第三章・赤い異世界生活~ARURU‘S view⑤~
「……いつから気づいていた?」
声の質も表情も、さきほどまでの医者然とした穏やかさからは程遠く。
ジョルソン氏が恨みがましくわたくしに尋ねます。
「いつからと聞かれたならば最初から。どこからかと聞かれてもやはり初めからだったと答えますわ」
「ふん……それでわざわざ茶番に付き合ってくれていたわけか」
「ええ、確信はありましたが、確証とまでは言い切れなかったので、少しだけ探りを入れさせていただきました」
「探り?」
「ええ、別に探偵小説のように推理ショーを披露したいわけではありませんが、あれこれとわたくしの質問に対する返答、言動のいくつかであなたの化けの皮は簡単に剥がれ落ちましたわ。……あなた、そんな演技力でよく街の方々をこれまで騙してこれたものですわね」
「……いや、実際、俺には芝居の才能があったと思うぞ。これまでの数年間。誰一人……それこそ、妻という立場で傍にいたそこの女にさえカケラも疑われたことはなかったからな。あんたの勘が異様に鋭かったんだろう。……どうにも、うまく誘導されてボロをだしてしまったみたいだな」
酷薄な笑み。
殺意にギラついた瞳。
乱暴な言葉遣い。
閃く残忍な刃。
これがこの男、本来の人間性なのでしょう。
ええ、本当に予想通り。なんて三文文士なレトリック。
一から十まで予想が当たり過ぎて、興ざめもいいところです。
どう見ても素人では扱え切れないどころか入手も困難であろう特殊な刃物。
キルスさんの反応を見る限り、この辺りの住人には耳馴染みがないハズであるのにサラリと口にした『サラマンドラ』という魔獣の名前。
何が起こっているのかわからないと言っていたわりに、わたくしを『ギルドの生存者』かと疑った言葉。
病院前を守護するように待ち構えていた魔獣。
被害の軽微なここら一帯の建物。
エトセトラ……エトセトラ……。
出そろった状況証拠。
違和感ばかりの言動の端々。
導き出される答えはただ一つ……。
「あなたがこの街の惨状を招いた張本人……でよろしいのでしょうか?」
「その通り……だよ!!」
ジョルソン氏……いえ、今となってはその名前ですら本名かどうか疑わしい男が、ご自慢のナイフを閃かせてゆらりとわたくしに襲い掛かってきます。
キィィン!!キン!キン!ガッ!キィィン!!
キン!キィン!キン!キィィィィン!!
金属と金属とが激しくぶつかり合う音が玄関ホールに響きます。
攻防は一進一退。
得物の長さはこちらが圧倒的に有利なのですが、男の長い腕はリーチという面で遥かにわたくしをしのぎます。
おまけに肩から腕にかけての関節が異常に柔らかい。
直線的な突きが来るかと思えば、直前でグニャリと軌道を曲げてきたり。
上段からの振り下ろしかと思えば、おおよそ経験したことのない角度から死角をついてきたり。
なるほど、男の技前は確かです。
バネを利かせた一撃は重たく、足さばきも素人ではありません。
そして何より……手慣れています。
武術や戦闘云々ではありません。
もっと乾いて、もっと黒くて、最も醜悪なもの。
ようするに人の殺し方……にです。
「人体の急所、脆弱な部分を的確にねらってきますのね。ただの隠れ蓑ではなく、本当に医療の知識もあるようですの」
「元々そっちが本業だ。……とはいえ、自己犠牲の精神なんてとっくに忘れちまったけどな!」
キィィィィン!!
