第二章・一から学ぼう異世界生活~ICHIJI‘S view③~

 「……それでは、はじめますの」


 「ああ、頼むよ」

 

 夕飯も終わり。入浴も済ませた夜。

 俺たちの一日はまだ終わらない。

 

 「……気を静め、体を楽にしてくださいまし……」


 「わかった」

 

 ベッドの上に腰掛ける俺。

 そのすぐ目の前に立つアルル。


 ランプで仄暗く照らされた部屋の中。

 親密な恋人同士のような至近距離で向かい合う二人。


 風呂上がりでまだ火照っているアルルの体から、石鹸と女の子の香りがする。


 「…………」


 彼女がスッと両腕を伸ばし、俺のこめかみから頬にかけてを手の平で包み込む。

 

 アルルが着ているのはホンス爺さんの亡くなった奥さんが残した薄緑色の部屋着。


 正直、材質の良い生地とは言えないのだけれど、縫製がとても丁寧で着心地は良さそうだ。


 アルルの豊満な胸部でも余裕があり、腰のラインの生地にいたってはだいぶ余り気味。

 

 そんな服を見ているだけで、ホンス爺さんの奥さんが、ふくよかな体に似合うとても大らかで優しい女性だったんだなというのが容易に想像できた。

 

 「…………」


 アルルが目をつぶり、何事か小声でつぶやいている。

 

 これまで毎夜のように聞いてきた呪文……詠唱っていうんだっけ?


 聞こえない距離ではないのに、毎回うまく頭で言葉に変換ができない。

 語学力というより、理解力の方が俺には足りていないのだろう。

 

 おかげで、なんとなく疎外感。

 彼女が遠くなったように感じてしまう。

 

 「…………」


 この頃はいい具合に肩の力が抜けて、畏まることをやめたアルル。


 『ぴゃ~ぴゃ~』といつでも騒がしく。


 何かと器用で頭の回転も速いくせに、それを補ってもまだ過剰在庫気味に色々と残念で。


 本来、こちらの方が素のアルルだったんだろう。


 ただの世間知らずな年相応の少女の顔ばかりを見てきた。 


 「…………」


 正面にある彼女の顔を見つめる。


 スッと通った鼻筋。

 静かに言葉を紡ぎ続ける形の良い唇。

 閉じた目蓋から伸びる長いまつ毛と、細い眉毛。


 そういえば、そっちは髪の色と違って黒いんだなと思う。

 

 「…………」


 そしてその真面目な表情を、素直に美しいなと思った。


 背伸びをしているわけでもなく、取り繕っているわけでもなく。


 俺のために真剣になってくれているアルルの顔。

 

 この時ばかりは年齢や顔の造形などを越え。


 いつだか花の舞い落ちる丘の上で、彼女の膝の上から見上げた、混じり気のない美しさがあった。

 

 「…………!!」


 一際、アルルが詠唱の声を強める。

 声量が大きくなったというわけじゃない。

 声に込めた想いが強くなったという感じだ。

 

 そして彼女の手の平がわずかに熱を持ち、かすかに金色に輝く。

 華やかさや威光を表す金というより、風にそよぐ稲穂を思わせる優しい金色だ。

 

 その金色が、俺の方に伸びてくる。

 アルルの手を伝い、俺の体の表面をゆっくりと包み込んでいく。

 ……何度体験しても不思議な気分だ。

 

 「…………ふぅ」


 アルルが静かに息を吐く。

 どうやら無事、俺にアルルの魔力を纏わせる魔術が終わったようだ。

 

 ホンス爺さんの家に厄介になってから四日。

 バケモノを二人で倒してからここにくるまでが三日。

 つまり俺が異世界に連れてこられてから、既に一週間。

 アルルはこうやって毎晩、必ず俺の体に魔力を分け与え、コーティングしてくれる。

 

 「……この者に、魔素の加護があらんことを……」


 ハッキリと聞き取れる言葉で彼女はそう言う。

 きっと術とは関係のない、彼女なりの祝福なのだろう。

 

 最近ようやくマソの謎が解けたくらいの≪現世界(あらよ)≫出身の俺。

 

 空気中の魔素を取り入れることも魔力をつくりだすこともできない。

 輪廻の輪の中から生まれたわけでもなく強引に割り込んだ俺は、情状酌量の余地もなく有罪。

 あっという間に髪の毛一つ残さず存在をディレートされてしまうらしい。

 

 そんな無慈悲な世界の目。

 何よりも公正な審判の目を胡麻化すためにも、この術の施しは必要不可欠。

 

 だから毎晩こうやって、その日一日いろいろなものに触れたり動いたりしてできた綻びを補強しなければならない。

 

 そう、まさしく、アルルの言う通り。

 魔素のご加護が、俺を守ってくれているのだ。

 

 ……まぁ、普通に死んでしまえば元も子もないのだけれど。

 それはどこの世界の理でも同じことか。

 

