第三章・赤い異世界生活~ARURU‘S view③~

 ドナの街が近づくにつれて、異変は顕著にわたくしを捉えます。

 

 「せやぁぁぁ!!!」


 「ギャァァス!」


 「はぁぁ!!」


 「ピュギィィ!」


 コウモリ型のコウバット。

 ウサギ型のミツメラビ。

 スライム型のジェリーム。

 低級の魔物が、先を急ぐわたくしに次々と襲い掛かってきます。


 山林に生息する、代表的な魔物たちです。

 日頃は、人の存在に怯える臆病な性質を持った者ばかりで、この様に自ら向かってくることなどほとんどありません。

 

 「せえぃ!!」


 「ブモォォ!」 

 

 おそらくは、街を取り巻く絶望に。

 あるいは街に侵入したサラマンドラの殺気にあてられたのでしょう。

 魔の物としての本能を呼び覚まされて、すっかり凶暴化しています。

 

 「もう!あなた方にかかずっている暇はございません……の!」


 「ピュギィィ!」

 

 とはいえ、所詮は最低級。

 魔力付与もしていないうえに、街に出たついでに武器屋で買い求めた急ごしらえのレイピア。

 その一薙ぎだけで簡単に倒すことができます。

 

 とりあえず街の周辺だけに限った異変のようですが、万一、逃げるホンスさんたちが襲撃をうけたとしても、迎撃に問題はなさそうです。

 

 「イチジ様もあの体術があれば……」


 ちょっとやそっとの戦闘では魔力のコーティングが剥がれ落ちることはないでしょう。

 

 「ですが、さすがにサラマンドラが相手では……」


 「ギィギィ!」

 

 「……そこを……おどきなさい!!」


 わたくしは駆け抜ける足もそのままに。

 立ちはだかる魔物を斬って斬って斬り捨てていきます。

 

 「イチジ様……イチジ様……」

 

 あの人が今、どんな状況にあるのかはわかりません。

 いつものように飄々と立ちまわっているのかもしれませんし。

 あるいは進退窮まる状態に追い詰められているのかもしれません。

 

 そして。

 

 そして……。

 

 もしかしたら。

 

 もう、何もかもが手遅れになって……。

 

 「っくぅ!」

 

 人というのは、どうしてこういう時には最悪なことばかり考えてしまうのでしょう。

 

 考えたくもない。思ってもいない。

 決してあり得てはいけないと願えば願うほど。

 イチジ様の身が炎に焼かれてしまう場面ばかり頭によぎってしまいます。

 

 「イチジ様!イチジ様!イチジ様ぁぁぁ!!」

 

 邪念を振り切るように、わたくしは叫びます。

 

 どうか、わたくしの声が届いてください。

 あなたを呼ぶ声があるのだと気が付いて、最後まで、絶対に生き抜いてください。


 こんな異世界でも。

 こんな異邦の地であっても。


 誰よりもあなたのことを想っている女がいるのだということを、わかってくださいませ。



            ☆★☆★☆



 「はぁ……はぁ……うっ……」

 

 低級魔物の妨害をかいくぐり、どうにかドナの街まで辿り着いたわたくし。

 

 戦闘をこなしながら全速力で走ってきて、さすがに息が上がってしまいましたが、街中に踏み込んだ瞬間、そこに広がる光景に、思わずその息を詰まらせてしまいました。

 

 一面に広がる、赤の世界。

 

 ごうごうと燃え盛る木造の家屋。

 立ち尽くしたまま身を焼き続ける街路樹。

 倒壊した石造りの建物の瓦礫から漏れ出る、押しつぶされた人々の血だまり。

 そして半ば炭化してもなおまだ全身を火だるまにした人、人、人……。

 

 お道化るように揺れ動いているものもあれば、譲れない信念でもあるかのように執拗に同じところで渦巻き続ける炎があった。

 

 焦げ付いてカラカラに乾いたものもあれば、未だ瑞々しさを保ったままの生々しい人の血液があった。

 

 大小にしろ多少にしろ。鮮やかさにしろ淀みの度合いにしろ。

 細々とした差分はいくらでも見つけられた。

 

