第三章・赤い異世界生活~ARURU‘S view②~
「あ……ハンスさん!あれ!」
「ん?……あれは……人か?」
コツコツとホンスさんのお宅で暇を見つけては作って蓄えておいた魔術道具の中の一つ『閃光石』の眩い灯りが逆光となって、ハッキリとは確認できません。
ただ、全速力で馬を駆って進む、わたくしたちの進行方向から、蠢く影が見えました。
わたくしなどよりも余程、夜目の利くホンスさんが仰る通り、互いの距離が近づくにつれて、その影は大小さまざまな人の形を取り始めます。
こんな道の両端に背の高い木々が乱立する真っ暗な夜道を、カンテラ一つ持たずにやってくる複数の人間です。
「……です!……てくだ……!!!」
「どうどうどう……」
声らしきものが聞こえたところで、減速した荷車。
ちょうど人影の傍でピタリと静止します。
「お願いです!助けてください!!!」
開口一番、助けをこう声でした。
その切実な声と『閃光石』に照らされたお顔。
そのどちらにも、わたくしは覚えがありました。
「あなたは……孤児院の?」
「タチガミ様の奥様!?」
イチジ様が助けたという男の子の保護者である、孤児院の職員。
昼間にその男の子の容態についての報告も兼ねてイチジ様へお礼を言いにホンスさんの自宅へと単身参られた若い女性、確かお名前をマリエラさんと仰いましたか。
穏やかな物腰と知的な佇まい。
わたくしには無い大人びた魅力にあふれた方で、イチジ様と向かい合ってお話をされていた様子がどうにも画になり、わたくしは見苦しくも嫉妬してしまったのです。
勝手にライバル視していた素敵な女性。
これが平素の時であるならば、彼女の『奥様』発言にニヤニヤとしてしまうところでした。
しかし、どう見ても異常です。
あちこちが火傷とススによって汚れた色白のお顔。
片方のレンズに亀裂の入った細い眼鏡。
修道服のように地味でありながらも、彼女の清らかな心をそのまま表したような丈の長い服にいたっては、スカート部分が無残にも破れ、こちらも傷だらけの足が剥き出しになっています。
そして彼女の後ろに控えているのは数人の大人と孤児院の子供たちでしょうか。
彼らもやはりマリエラさんと同じように傷を負い、汗と血とススで汚れ、恐怖に涙したり、それすらもできずに茫然としていたりとしたりという有様です。
ドナの街で何かがあった……。
わかっていたことではありましたが、予感を裏付けるに充分なだけ、彼女たちのお姿と表情は痛ましいものでした。
「マリエラ!?お主、大丈夫か!?」
「ホンス様!どうか……どうかこの子たちをお願いいたします!」
「もちろん、それは構わん!じゃが、一体何があった!?」
「ああ、これで一安心です……。では、私は街に戻りますので!」
「ま、待ってくださいマリエラさん!」
子供たちの安全が確保されたと思うや否やマリエラさんは踵を返し、元来た道へとって帰ろうとします。
わたくしは慌てて荷馬車から降り、彼女の腕を掴んで止めます。
「放して……放してくださいアルル様!」
「っく!放しません!そんな怪我でどこに戻ると言うのです!」
「私、私、戻らないと……まだ、あの子が……コルカが病院のベッドにぃ……!」
「コルカ……イチジ様が助けた男の子ですわね」
「はい、はい!とにかくこの子たちだけでも避難させないとと思って街を出て……でも、でもコルカは……まだ一人でベッドから立ち上がることもできない状態のあの子は、きっとまだ病院に取り残されているハズです!私が助けて上げないと……コルカが……コルカが死んでしまう!!」
死んでしまう……。
彼女のように聡明な女性の口から簡単に出てくるような言葉ではありません。
それほどまでに街は差し迫った状況にあるのでしょう。
しかし、子供の心配をするあまりに正気を失っているマリエラさんから事情を聞くのは難しそうです。
「落ち着きなさい、マリエラ!」
わたくしの手を振りほどこうともがくマリエラさんの体を女性がギュッと抱きしめます。
「あんたがそんなに取り乱していたらあの子たちまで余計、不安になるでしょうに?」
「キル……ス……」
優しく抱きしめる女性の言葉にハッとしたマリエラさんの体から力が抜けていきます。
「コルカのことはもちろん心配だけど、だからと言ってあんたがみすみす死にに行くのを見逃せるほどアタシは物分かりが良くないんだよ……」
「うううううう………コルカ……コルカぁぁぁ!!!」
そのままマリエラさんは女性の胸に縋りついて慟哭します。
彼女自身、相当、恐怖もあったでしょうに。
それでも子供たちの保護者としてずっと気丈に振舞っていた、その緊張の糸がプツリと切れてしまったのです。
蘇る恐怖、己の無力、置き去りにしてしまった男の子に対する罪悪感。
