第88話 イアン・フォーサイス
右手に持っている携帯電話が鳴り始めた。
咄嗟に、左手に持ち替えた。
だが、何と言って出ればいいのだろう。
考えがまとまらないうちに、受話ボタンを押してしまった。
「御影です……」
「ハルヤ・ミカゲか?」
「はい、そうです」
「イアン・フォーサイスだ。はじめまして。いや、二度目だな。君の事はよく覚えている」
ホワイトハウスでの会議の冒頭に名前を呼ばれ、手をあげたまま固まってしまった時のこと、覚えておられるのだ……。
「は、はい……」
「まずはお礼を言わせてくれ。君のおかげで妻は完治することができた。ありがとう」
「いえ、それは……」
「わかっている。レナ・フシミの功績だと言いたいのだろう。だがそれはやはりチームーリーダーである君の功績だ。そしてそれを他の者に譲ろうとする君だからこそ、ハルヤ、君と話がしたくなったのだ」
「そ、そうなんですか……。でも僕なんかと一体何を?」
「相談に乗って欲しいのだ」
「えっ? 僕が? 大統領の相談に、ですか……」
「そうだ。君は優秀なチームを統率し、画期的な抗癌剤を開発した」
「いや、でもそれが今、世界の人々を……」
「うむ。だが君はその自分が生み出してしまった悪影響をも克服したではないか。それは間違いなく君の判断力が優れているということだ。物事を理論的に考えることができるということだ。その上、欲がなく、馬鹿正直ときている。いや、すまない、馬鹿とは失礼だったな。だが、君のような人間は私の周りには一人もいないのだ。だから是非、私の相談に乗って欲しい」
「は、はい。私でよければ……」
「今のOKOGE感染率を知っているか?」
「確か先進国で30%。合衆国では40%くらいだと」
「うむ。今はまた、更に数%増えてしまった。そして、せっかく君たちが作ってくれた薬を使おうとしない者がとても多い」
「そう、聞いています……」
「そして彼らは、自分たちの様々な権利を主張し、ついには国の主権さえも握ろうとしている。もしも、そんなことになってしまえば……」
「もしかすると……、人類が滅亡、する……」
「そうだ……。だから私は、先進諸国の首脳たちと話し合った。ロシアや中国とも。皆、同じような危機感を持っていた」
「でも、抗OKOGE酵素は注射でないと効かないし、それを強制することもできないから……」
「そう、抗OKOGE酵素では、今の人類は救えない。だがな、実はもう一つ、薬があるのだ」
「えっ? 新薬が開発されたのですか? それはどんな?」
「その薬は、アデノウィルスによってOKOGEに感染している細胞をそれごと壊してしまうものだ」
「えっ、それって……」
「そう、以前、君が発案したものだ」
「えっ? でも、その研究、僕は中断したままで……。あっ、もしかして……、僕たちがOKOGE対策チームのページに載せたものを……」
「そうだ。レヴィからその内容を聞いて、私がもしものためにと軍に作らせていたのだ」
「そ、そうだったんだ……。でも……、あの薬を投与されれば、人は細胞と共に死んでしまう……」
大統領は僕の言葉をそのままに話を続けた。
「幸い、あの薬のベースは感染力の非常に強いアデノウィルスだ。一定量を大気中にバラまけば人から人へと移っていってくれる。非感染者には何もせず、OKOGEの感染者だけに。だが、その散布を行えば、おそらく先進諸国を中心に約十九億人もの人が死に、現在の日常生活は維持できなくなるだろう」
「十九億人……」
「だが、今行わなければ、その数は増え続け、いったい何人の人が生き残れるか……。どの国の首脳も、核のボタンを押すことよりも、何十倍も何百倍も重い決断を自分の手ではしたくないのだ。もっとも感染者の多い、そしてその悪魔のような薬を作り出したアメリカが決めろと、口を合わせたように皆が押し付ける。私はアメリカの大統領だ。だが私も一人の人間なのだ……」
会話が途切れた。
僕の方から、自ら大統領に掛ける言葉など出てくるはずはない。
アメリカの大統領にまでなった人ですら判断に苦しむ選択を相談されて。
しかも、それに使用される十九億もの人を殺してしまう「悪魔のような薬」は僕自身が発案したものなのだ。
言葉を発するどころか、僕の頭の中はボロボロになってしまっている。
「もちろん、君に決めてくれと言っているわけではない。当事者の一人として、冷静な科学者の一人として、私の友人として、意見を聞かせてほしいのだ」
耳元に聞こえてくる、ただの一人の人間であるフォーサイス大統領の切実な声に、僕は「わかりました」と反射的に答えてしまった。
「もしも決行する場合、世界の首脳と一致団結して、全てを秘密裏に行わなければならない。計画が漏れればアデノウィルス対策をとられてしまう可能性があるからな。だから、決してこの事は口外しないで欲しい」
「もちろん。絶対に口外致しません」
「ありがとうハルヤ。明日のこの時間にもう一度電話をする。それまでに考えておいてくれ」
まるで本当の友人のように、そう言い残して、その電話は切られた。
どこまで聞こえていたのかはわからないが、みつきさんがとても心配そうな顔をして、じっと僕を見つめていた。
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