 「……ありがとう、アルル」


 「……はい」


 アルルが目蓋をひらいていく。

 隠されていた白銀の瞳が暴かれていく。


 「……お疲れさん」


 「これでとりあえず、明日も安心して生きていけますわ」


 アルルは安堵したように微笑む。


 「それでも正式な『洗礼』を受け、イチジ様の体を≪幻人(とこびと)≫として作り換えない限り、心からの安心は得られませんが」


 「毎晩かけ直す必要ってあるものなの?」


 「ええ、もちろん。普通に生活をしているだけでも摩耗はいたしますから。農作業をしたり大工仕事をしたりでも。ただ、一番初めに施した簡易も簡易な術に比べて格段に強度は増していますし、イチジ様は気にせず普段通りに過ごしてくださいませ」


 「わかった」

 

 「ええ、それはもうそれはもう、普段通りに、慎ましやかに、穏やかに……」


 「……アルル?」

 

 アルルはニッコリと笑っている。

 それはもう穏やかに笑っている。


 だけどね、アルル?

 ちょっとアルルさん?


 こめかみ。


 君が指を添えてるこめかみがめちゃ痛いです。


 ギリギリと骨がきしむ音がしてるんですけど?

 

 「山賊と?丸腰で?喧嘩して?刃物を突き付けられて?」


 「えっと……はい……」


 「その後?助けた孤児院の男の子の?先生の?若くて?知的で?綺麗な女の人がお礼を言いに訪ねてきて?」


 「…………」


 「デレデレと!?鼻の下を伸ばして!?あちらも!?なんだかまんざらでもなくて!?雰囲気が!?イイ感じで!!??」


 「アルルさん、アルルさん。こわい。こわいッス」


 後半にかけての力の入り具合が尋常じゃないッス。

 あと、デレデレにもイイ感じにも断じてなっていないッス。

 

 「ふーん、へー、ほー、そうですかそうですか。人がせこせこと美味しいご飯を作ったり、これからについての計画を一生懸命、練っている時に、あなたはせこせこフラグを構築しまくりですか?あれですか?身分違いの天才美少女お姫様よりも、明るくて友達感覚で付き合える果物屋の売り子や、自分のことなど二の次にして身寄りのない子供たちを養い導く聖母のように包容力のある眼鏡美人の方がタイプですか?わかりました。五分ください。わたくしの全身全霊をかけて、今すぐにとびきり色気のある眼鏡を錬成しますので」


 「別に眼鏡にそこまでの思い入れはないよ」

 

 それとフラグってなんだよ?

 またナップルみたいな異世界語なのか?

 

 「まぁ、後半部分についてはこれっぽっちもやましいところはないけれど、確かに、丸腰でチンピラの中に飛び込んでいったのは悪かった」


 「ぐっ……」


 「心配をかけた、アルル。ごめん」

 

 こればかりは素直に謝るしかないと、俺は頭を下げた。

 自分の存在の危うさを重々理解した上で、俺は無策で突っ込んでいったのだ。

 

 何度も言っているのに、これだけは譲れないと、アルルが俺の身を過保護気味に案じてくれているのもわかっている。

 

 だから俺は彼女の怒りを、心配からくるお叱りを、甘んじて受け入れることにした。


 「はぁ……」


 と、アルルが嘆息すると同時に、顔側面の圧力が弱まる。

 そして彼女は呆れたというか諦めたような小さな笑みを浮かべた。

 

 「わたくしが神経質になっている感は否めません。それにイチジ様の行いに、文句をいう気もさらさらありません。あなたがしたことは紛れもなく人助け。相棒として誇るべきことであって決して非難するべきことではありません。……ですが……」

 

 アルルは微笑みもそのままに、目の力だけは殊更に鋭くして。


 「あなたに万が一のことがあったなら、わたくしは悔やんでも悔やみきれないのですわ、イチジ様」


 仄かなランプの灯りを反射して、柔らかく輝く高潔の白銀。

 それと俺の醜悪なものばかり見てきた瞳とが交錯する。

 

 「あなたに……わたくしの前から消えて欲しくはないのです、イチジ様」


 顔に添えられたままの彼女の指が、術とは関係なく頬を柔らかく撫でる。


 「もしもあなたが消えてしまうのなら、わたくしもその場で自害いたしましょう。それは図らずもここに連れてきてしまったわたくしの責務であると言う以前に、わたくし自身、心からそうしたいと思っていることなのですわ……」

 

 劣等感……というわけじゃない。


 それでも俺と彼女との違い。


 生まれた世界の違いとはまた別の。


 生物として、人間として、根本的な部分での俺と彼女との明確な差異。


 明確で、明瞭で、瞭然で。

 ただ見つめ合うだけでもわかってしまう。


 ……やっぱり眩しいよ、アルル。


 そんな真っ直ぐで高潔な汚れのない瞳。

 そんな風に誰かを慈しむような優しい瞳。


 俺には到底できそうにない。

 

