LOST DAYS~It‘s a wonderful WORLD~①

          @@@@@

 

 「いやぁ~これまた見事だねぇ~見事に真っ赤かだねぇ~」

 

 随分と気の抜けた声が聞こえる。

 腰に手を当て、指で作った輪を片目でのぞき、ヒューっと口笛まで吹いている。

 

 場所は少し小高くなった丘の上。

 街の全体を見渡すには丁度良く展望が拓けている絶好のポイント。


 これが観光旅行でもしているならば、そのような軽薄な態度にも違和感はない。

 多少、地元民に冷ややかな目を向けられたとしても、そんなものは気にしない。

 

 久しぶりのまとまった休暇くらい、存分にハメを外したっていいだろう。

 

 それがパスポートに判を押してもらう際、『良い旅を』という言葉と共に税関職員から旅行者に与えられる、既得権益なんだと俺は考えている。

 

 ……ただし、今は絶賛仕事中。

 

 俺も彼女も、他の仲間たちも。

 不眠不休で明日の食い扶持を稼いでいる真っ最中。

 

 外したり付けたりできるような便利なハメは生憎と誰も持ち合わせてはいないし、久しくまとまった休暇などとった覚えもなければ、取れるとさえ誰一人信じていない。


 「今年の夏も結局『大文字焼き』見れなかったしぃ~まぁ~その代わりと思えばいいのかなぁ」

 

 『大文字焼き』どころか小さな祭りの盆踊りに参加することもできないほどの多忙につぐ多忙。

 

 国内外を問わず、要請があればあちらこちらを転々と、ともすれば二日半で地球を半周したこともある。

 

 「せっかく本場のケバブが食べられるぅって楽しみにしてたのになぁ……」

 

 ここまで言えばわかると思うが、もちろん、呑気にご当地グルメに舌鼓をうつ暇だってない。

 

 ……そして。


 たとえ暇ができたとしても、そもそもケバブを提供していたはずの店も、今はもう……ない。

 

 「……ねえ、イっくんもそう思わない?」

 

 赤く色づく街を眺めていた彼女が俺の方に振り向く。

 

 大きな大きな満月を背に、眩いばかりの月光を浴びて煌めく長いプラチナブロンド。

 首を心持ち傾げてニコリとする、無邪気としか言いようのない微笑み。

 女性としては平均的な身長に備わった、平均をゆうに超えるほどたわわな胸部。


 たとえ実用性……というか実戦性だけを追求した色気も何もない強化服と防弾チョッキに身を包み、ゴツゴツしたミリタリーブーツを履いていても、女という性を決して失わない、不思議な色香……。


 「別に、俺は食いたくない」

 

 「え~だってケバブだよケバブ?ドネルだよ?シシカバブだよ?どれだよ?なんだよ?ってもんなんなんだよ?」

 

 「結局どれなんだよ」

 

 「う~ん、よくわかんないんだよ」

 

 「よくわかんないもんを食いたがるな。人にすすめるな」

 

 「でも、巷のオサレな人たちは口を開けばケバブだカバブってもうもうもう。それを食べながらスポーツバーでサッカー観戦するのが一種のステータスになっているらしいんだよ」

 

 「俺、野球派だから」

 

 「あ、わたしもわたしもぉ~。ケバブよりもホットドック食べながらファールボールをキャッチして、アナウンサーに『おいおい、あそこのレディの方がレフトのコリンズよりもキャッチがうまいんじゃないのか?GMは今すぐ彼女の座る席へスカウトを向かわせるべきだ』とかいじられたい派ぁ~」

 

 「俺、野球とベースボールは別の競技だと思っている派だから」

 

 「イっくんはもっとグローバルな視点を持つべきだと思うんだよ」

 

 「おまえはもっと母国を愛する心を持つべきだと思う」

 

 「あー心外ぃ~。母国愛してるよぉ~愛しまくってるよぉ~。わたしのバイブルがF子・F・F雄先生のコミックスだって知ってるくせにぃ~。」

 

 「どうして伏字にする配慮はできるのに、エフエフうるさくて人がイラつくのではないかという配慮はしてくれない」

 

