第二章・一から学ぼう異世界生活~ICHIJI‘S view④~

 「……ふぅ……夜風が気持ちいですの……」


 「よくもまぁ何事もなかったかのように」


 「星がとても綺麗……。あ、イチジ様ご覧ください、流れ星……」


 いつにも増して暴走気味だったアルル。

 そして明かされた驚愕の事実に不覚にも取り乱してしまった俺。


 このままでは互いに眠るのも落ち着かないだろうと思って、彼女を外へと連れ出した。

 

 虫の声も聞こえない静かな夜。

 ホンス爺さんの家の前に備え付けられたウッドデッキに隣り合って腰掛け、俺たちはともに空を見上げていた。

 

 「……こっちの世界にも宇宙はあるんだろうか?」


 ふと、俺は思ったままを呟いた。

 見たこともないような配置で散りばめられた星々を見上げながら、何の気なしに思ったのだ。

 

 「有るとも無いとも言い切れない……というのが正直なところですわ」


 アルルもまた、目線を星に向けたまま答えてくれる。

 

 「ロケットや衛星はおろか、成層圏まで何かを飛ばすという科学技術は残念ながらこちらにはありません。一応、天文学という学問は存在しますが、基本的に魔術在りきの考え方から発展していったもの……イチジ様の世界のものとは少々気色が違うものですの。ですからこれまでの歴史で宇宙を観測できた者はおりません」

 

 「魔術の力ではどうにもならないものなの?」


 「ええ、魔術も別に万能というわけではありません。イチジ様からすれば理屈のわからない不思議現象、奇跡でも起こしているように見えているのかもしれませんが、実際のところ、出来るものは出来る、出来ないものは出来ないとハッキリ区別されていますの」

 

 「結構シビアなもんなんだね」


 「そう、たとえば宇宙まで飛んでいけるほどの大火力を生み出すことは現実的に考えて不可能ですし、なまじ生み出せたとしてもその熱量と高高度の過酷な環境に耐えうる肉体維持にも同等かそれ以上の魔力を消費し、同時展開させなければなりません。そしてそこまでの高出力を生み出せるほどの魔力炉も、その魔力を回す魔力路も、人の身で有することは、物理的に不可能ですわ」

 

 「現実的、物理的……とてもマホウの話をしているとは思えない単語ばかりだ」 

 あえてこの世界における≪魔法≫ではなく、同じ言葉でも概念の違う、まさしく奇跡という意味合いを持つ俺のいた世界における『マホウ』という表現をした。

 

 「ふふふ、そうですわね」


 アルルもあえて指摘したりはしない。

 

 「わたくしたちにとっては、ロケット燃料や炭素繊維の方がよっぽど『マホウ』ということですわね」


 「異世界語を一瞬でマスターできるコンニャクはあるけれど、どんな過酷な環境でも適応できるようになる光線銃や宇宙空間に飛び出せる救命ボートは無い……か」

 

 「……あの、まったくその通りなのですけれど……イチジ様ってドラ○もんはわかるのですか?」


 「は?ドラ○もんを知らない≪現人(あらびと)≫なんて存在するわけないだろ?」

 

 この娘は何を当たり前なことを聞いてるんだ。

 そんな常識的なこともわからないのか?

 うーん、ネットだけではさすがにすべての知識は補えないというところだろうか。

 

 「……ネット社会の闇ってやつか……」


 「何をもって現代日本の暗黒面を嘆いているのかわかりませんが、多分それ、違いますわ」

 

 「うん、大丈夫だよ、アルル。君がネットと現実をキチンと切り離して考えられる子だというのはわかっているから。いくら国民的アニメだとはいえ、やっぱりよその世界の君にあの偉大をわかれと言うのは酷なことだったのかもしれない」

 

 「なんか励まされてしまいましたの!……まったく……ラノベやRPGゲームを知らないとは聞かされていましたが、その分のファンタジー成分はすべて青ダヌキが全フリしていましたの……」

 

 「あ、あれね。実はタヌキじゃなくて、昔、彼が昼寝をしていたらネズミがさ……」


 「ネズミに齧られてネコ耳が修復不可能になったことも、そのせいで失恋してショックのあまり海にダイブして黄色の塗料が剥げて青くなったことも、泣きすぎて喉が潰れて特徴的なダミ声になってしまったことも全部知っていますわ!!!」

 