一際重たい一撃です。
さきほどと同じように、鍔迫り合いの力比べとなります。
刃を挟んで睨み合うわたくしと男。
こうやって間近で見ると、余計に爬虫類……いえ、先入観のせいなのか、トカゲのような顔に見えて仕方がありません。
「どうしてこんなことを……と尋ねて答えてはいただけますの?」
「別に隠すほどのもんでもないからな。どうせこの街にはもう用はない」
男は薄い唇をことさらに薄くして、ニタリと笑います。
「俺は元から医者だったとは言ったが、街医者というわけではなく、少し特殊でな。帝国の軍医兼研究者だった」
「帝国……ラクロナ帝国の軍属?」
わたくしの故郷であるラ・ウール王国。
王政をしき、領土の統治・自治権を有する独立した国家ではあります。
しかし、それはこの広大なラクロナ大陸という視点から見れば、所詮は小さな一国家。
ラ・ウールと同じように王国を名乗る国が大小含めて10はあります。
そしてそれをひとまとめに牛耳る、更なる大きな統治権を持った軍事国家。
それを大陸の名をそのまま冠したラクロナ帝国と言います。
いわく、≪創世の七人≫がこの≪幻と世界こよ≫を生み出した時、初めに創立された由緒ある国。
いわく、≪
規模の面からも歴史的な観点からも、わたくしたち諸王国とは一線を画し、唯一無二、帝国を名乗ることを許された大国です。
そんな絶大な権力を持った国ゆえ、はるか昔では、小国との間で領土や統治に関するいざこざが絶えなかった、いわゆる戦国時代も長く続いたそうですが、現代では、相互扶助、貿易に交易、文化にしろ人の行き来にしろ盛んにおこなわれ、互いを尊重した平和的な関係を築けています。
とはいえ、まるきり対等かと言えばそればかりでもなく、諸王国のうちには、帝国の力……特に軍事力に恐れを抱き、ただの傀儡国家として成り立っているようなものも少なからずあります。
幸いにしてラ・ウールもまた歴史と伝統のある国。
お父様をはじめ歴代の国王は、戦乱の世にも中立的立場を頑なに固持し、国家としての体を守り続けてきたことで、帝国からも一目置かれる立場にあります。
「……帝国の軍人……。そんな選ばれし優秀な人間が、どうしてこのラ・ウールのはずれにあるドナで開業医などをしているのです?」
「優秀……ねぇ……」
キィィィィン!!キィィィィン!!キィィィィン!!
男が一度身を引き、すぐさま二度三度とナイフを打ち込み、また均衡状態となります。
「帝国の軍属に属する人間の総数……事務方や末端まで含めれば一体何人いると思う?」
「……確か公式の発表では3万人」
「そう公式では3万。そして公式には上がらないもの、上げてはいけない暗部の部分も合わせればその数、のべ5万人だ。俺が軍を抜けてからすでに数年。おそらくはもっと増えていることだろうな」
5万以上……。
もしも有事の際、ラ・ウールが兵として戦場に立たせることができる人の数は、国中から寄せ集めてもせいぜい5千。帝国正規軍の10分の1しかありません。
実際的な数字を出されて、改めてラクロナ帝国の大きさを痛感いたします。
「そんな5万人の全員がな、さっきあんたが言ったみたいな選ばれし優秀な人間なんだ。……わかるか?故郷の田舎で神童だ天才だなんてもてはやされて粋がっていた、前途に明るい未来しか見えていなかった小僧が、鼻息荒く帝都の城門をくぐり、帝宮に足を踏み入れた時の挫折感たるや……。まさに井の中のなんとやら……世界に選ばれた特別な人間だと疑いもしないで生きてきた俺が、所詮は5万人の中に埋もれる、ただの無力なカエルだと思い知らされた時の絶望を……」
「……わからないですわ」
攻防の中で男が語る独白を、わたしはにべもなく退けます。
「一つまみもあなたの気持ちをわかるわけもないし、わかりたいとも思いません」
「……あんたも俺と同族の人間だと思ったんだがな……」
「止めて下さいまし、そんな気色の悪い。……ええ、確かにわたくしは自分のことを天才だと、神童だと、世界に選ばれし特別な人間だと自負しているところはあります。……実際、あなたのいう井の中で、わたくしは他の追随を許さぬほど実績なり功績なりを上げてきましたわ」
グググ……。
語気と共に、レイピアにかける力も強まります。
「ですが……わたくしは所詮、無力なカエル。大局から見れば本当につまらない小さな存在だということも自覚しています。世界はあまりにも広大です。そしてそんな広い世界は必ずしも一つきりで無いこともわかっています。どれだけあがいても、どれだけ努力をしても世界から見ればわたくしなど豆粒にも劣るのでしょう」
グググググッッッ……。
「ぐぅぅぅ……」
「……それでもわたくしは挫折感など味わいません。絶望など持ったこともありません。少しでも大きくなろうと、強くあろうと、日々研鑽を怠りません。……あなたのように……少しの壁が立ちはだかっただけですべてを諦め、投げ出し、こんな辺境へと逃げのびようなどとは、思考の端にものぼったことはありませんの!!」
「ううう……うらぁぁ!!