 「あ~あ、あのカブがあればケバブでもカバブでも好きなだけ食べられるのになぁ。……あ、グルメなテーブルかけでも可」

 

 「ケバブとはカブ料理のことだったのか?」

 

 「も~イっくんこそ母国愛、足りてないんじゃないのぉ?Dらえもんを知らない日本人なんて存在するはずないんだよ。いていいはずないんだよ。ありえないんだよ。モグリだよ。モグリ・福蔵だよ」

 

 「……今夜は満月か……」

 

 「イっくんってホントつまんない男だよねぇ。そこは『F子違いやん!』っていうツッコミをしなければならないところなんだよ。話のそらし方にも捻りがないし、ただただ残念だよ」

 

 「おまえは俺に何を求めてるんだ」

 

 「ユーモアのセンスと心のゆとり、かな?……イっくんにはもっと人生を楽しんで欲しいんだよ」


 露骨に不機嫌になる俺の眉間のしわなど気にもせず、彼女は相変わらずニコニコと続ける。


 「そんなふうに朝から晩まで緊張の糸を張りつめさせていたら、ちょっとした刺激であっという間に心が折れちゃうんだよ」

 

 「……いまさら生き方なんて変えようがない」


 「きゃ~イっくんたらハードボイルドぉ~。もぉ~可愛いいんだからぁ~。そんなにお姉ちゃんを萌え萌えさせてどうする気ぃ?」

 

 「どうもしねぇよ」

 

 「でもね、生き方なんてこれからいくらでも変えられるんだよ」


 「そんなに簡単なもんじゃない。……それともおまえにはその方法がわかるのか?」

 

 「手始めにド○えもんのコミック全巻読破と映画版の制覇かなぁ。それだけで、イっくんの未来には明るさしか見えなくなるんだよ」


 「おまえ、人生なめてんの?一人の漫画家に人の未来委ね過ぎだろ。それともあれか?F子先生は神様かなにかのか?」


 「わたしにとってはそれ以上の存在と言っても過言じゃないんだよ」

 

 「過言にもほどがある」


 「……あ、ちなみにさっきのセットを最低5往復ね」


 「手始めの要求が高すぎる」


 「何言ってるのぉ~。近々リメイクされる予定のものや、奇天烈な発明家の話、未来のボロホテルの話まで網羅しろとは言わずに身を切る思いで譲歩しているのにぃ。サブカルチャーにとことん疎いイっくんに無理をさせまいとする純情な感情な姉心をわかって欲しいんだよ」


 「……どうでもいいが、その呼び方、何度止めろと言わせる気だ」


 「めんどくさくなって話を逸らしたんだね。しかもやっぱり下手くそ」


 「うるせぇ」

 

 「でもイっくんはイっくんなんだからしょうがないでしょぉ~。それにイっくんだってわたしのこと『おまえ』なんて呼ばないでって何度言ってもやめてくれないしぃ、フェアじゃないんだよ」

 

 「おまえはおまえだからな」

 

 「昔みたいに『マリねえ』って呼んでほしいんだけどなぁ」

 

 「ふん、誰が」

 

 「『マリネお姉ちゃんチュキチュキ♡』時代の復権を願わない日はないんだよ」

 

 「そんな時代が訪れた歴史はない」

 

 「じゃぁ『こ、これはマリネお姉ちゃんの下着!……ハァハァ』時代の方?」

 

 「……そんな時代が訪れた世界、終わってるな」

 

 「わたしはやぶさかじゃないんだけどなぁ~。イっくんがお姉ちゃんに萌え萌えラブンラブンでイチャラコチャラしている、そんなこことは全然、違う世界」

 

 「……お二人とも」


 俺と彼女の間に、神経質そうな女の声が割って入る。

 

 「イチャラコチャラしているところ申し訳ないのですが……そろそろ時間です」

 

 「は~い」「殺すぞ」

 

 俺たちがまったくの実のない話をしている間に、優秀な仲間たちはすっかり作戦の準備を整え終わったようだ。

 

 対物用でも対人用でも、押し並べて仰々しく黒光りする銃火器。

 大振りでも小振りでも、限界まで研磨されて妖しく煌めく刀剣。

 さもさもという見た目のものや、素人目には石鹸かチーズケーキにしか見えない各種爆薬の類。

 

