第三章・赤い異世界生活~ARURU‘S view④~
目視できる範囲では、この通りの建物には壊滅的な損傷は見られません。
他の場所のように、等しく燃え、等しく崩れていることはいるのですが、どこもある程度の原型は留めています。
侵入した魔物の総数や経路がどんなものか定かではありませんが、舗装された石畳の上に刻まれたサラマンドラの足跡は、大通り近辺に集中しているようでした。
いくらか外れにあるこの通りの被害が比較的、軽微なのはそのためなのでしょうか……。
「コルカ~!!コルカ~!!」
わたくしは辿り着いた病院の扉を開け、中へと踏み込みます。
二階建ての石造り。
医療機関らしい、清潔そうな白で統一された壁面と室内の装飾。
しかし、一様に炎で焦げ付き、窓にはめ込んだガラスのことごとくが内側に割れて破片が散乱、ほとんど面影はありません。
「誰かぁ~!誰かおりませんのぉ~!!」
入院患者用の病室は二階だそうです。
わたくしは熱の侵食のせいで抜け落ちそうな木製の階段を駆け上がりながら、男の子の名前を呼び続けます。
「コルカ~!コルカ~!!」
ドンドンドン!!
「コルカ!?」
二階の廊下に立ったその時、惨事とは別種の物音、おそらく扉を激しく叩く音がはっきりとわたくしの耳に聞こえました。
「コルカ!いるんですの!?コルカ!」
ドンドンドン!!
「こちらです!奥の病室です!コルカ君も一緒です!!」
明らかに子供の声ではない、くぐもった男性の低い声。
わたくしは言葉に導かれるまま、突き当りにある部屋の扉の前へと向かいます。
「コルカ!」
「あなたは……あなたは私たちを助けに来てくれたのでしょうか?」
「そうですの!わたくしはある人に頼まれて、ここに寝たきりになっているという男の子を助けに来たんですの!」
「……待ってください!今、鍵を開けますので!」
ガチャリと錠をはずす音とともに、扉が開かれます。
まず目に入ったのはヒョロリと背の高い、とても細身な白衣を着た壮年の男性。
全体的に爬虫類を思わせるような、尖った鋭い顔をしています。
そして簡素ではるけれど一際清潔な部屋の片隅。
その四床あるベッドの一番奥で身を寄せ合っている、こちらも白衣姿の年若い女性と、怯えたような表情の小さな男の子がおりました。
三人とも軽症は負っていましたが、確かな命の煌めきがあります。
今宵、ドナの街に入ってから初めて出会えた生存者です。
「……あなたは?」
白衣の男性が訝し気にわたくしに問いかけます。
後ろ手に隠し持っているのは一般人が持つにしてはいささか大仰な大振りのナイフ……。
自衛のための武器なのでしょうか。
勢いで部屋に招き入れたとはいえ、この状況下。
見慣れぬ顔に警戒するのはよい心掛けかと思います。
その冷静さを見て、逆にわたくしの方で余計な警戒心を解きほぐすことが出来ました。
ですので、わたくしはレイピアの柄に添えていた手を離して両手を上げ、真っすぐに相手の目を見つめます。
敵意も害意もないのだと、わかってもらうために。
「大丈夫です。本当にわたくしはあなた方に害を成すものではありません」
「……そのようですね」
男性の肩と表情から力と険しさが抜けていきます。
「助けに来ていただいたのに、とんだご無礼をはたらき、誠に申し訳ございません」
「いえ、当然のことだと思います」
わたくしは男性の前をすり抜けてツカツカと病室を進み、奥のベッドで女性に抱かれながら震える男の子に向かって、腰をかがめます。
「……あなたがコルカで間違いないのですの?」
「ネ、ネエちゃんは……誰?」
「初めまして、わたくしの名前はアルル。ここに向かう途中、あなたの先生であるマリエラさんにあなたのことを頼まれた者ですの」
「セ、センセに!?ホント!?」
怯えていた男の子の目が、マリエラさんの名を出しただけでキラキラと輝きだします。
それだけで、彼女が本当に孤児院の子供たちから慕われている人格者なのだということがわかります。
「ええ、もちろん嘘など申しません。本来ならば先生ご自身が来るはずだったのですが、ちょっとした事情がございまして。わたくしが代わりにあなたをお迎えに参りました」
「センセは!?院のみんなは無事なのか!?」