 この娘は本当に、変わらない。


 「……それじゃ、簡単に死ぬわけにはいかないな」


 「……ええ、その通りですわ。どうか、わたくしを死なせないでくださいまし」


 「…………」


 「…………」


 「……アルル?」


 「…………」


 「…………(ジィ……)」


 「…………」


 「…………(ジィィィ……)」


 「……ダメですわ!」


 「は?」


 アルルはボッと顔を赤らめたかと思うと、バッと俺の顔から手を放してワタワタとした。

 

 「そ、そんな。ま、まだ、まだダメですわ!」


 「…………」


 「わ、わたくしたちは……その……まだ、そーゆー関係では……」


 「うるさいよ(チョップ)」


 「ぴゃい!」


 どこ行った高潔。

 どっから来た思春期。

 

 「まったく、君は……」


 「だ、だって、だってだって……」


 「だってじゃありません」


 「だがしかしぃ~」


 「だがしかしじゃねーよ」


 「手で顔を包んで見つめ合ってなんか部屋も薄暗くてムーディーでぇ!」


 「ムーディーて」


 「昼間、他の女とわたくしの目の前でイチャコラしてるところを見せつけられてぇ!」


 「まだそれ引っ張る?」


 「なんか、あれが、ああな感じで、これがそうなる感じですのぉ!」


 「指示語がくどい(チョップ)」


 「ぴゅい!」

 

 はぁ……。

 なんでこう、君といると空気が緩むんだ。

 なんでこう、なんでもかんでも桃色時空に転移させてしまうんだ。


 ……まぁ、仕方ないか。


 おはようからおやすみまで四六時中。

 釜のメシから寝床まで一日中。


 この一週間、箱入り育ちらしいオボコ娘が、三十路過ぎとは言え若い男とずっと一緒。

 こんな俺みたいなうだつの上がらない異世界人の男でも、思春期真っ盛りのこの娘にとって、意識してしまう対象になることは仕方がないのかもしれない。

 

 「ぴゃ~……いたいですのぉ~……」


 額を抑えながら、涙目のアルル。

 

 「ドメスティックなバイオレンスですのぉ~。配偶者からの愛のない暴力ですのぉ~。でも貞淑なわたくしは健気にも耐え忍んで今日もまた内職の造花づくりに励むんですのぉ~……」


 「…………」

 

 配偶者じゃねーよ。

 それとその知識、絶対、あっちの世界のやつだろ。

 

 「離婚をしようにも彼はハンコを決して押そうとしないんですわ。わたくしはもう身も心もボロボロでいっそあの人をこの包丁で刺してわたくしもと考えたことは一度や二度ではありませんの」


 「……はぁ……」


 「ですがその手はいつも寸でのところでとまります。だって、わたくしは……それでもあの人のことを愛しているんですもの。……ふふふ……ふふふ……」

 

 ま、そんなところも……。

 結構、可愛いんだけれども。

 

 「……そんな明日が見えない日々の中、ある日、アパートの隣の部屋に若い大学生が引っ越してきますの……。外見もパッとしなければ将来性もない、だけどその子は、毎朝元気よく挨拶をしてくれますの。いつしか傷付いたわたくしは彼の優しい笑顔に次第に惹かれていって……」


 「……おい」


 寝取られちゃったよ。

 この後、絶対、俺とその大学生で修羅場だよ。

 

 「……そういえば、アルル。ちょっと気になっていたんだけど」


 「ふぇ?なんですの?ら、来週の日曜日に出かけるのは急にパートが入ったからですの!決してマサヒロ君とデートするわけでは……」


 「いや、確実にマサヒロ君とデートだろ、それ」

 

 話が進まない。

 むしろそっちの関係が進み過ぎてる。

 

 「そのさ、寝取られ妻のとか、ほんやくなコンニャクとかの知識、絶対に≪現世界あらよ≫のものだよね?喋る言葉もこっちの他の人からは聞かない単語が多いし。そういうのってどこから仕入れてるんだろうか?」

 

 「ああ、ネットですわ」


 アルルはさらりと言った。

 

 「わたくしの工房の座標と重なり合う場所に≪現世界(あらよ)≫の方では電波の基地局があるらしく、なんのイレギュラーか、次元を越えてこちらに漏れ出ているんですの。ですので、自分でどうにかマシンを組み上げて、あれやこれやしてみたら、普通にネットに接続できましたの。そこから毎日のように工房にこもってネットサーフィンをしていたらいつのまにか≪現世界(あらよ)≫の、特に日本の文化に被れてしまったというわけです。ほら、はじめて会った時から、わたくし、日本語で喋っていたじゃないですの」

 

 「…………!?」


 いや、ホント。


 この世界に来て……というか。


 ここ十数年で、多分、一番驚いた出来事だった。


 「わたくしの工房、Wi-Fiつかえます」


 どこのオシャレカフェだ。

 

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