わたくしの力に……そして強い意志に押し負けそうとみるや否や、男は鍔迫り合いを解き、やぶれかぶれな攻撃に転じます。
「うらうらうらうら!!」
決して広くはない玄関ホール。
それでもその細長い体を器用に動かし、最小にして効率のよい攻撃を男は繰り出し続けます。
キン!キン!ガッ!キィィン!!キン!キィン!
弾く、弾く、いなす。
突く、突く、いなされる。
わたくしもその場からあまり動かず、最低限の動きだけでラッシュをさばき、隙を見つけては即座に攻撃に移ります。
弾く、弾く、いなす。
突く、突く、いなされる。
弾く、弾く、いなす。
突く、斬る、かわされる。
いなす、かわす、かわす。
突く、突く、突く、突く……。
ピシィ……
「……ぐっ……」
わたくしの技量の方が一段上。
レイピアが男の頬を掠めます。
その痛みに一瞬たじろいだところを見逃しません。
「せりゃぁぁぁ!!!」
ズブシャァァァ!
「ぐおぉぉ!!」
渾身の一突き。
体重をのせた細剣の閃きが、男の腹部に突き刺さります。
「……手ごたえが浅い……」
肉を貫いた感触はありません。
防刃のチョッキでも白衣の下に着こんでいたのでしょう。
とはいえ、本来なら致命傷を負わせるほどの一撃。
勝負は決しました。
その衝撃に男の体は吹き飛び、ナイフも手から遠く放れ、仰向けに倒れ込みます。
「……ぐはっ!けほっ!げほっ!」
肺を圧迫されたことで、強制的に息が吐きだされます。
わたくしは、苦し気な顔をする男の喉元に容赦なく、レイピアを突き立てます。
「……ったく……嫌な目をするなぁ……あんた……げほっ!」
絶体絶命の状況にも、男はまた酷薄な笑みを浮かべ、わたくしの白銀の瞳を見つめます。
……虚勢を張っているというわけでもなさそうです。
まだ何か、奥の手が……?
「いたよ、いた。実務部隊にも研究畑にも、そんな真っ直ぐな目をした本物の天才たちが。ただでさえ俺なんかよりも優秀なくせして、俺なんかよりもよっぽど努力して日々高みを目指し続ける、本物の才能をもった変態野郎どもがな。……本当に……嫌な目だ。反吐が出る」
「……あなたの下らない劣等感は置いておくとして、まだ聞いてはいなかったですわね」
わたくしはレイピアの切っ先を男の喉元に軽く押し当てます。
「どうして魔物をけしかけてドナの街を襲ったのですか?そもそもどうやってあのサラマンドラ、それもおそらくは大量のサラマンドラをテイムすることができたのです?魔獣遣いではないのでしょう?……いえ、そもそもテイマーであったとしても、あまり知能を持たないサラマンドラに、あそこまで統率の取れた動きをさせることなど不可能なはずです。飼いならすことと魔獣本来の能力や存在意義そのものを書き換えることはまったくの別次元の話です」
「……軍では医者である前に研究者でもあったと言ったろ?」
クックックと男は卑屈な笑い声を上げます。
「ではなんの研究をしていたのか?魔術?天文学?軍事?政治?経済?いやいやいや、俺はあくまで人間の体を相手にする医者だ。当然、研究の主題だってそれに順ずるものに決まっている」
「まさか人体実験?」
「ククク……確かに生きた人間の頭蓋骨をかっさばいて脳ミソをいじくりまわしたり、勝手に体を改造して兵器流用しようと血眼になっていたお仲間はいたがな……。俺のテーマは少し違う」
そう言うと男は、喉が割かれるのも構わず素早く身を捻って体を起こし、わたくしから距離をとります。
太い血管は外れたようですが、それでも大量の血が男の首からボタボタとこぼれ落ちます。
