LOST DAYS~It‘s a wonderful WORLD~③

 立神マリネはずっと俺の傍にいた。

 

 それこそ物心がついた時から。

 

 俺が俺としてはじまったその瞬間から、彼女は常に俺とともにあった。


 朝隣りあって起きてから夜にまた隣りあって眠るまで、マリネはずっと俺の傍を離れなかった。

 

 寝間着から部屋着である着物へと着替える際も、俺は彼女の成すがままに脱がされ、着つけられた。


 箸の使い方どころか、『食事』という行為もまともに出来なかった俺の口に食べ物を運んでくれたし、排泄の際も入浴の際も、彼女は必ず付き添ってくれた。


 そのように人として最低限の生活すらできず、ただボンヤリと虚空を見つめている俺の世話を、マリネは献身的にしてくれた。


 感謝の言葉一つかけてこないカカシのような少年。

 何をされても眉尻一つ動かさない人形のような存在。


 背格好もあまり変わらない同年代の俺を介護することが、どれだけ彼女の負担だっただろう。

 

 マリネだって同じように守られ、世話をされ、もっと大きなものから庇護されなければならない子供だったはずなのに。


 彼女は不平も不満も決して漏らすことなく、いつまでたっても空っぽな俺に、それでもニコニコと変わらず笑いかけてくれた。


 そしてマリネは、そのどれもに誰の手も借りようとはしなかった。


 掃除や洗濯、寝床の準備。その他、生活に必要な家事全般を一人でこなした。

 

 さすがに食事の用意だけは屋敷の厨房で作られるものを相伴していたが……。


 「ごめんね。お料理は……まだちょっと勉強中なんだよ」


 と恥ずかしそうにいう彼女は、それでも配膳や盛り付け、食器の片づけなどに侍女を一切関わらせようとはしなかった。


 信頼をしていなかった……というわけでもないだろう。


 実際、侍女たちと仲は、時折雑談して笑いあっているところを見たりする限り良好のようだった。

 

 そもそも、常に明るくて人好きのする笑顔を浮かべられる彼女と敵対するのは中々に難しい。

 

 老若男女の誰もかれもが、ひとたびマリネと話をすれば、その魅力に自ずと引き込まれてしまうのだ。

 

 だからこれはまた別の問題。

 

 俺に関わることにだけは、マリネは異常なほどに潔癖的になった。

 

 まるでそれが自分に与えられた天命なのだと言いたげに。

 まるで俺に関するすべてに他の誰かが触れることを恐れるみたいに……。


 頑なに他者の干渉を拒み続けた。


―― わたしがずっとずっと一緒にいてあげるから ――


 『有言実行』という四字熟語は彼女がこの世に生み出した言葉なのではないかというくらい、マリネはその夜の自分の発言を、一から十までなぞって実行にうつした。

 

 いや……それだけでは不十分か。

 

 元からの世話焼きでも十全であったのに、あの夜を境にして言葉の意味などもはや二十や三十くらいにまで通り越す勢いで俺への構い方が過剰になった。

 

 ……ああ、そうか。

 

 互いに成長してからもマリネがことあるごとにお姉ちゃん風を吹かせて俺に絡んできていたのは、きっとこの頃の印象が彼女の心に強く刻み込まれていたからだったのかもしれない。

 

 過保護にして過剰保護。

 マリネの中でいつまでも俺は守らなくてはならない無力で無垢で、頼りない弟だったんだろうな。

 

 そんな生活が数か月続いた。

 

 そのつきっきりのマリネの過保護が実を結び、俺は少しずつでもまともに人間としての機能を獲得していった。

 

 まっさらな白紙であった語彙に文字や言葉が記され。

 何ものも反射しなかった黒い瞳に、夏から秋、そして冬に向かおうかという季節の移ろいが鮮やかに映り込み。

 光彩のなかった感情が、わずかにでも色づく気配を見せ始めた。

 

 本当に少しずつ、少しずつ。

 

 一枚一枚を。

 一かけら一かけらを。

 一しずく一しずくを。

 拾い集め、繋ぎ合わせ、注ぎ込むように。

 

 空っぽな俺は俺という存在をゆっくりと構築していった。

 