 ただ、そこに内包された醜悪さと、平和な日常からは明らかに逸脱したまがまがしさは共通していて、申し合わせたように、そのすべてが不気味な統一感をもってして赤く染まっていました。

 

 「……ひどすぎる……」


 直視できないほどの凄惨な光景。

 

 人や食物や木々の焼けた匂い。

 服の上からも肌を焦がす膨大な熱。

 断続的に聞こえる爆発音。

 わたくしの五感のすべてが、変わり果てた街の有りようを伝えてきます。

 

 「……すぅ……はぁ……」

 

 こんな劣悪な環境下で。

 こんな最悪としか表現できないほどの状況下で。


 「……すぅ……はぁ……」


 ゆっくりと深呼吸をしているわたくしは、もはや正気ではないのでしょうか?


 「……すぅ……はぁ……」


 大きく息を吸う度、喉が焼け付くように痛みます。

 吐き気をもよおすような、ひどい匂いが口腔内に広がります。

 

 こんな空気を飲み込みたくない。

 こんなヒドイものを自分の一部になどしたくない。

 

 「……すぅ……はぁ……すぅ……はぁ……」


 ですが、わたくしは目をつぶり、一層、大きく息を吸い込みます。

 

 落ち着くのです、わたくし。

 冷静さを失ってはいけません、わたくし。

 

 怖いです。めげそうです。怖いです。

 

 焦ります。戸惑います。気が急きます。

 

 足がすくみます。手が震えます。

 

 何も見たくありません。何も聞きたくはありません。

 

 いますぐ柔らかなベッドの上で安らかに眠りたいです。

 

 血も炎も赤い色も無い、穏やかで幸せな夢を見たいです。

 

 それから少しだけ早起きして、今日も外へ働きに出かける二人の殿方の為に、あくびをしながら朝食を作りたいです。

 

 そして、しかるべき時……もう近日中でしょう。

 

 準備も万端にここから西へと、王都ラ・ウールへと向かい、またイチジ様と旅をするのです。

 

 ……そうです。

 

 まだ、わたくしにはやらなくてはならないことがあります。

 為すべきことがあるのです。


 この赤い世界を創りだした元凶を滅し。

 生存者、要救護者を助け。

 イチジ様とともにホンスさんのご自宅へと帰らなければなりません。

 

 「すぅぅぅぅぅ……はぁぁぁぁぁぁ……」


 最後にもう一度だけ、大きく大きく息を吸い、そして思い切り吐き出します。

 

 「……よしっ……」


 よし。よし。大丈夫。

 まだ大丈夫。わたくしはやれる。まだわたくしはわたくし。

 アルル=シルヴァリナ=ラ・ウールはまだ何にも負けていません。

 ええ、負けてなんていられませんわ。

 

 キッと目を見開きます。

 この白銀の瞳に映るすべてを真正面から見据えます。

 

 その痛ましい景色を。

 その悪意しか感じない赤々とした炎を。

 死するすべての人たちの無念を。

 命が焼け落ちた人たちの憎しみを。

 わたくしはしっかりと目と心に刻みこみ、再び走り出します。

 

 「……第一目標は生存者の救出。ここからなら……まずは病院が近いでしょうか」


 現状、少しでも目標達成の可能性が高い方を優先します。

 まずは病院。そこで寝たきりにあるはずの男の子を助けます。

 

 マリエラさんに託された使命です。

 本来なら自分自身が駆けつけてどうにかしたいという気持ちを、無理矢理に押さえ込み、泣く泣くわたくしへと託した、大切な想いです。

 

 正直、一秒でも早くイチジ様と合流をしたかったのですが、そんなことをしたら、きっとイチジ様はわたくしを軽蔑してしまうことでしょう。

 

 建前はいいから自分の気持ちを最優先に……それは彼から教わったことではあります。

 

 ただそれを、周囲のことになど目もくれず、自分本位になれと曲解するほど、わたくしは愚かではありませんし、イチジ様もそれは承知してくれているハズです。

 

 そもそもここで自分を優先してしまうような人間は、アルル=シルヴァリナ=ラ・ウールではありません。

 

 冷静に、冷徹に。

 気持ちの熱はそのままに、頭は常にクールであれ。

 