 無骨な暗視ゴーグル。特殊金属性の盾。精神状態を安定させたいのか不安定にさせたいのかわからないブースタードラッグが入ったアンプル。

 

 どれもこれもが大切な商売道具。

 俺たちを生かし、誰かを殺すために必要な大事なものだ。

 

 「斥候の報告はどう、パクチー?」

 

 彼女が、さきほど声を掛けてきた女に向かって尋ねる。

 

 「はい。やはり大方は隊長が予想していた通りの惨状でした」

 

 「大方……ってことは、わたしが予想もできなかったこともあったんだね?」

 

 「……はい。……その通りなのですが……」

 

 「聞かせて、パクチー?」


 街の様子を見に行かせた斥候隊の報告を隊長たる彼女に伝えているわけなのだが、部隊の頭脳であり、常に冷静沈着かつ誰よりも冷徹なこの参謀が言いよどむなど珍しい。

 

 参謀の言葉尻を目聡くとらえて追及する彼女。

 声色も表情も、場違いに軽薄で陽気なのは相変わらず。

 

 ただ、どことなく、大蛇……いや、もっともっと大きな生物が大口を開けているような、今にも飲み込まれそうな圧迫感が彼女から漂っている。

 

 「……殲滅対象および今回の依頼主である政府軍の兵士、ならびに街の住人の生存は一人も確認できず。……代わりにバケモノを目視」

 

 「バケモノ?」「バケモノ?」

 

 思わず、彼女と声が重なる。

 

 「バケモノって具体的になんなんだ?」

 

 「わかりません」

 

 「わからない?」

 

 「ええ……ですので、私もいささか辟易しているのですが……」


 参謀は細い銀縁メガネのフレームを指でいじる。


 あー苛立ってるなこれは。


 人づてに聞いた情報ではあるが、どれだけそれを精査したところで、結局は『バケモノ』としか言い表せないバケモノということだったのだろう。


 几帳面で合理主義、潔癖がメガネを付けて歩いているような彼女からしたら、そんな抽象的な報告をしなければならない自分に、きっと多大なストレスを感じているに違いない。


 「……羽の生えた赤くて大きな生物らしきものの背中としか。正面に回ろうとした彼らでしたが、バケモノ……仮に生物Xとしますが、そのXはそのまま霧のように消えてしまった、とのことです」


 「……そいつら調子に乗ってクスリを打ち過ぎたんじゃないのか?」


 「はい。私もまず幻覚を疑ってはみましたが、彼らの精神状態は至って正常でした。ええ、至って正常、至って正気。……すべては正気のままの彼らの目の前で起こった紛れもない現実です。納得して受け入れて下さい」


 そして参謀はまたメガネの弦をいじる。

 いやいや、おまえが誰よりも納得していないじゃないか。

 

 「どういたしますか、隊長?」


 彼女は隊長様の方へ水を向ける。

 

 「う~ん……?」


 ……このパツキン、さっきから会話に入ってこないと思ったら呑気に枝毛のチェックなんてしてやがった。

 

 「どうするってぇ?」

 

 「不確定要素が強いです。殲滅対象も消えたことですし、おそれながら、私はこのまま撤退することを進言いたします」

 

 「不確定要素が『多い』ではなく『強い』かぁ……さすがパクチー、危険への想像がとてもしやすい国語力」

 

 「……私の母国は英語圏ですが」

 

 「じゃあパクチーもホットドック派なんだね?あ、それともスコーン片手にクリケット派?」

 

 「はい?」


 この春、とある国で巻き起こったクーデーター未遂の主犯格の暗殺が今回の任務だった。

 

 その男が手練れの精鋭とともにこの街に潜んでいるという情報を元に、依頼主である政府軍があぶり出しを行い、俺たちが殲滅するという流れだった。

 

 俺は改めて街を見下ろす。

 

 黒い噴煙と赤い爆炎が立ち上る、縁もゆかりもない中東の商業都市。

 罪もない、むこの民の命すらかえりみない荒っぽい作戦。

 

