、刺し傷の開いたところから勢いよく血が噴き出して俺の頭上に降り注ぐ。

 

 そのうちの一筋が俺の唇の端にまで垂れ、ほんの少しだけ口の中に入って来る。

 

 この鉄くさい味を覚えている。

 この脂の溶け込んだドロリとした舌ざわりを覚えている。

 

 「…………」

 

 あの肉を貫いてく時の弾力を覚えている。

 あの骨を砕いていく時の抵抗を覚えている。


 ……そして、この重たいような軽いような。

 

 何かがぎっしりと詰まっているような。

 何も無くがらんとして空虚なような。


 そんな何度経験してもイマイチうまい表現のみつからない、誰かの命を奪い去る時の手の感触を、俺はしっかりと覚えている。


 覚えている。

    ……覚えている。

       …………覚えている。

 

 ……パキパキパキ……ピシ……


 「キュロロロロ……」


 後衛の……いや、もはや一体切りになり、陣形など完膚なきまで瓦解した今、前衛も後衛もない。他の個体とは一段別格の例のトカゲ。

 

 策を潰され、仲間が殺されてもなお、その鳴き声のクールさに少しも揺らぎはない。

 おそらく直接の戦闘においても、一筋縄ではいかないのだろう。

 

 「おぉーい!!やった!やったぜぇ!」

 

 突如として響き渡る、この場には相応しくない感慨の声。

 

 戦闘のおかげで少し距離が開いたけれど、トカゲの背面、潰れたギルド会館の跡から、這い出して来る者が見えた。

 

 しかも一人ではない。

 合計で4人。

 

 一人はリーダーである男に担がれ、残りの二人は各々にヒドイ怪我を負っているようではあるけれど、どうにか自分たちの足で歩いている。

 

 「生きてた!!みんな生きてたぜ!!よかった!!やっぱり来てよかった!」

 

 「…………」


 「キュロロロ……」

 

 喜びのあまり、目の前のトカゲの背中が見えないのか、なおも男の歓喜は続く。

 

 「しかもコイツらやりやがった!!ほら、これ見てみろ!例のブツ、帝国のお宝だぜ!」

 

 そうして男は、本当に嬉しそうに後ろに続く部下の方をアゴで指し示す。

 そういえば部下たちは二人がかりで何か長く細長いものを持っている。

 

 白い布。

 

 そこに、柄か何かかと思ったけれど、よく見えれば絵文字のようなものが描かれたお札みたいなものが表面に張り付いている。

 

 瓦礫に埋もれ、火であぶられ、いくらか黒く汚れてはいるけれど、それでも不思議と汚らしくは見えない。

 

 例のブツ……ギルド会館に運ばれたという積み荷。

 それを強奪するために、手下の3人は会館に侵入したと言っていた。

 その時に建物の崩壊に巻き込まれたのだろう。


 しかし、この惨劇のどさくさに紛れ、一人は自分で歩けないほどの重傷を負ったとしても、彼らはしっかりと賊の本懐を果たしたようだ。

 

 ……なんとなくその中身が気になる。

 

 まるで『地球儀モドキ』を受け取った時の感覚に似ている。

 あれも言ってみれば盗品。

 

 ……知らないうちに、俺にそんな人の物に興奮してしまうような性癖ができてしまったのだろうか?

 

 「ありがとう!ありがとうな!!あんたがトカゲの足止めをしてくれたから……って、やべぇ!!こんな大声出したら気づかれちまう!!」

 

 「…………」

 

 「キュロロロ……」

 

 仲間の一人を抱え、そそくさと走り去るリーター格の男。

 その見事な速さの逃げ足を、俺とトカゲは無言で見送る。

 

 「ア、アニキぃ!待ってくださいッス~!!」

 

 部下の二人も続く。

 

 ただでさえ怪我をしている体。

 おまけに積み荷の形状は長く、それなりに重量もありそうで、先を行くアニキの背中がどんどん遠のいていく。


 ……まぁ、あれだけ遠のいていたらトカゲの炎も届くことはないだろう。

 

 設定したタイムリミットからだいぶ余裕を残し、これにて作戦のフェイズ・ツーは終了。

 

 次はこの場から離脱し、彼らをある程度安全なところまで護衛したら、他の生存者の探索。

 あわよくば……もしも状況が許すのであれば、首謀者を捕まえるところまでいければ重畳。


 「……ふぅ……」


 それでも、まだまだ危険は継続中。

 だから気を抜いたわけではないけれど、思わず一つだけ溜息を吐いてしまう。

 