 我ながら難しいことを自分に強いているなと、思わず走りながら苦笑いがこぼれてしまいます。


 世間一般の普通の16歳なら。

 思春期、青春、真っただ中のただの少女なら。


 きっとこんな苦悩を背負い込むことなく、自分の恋心の赴くままに突っ走れたのかもしれません。

 

 ですが、わたくしはわたくし。

 イチジ様が強いと、正しいと、高潔だと言ってくれたアルルは。

 そのあなたの評価が間違っていなかったのだと証明するために、あなたを後回しにいたします。

 

 「……本当にお願いですから……わたくしを死なせないでくださいまし、イチジ様」

 

 もしもイチジ様の身に何かあったなら……ほんの数時間前、彼に宣言した通りのことを、わたくしは躊躇いなく実行して、後を追うことでしょう。

 

 あなたを後回しにします。

 自分の想いを封じ込めます。

 

 「ですが、そこだけは、頑なにツッパらさせていただきますわ」


 そんな決心を胸に秘めながら。

 あちこちに焼死体や圧死体が転がる道を。

 瓦礫や炎が障害となって進みにくい道を。

 

 わたくしは駆け抜けていきます。


             キュロロロロロロロ……

 

 角を曲がればもう病院の目の前というところで飛び出すように道に出ます。

 そんなわたくしに、視覚よりもまず聴覚が、悪しき者の存在を知らせてくれました。

 

 「……やっぱりあなたでしたのね」

 

 ずんぐりとした肢体。

 黒々とした体表面。

 細く鋭い切れ長の目。

 チロチロと口から出し入れされる先の割れた長い舌。

 そして人間で言えば喉ぼとけ辺りにある、溶岩のように煌々と紅く明滅する火袋。

 文献に記録されている通りのその特徴。

 紛れもなくトカゲ型魔獣・サラマンドラがその重たげな体を地面に這いつくばらせる様な恰好で、待ち構えていました。

 

 ん?待ち構え……。

 

 「……グゥゥゥゥゥ……ヴアァァァ!!!」


 「ちょっ……!?」


            ブヴァァァァァァァァァァ!!!


 ほとんど出合い頭のブレス攻撃。

 溜のインターバルもなく、唐突に離れた灼熱の炎。

 直撃を受けたわたくしの全身は、瞬く間にその炎のアギトに飲み込まれてしまいます。

 

 熱い……。

 これまでの人生で経験したこともない熱量です。

 景色を彩っていた赤色が、今はゼロ距離で視界の全面に広がっています。

 

 もしも、何も備えがなかったとしら、ひとたまりもなく、わたくしもこの景色の一部となっていたことでしょう。

 

 そう、備えがなかったとしたら……。


 「……うううぅぅぅ……おんどりゃぁ!!」


 体に纏わりついた炎が、爪の先ほども残さずに霧散し、かき消えます。

 少しはしたない声が出てしまったのはご勘弁ください。

 それくらいの気合を入れて魔力を放出しなければ、炎はいつまでも執拗に離れなかったはずですの。

 

 「サラマンドラがいるという仮定を立てておいて、何の対策もしてこないとお思いですか?」


 「キュロロ……」

 

 この魔物が人語を解しているようには思えません。

 

 しかし、それまで街も人も気ままに燃やし尽くしてきたであろう必殺のブレスを受けて、まったくの無傷で佇む人間の姿というのが理解できないという風に、サラマンドラは更に舌を忙しなくチロチロとします。

 

 事前に炎属性の攻撃に対する障壁を自分の体に纏わせていました。

 イチジ様に毎夜施す魔術の本来の使い方です。

 

 更には、今のわたくしの黒ずくめの恰好。

 ゲートをくぐって≪現世界(あらよ)≫に赴く際に着ていたものです。


 わたくしは≪次元(コネク)転移(ション)≫の成功率を上げるため、その魔法の創世者たるリリラ=リリスの生前の姿を頭からつま先まで模しました。

 

 とはいえ、ただ見た目だけを似せたのでは意味がありません。

 このドレスは魔力耐性を底上げしてくれる特殊な繊維で編まれた一級品です。


 しかもホーンライガーとの戦闘で傷んだところを、有事の際に必要になるだろうと夜なべしてチクチクと修繕し、さらには街で仕入れた新たな素材と魔術の重ね掛けで補強した強化版。