 別に心は痛まない。

 罪悪感なんて抱かない。

 

 圧政からの脱却を願って勇敢にも立ち上がった反政府軍の志にも。

 反旗を翻した裏切り者をかばう街の住人も同罪だと息巻く依頼主たちの心情にも。

 何も知らずに巻き込まれて命を落とす女子供の無念にも。

 

 俺はまったく感情移入ができない。

 

 善人だろうが悪人だろうが、罪があろうがなかろうが。

 命は等しく一人に一人。

 

 生きて始まり、死で終わるのが人生。

 生は生だし、死は死。

 

 その死に際も、その生き様も、命の前ではただただ等しいものだ。

 

 だから俺は同情なんてしない。

 何よりも平等な秤にかけられ、彼らはたまたま死の方への傾き方が重かっただけ。

 

 そう、それだけのこと。


 そして、その秤にのっているという点において、俺も彼らもまったくの対等だ。

 

 そう、等しく対等。

 

 俺自身、いつ何時、死が訪れるとも限らない。

 

 むしろ自分から死の元へ積極的に訪ねて行っているような毎日だ。

 

 まだその家のドアが開かれることはないが、こんな生活を送っているんだ、そう遠くないうちに俺は諸手をあげて招き入れられることになるんだろう。


 だから、覚悟はしている。

 だからこそ、感傷など挟まない。

 

 俺はきっと、自分が死ぬ間際……即死を逃れ、少しでも思考する時間と脳ミソが残っていたとしても。

 

 誰かを恨んだりしないし、何かを呪ったりもしない。

 

 特に無念にも残念にも思わないだろうし、取り立てて何かを思うこともないだろう。

 

 死は所詮、ただの死。生の行きつく終着点。

 

 その運命に、ことさら抗うこともないんだろう。 

 

 ……自分の死ですらそう思っている俺だ。

 

 多分、身近な人が。

 

 ここに揃った気心の知れた仲間や、ここにはいない幾つかの見知った顔。

 

 そして。

 

 彼女が死ぬのをこの眼で見たとしても、俺はやはり、何も思わないんだろうな……。


 「……ま~た、ここにシワが寄ってるんだよ、イっくん」

 

 眉間を小突かれた感触で、俺はハッとする。

 

 また下らない雑談を繰り広げていたと思ったが、どうやら職務もキッチリとこなしていたらしい。

 

 参謀は、隊の面々にそれぞれ指示を与えるべく、さっさとその場から立ち去っていた。

 

 残されたのはまたも俺と彼女の二人きり。

 

 俺が左で、彼女が右で。


 遥か昔の大昔……まだお互いに幼い子供だった時から変わらない、それが俺たちの立ち位置だった。

 

 「凛々しいイっくんも男らしくて素敵だけどぉ~わたしはやっぱり、のぼぉ~ってしているイっくんの顔が一番可愛くて一番好きなんだよ」

 

 「……それで、任務は継続なのか?」

 

 「もちろん。対象はいなくなっちゃったみたいだけどぉ~そのオジサマを殺した相手が誰なのか何なのか、せめてそれくらいはお土産に持って帰らないと、クライアントさんも納得しないでしょ?」

 

 「了解だ、隊長」

 

 「ぶぅ~イっくんに隊長って呼ばれるのも他人行儀で嫌だって言ったよねぇ~」

 

 俺は年甲斐もなくぶぅたれる彼女を無視し、部隊の方に合流するべく歩き出す。

 

 やれやれ。

 おまえがそんなだから、変に勘繰られるんだ。

 

 ほら、ニヤニヤとした何とも言えない生温い目でみんな見ているじゃないか。

 

 俺たちはあくまでも上司と部下。

 ここでは、少なくとも幼馴染でも、姉的存在でも、一緒に育った家族でもない。

 

 そしてどこでだって恋人でもなければ最愛の伴侶でもない。

 

 あくまで俺たちは他人同士。

 

 たとえおまえが死んでしまったところで……俺は……。

 

 「……ねぇ、イっくん?さっきの話の続きなんだけどね」

 

 俺の背中に向かって彼女が言う。

 