 ……そしてそんな亀のそれよりもまだ遅い速度で歩く俺の傍には、やっぱりいつでもマリネがいてくれた。



 「……こらぁ、イっくん。また勝手に着物の帯を緩めたでしょぉ?合わせの部分がダルダルになって、なんだか無駄にセクシーなんだよ」

 

 「…………」


 「もぉ、誰に向けたアピールなのそれ?ダメだよぉ、イっくん。お姉ちゃん以外の人にお色気振りまくだなんて許されないんだよ?それはもはや罪だよ?大いなる業だよ?弟が姉をないがしろにするなんて八つ目の大罪に抵触して新たな地獄を創造してしまうほど愚かな行為なんだよ?」

 

 「…………」


 「……キュッキュッ(俺の帯を締め直す)これでよしっと。……確かに冬物の着物は生地が厚くて何だか着心地が悪いのはわかるんだけどねぇ。だけどこれも風邪を引かないため、辛抱してほしいんだよ」

 

 「…………」

 

 「マリネちゃん、こんにちは。今日も相変わらずお母さんやってるなぁ」

 

 「こんにちは。お母さんじゃなくてお姉ちゃんなんだよ、ミムラさん。そこかなり重要だから」

 

 「マリネちゃんの中ではあ姉ちゃんの方が母親よりも偉いってことかい?」

 

 「そうなんだよ、コダイラさん。姉こそ至高、姉こそ究極の存在なんだよ」

 

 「お、さっそく俺が外から持ってきた漫画、読んでくれたみたいだね?」

 

 「え?ミムラ、あれを女の子に?どうなんだよそのセンス」

 

 「うるせえよ。マリネちゃんが読みたいって言ったんだからしょうがないだろうに」

 

 「普通に面白かったよぉ~」


 「……まぁ、マリネちゃんだしな」


 「そう、俺もマリネちゃんだしなと思ってさ」


 「なんだか納得いかない納得のされかたぁ。……でも、グルメ漫画というジャンルの可能性の深さをわたしはあの作品の中から見出したんだよ」


 「どこのご意見番?」


 「そのうち少年誌で連載されたりして世間で一大ムーブメントを起こすんじゃないかとわたしは予想してるんだけどぉ」

 

 「ムーブメントのことはよくわからないけど、やっぱりマリネちゃんはもうちょっとこう女の子らしいものを読んだほうがいいんじゃないのか?」

 

 「う~ん??どうしてかなぁ?」

 

 「いやさ、そういうのを読むことによって、女の子としての慎みみたいなものを身に付けて……」

 

 「ほーそれは遠回しにわたしが女の子らしくないと?」


 「え?」


 「ちょ!おま!ばか!」


 「ほうほう、おっぱいもなければ髪も短いわたしは男の子と混じって走り回っていてもなんの違和感もないと?つまりわたしはお姉ちゃんではなくお兄ちゃんじゃねーかと?そう言いたいんだね?」

 

 「下手なこと口走ってんじゃねーよ、コダイラ!!荒ぶったマリネちゃんなんて総代くらいしか止められる人いないんだから!!」

 

 「やべぇ!!あーあー……」


 「そ、そうだ!!坊主、おまえも読んだか、あの漫画!?」

 

 「…………」

 

 「話のそらし方が下手くそか!?」

 

 「イっくんにはまだ早いんだよ」

 

 「あ、うまくいった」

 

 「……いやいやいや。『美味し○ぼ』に教育的に憚られるような模写は一切出てこないと思うぞ、マリネちゃん」

 

 「人の家の教育方針にケチを付けないでくださる?」

 

 「お姉ちゃんを飛び越えて単なる教育ママになっちゃってるよ」

 

 「いいんですぅ~。イっくんはわたしの敷いた安全なレールの上を走っていればそれでいいんですぅ」

 

 「……おい、ミムラ。他に一体、どんな漫画を貸したんだよ?」

 

 「いや、これは多分、トレンディドラマの再放送にかぶれているだけだ」

 

 「ねぇ~イっくん?イっくんはお爺ちゃんになってもお姉ちゃんがずっと世話してあげますからねぇ~」

 