「はい、みな怪我はしておりますけれど、全員、命に別状はございません。今頃は安全なところへと避難しているハズですの」
「センセ……みんな……うううう……よかった……よかったよぉ……」
コルカは泣き出します。
自分が助かるのだという安心感。
大好きな仲間たちが無事だったという安堵感。
そして自分がマリエラさんに見捨てられたわけではないのだとわかって心からホッとしたのだと思います。
なかなかの聞かん坊で手を焼いているのだと、昼間にマリエラさんは笑っていましたが、なんてことはありません。
白衣の女性の胸の中で涙を流す、仲間想いで情の厚い、素敵な男の子じゃないですの。
「……大丈夫……大丈夫ですの。必ずまた、みんなと会えますの。……会わせてみせますの」
男の子の生存を確認できた今、いつまでもここに居続けるわけにもまいりません。
わたくしは、白衣の男性へと向き直ります。
「あなた方は、こちらの病院の関係者ということでよろしいんですの?」
「はい、ジョルソンと申します。そちらの女性はシエル。私の妻であり、ともにここで医師をしています」
シエルと呼ばれた白衣の女性の方をチラリと見ると、彼女は頭を下げます。
「ここにはまだ他に誰かいらっしゃいますの?」
「いえ、私たち三人だけです。夜中なので職員は誰もおりませんでしたし、入院していた患者もコルカ君ただ一人でした」
「ではすぐにでもここを出ましょう。今のところ病院周辺の被害は少ないようですが、これからどうなるのかはわかりません」
「……正直、何が何やら……」
ジョルソン氏は頭を抱えます。
苦悶したように頭を横に振るたびに、彼の指にいくつも嵌められたゴツゴツとした指輪が外から漏れ出る炎の光を反射させます。
「私たちは一階の自宅部分で眠っていたのですが、突然の爆発音にたたき起こされ、様子を見に大通りの方へ出てみると、街にサラマンドラが溢れかえっていて……。状況が飲み込めず、とりあえずはこの病室に身を隠すことぐらいしかできなかったわけなのですが……」
混乱と恐怖、そして不安。
部屋の中にいても、自然と耳に入る音や、街を焼いた熱は伝わっていたでしょう。
むしろ、鍵のかかった部屋に閉じこもることで。
自ら退路を無くして籠ることで、煽られる恐怖心というものが確かにあります。
愛する人と幼い命。
その二つを守るために自分の選択が果たして正しかったのか自信を持てない……といった風です。
…………
…………
……ですので。
「……とりあえず、最善だったのではないかと思います」
わたくしはキッパリと断言します。
「ここに辿り着くまでに街の悲惨な様を見てきました。……それに果物屋のキルスさんから伺った限りでは、闇雲に逃げ回ったとしても、魔物の餌食になっていたことでしょう。どうやら、動き回る人間を優先して、攻撃をしかけている節がありますので」
「街は……それほどまでに……」
「……はい」
「……っく……」
わたくしの短い肯定の言葉に、まさしく男性は苦虫をかみつぶしたような表情を浮かべます。
「……一体……どうしてこんなことに……」
キルスさんも同じように理不尽な現実に対する怒りをあらわしていました。
どうしてこんなことに……。
ええ、本当に。
きっと、こういう状況に陥った時、人は自ずとそんなリアクションをするものなのでしょう。
……ええ、本当に。画に描いたようなリアクションですわ。
「……とはいえ、どうということもありません」
「……え?」
「あの程度の魔物であるならば、いくら束になってかかってきても、わたくしなら容易に排除が可能ですわ。現にこの病院の目と鼻の先で魔物に遭遇いたしましたが、この通り無傷で倒すことができましたし」
「……おお、サラマンドラ相手に無傷とは。あなたは傭兵……ギルドの生存者なのでしょうか?」
「……いいえ」
わたくしは目だけは真剣に、ニコリと微笑みます。
「ただのしがない旅の者ですわ」
「そうですか……いや、実に頼もしい……頼もしい限りです」
ジョルソン氏も、ニコリと微笑みを返します。
もちろん、目だけはわたくしと同様、とてもとても真剣な眼差しでした。