 俺は立ち止まり、首だけを向けて彼女を見る。

 

 紺碧の海を連想させる、青く澄んだ瞳とかち合う。

 

 何も見ていないようで、その実、誰よりも『見る』ということに真摯な瞳。

 

 何も知らないようで、何かもを悟ったように人の心にズケズケと踏み込んでくる柔らかな瞳。

 どれだけ心を閉ざした頑な人間でも、その碧眼に見つめられるだけで不思議と誰もが魅了され、胸襟を開いてしまう。


 それが純粋な戦闘力や豊富な経験の他に、彼女が一癖も二癖もある暗殺特化型の傭兵部隊、その長を任されているゆえんの一つでもある。


 まぁ……俺は昔から、どうにもこの目が苦手なんだが。

 

 「わたしはあると思うんだよ」

 

 「……ケバブの屋台のことか?」

 

 「『異世界』のことだよ」

 

 「……異世界」

 

 「そう、異世界。比喩でも例えでもなくてね、こことは……燃え盛る街を見下ろしながら呑気に話をしている、今こうやってわたしたちが生きている世界とは別の世界のこと」

 

 「…………」

 

 「機械や猿が人間を支配している世界かもしれない。巨大人型兵器で戦争を繰り広げている世界かもしれないし、天空に古代の城が漂っている世界かもしれない。……魔法や魔物が当たり前に存在する世界かもしれない」

 

 「その別世界があったとして、どうだっていうんだ?」

 

 「うん、だからね。別のわたしたちが生きている世界だってあるのかもしれない」

 

 「別の俺たち?」


 「そこではね、わたしもイっくんも、どこにでもいる普通の女の子と男の子なんだよ。血なまぐささも硝煙の匂いもしない、どこにでもある普通の中流家庭に生まれ、普通に学校に行き、普通に暮らし、普通に出会って、普通に恋をして、普通に就職して、普通に結婚して。……子供にも孫にもたくさん恵まれて、幸せいっぱいな老後をイチャイチャラブラブしながら過ごして、然るべきときに家族みんなに囲まれながら、手と手を取り合って、同じ日の同じ時刻、同じタイミングで一緒に老衰で死んでいく。……そんな世界だって、きっとどこかにあるんだと、わたしは心の底から信じているんだよ」

 

 「……ありえないな」

 

 「そしてわたしはね……」

 

 そうして彼女は、こちらを見据えていた青い眼を、大きく満ちた月へと向ける。

 

 いつもの飄々とした捉えどころのない表情ではない。


 どこか寂し気で、どこまでも空虚な横顔。

 いつか一度だけ見たことのある、彼女らしからぬ顔だ。


 「そしてわたしは……そんな普通の幸せを満喫している別のわたしのことが心の底から妬ましい」


 「…………」


 「……ううん、違うかな。……正確には羨ましいんだよ、イっくん」


 「……おまえでも、誰かを羨ましがったりするんだな」


 「自分でもビックリなんだよ。しかも相手が、他でもない自分自身。それも本当にいるのかどうかもわからない異世界の自分だなんて、笑っちゃうよねぇ~」

 

 そうして彼女は月を見つめたまま静かに笑う。

 

 変わらぬ無邪気な笑顔。

 どれだけ破顔しても端正さを失わない美しさ。

 

 ただ少しだけ、そこに翳りが見えるのは明るすぎる月明りが差したせいなのか。

 

 ……それとも、この世で。


 血なまぐさくて硝煙くさくて、殺伐とした毎日が延々と続くこの世界で唯一、俺だけがわかってあげられる哀しみなのか……。


 「……下らないことを言ってないで、さっさと行くぞ、隊長」


 「……うん……そうだね」


 俺はクルリと首を戻し、また歩き始める。

 背後の気配から、彼女が付いてきているのがわかる。

 

 きっと歩調も顔つきも、いつものものに戻っているんだろう。

 そう、決して部隊の他の仲間に、自分の内側に渦巻く本心を悟られないようにと。

 

 ……だからこそ……。


 「……さっさと行って、ちゃっちゃと終わらせよう」

 

 「イっくん?」

 

 「……そして、日本に帰ってから気晴らしにケバブ、食いにいくぞ」

 

