第85話 治療
僕の元に、一症例分の詳細な検査データが送られてきた。
これからの研究に少しでも役立てることができるのなら、と。
四十二歳、白人女性。
約18ヶ月間、抗HIV薬の内服薬を継続使用し、抗OKOGE酵素を二回投与。
その後の検査でOKOGEウィルスは全く検出されていない。
ハンナ・フォーサイス、この国のファーストレディだ。
それには大統領からのメッセージも添えられていた。
【君達の努力に深く感謝し最大の敬意を表する。これを形とするために大統領自由勲章の授与を用意している】と。
正直なところ、僕はとても嬉しかった。
皆が喜び、レヴィが肩を叩いて祝福してくれた。
だがすぐに、自分にはそんなものをもらう資格などどこにもないことを思い出した。
僕のマッチポンプのせいで、すでに多くの人々の命を灰にしてしまったのだから。
その功績を称えられるべきは、誰が何と言おうと間違いなく玲奈だ。
玲奈はOKOGE Type Squadの作成に全くタッチしていない。
画期的な抗癌剤PAA with sugarを考案し、そして抗OKOGE酵素の原型を生み出したのだ。
僕はその旨を思いを込めて書面に書き込み、大統領から送られてきたメッセージの返事としてレヴィに手渡した。
後に玲奈は、大統領自由勲章を授与されることとなった。
世界に先駆けて、日本そして全米の各州に制定された指定病院で、抗HIV薬と抗OKOGE酵素による併用療法が始められた。
日が明けるのがアメリカよりも早い日本にいる彩乃は、もう抗OKOGE酵素を打っているかもしれない。
現時点まで、抗OKOGE酵素投与後の微熱と抗HIV薬による副作用以外、大きな副作用を一度も認めなかったため、外来通院での治療となった。
殆どの症例で、抗OKOGE酵素を二週間おきに二回投与することで、体内のOKOGEウィルスを死滅させることができ、三回投与によってそれが確実になることが判明した。
もちろん、三回目の抗OKOGE酵素投与が終了するまでは抗HIV薬を継続する必要がある。
全く未治療の感染者は、まず一ヶ月間抗HIV薬による治療を受けた後でなければ、抗OKOGE酵素を打つことができない。
だが、ずっと抗HIV薬による治療を受けてきたみつきさんは、すぐに抗OKOGE酵素を打つことができる。
僕は抗OKOGE酵素による治療開始初日に、みつきさんを引き連れ指定病院に向かった。
午前九時半に病院に着き、受付を済ませた。
治療の開始は十時から。
待合室では、多くの人達が壁に掛けてある時計を見ながらその十時が来るのを待っていた。
皆、ようやくこの日が来たという安堵感と、本当に効くのだろうか副作用は大丈夫なのだろうかという、治療に対する不安感が入り混じった表情をしている。
だが、隣にいるみつきさんは「御影さんが作ってくれたお薬ですから」と、全くの平静を保っている。
僕の方が余程落ち着きがない。
でも、それは仕方がないのだ。
みつきさんと再会できた喜びも束の間、OKOGEを打ってしまったことを聞いて。
もちろん世界中の人達を治すために頑張ってきたのだが、みつきさんのことを知ってからは、目の前にいるこの人を、世界で一番大好きなこの人を必ず治す、その思いでいっぱいになってしまっていた。
それが今日、ようやく叶いはじめるのだ。
受付で渡された紙に書かれている番号が、第二診察室の上に表示された。
僕があまりにも勢いよく立ち上がったため、みつきさんはあっけにとられ座ったまま下から僕を見上げている。
僕はそのみつきさんの手を取って、二人で診察室へと向かった。
医師は、みつきさんの氏名と年齢を確認し、抗HIV薬の治療歴と問診票に書かれている内容に目を通した。
その上で「今、どこか調子の悪い所はありませんか? 昨日も今日も抗HIV薬をしっかり飲んでいますか?」と再確認した。