 ……いつになく、体が重い。

 

 街を焼いている炎や、戦闘による筋肉の運動、気の昂ぶりのせいで全身が熱い。

 

 それでいて芯の方では大きな氷塊でも埋め込まれているかのように、とてもとても寒い。

 

 頭も鈍く疼いている。

 ボンヤリとしているのかハッキリと冴え冴えしているのかよくわからない意識。


 「キュロロロロ……」


 残ったトカゲは、相変わらず感情のない平らな声で鳴き続ける。

 

 すっかり俺から興味を失ってしまったのか、今度はこちらに背を向けて山賊たちを見送っている。


 もう少しでも山賊の救出が遅れていたのなら、この厄介そうな敵とも戦闘になっていたことだろう。

 

 今もなお、喉元を輝かせて臨戦態勢を解かないトカゲ。

 

 ゆっくり……ゆっくり……。

 この個体だけが時折見せていた、静かで深みのある紅の明滅。

 

 ……そういえば、こいつが炎を吐き出したのは全部でただの二回。

 その時は、他のトカゲと同様に、忙しのない明滅からの火炎放射だった。

 

 ただの癖?それともこけおどし?

 ……そんなわけはないだろう。

 

 どう考えてもこいつは特別製。

 

 おごらず、嘆かず、感情はあくまでも揺るがず。

 命令にはほとほと忠実。

 しかし、想定外の出来事へも自分の頭で考えて即時対処できる柔軟な思考回路。

 

 おそらくは製作者が思い描いた生物兵器としての理想形がこの個体なのだろう。

 

 ……そんな特別が。

 最優先の指令オーダーである領地の守護、それを侵した不届き者をこのまま黙って見過ごすだろうか?

 

 ピクッ……。

 

 俺の全身の肌という肌が一瞬でヒリつく。

 

 ……なつかしい。

 

 またしてもそう思った。

 

 「っくぅ!!」

 

 ダッ!!

 

 俺は跳ぶ。

 さきほどの戦闘時よりもまだ高速で、トカゲに向かって肉薄する。

 

 それほど距離はない。

 トカゲまでたどり着くまでに数秒とはかからないだろう。

 

 度重なる酷使のために刀身がボロボロになった剣。

 それを突き出しながら、俺は跳ぶ。


 「逃げろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」

 「「「え?」」」」

 「ぐぅぅぅ……ボアァ!!」

 

            ゴバアアアァァァァァァァァ!!!


 俺の叫び、山賊たちの気の抜けた声、トカゲの炎。

 その三つの異なる音が同時に重なった瞬間、すべては手遅れになった。


            バゴォォォォォォォォンンンンン!!!


 それまで見てきたものと明らかに違う炎。

 放射的に広がる火炎ではなく、もっと熱エネルギーが凝縮されて丸みを帯びた火球。

 

 速さにしても、火力にしても、有効射程範囲の広さにしても段違い。

 

 それが、山賊たち4人の背中に向かって放たれ、間をおかずして大爆発が起こる。

 

 ……そうだよ。

 少し考えればわかったことじゃないか。

 

 いくらトカゲの火炎が強力なものであっても、ただの火炎放射だけで建物の破壊がこんなに簡単にできるわけがない。


 ホンス爺さんの家のある丘から聞いたのは紛れもなく爆発音。

 

 火薬庫やガソリンスタンド、薬品工場でもあれば別なのだろうけれど、ここはマホウの世界の小さな小さな田舎街。

 爆破を誘爆するものなどありはしない。

 

 だったら他に爆薬ないしそれに類するものがあると、何故俺は考えなかった?

 

 何度も気が付くチャンスはあった。

 このトカゲの特別な明滅を、どうしてもって深刻にとらえなかった?