そんな感情がない交ぜになった、哀しい哀しい涙でした。
「……あんたは……ホンス爺様のとこのお客さんだよね?」
「ええ、アルルと申します。あなたは確か果物屋さんの……」
「そう、キルスっていうの。このマリエラとは小さな時からの友達なんだ」
「……では、キルスさん。色々と混乱しているところを申し訳ないのですが……」
わかってる、とでも言いたげに、キルスさんはマリエラさんの背中をさすりながら何度か頷きます。
どうやら、それなりに肝の据わっている方のようで、他の人達に比べても比較的、冷静さを保っているようです。
「……魔物がさ……襲ってきたんだ……」
それでも当然、彼女にも恐怖心はあるでしょう。
自分の口からこぼれた『魔物』という単語にその禍々しさを思い出したのか、顔をしかめます。
「どこから湧いて出たのか、どこが最初に襲われたのか、全然わからないんだ。だけど、アタシが下宿先の部屋で本を読んでいて、そろそろ寝ようかと思っていたところでさ、すごい音がしたの。最初は地震かなと思ってびっくりしたんだけど、続けざまにバン、バンって音がして……。ああこれはただ事じゃないなって窓を開けて外を見たらさ……もう一面が火の海で……」
「やはりただの火事ではありませんでしたのね……」
「魔物……火を吹くトカゲの魔獣だった。燃え盛る家や露店のテント、そんな間をかいくぐって街の人達が悲鳴を上げながら逃げていて……その後ろからさ……そのトカゲが火を吹いて……その人たちを……」
キルスさんが唇を噛みます。
「火を吹くトカゲ……サラマンドラですの」
わたくしの持ちうる知識の中で、その特徴を持った魔物は一つしかありません。
サラマンドラ。
遥か古代、この世界の生物の頂点に君臨していたという伝説の大魔獣ドラゴンから派生したと呼ばれている種。
固いウロコと優れた耐火性。
最大にして唯一の武器は、体内にある火袋へと魔力を供給することで吐き出される灼熱のブレス。
火山地帯の草木も生えない乾燥した荒地を縄張りとしていて、短い四肢、それに不釣り合いな大きさの体のせいで動きはとても鈍重。
頭の働きも合わせて鈍く、周りにまったく興味を持たないマイペースなナマケモノ。
殺傷性に関してのランクは中級以上のポテンシャルですが、強く刺激さえしなければ、倒すことも避けることも用意な低級魔獣なはずです。
そうです。刺激さえしなければ……。
「……ここは本来の生息地域からまったくかけ離れた緑の多い環境。しかもサラマンドラが自らの意思で街を襲う?……あまりにもイレギュラーが重なりますの……」
「サラマンドラ……それがアイツらの名前……」
「ギルドの方々は?組合の支部があったハズですが、彼らなら応戦するのに充分なだけの戦闘力を持っていたかと」
「多分、一番初めか、少なくともかなり早い段階で潰されたんだと思う。逃げてくる最中にギルド会館の前を通ったけど、燃え方にしても、魔物の数にしても、一際あそこがひどかったから」
「いの一番にギルドを奇襲して戦力を削いだ?……そんな統率の取れた動き、ますます解せませんの……」
「わからない、わからないよ。意思とか理由とかはさ。……ただ実際、そのトカゲの群れが街も人も余さず焼き付くしているんだ。それが……現実なんだよ……」
「そうでしたわね……申し訳ありません……」
「……っくぅ……なんなのよ……なんだってのよアイツら!」
キルスさんはマリエラさんをきつく抱きしめながら大声を張り上げます。
凄惨な光景を目の当たりにしながら、恐怖よりもその理不尽な暴力への怒りの方が勝っているようです。
「一体、アタシたちが何をしたっていうのさ!そりゃ、小さな時から魔物が周りにいる環境で育ってきて、アイツらの恐さは知ってる。自分が襲われたって家族が殺されたって納得しなきゃいけないことなんだって……天災みたいなものなんだってちゃんとわかってる。だけどさ……だけど……やっぱりこれはあんまりじゃないの!?ただ普通に暮らして、ただ普通に生きていただけなのに……こんなの……こんなの……ひどすぎる……あんまりだよ……」
「…………」
「キルス……」
わたくしもホンスさんも、彼女の嘆きにかけるべき言葉が見つかりません。
安易な励まし、同情、そして同調。
どれを選んでも、きっと彼女を含めた街の人々の感情を逆撫でしてしまうだけでしょう。
ああ、本当にわたくしは未熟。
どれだけ難解な魔導書を解読できても。
どれだけ便利な魔道具を作り出すことができても。
同胞をなぶられ、故郷を蹂躙され。
嘆き、悲しみ、苦しんでいる人たちに、言葉一つかけられないだなんて……。
もしも。
もしも、あの方がこの場にいたとしたら。
一体、どうしたでしょうか?