 

 ……まぁ……正直。


 こんな布面積の少ない、ちょっと跳ねまわっただけで上も下も下着が見えそうになるようなハレンチな服は趣味ではありません。

 

 おまけにもはや敵対心すら抱くほど不愉快な、あの性悪女の好んだ服装です。

 こんな時でもなければ、二度とは着たくなかったのですが、とりあえずは役には立ってくれました。

 

 ……誠に不本意ではありますが。

 

 「……そんなわけで、あなたの得意技は効きませんよ、トカゲさん」


 「グゥゥゥゥゥ……」


 「……愚直ですの」

 

 効果がないことも理解できないのか。

 それとも数を撃ってこちらの魔力切れでも狙っているのか。

 サラマンドラがもう一度ブレスを吐くために火袋へと魔力を回す、その間が開きます。

 

 「せりゃぁぁぁ!!!l」

 

 ビシュシュシュシュ!!!ズバシャァァァァァ!!

 

 「ギュロオオオオオオオオ!!!!」


 もちろん、わたくしは空気を読んで待ってなどあげません。

 

 一足飛びで魔物へと肉薄し、氷の魔術属性を付与して白く輝いたレイピアで、顔面を連続突き。

 顎が上がったところで、最後に大ぶりの一薙ぎを喉へと食らわせました。

 

 体表面が固いウロコで覆われたサラマンドラ。

 その弱点というのが他でもない、体の中でも一際柔らかい喉元……つまりは火袋の部分です。

 

 魔力を効率よく練るために、ウロコではなく伸縮性のある筋肉で覆われているとのことでしたが、文献の通り、魔力を付与した刃は、いとも容易くサラマンドラに致命傷を与えます。

 

 「ギュ……ロ…………」


 喉を切り裂かれて血潮を吹き出し、もはや鳴き声もまともに出せません。

 

 「同情はいたしません。あなた方はあまりにもやり過ぎたのですわ……」

 

 ズブブブブゥゥゥゥゥ!!

 

 裂けた喉元から脳天に向かい、レイピアを突き刺します。

 トドメの一撃が入り、声もなくサラマンドラは絶命。

 抜き去ったレイピアの刃に付いた血糊を払い、鞘に納めます。

 グッタリと地面にひれ伏す巨躯。

 そこから、この者をこの者たらしめていた魔素が体から抜けていきます。

 

 「……さすがに、あっけなさすぎますが……考えすぎなのでしょうか」

 

 この街にはギルド組合の支部が置かれています。

 熟練者揃いなのか、はたまた経験の浅い初心者だらけなのか。

 どの程度のレベルの集まりだったのかはわかりません。

 

 しかし、それでも一応は武芸を嗜み、それを生業とする者たちであることは間違いありません。

 このように火力は大きくとも冷静に対処さえすれば無傷で渡り合える相手。

 

 キルスさんが仰っていた通り、たとえ寄宿先である会館が奇襲にあったとしても、立て直してどうにかできなかったのでしょうか?

 

 ここまで一方的な虐殺を許したというのが本当に不思議でなりません。

 

 そして、わたくしが来るタイミングに合わせたかのようなラグのないブレス。

 敵か味方か視認することもなく、わたくしを殲滅の対象だと確信していた躊躇いのない攻撃。


 「待ち構えて……ですか。……これだけの喧騒の中、こちらの足音を聞き分けていた?……それともどこかに見張り役でもいて指示でも飛んでましたの?」

 

 やはり、どこかおかしい。


 奇襲を防がれた後の妙な間も、効かぬとわかって再びまったく同じ攻撃をしようとしたことも。

 今にして思えば、どこかプログラマティック、機械的。


 失敗に終わった指令オーダーへの対処に困り、とりあえず同じ行動をとってみたという感じでした。


 ……なんだか後味がよろしくないですの。

 勝利をしても、ねっとりとした気持ちの悪さがついて回ります。・

 

 「……とにもあれ、病院ですわね」


 疑問は多々あれども、それを詳しく考察している暇はありません。

 魔獣の亡骸をよけ、わたくしは病院を目指します。

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