「では、そろそろ参りましょうか。コルカは……申し訳ありません。シエルさんがそのままお連れになってくれませんでしょうか?」
わたくしはジョルソン氏の奥方に向かって言います。
「わたくしは先陣をきって道を切り拓く役目がございますので。抱えたままではむしろ余計に危険に晒してしまうかもしれません」
「は、はい!もちろんです」
「あなたもそれでよろしいでしょうか?」
「うん!オレ、ねーちゃんセンセと行く!」
「あらあら、マリエラさんといい奥様といい、『先生』と付く女性に懐く傾向があるのでしょうか?」
「そ、そんなんじゃーねーよ!」
「ハッハッハ。すっかり妻を取られてしまいましたな」
少年と呼ぶにもまだ幼い子供を中心にして、和やかな雰囲気が訪れます。
壁一つ隔てた向こうで繰り広げられている悲惨さを一時忘れさせる、そんな心地よい空気です。
しかし、もちろん。
所詮それはかりそめのもの。
わたくしはこの三人を連れて、一層、ややこしい事態が待ち受けているであろう赤の世界に踏み出さなければなりません。
「では、わたくしが前。ジョルソンさんが中衛。その後ろをシエルさんという順番で付いてきてくださいまし。……コルカのこと……どうかよろしくお願いいたしますわね」
「はい!わかりました!」
シエルさんの力強い返事を合図に、わたくしたちは廊下へと出ます。
建物内なら魔獣に警戒することはないだろうと確信はありました。
それでもわたくしは全方向、特に後ろを行く方々の方によくよく注意をして進みます。
「……それで、旅のお方……アルルさんと申しましたでしょうか?」
階段を駆け下りつつ、ジョルソン氏がわたくしの背中に話しかけます。
「ええ、どうしました?」
「改めて、助けにきていただいたこと、感謝したします」
「いいえ、こんなただの小娘相手に畏まらないでくださいまし」
「そんなことは……。誰かの、それも見知らぬ他人のために自ら危険に飛び込むことなど、なかなかできることではありません」
「なかなかできないと言うことは、裏を返せば気の持ちよう次第で誰でもいくらでもできる当たり前のこと、というのがわたくしの持論ですの」
「立派なお考えです」
「お医者様など、その自己犠牲の最たるご職業なのかと思っておりますがどうなのでしょう?」
「どう……なのでしょう……」
どことなく記憶を懐古しているように歯切れが悪く聞こえますが、背中を向けたままの会話では細かい感情の機微まではわかりません。
ただ、この背中に向けられる視線の気配だけはヒシヒシと伝わってきます。
「ところで避難をする……とは言いますが、当てはあるのでしょうか?」
「はい、そこならば魔物の侵入もありえないでしょう」
「そのように断言できるほどの場所がこの街に?それは一体どこなのでしょう?」
「……実際に行ってみればスグにわかるかと思いますの」
「……なるほど……」
わたくしは外へと通ずる扉の前まできて止まります。
それに合わせて、後ろに続いてくる気配もまたピタリと足を止めたのを感じます。
「ええ、そう……」
わたくしは、鞘に納めていたレイピアの柄を握ります。
「実際に、行ければの話ですけれど!」
キィィィィン!!
わたくしが振り向きと同時に抜き放ったレイピアの刃が、激しい火花と金属音を上げます。
激突したのは大振りのナイフ。
返しの部分が残酷に尖る波状を刻んだ、実に殺戮に特化した得物です。
「はぁぁぁああっ!!」
そのまま遠心力を利かせた刃を、さらに力任せに押し込みます。
ただの旅する少女だと思ったら大間違い。
瞬時に魔力を付与したレイピアと、鍛錬によって身に付いた技と筋力は伊達じゃありませんの。
「……ちっ」
力負けしたのは相手の方。
上段から振るったナイフをはじかれそうになり、襲撃者は思わず舌打ちと共に横へと飛び、わたくしと、コルカを抱えた女性から距離をとります。
「奇襲するならば、最後まで殺気を抑えて演技を続けなければいけませんことよ……ジョルソンさん?」
そう言ったわたくしの目線の先。
長身痩躯を白衣で包んだ男が、殺意もあらわにわたくしを睨んでいます。
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