「……ホンスさん……どこか安全に身を隠せるところをご存じありませんか?」
「……そうさな……」
あの方ならば……。
目の前にある現実をありのままに。
酸いも甘いも傷も痛みもそのままに。
妥協なく、誤魔化しもなく。
すべてを受け入れ、引き受け、背負って生きていく。
そんな、危うさを孕んだ強さを持つあの方ならば。
どんな言葉をみなにかけたのでしょうか?
「ワシの家の裏山に幾つか人目に付かない、普段は物置として使わせてもらっとる洞穴はあるが」
「では、ホンスさん。そこまで彼女たちを運んでくださいませんか?」
「無論、是非もない。……じゃが、その物言いじゃと……嬢ちゃんは行かないんじゃな?」
「ええ……そうですわね」
自分と同じような強さを強要する?
傷付いた人々に、それが現実だ、受け入れろと突き放す?
それでも生きて行けと。
生きぎたなくても前へ進めと。
自分の生き方を頭ごなしに押し付ける?
いいえ。
いいえ。
そんな残酷なことは仰らないでしょう。
そんな冷酷な仕打ちは決してなさらないでしょう。
そうです。
それはあまりにも残酷で冷酷で。
とてもとても歪んだ考え方なのだと、あの方自身が一番良くわかっている。
だからこそ、そんな歪みを他人に押し付けるようなことは絶対になさらない。
あの方は……。
わたくしの愛しいあの人は。
自分にひどく厳しくて、ひどく潔癖的なだけ。
足蹴にされる子供を放っておけなくて、賊の前に丸腰で飛び出したり。
危険に襲われた、数日世話になっただけの異世界の街のために駆けだしたり。
息苦しく、肩の力を張り過ぎていた頑固で融通の利かない愚かな娘のために、真正面からお説教をしたり。
他人にまるで興味がない風にしているくせに。
結局は他人のために何かをしてしまう。
タチガミ・イチジという殿方は。
そんな、単なるお人好しさんでしかないのですわ。
「わたくし、ちょっと行ってまいりますわ」
ですから、きっとイチジ様ならこうします。
励ましでも、叱咤でもなければ、そもそも言葉ですらもない。
その行動によって。
その体でもって。
彼女たちのためにできることを黙って成すに決まっているのですわ。
「嬢ちゃん……本当ならワシはお前さんを問答無用で引っ立てて一緒に避難したいところなんじゃが」
「ふふふ、それでも行かせてくれるところを見ると、ホンスさんも大分わたくしの性格をわかってきてくれましたの」
「ふん……毎日あれだけ騒がしく過ごしていれば誰だってお前さんらのバカさ加減に気が付こうて」
「アルル……」
「アルル様……」
ホンスさん、キルスさん、マリエラさん……皆様がそれぞれわたくしの方を物言いたげに見つめます。
こんな小娘一人に何ができるという懐疑。
こんな小娘一人が何をするのかという疑問。
こんな自分よりも年下の子供に何かがあったらという心配。
その他、色々と複雑な感情が入り混じる、そんな眼差しです。
「……心配には及びませんの」
わたくしはクルリと体を反転させて、街の方角へと数歩だけ足を踏み出します。
キィン……。
そして腰に差したレイピアを澄んだツバ鳴りとともに鞘から抜き放ちます。
「ただ、わたくしは……」
どうでしょうか、イチジ様?
今のわたくしの背中は。
皆の視線を一身に集めているこの小さなわたくしの背中は。
「夜遊びが過ぎる旦那様を、ちょっと街まで迎えに行く、それだけのこと」
あなたのそれのように。
数多の言葉よりも強くて説得力のある、頼もしい背中に見えているでしょうか?
「……そのついでに、街も人も全部丸っと助けてみせますの」
「……あんちゃんに言っておけ。明日も朝は早いんじゃから、さっさと帰ってこいってな」
「……アルル様……どうか……どうか街と……コルカのことをお願いいたします」
「……ごめんね、アルル……本当に……ごめん……」
わたくしは返事もせずに駆けだします。
さきほど、見送るしかなかったイチジ様のように。
走る。走る。走る。
街を救うため。人を救うため。
魔物を打倒するため。惨事を終わらせるため。
愛する殿方を守るため。
わたくしは灯りもない暗い夜道を全速力で走る。走る。走る。
早く。早く。もっと早く……。
わたくしの足よ。
どうか、あの人の元に、一刻も早くわたくしを運んでくださいまし。
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