「俺は人体になど興味はない。俺は……そのもっと根源にあるもの……人間ないし、生命あるものないもの、すべての始まりの大元……」
「……魔素……」
「おお、やっぱり魔素という単語を知っているか。そう、一般人には馴染みのない、その恩恵に与るだけ与っておいて誰も意識はしていない、この世界に存在するあらゆるものの生みの親。……それが……魔素」
おもむろに男は手の甲を上に指を大きく広げ、滴る血をそこに受けます。
いえ、正確には、十指のうち真ん中のそれぞれ中指と人差し指に嵌めた四つの指輪に血液を染みこませます。
途端、その四つの指輪が光を持ち始め、魔力にも似た力を感知させます。
「魔道具でしたの……?」
「違うな。俺は……というか他の大多数の人間は、魔素を余分に魔力変換できるほどの器は持っていない。確かに最近では軍にしろ一般企業にしろ、少しの魔力量で効率よく魔術まがいの事象を引き起こせる魔道具がだいぶ研究されてきた。……しかし、これは魔道具じゃない。発動に必要なのは魔力ではなく、魔素そのもの、『魔素具』とでも呼ぼうか」
「魔力ではなく魔素そのものを媒介に……?」
そんな話、聞いたこともありません。
いえ……魔素の存在を知りながらも正常な思考能力を持つ者であるならば考えつきもしない、考えること自体がそもそも憚られる外法です。
「魔力の精製とは、清濁も善悪もこえた思念の塊である魔素から不純物を浄化し、安全なエネルギーとして変換する工程そのもの。……あなたのそれは、ようするに剥き出しのままの思念を無理矢理に燃やすことに他なりません。指向性のない力の塊を操るなど≪創世の七人≫や強靭な肉体を有した原初の魔物でもない限り、人の生身では不可能。暴走し、やがては臨界に達したそれは、術者ごと爆発霧散するだけの運命です」
「そこをどうにかしようとしたのが、俺の研究ってわけだ」
指輪から放たれた光が色を持ち始めます。
それはなんとも形容しがたい複雑な色。
清であり濁。
善であり悪。
そんな諸々が濁り、渦巻く、妖しげな虹色の光です。
その虹色が男の体を覆っていきます。
魔力付与と似た原理なのでしょう。
しかし、そもそもが魔素と魔力というものの違い。
力の成り立ちが違うものなのでなんとも言えません。
……しかし……。
「せやぁぁぁぁ!!」
危険な兆候には変わり在りません。
ホーンライガーが奥の手として見せた魔力砲。
それと似通った不吉な予感がよぎります。
わくしは躊躇いなく斬りかかります。
ガキィィィィンン!!
刃物同士の鬩ぎあいとはまた別の。
硬質なものに押し負けて弾かれたという金属音がわたくしのレイピアから放たれます。
そう……。
存在が今よりもまだ不安定だったイチジ様がホーンライガーに攻撃をしかける度に聞こえた、干渉自体を拒絶された時のような音です。
「……理解はできただろう?生半可な魔力付与では俺の肉を貫くことは出来ない。魔素を変換することまではできても、魔素そのものには触れられない……その理は崩せない」
男に負わせた首と頬の傷、それに演出のためか体に負っていた軽微な傷が塞がっていきます。
回復……というよりは修復。
そして修復というよりは存在の改変といった趣があります。
「とはいえまだこの技術も不完全だ。研究成果を軍から持ち逃げしてから早数年。人目に付かない山の中で隠れてほそぼそと独自で研究を続けていたわけだが油断したな。サラマンドラに番をさせていたはずの工房が低俗な山賊どもの侵入を許し、いくつか大事な素材を盗まれてしまった」
ガキィィィィンン!!ガキィィィィンン!!ガキィィィィンン!!