 

 油断していた。

 鈍っていた。

 怠っていた。

 おごっていた。


 俺が『龍神たつがみ』の一構成員として活動していたのが十年。

 そして『龍神たつがみ』が壊滅して野に下ってからもまた十年。

 

 『バケモノ』と呼ばれ続けた十年と、呼ばれなくなってからの十年。

 同じだけの月日が流れ去った。

 

 後悔やら慙愧やらばかりにかまけて、命のやり取りをするような日常から離れてもう十年だ。

 

 惰性で生きる平和で穏やかな日常。

 そこに埋没してきた結果がこれだ。

 

 ……爆発によって生じた黒煙が薄らぎ、状況が見えてくる。

 

 焼けたというよりはただ万遍なく焦げた何か。

 黒いというよりは『無い』というような何か。


 ちょうど4つ。


 一つと一つは、まるで肩に担ぎ上げるものと担がれたもののように折り重なっていた。

 一つと一つは、まるで協力して何かを運んでいたかのように連なりあっていた。


 「………っっ!!」

 

 ギリギリギリギリ……。

 

 剣の柄を握りしめる手に、自然と力がこもる。

 

 ピキピキ……ピキピキ……


 確かにこの街の惨状。

 その凄惨な光景は、俺のよく知る、俺が今も事あるごとに懐古してしまう景色と何ら変わることはない。

 

 しかし、唯一、そこにはあって、ここにはないものがあった。

 

 それは『殺意』。

 

 特定の人物に向けられたものでも、不特定多数の誰かを対象としたものであっても。

 この街には『殺意』というものが欠けていた。

 

 この異世界には優しさばかりでそんなものが存在しないから?。

 トカゲたちにはそんな感情がプログラムされていないから?

 ……どれも違う。


 これは製作者の意志なのだ。


 トカゲたちの制作者であり、今回の惨事の黒幕である誰か。

 そいつ自体、別段、街の人々を皆殺しにしようなんて魂胆は端からないのだ。


 目的はわからない。

 さきほど山賊の男と動機についてあれこれと話をしたけれど、やはりその本心は検討もつかない。

 

 ただ、これだけは言える。

 

 『別段殺すつもりはないけれど、殺したところで構いはしない』

 

 何かの目的のため、何かを成し遂げるため。

 そのついでに街は焼かれ、おまけで人が死んだ。

 

 そう、ついでとおまけ。

 

 その死に、意味なんて……ない。

 

 ピキピキピキ……ピキピキピキ…… 

 

 ……結局、また俺は何も守れなかった。

 

 俺はいつまでも、いつまでも。

 

 どこにいても、なにをしていても。

 

 俺はいつまでも俺なんだな……。

 

 ………

 ……

 …

 

 「………ふぅ……」

 

 溜息を一つ、短く吐く。

 右手に込めた力が抜けていく。

 

 随分と握り込み過ぎたみたいだ。

 爪が割れている。

 皮膚が裂けている。

 血がにじんでいる。

 

 ……金色に輝くものが剥がれ落ちていく。


 「……さて……と……」


 俺はゆっくりと残りのトカゲの方に歩み寄る。

 

 ……ああ、気怠い。

 すごく疲れた。

 眠い。

 倒れそう。

 面倒くさい。

 嫌だ。

 

 ちゃっちゃと終わらせよう。

 ……ん?

 ……何を?

 

 さっさと帰ろう。

 ……えっと。

 ……どこに?

 

 「…………」

 

 「キュロロロロ……」

 

 ……まぁ、いいか。

 とりあえず、コイツを……。

 

 「……三つ」

 

 目の前にいる何もかもを……。

 殺せばいいんだったけ?……。


 ズバシャァァァァァ!!!!


 「ギョ……ロ……」

 

 目の前にいた何かの首が落ちる。

 剣が根元から折れる。

 

 「…………」

 

 ……あらあら。

 折れた剣をその場に捨てる。

 

 「………」

 

 ……さてさて。

 それじゃぁ帰ろうか。

 

 うん、どこに帰るのかはわからない。

 でもとにかく帰りたい。

 

 「…………」

 

 ……よしよし。

 とにかく歩いてみよう。

 

 そのうち帰る場所だって思い出すだろう。

 うん、そうに違いない。


 「「「キュロロロロ……」」」

 

 お、なんかいるな。

 それもたくさん。


 えっと……1、2、4、8、16、32、64……。

 わからないな。

 多すぎる。


 「「「「「キュロロロロ……」」」」」


 ああ、気持ちが悪い。


 ウジャウジャと、ゴチャゴチャと。


 とにかくたくさんで、とにかく耳障りで、とにもかくにも心に障る。


 不快、不快、ただ不愉快。

 

 「「「「「キュロロロロ……」」」」」

 

 「……うるさい」

 

 

             パリン

 


 そして

    俺の意識は

        沈んでいく


 真っ白な空白のような

     真黒な虚無のような

        そんな意識の一番深いところに


       俺は

         帰っていく

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