 「……おい、坊主。このままじゃお前、マザコンダメ大人まっしぐらだぞ」

 

 「…………」

 

 「……相変わらず何もしゃべらないなコイツ」

 

 「正直、何を考えてるかわからなくて不気味……ではないです!!奥ゆかしくて素晴らしいお子様だと思います、はい!!」

 

 「……まぁ、セーフにしておくんだよ」


 「……ほっ……」


 「これでもイっくん、だいぶ言葉を覚えてきたんだよ」


 「俺、コイツの声って聞いたことないんだけど」


 「家ではよくしゃべるとか?」


 「うーん、一日に五文字くらいかなぁ」

 

 「朝一番に『おはよう』を言ったら残り一機。……なかなかシビアな設定だな」


 「それに口数は少ないけれど、わたしたちの言葉は理解してくれてるんだよ。決してカカシなんかじゃない。人形なんかじゃない。だから褒められれば嬉しいし、悪口を言われればちゃんと傷つくんだよ」


 「いや、別に俺らはそいつを悪く言ってるわけでは……」

 

 「そいつじゃない。イっくんだよ」

 

 「……マリネちゃん……」


 「タチガミ・イチジっていう立派な名前を持った、わたしたちと同じ人間なんだよ」

 

 「……悪かったよ……マリネちゃん」

 

 「ああ、そうだな。確かに、変な色眼鏡で見ていたところがあった……ごめんな」

 

 「謝るのはわたしにじゃない」

 

 「……悪かった……えっと……イチジ?」

 

 「感情がこもってないんだよ」

 

 「……ごめんなさい」

 

 「……頭を下げる角度が足りないんじゃないかなぁ~」


 「え?」


 「もっとこう平身低頭?三点土下座?這いつくばって額を地面にこすりつけながら惨めに許しを乞うがいいんだよ」

 

 「実はさっきのまだ根に持ってた!?」


 「マリネちゃんこそもうちょっと俺らを人間として扱ってくれよ!?」

 

 「ふん……。ねぇ~イっくん?お姉ちゃんはお姉ちゃんだもんねぇ?誰よりも女の子らしくて優しくて可愛くて慎みとか嗜みとか、もう凄いもんねぇ?イっくんだけはわかってくれるもんねぇ?」

 

 「…………」

 

 「そんなお姉ちゃんのこと、イっくんは大好きだもんねぇ?……きゃーイっくんてば人前で何言ってるのぉ~もぉ~♡」

 

 「……ウザイな(ボソ)」

 

 「……ああ、ウザイ。こいつも苦労してるんだな(ボソボソ)」

 

 「…………」

 

 「もちろん、わたしもイっくんのことが大好きなんだよ♡相思相愛なんだよ♡♡めくるめくメイク・ラヴなんだよ♡♡♡」

 

 「……っ……」

 

 「あ、何か喋るみたいだぞ」

 

 「さぁ、イっくん、この世界にイっくんの美声を……そしてお姉ちゃんへの愛を轟かせるんだよ!」

 

 「……ウザイ……」

 

 「ぐぼぉぁぁぁ!!??」

 

 「マリネちゃんの口からあり得ない量の吐血が!?」

 

 「俺たちが小声でしか言えないことをあんなに堂々と。……やるな……タチガミ・イチジ」

 

 「……えっと……イ、イっくん?……い、今のはわたしの聞きまちが……」

 

 「ウザイ」

 

 「いぼばぁぁぁぁ!!!!????」

 

 「やばい!致死量!!致死量の血が!!」

 

 「六文字……新記録を更新したんじゃないか?」

 

 「……(ユラリ)……」

 

 「え?あの、マリネちゃん?」

 

 「……(ユラリ、ユラリ)……」

 

 「そのどこからともなく取り出した鋭利な刃物はなんだろう?そしてそれをどうして俺たちに向けているんだろう?」

 

 「……誰?(ポツリ)」

 

 「え?」

 

 「一体誰?イっくんの神聖なる言の葉の庭を荒らす、汚らしい言葉を教えた輩は……」

 

 「いや……えっと……待った待った待った!?」

 

 「やばいやばいやばい!!目がイってる!!人がしちゃいけない目つきをしてる!!」

 