 「ああ、それ諸説あるうちの一つだね。でも公式での発表によると……」


 「鏡を見たショックで三日三晩泣いた結果、あまりの振動でメッキが剥がれた説も知っていますし、未来のメッキ技術も大したことなくね?とかタイムな風呂敷使えば一発で直るんじゃね?って思ったところまで一通りやってますわ!!もう、なんですの、その何も知らない外国人に上から目線で教えてあげてる風な感じ!!!」

 

 「ふむ……確かに嫌味に聞こえてしまったかもしれない。ただ俺はさ、あの偉大なる空想ファンタジー巨編の素晴らしさを君と分かち合いたいばかりに……」

 

 「ファンタジー!ファンタジーだけれども!なんだかわたくしの言いたいファンタジーとはちょっとだけ違いますの!」

 

 「え?だってこっちの世界の常識でも通用するところ結構あるだろ?ほら、チンカラホイって」


 「合っているんだけれどもぉ!もしもな電話ボックスが作り出したような世界だけれどもぉ!」

 

 「あ、あとファンタジーっていえばさ、やっぱりアルルみたいな魔術が使える女の子は13歳の春になったら旅に出たりするしきたりとかあるの?」


 「ジ○リ成分も若干混じってきましたのぉ!!!」

 

 その後、俺たちはしばらく日本が誇るアニメーション文化について熱い討論を交わした。


 さすが、天才。


 たとえそれが異世界の、それも限定されたジャンルの話題にも造詣が深い。

 

 

 さて、有意義な話し合いもひと段落。

 アルルがなんだか否定したくても否定し辛いといった感じに悶え続けて疲れ果てた頃。

 

 俺たちは、しばらく無言で空を見上げていた。

 

 正確な時刻はわからないけれど、陽が沈んでから大体、三~四時間といったところ。

 

 コンビニもなければファストフード店もない。

 街灯もなければネオン看板なんてあるわけもない。

 

 ただでさえ街から少し外れた高台にポツンと一軒だけあるホンス爺さんの家。

 

 余計な灯りが何もない晴れ渡った春の夜空は、確かにアルルの言う通り、美しい星空だった。

 

 今にも黒い天蓋から零れ落ちてしまいそう……と言えば少し夢見がちな少女の書いた詩のようにも聞こえるけれど、事実、その重みに空が耐えきれないのではないかと思うほど、無数の星がそこに瞬いている。

 

 物理とか化学とか理屈とか……そんなものたちが無粋にしかならないような、ただ美しい星空だ。

 

 「…………」


 「…………」


 「……それにしても」


 アルルが改めて声を出す。

 

 「イチジ様、だいぶこの≪幻(と)世界(こよ)≫のことを理解してきてくれましたの」


 「そう?」


 「ええ、≪現世界(とこよ)≫と≪幻(あ)世界(らよ)≫という『世界』の違い。≪魔素≫をはじめとするファンタジックというかオカルティックというかインチキくさいその他もろもろ」


 「インチキ言うな」

 

 「そんな眉唾な話のあれやこれや……幾らイチジ様の頭の回転が良くても理解が早すぎるのではないでしょうか?」


 「そうかな?」

 

 「よくわからないうちに、よくわからない世界に連れてこられ、よくわからないまま毎日を過ごして……。その原因たるわたくしが言うのも本当に、本当に何なんですが、もう少し慌てたり、混乱したりするものではないのでしょうか?」


 「いや、結構、慌てたし混乱したし、びっくりだってしてたさ」

 

 「その、ぬぼらぁ~とした顔がいついかなる時にびっくりしましたの……」


 「さっき存分に驚いたじゃないか?」


 「まさか、異世界に来て初めて驚いた顔を見せたのがネット環境の有無だとは思いませんでしたの……」


 呆れたようにアルルが言う。

 

 「……別に、俺が特別なわけじゃないよ」


 そう、別に俺が特別図太い神経の持ち主だったというわけではない。

 

 見るものすべて、聞くことのすべてが今まで生きてきた常識みたいなものの枠外にあった。

 

 当たり前に暮らしていた世界とはまた別の世界。

 熊よりも大きくて凶悪なバケモノ。


 血まみれになりながら戦うマホウを操る少女。


 済みすぎた空。深すぎる森。高すぎる山。


 肌に感じる空気でさえも、俺の知っているそれとは何か違うように感じた。

 

