第87話 責任

「よし。これでもう大丈夫だ」


 ようやく、みんなの努力が再び実を結んだ。


 一部のアミノ酸をデザインし直して、特殊な抗体を持っている人の免疫細胞からも逃れることのできる抗OKOGE酵素を作り出すことができたのだ。


 僕たちは早速、協力してくれた人達にこれを投与し、全例で体の中のOKOGEを死滅させることができた。


「今度こそ大丈夫だ」


 玲奈とマシューとアリアと、皆で握手を交わした。


 完全にやり遂げた。


 なのに、皆の表情はさえなかった。


 抗OKOGE酵素の使用率は12%で頭打ちし、新しいバージョンの抗OKOGE酵素を投入しても、それを超えることは望めそうになかったからだ。


 しかも、感染率はいまだ増加傾向にあった。


 先進国で30%。合衆国では40%程にまで達してしまった。




 ずっと前を向いて歩いて来た。


 何度打ちのめされても前を向き。


 前を向くしかないのだと立ち上がって。


 そして、ついに目的の場所に辿り着いた。


 だが、これ以上はもう無理なのかもしれない。


 ここにはもう「前」がない。


 向かうべき「前」がもうないのだ。



「どうしてなんだ……」


 僕は、もう口癖のようになってしまったこの言葉をまたつぶやいてしまった。


 これにアリアが応えた。


 今日のアリアは躊躇せずに話し出した。


「最近『血を分ける』という行為が急速に広められてきているようです」


「それって……」


 アリアは僕の目をみてはっきりとうなずいた。


「はい。OKOGEに感染している血を人に分けるという行為です」


「バン!」玲奈がデスクを強く叩き「その話は聞きたくない!」と叫び声に近いような声をあげた。


「いや……、アリア続けてくれ、僕は聞きたい」


 僕の言葉を聞いたアリアが玲奈の方を伺った。


「わかった、ごめん。いいよ、続けて」


 アリアは深呼吸をしてから再び話し出した。


「『血を分ける』は、世話をしてくれる親よりも元気でかつ早く死にたい、と引き籠りの人達の間でインターネットを介して流行り始め、それが未来に希望を持てない、大人になりたくない若者たちの間にも広がって。そして今は、非感染者を憎む人たちが、その相手を仲間に引き込むために能動的に行っています」


「そんな……。そんなのあまりにも自分勝手だよ」


 吐き捨てるように、そう言った玲奈に、アリアが答えた。


「そうなんです。私もそう思います、とても自分勝手だと。だから、皆さんがこれ以上責任を感じる必要は全くないんじゃないかと思うんです。もう十分に責任は果たされていると」






 僕はずっと思い続けてきた。


 できる限りの責任を果たしたら、この世を去ろうと。


 自分が作ってしまったOKOGEを死滅させることができればその後に、と。


 たとえOKOGEを死滅させることができたとしても、すでに世界中の数え切れない人たちの命を奪ってしまった。


 いくら死んだところで、それを償うことなどはできない、それはわかっている。


 だが、おそらく億に達するだろうOKOGEによって亡くなる人々の命を背負ったまま生きていくことはどうしてもできない。


 実際にはOKOGEを死滅させることはできなかったが、OKOGEを死滅させる方法は作り上げた。



 もう、自分にできることは何も残っていない。


 もう、いいかな。


 もう、楽になってもいいかな。



 そんなことを考えながら、みつきさんに膝枕をしてもらい、ぼんやりとテレビを眺めていた。


 世界中で起こっている、人と人との争いが映し出されている。


 OKOGEによって、そしてOKOGEに感染した人たちによって、感染していない人たちによって、人の命が奪われてゆく。


 もしも、原子爆弾によって死にゆく広島と長崎の人たちの姿をアインシュタインが見たらどう思うのだろう。


 僕が作ったOKOGEは、二発の原子爆弾よりもはるかに多くの人の命を奪ってゆく。



 頭をずっと撫でてくれているみつきさん。


 すごくわがままなことだけど、この人をきっと悲しませてしまうけど、できればこの人の胸に抱かれたまま最後を迎えたい。


 そんなことをとりとめなく考えている時、突然玄関の呼び鈴が鳴らされた。


 時計を見ると、午後十時を回っている。


 こんな夜遅くに誰だろう。


 僕は、立ち上がろうとするみつきさんを引き戻し、自ら玄関に向かった。


 ドアスコープを除くと、そこにはハットを被った男性が立っていた。


「どなたですか?」とドア越しに声をかけた。


「レヴィだ。夜遅くにすまない」


 どうしたのだろう、こんな時間に。


 レヴィとのやり取りは、たいていがメールで。


 急用であっても、電話をかけてくれば済むことだ。


「はい、今すぐに」


 僕はそう言って鍵を外し、ドアを開けた。


「レヴィようこそ。どうぞ、上がって下さい」


 中に入りドアを閉めたレヴィにそう言ったのだが、レヴィは首を横に振った。


「いや、ここでいい」


 二人の会話を聞いたのだろう、みつきさんが玄関まで出てきた。


 僕が「彼女が僕のパートナーみつきです。こちらは施設長のレヴィ」と紹介すると、みつきさんは「はじめまして、御影さんと玲奈ちゃんのハウスキーパーをしている朝比奈みつきです。どうぞ、よろしくお願いします」とあいさつを続けた。


「あぁ、君がミツキさんか。いつも話は聞いていました。やはり、とても魅力的な人だ。治也がぞっこんになるわけだな」


 僕は頭を掻くしかなかったのだが、そんなことよりも……。


「レヴィ、今日はどうしてここに?」


「あぁ、そうだった。君にこれを渡しにきたのだ」


 そう言って、レヴィがカバンから取り出したものは、一台の携帯電話だった。


「これは?」


 携帯電話を受け取り、そうたずねた。


「これは、絶対に盗聴できないよう作られた携帯電話だ。大統領から、君と直接話がしたいと頼まれた」


「えっ? 大統領が? 僕とですか?」


「そうだ。おそらく十分程あとに、かかってくると思う。言わなくてもわかっていると思うが、内容は全てトップシークレットだからな」


 レヴィはそう言って、ハットを被り直した。


「えっ? 帰ってしまうんですか? 一緒に聞いてくれないんですか?」


「大統領は個人的にとおっしゃった。そしてその電話を君に手渡してくれと。それは、ハルヤ、大統領は君と二人っきりで話がしたいということだ」


 そう言うとレヴィは、茫然とする僕をその場に置いたまま「ではミツキさん、ハルヤを頼んだよ」と言い残し玄関を出て行った。



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