 「返して……わたしの……わたしたちの永遠の楽園を返してぇ!!!!」

 

 「「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」」

 

 「……うるさい……」



 俺が人間らしさを得ていくにつれて、屋外へと出歩く機会も増えた。

 

 そこには屋敷の中とはまた違う世界、違う景色が広がり。

 知らない人間の顔、聞き覚えの無い声、真新しい言葉がたくさんあった。


 俺はそんな数多の情報の乱流諸々を乾いたスポンジのように、清も濁もなく、軒並み吸収していった。

 

 その辺は幼い子供だった俺にとって『成長』と言っても差支えはないのだろう。

 

 見るもの、聞くもの、触るもの。


 常人にとっては何の変哲もないあれやこれやが、俺にとっては知識や見識を深めてくれる貴重な教材となってくれた。


 ……だから必然的に。

 

 自分という存在の異質性。

 自分の置かれている状況の特異性。


 そんなものに黙っていても勘づきはじめていたし。

 そんな俺と共にいるマリネもまた、多少気色は違えど異端の者であるということに気がつきはじめていた。


 立神の爺さん……つまりは、人里離れた山奥で独自のコミュニティを形成している、とある分野に特出したとある特殊な集団を一手に束ねる立神一族の当主であり、総大将の立神零厳たちがみれいげん


 立神の絶対にして無二の大黒柱であるそんな男の血を正統に引き継いだ唯一の存在。


 それが立神マリネだ。

 

 天然の金髪碧眼に、幼いながらもくっきりとした目鼻立ち。

 『マリネ』といういささか風変わりな名前。


 これで純粋な日本人。

 数代を遡ってみたところで混じり気もなければ濁り味もない生粋の日本人。


 おまけに名前の通りの厳めしい凶悪な顔をした爺さんと同じ血統だというのだから、遺伝子連中の考えていることは本当によくわからない。 

 

 爺さんの一人息子と、立神の分家筋に当たるらしい娘がマリネの親だった。

 生まれも育ちもふんわりとした俺とは違い、マリネの出自はそうハッキリとしている。

 

 しかし、その両親の顔も知らなければ思い出もないという点では、俺も彼女もまったく同じだった。

 

 誰かが親切に教えてくれたというわけでもなければ、ことさらこちらから聞いたこともなかったので確かなことは言えない。


 けれど、なんとなく。


 マリネを生んですぐに、どこぞの場所で何某かの理由があって共に死んでしまったんだろうなと、周りの環境を見れば簡単に予想ができた。


 娘に何を残すわけでもなく。

 むしろ特殊過ぎる環境下に娘を一人残したまま、呆気なく。

 彼らは死んでいったのだ。


 環境……そう、環境だ。

 

 しばらく顔が見えない、もしくは話の端々に上がるだけで顔すら見たことのない人間がいれば、ああ、どこかで野垂れ死んでしまったんだなという想像に直結できてしまうほど、俺のいた環境は特殊だった。

 

 山一つ、野を二つ三つ切り拓いた場所に畑や人が寝泊まりする家々が点在し、営みがあった。

 

 野を駆けずり回る子供だっていたし、それをたしなめる若い夫婦もいた。

 屋根に上って雨漏りを直している中年もいれば、縁側で日向ぼっこをしながらボンヤリとお茶をすする老人もいた。


 商店のようなものや役場らしきもの、学校みたいなものもあることはあった。


 ただ村と表現するにはもう少しだけ人の営みに乏しかったし、集落と表現するにもいささか方向性が違うような気もする。

 

 確かに、人がより良く生きる……もしくはより確実に生き残っていく術として集団を作り、肩を寄せ合ってできるのが村なり集落なりの定義であるのならば、そこは絶対にその枠外だっただろう。

 

 なにせ住人の誰もが、より良く生きたいとも、少しでも長く生き残りたいとも思っていない。

 

 むしろより効率良く、少しでも多くのものに死をもたらすことを念頭にすえていた。 


 そう、そこは誰が呼んだか『殺し屋の里』。

 

 暗殺稼業を生業とする傭兵軍団『龍神たつがみ』の本営だったのだ。

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