男の口上に答えている間も惜しいです。
確かに刃は届きません。
攻撃のいちいちが魔素の壁に弾かれます。
しかし、男の言ったように、まだ未完成の技術。
まったく歯が立たないという手ごたえではなく、わたくしは愚直にレイピアを打ち込み続けます。
「このドナは街の規模に比べ流通も盛ん、物質的にも情報的にも充実している。軍から追われる身としては隠れ住むのにうってつけだと思わないか?」
男の体にまたしても変化があります。
元から冷血な目はより鋭く細まり。
薄い口元はより深く頬を裂き。
何より、肌色であった皮膚の色がくすんだ赤黒いものへと変貌し、やがてはウロコのようなものに覆われ始めました。
存在の改変……。
あながち間違ったたとえではなかったようです。
男は……少し前までジョルソンと名乗り、ドナの街で人々に信頼されるお医者様であったはずの男は、もはや人間であることすらやめてしまったようです。
その姿は紛れもなく魔物。
それも人間に限りなく近く、どこまでも遠い存在。
ラクロナ大陸とはまた別に存在する大陸の一つを支配しているという魔人族。
トカゲタイプということで……さしずめリザードマンというところでしょうか。
「生身の人間では扱えない、原初の魔物クラスでなければ魔素の力に耐えられない。……ああ、その通りだ。あんたの理論は何も間違えちゃいないし、それが覆ることなんてないだろうな。……だから、逆転の発想。生身の人間でなくなればいいと俺は考えていたんだ」
声帯まですっかり作り換えられてしまったようで、成人男性の発する低音の声が、どこかサラマンドラの鳴き声にも似た、耳障りな高音へと変わってしまいました。
「そこでサラマンドラだ。起源が原初の魔獣の王・ドラゴンだと言われているサラマンドラの細胞、遺伝情報、魔素そのもの。……俺はそれを形あるものとして抽出することに成功した。そして何千、何万というサラマンドラを集め、コツコツと貯め込んだ魔素を結晶化したものがこの指輪に埋め込まれている。それと俺自身の体内にある魔素とを反応させれば……ほら、この通り。簡単に魔物の王へと近づける。自由にやつらを操ることができるようになったのは、なんてことはない。この研究の副産物みたいなものだ」
「……ただ一言……おぞましいですわね」
「だろうな。それだけの数のサラマンドラを犠牲にしてまだ未完だというのだから、どれだけ原初の怪物はおぞましく、まがまがしい存在だったんだか。……まさに『魔の王』というところか」
「……あなたのその在りよう。身だけでなく心までも魔物に変貌させたその在りよう。おぞましさという点においては、充分ドラゴンと渡り合えるのではなくて?」
「クックック!それは誉め言葉にしかならないな。そして、もうしばらくすれば純然たる事実となるだろうさ」
「……どういうことですの?」
「この街に入れば物資にも情報にも事欠かない、そう言ったはずだ」
リザードマンは、わたくしが喋りながらも繰り出し続ける連撃を無視し、己の手の平を二度、三度握り込んで感触を確かめるような仕草をします。
「ギルドにとある依頼がなされた。ある積み荷を秘密裏に輸送する護衛の任務だ。元々は帝国軍がその任にあたるはずだった。しかし、予想以上に道のりは困難。積み荷の正体を公にできない以上、そこに帝国の関与が疑われることもあってはならないと大ぴっらに軍が動くわけにもいかない。……したがって矛先はギルドに向けられた。帝都のギルド組合本部が帝国から直々に受けた依頼ではあるが、なにせ極北から帝都までの長い道のり。結局、各地に点在するギルド支部をリレー方式で中継し、ある程度のところまでは運ぶという方式が採用された。……もちろん、素性を隠した軍関係者の帯同と、ギルドの傭兵たちには積み荷の正体を明かさないままという条件でな」
「っつ!まさか!」
「そう、今現在。その積み荷はこのドナのギルド会館にある。それを俺は強奪するためにサラマンドラの大軍をけしかけたってわけだ」
「そんな……たかが積み荷一つのために街を……ドナを、人々を焼き払ったというのですか!?」
「あー街の方はついでだ。俺はそのブツを手に入れさえすればそれでよかったんだが……まぁ、俺の大事な素材を盗んだ賊がまだ潜伏しているとうだったし、探す手間も面倒だったので、手っ取り早く焼いた、それだけだ」
「……狂ってる……」
「ああ、狂ってるさ。頭がおかしいさ。自分の目的のためなら他人の命などどうとも思わない、倫理観になど囚われず、己の好奇心、己の研究のためにいくらでも非人道的なことをする。……そんな狂人のことを、世間では天才と呼んでるんじゃないか?ええ?そうなんだよ、天才様ぁ?あんたなら俺の気持ち、わかってくれるんじゃないか?理解してくれるんじゃないのかよ?ええ?」
リザードマンは口を耳元まで裂いた醜悪な笑みを浮かべます。
わたくしはそんな下らない質問に返答するのも嫌で、ただ顔をしかめるばかりです。
「それにな……たかが積み荷じゃないんだよなぁ……。それがあれば俺の研究はついに集大成を迎える。聞いたらあんたも驚くぜ。そして同じ穴のムジナ同士……きっと共感してくれるはずだ」
「っつ!だから、あなたと一緒になどしないでくださ……」
ギュイン!