 そう、別に俺の神経は太くはない。決して無神経などではない。

 

 変化を変化として胡麻化さずに見ることのできる目と聞けるだけの耳はまともに付いている。


 ……ただ俺は、受け入れただけだ。


 目で見て、耳で聞いて、鼻で嗅いで、肌で感じて、頭で考えて。

 そして今置かれている現実を、ただありのままに受け入れた。


 それだけの話だ。


 慌ても、混乱しても、驚いても、戸惑っても、嘆いても、現実は変わらない。


 俺は今確かにここに生きていて。

 生きているのは確かにここで。

 

 生きて立っているこの場所が。

 生きて……行きついたその先が、たまたま異世界だった。

 

 ただそれが俺の現実。


 ただそれだけの話なんだよ、アルル。


 「……そういう考え方でしたの……」


 俺がこれまで感じていたことを、素直にそのままアルルに伝えた。 


 思えばこの一週間。


 異世界のあれこれを教えられることはあっても。

 俺が何か自分のことをアルルに教えたことは一度もなかったのではないだろうか?


 「どおりで、ファンタジー小説やゲームを知らないと言ったレベルの割に、順応が早すぎたと思いましたの」


 アルルが夜空から目を離し、こちらを向いて言った。

 感心したような言葉とは裏腹に、少しだけ寂しそうな声色だ。


 「そんなラノベ脳、ゲーム脳とは違う。誰よりも真摯に現実を見据え、受けいれ、そして生きていく。……それがあなたという人間を形作っている根幹なのですね。どこの世界にいても、きっと変わらない、タチガミ・イチジの生き方なのですわね」


 「……そんな大層なもんじゃない」

 

 そうだ、アルル。

 勘違いしちゃいけないよ、アルル。

 俺なんて。俺なんて。

 

 「ただ、生き汚いんだよ」


 真っ直ぐにアルルの瞳を見つめながら俺は言う。

 

 「…………」


 アルルが声だけではなく、顔まで哀し気に曇らせる。

 それを見ていられなくて、俺は視線をまた星空に戻してしまう。

 

 彼女の……。

 こんな俺とは本当に真逆にある彼女の。

 強く、気高く、真っすぐな瞳から逃げるように、俺は空を見上げてしまう。

 

 「死にたいと思っても死に切れない」


 なんで俺はこんなことを語っているんだろう?


 「生きたいと思っても生き切れない」


 どうしてこの清廉な少女の前で、俺は自分の醜悪さを自ら晒しているんだろう?

 

 「いつか死ぬはずだったこの命を生かされた」


 ああ、多分、綺麗だったから……。

 

 「俺が生きる意味のすべてだった……俺の命そのものだった大切な人の死によって生かされた」


 満天の星空が。

 その隙間にかかった細い三日月が。

 

 「……だから俺は死ねない」


 隣に腰掛ける少女のすべてが。

 


 「俺は絶対に死んじゃいけないんだよ、アルル」


 あまりにも美しすぎたからなんだろうな、きっと。

 

 「……イチジ様……それは……それでは……」


 アルルの声が震えている。

 

 「それでは……あまりにも……」


 「…………」

 

 「そう……ですのね。……それならば、やはりあなたをここに……この≪幻世界とこよ≫に連れてきたことは、間違いではなかったのかもしれません。わたくしにとっても……そして何より、あなたにとっても……」


 「俺にとっても?」

 

 「はい、あなたにとっても。どれだけ辛い現実にも目を逸らすことができず、逃げることもできず、世界の良いところも悪いところもありのまますべてを受け入れてしまうあなたを救うには、きっと世界そのものを変えてしまう以外に方法はなかったのですわ」


 「……世界そのもの?」

 

 「ええ、文字通り、あなたにとって、今生きている世界は変わりました。比喩的でも精神的でもなく、ええ、本当に文字通り。あなたを追いつめ、苦しめた世界は、もはや遠く遠く次元のかなた」

 

 「でも……それでは何も変わらないよ、アルル。どれだけ生きている場所を変えてみても、知らない世界に来てみても。過去は過去。俺は俺。何も変わらない。俺が俺のままならば何も変わらない。そして俺自身が変える気もない。あれは俺が背負いたくて背負っているだけなんだ」

 

 「そうなのかもしれません……」


 「うん……」

 

 「ですが……イチジ様?」


 アルルはそこでデッキから立ち上がり、数歩だけ前に歩いた。

 

 「ですがイチジ様。……ここは『マホウ』の世界ですの」


 おもむろにアルルが腕を頭上に上げ、指先を月の方へと伸ばす。


 「≪ライトニング≫!!」

 

           シュィィィィィンンン!!