「はい、どこも悪い所はありません。お薬も飲んでいます」とみつきさんが答えると、医師はうなずき「では細胞内のOKOGEウィルスを死滅させる注射をしますね」と言って、看護師に目で合図を送った。
医師は、上腕部に駆血帯を巻き、肘窩部の太い血管を探る。
そして、見つけた血管の周囲を酒精綿で消毒し「では注射しますね」と言ってからみつきさんの肘窩部に針を刺した。
駆血帯が外され、
僕の目の前で、抗OKOGE酵素の入った白い液体が、みつきさんの体の中に入って行く。
死に物狂いで作った薬が、ようやくみつきさんの中へ入って行く。
二度目の時も、三度目の投与にも、僕はみつきさんについて行った。
薬がみつきさんの体に入っていくのを見ると、達成感と安堵感が混じり合い、気が付くといつも勝手に顔が微笑んでいた。
三度目の投与が終わった後、お祝いにと、お寿司屋さんに寄って帰ることにした。
だがお店の中に入ってみると、そこは最初のデートで行ったようなお寿司屋さんではなくて、巨大な巻き寿司とちらし寿司だけのお店で。
しかも、たっぷりとアボガドやツナが入っていて、甘い寿司酢と何味なのかよく分からないソースがかけられていた。
だが、それは、とてもおいしかった。
アメリカに来て初めての、二人での外食。
もう会えないと思っていたみつきさん、ようやくOKOGEから解放されたみつきさん、一口ごとに笑うみつきさん、この人と一緒に食べる物はそれがなんだって、とてもおいしいのだ。
二人でお腹いっぱい限界まで食べて、
歩いて、手を繋いで、家に帰って、
まだお昼なのに、ベッドで一緒に寝ころんで、
そのまま朝までずっと、二人で眠った。
もう思い残すことはなにもない。
そう思った。
だが、そんな僕の思いはすぐに覆されてしまった。
「どうして……」
指定病院からの結果報告を見て、僕は愕然とした。
約四百人に一人の割合で、抗OKOGE酵素が全く効かない人がいたのだ。
今回ばかりは、もう大丈夫という思いが強かったため、玲奈もマシューも落胆の度合いが激しい。
もちろん僕もだ。
でも、落ち込んでいる暇などはない。
「アリア、すぐにCDCから全ての指定病院に連絡をして、効果の無かった人の詳しいデータを送ってもらってくれ。それと『あなたに効く薬を作りたいので』と言って、無効だった人達に『詳しく調べさせて欲しい』と協力を依頼してくれ。OKOGEを撲滅するためには、全ての人を治さなくてはならないんだ。みんな、もう一度がんばるぞ」
僕の言葉を聞いて、下を向いていた玲奈とマシューが顔を上げ、大きくうなずいた。
「そうや、また頑張ったらええだけのことや。やろう!」
「うん! やろう!」と言いながら玲奈は涙を滲ませている。
また自分の責任だと感じてしまっているのだろう。
「泣くなよ玲奈。絶対大丈夫だから」
「うん」
とても有難いことに、抗OKOGE酵素が無効だった殆どの人達が、是非協力したいと申し出てくれた。
全米各地から集まってきた、その人たちの血液を入念に調べた結果、原因は僕たちが、もしかして……、そう思っていたものだった。
無効だった人達は抗OKOGE酵素に対する抗体を持っていたのだ。
抗OKOGE酵素を異物だと認識してしまい、免疫細胞がそれを排除してしまったのだ。
そうされないようにデザインをしたのだが、一部の人達は抗OKOGE酵素の表面にあるアミノ酸に反応を示す抗体を持っていたのだ。
抗OKOGE酵素からそのアミノ酸を取り除けば異物だと判断されないわけだが、それだけでは酵素としての目的を果たせなくなってしまう。
僕たちは、また設計図の段階からやり直さねばならなかった。
だが、99.75%の人達には、現在の抗OKOGE酵素が著効を示し、大きな副作用も起こさない。
この為、抗HIV薬と抗OKOGE酵素による併用療法は世界中の主要病院で予定通り始められた。
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