 「……え?」

 

 「おまえがギャーギャーうるさいから、俺まで食べたくなってきちまっただろうに。……おまえのおごりだからな。あと、ちゃんと店の場所とか調べとけよ」

 

 「イっくん……」

 

 「……もしかしたら、おまえのいう異世界だかなんだかにケバブはないかもしれない。それならまだ、この世界だって捨てたもんじゃないだろう。……それに……な……」

 

 俺はガリガリと頭を掻く。

 あーガラにもないこと言っちゃってるよ、俺。恥ずかしい。

 

 「昔、この世界は素晴らしいって俺に教えてくれたのはどこのバカ姉だったけな?……自分で否定してんじゃねーよ、まったく……」

 

 「うん……うんうん!!」

 

 そう頷きながら、ガバリと彼女が俺の背中に飛び掛かってくる。

 それどころか俺の不精髭が生えた頬に頬擦りまでしてくる。

 

 「だからイっくんのこと大好きなんだよ!!」

 

 「ああ、もうウザったい!離れろ、ゴラ!」

 

 「わたしの『イっくんチュキチュキラブラブ♡♡』時代はいつまでも不滅なんだよ!!」

 

 「そんな時代、滅んでしまえ!!いいや、俺がこの手で消してやる!今すぐに!!」

 

 「ふふん、そんなこと言ってぇ~。背中に当たるおっぱいの感触が嬉しい立神一であった」

 

 「ぶち殺す!!」

 

 「あれぇ~イっくんにそんなことできるのぉ~。昔からこの手の勝負でわたしに一回でも勝てたことってあったかなぁ~」

 

 「言ったな?言っちまったな?よし、降りろ。今すぐ降りろ。そして黙って俺に殺されろ」

 

 「え~でもわたしが降りちゃったらおっぱいも一緒に降りることになるんだよ?おっぱいだけ残す技だなんて、さすがのわたしにも無理だよぉ~」

 

 「おっぱいから離れろや!!」

 

 「離れてもいいのぉ?」

 

 「あーもう、話が進まねぇ!!」

 

 「わたしたち、ずっと一緒だよ♡」

 

 「は・な・れ・ろぉぉぉぉぉ!!」

 

 俺の慟哭がその大きすぎる月を抱えた明るい夜空へと吸い込まれていく。

 

 背中の上でキャッキャとはしゃぐ彼女。

 呆れたように首を振る参謀。

 冷やかしたり、微笑ましそうにこちらを見る仲間たち。

 

 これから赤く燃え盛る街に。


 正体不明の敵が潜んでいるかもしれない街に突入する前とは思えない和やかな空気。

 

 あるいはこの世で一番死に近い場所に立っているのかもしれないというのに、どこまでも死から遠く感じる時間。

 

 俺も彼女も、仲間たちもわかっていた。

 

 これは所詮、かりそめの平穏。

 こんなものは不穏な風が撫で上げただけで脆くも崩れ去る砂の上の平和。

 

 けれど、みんな、笑っていた。

 心から幸福そうに笑っていた。

 

 これが俺の所属するチーム。

 彼女が普通の生活や普通の幸福、普通の平穏や普通の平和を犠牲にして作り上げた、彼女のチーム。

 

 その一端にでも自分が紛れられたことに。

 俺は……少しだけ、満足していた。

 

 ああ、そうさ。

 

 満足していたんだ。

 

 いつ果てるともしれないこの身、この現状。

 

 常日頃から生き様なんて知ったことではないと居直っている俺でも。

 

 生きる意味なんて考えたこともない、つまらない俺でも。

 

 この仲間たちと。


 彼女……俺の血の繋がらない姉にして、暗殺専門の傭兵部隊『龍神(たつがみ)』三代目総代、立神マリネと一緒に死んでいけるなら。

 

 それは結構、幸せな人生だったんじゃないかと。

 俺はその時、確かに思っていたんだ。


 だからこそ……。


 マリネを含めた部隊全員が死に。


 ただ俺一人だけが生き残った時。


 俺の人生に、幸せな結末が訪れる機会はもう、永遠になくなってしまったんだ。

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