「いっ!」
キィィィィィィィン!!
風切り音がしたと思った瞬間。
トカゲ男が振るった鋭い爪がわたくしの目の前にありました。
反射的にレイピアで弾いたので事なきを得ましたが、この素早さは先ほどまでとは段違いのものです。
やはり身体能力も著しく向上しているようです。
いやはや……人知を超えた伸び率ですの。
「……この不意打ちも防ぐのか……」
「なるほど……不覚にも本当に驚いてしまいましたの」
そしてわたくしよりも驚いているのが相手の方です。
切れ長の瞳が、大きく見開かれます。
焦ったり困ったりした時に、チロチロと舌の出し入れが激しくなるところはサラマンドラの遺伝子情報に刻まれていたものなのでしょうか。
滑稽です……。
この男の何もかもが滑稽の一言に尽きます。
「……どうということはありませんわ、トカゲさん。確かに早さも筋力も向上しておりますし、気が抜けません。ですが、わたくしが戦闘中に気を抜くことなどないでしょう。……ええ、最近、おかげさまで散々な目に合ったばかりでして……。そして本物の天才と言うものは、同じ失敗を繰り返さず、その失敗を肥やしに、更なる研鑽によってもっともっと高みへと昇っていくものです」
「ちっ……」
「……どれだけ能力の底上げをしたところで、元々の能力差は埋められません。……ようするに、本物には絶対に届かないということですの。おわかりですか?偽りの天才さん?」
「なめるんじゃねぇ!!」
リザードマンは姿が変わっても羽織ったままでいる白衣の下に手を差し込み、新たなナイフを取り出して、そのままこちらに斬りかかってきます。
キィィィィィィィィン!!
もはや耳馴染みになりつつある金属音。
しかし、今回より激しく鳴ったのは相手のナイフ。
わたくしの巻き上げによりあっさりと手を離れ、天井に突き刺さった相手のナイフの方です。
「長々とした口上、お疲れさまですの。随分と饒舌でしたが、自分語りによく回ったその舌、すっかり爬虫類のそれのように細く長くなっていますが噛まずに喋れたことは素直に関心いたしますわ。……ですがもう結構です。聞きたい情報は大方聞けましたので、そろそろ終わりにいたしましょう。……まぁ、必要のない情報の方が多すぎていささか頭が痛いですが……」
「……あんた、本当に何者だ」
「……何度も言わせないでくださいまし」
キュィィィィィンンンン……
魔力を通したレイピアがこれまで以上の輝きを放ちます。
やはり普段愛用しているものよりも魔力の伝導率や付与効率が悪く、威力は思ったほど出せそうにもありません。
それでも魔人と化しただけでなく、魔素のコーティングに守られたまがい物のリザードマン。
この程度を切り裂くくらい、造作もありません。
「わたくしは単なる旅の者。どこにでもいる普通の女の子……に憧れる、恋する美少女魔術剣士ですわ!」
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