 アルルの指先から放たれた眩い閃光の筋が、夜空を切り裂くように真っ直ぐ月へ向かって伸びていく。

 

 決して月へは届かない。

 決して星までは届かない。

 

 しかし、なんだろう?

 

 黒い夜空に吸い込まれるようにして消えていく、一筋の光。

 どこに辿り着くわけでもなく虚空へと消えた一瞬の閃光。

 

 それなのに、儚さや虚しさを感じはしない。

 

 むしろ、この先に待ち受ける、未確定な未来を照らしてくれる。

 頼もしい救いの光に見えてしまったのは俺の心境のせいなのだろうか?

 

 「『マホウ』ですの、イチジ様」


 アルルが、さきほどまでの沈痛な面持ちではなく、ニッコリと、大きな大きな笑顔を浮かべてクルリとその場で振り返った。

 

 「魔術にも、そしてこちらの世界で言う≪魔法≫にも限界は確かにあります」


 「……うん」

 

 「イチジ様の仰る通り、あなたがあなたでいる限り、何も変わらないのかもしれません」


 「……うん」

 

 「ただし、ここはやっぱり『マホウ』の世界なんですの、イチジ様」


 少し前屈みで、後ろに手を組み。

 こちらを覗き込むように首を傾げて屈託なく笑うアルル。

 

 「『マホウ』はなんだってできます。チンカラホイって唱えるだけでどんな摩訶不思議だって起こしちゃうんですの。……ですから、イチジ様?あなたの心も、きっと『マホウ』が癒してくれます」


 「…………」

 

 「そして、その『マホウ』をあなたにかける者……それはわたくしでありたいと思っていますの」


 「……アルル……」


 「ええ、もう、わたくし決めました。決めちゃいましたわ、イチジ様。箱入りプリンセスの面目躍如というところで、最大限のワガママを言わせていただきますの。今後一生、こちらの……この≪幻(と)世界(こよ)≫で≪幻人(とこびと)≫として暮らし、二度とは≪現世界(あらよ)≫の地を踏めない体にしてさしあげますの!あちらの世界にわざわざゲートまで開いて赴いた当初の目的通り、わたくしの都合のためにずっと傍にいてもらいますの!」

 

 ふふん、と胸を張るアルル。

 随分と、勝手なことを言っている。

 

 久々に見たなぁ、そこまで堂々としたその高慢お姫様キャラ。

 こっちに気を遣って、最近はなりを潜めていたもんな。

 

 でもさ、アルル。

 

 そんな声を震わせて、涙目になりながら威張ってもさ。

 

 ……ただ、可愛いだけじゃないか。

 

 「もう……あなたを苦しませるだけの世界のことなんて忘れて……わたくしと一緒にいて……」


 「……アルル……俺は……」

 

              ボーン……


 俺が言葉を紡ごうとするのを遮るかのように、遠く、くぐもった爆発音が聞こえた。

 

              ボーン……ボーン……

 

 また聞こえた。今度は二つ。

 

 「……?……あれは……?」


 俺はデッキから立ち上がって音のした方角に目を向ける。


 「……イチジ様、あれって……?」


 「……街の方角?」


 細い月に向かって立ち上る幾筋もの黒。

 星明りに照らされた夜を飲み込むように煌々と光る赤。

 見晴らしの良い丘から見える景色は、そんな不吉な色に塗られていた。


 「煙と……炎……火事ですの?それにしては規模が大きい……」


 「っく!」


 俺は無意識に走り出していた。


 「い、イチジ様!?」


 「アルルはホンス爺さんを起こして安全なところまで避難してくれ!」


 「イチジ様は!?」


 アルルへの返事も無視して、俺はガムシャラに街の方へと走る。

 

 走る。走る。走る。

 

 街へと続く一本道の下り坂。

 

 いつか見た。いつかいた。

 いつか死んだ。生きていた。

 いつか俺から大事なものを奪っていった。


 憎き地獄が待ち受けるであろうところへと向かって……。

 

 俺は走る。走る。走る。

 

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