第86話 争い

 先進各国で、そして全米で、抗HIV薬と抗OKOGE酵素による併用療法が開始されてから三ヶ月が過ぎた。



「アリア、現在の感染率はどうなっている? 抗OKOGE酵素の使用率は?」


「はい……」


 最近、アリアは言いあぐねることが増えてきた。


 それはいつも、僕が聞くと落ち込むだろうと思われる情報の時だ。


 きっとマシューからいろんな話を聞いているのだろう。


 マシューがアリアと目を合わせうなずいた。


 それでようやくアリアが話し出す。


「現在の感染率には、あまりにも沢山の要素が関係してきているため、本当におおよそにしかわからないのですが……」


「いくらなんだ?」


 玲奈も手を止め、耳を澄ましている。


「先進国で20%。合衆国では30%くらいかと……」


「えっ……。30%……。そんなにも増えてしまっているのか……」


 それを聞いた玲奈が振り向き、問い詰めるような声を出した。


「アリア、抗OKOGE酵素の使用率は?」


 アリアが下を向き、マシューまでもが下を向いた。


「まだ合衆国のデータしか出ていませんが、9%程度です……」


「どうしてよ……。それは治療が終わって完治した人の数値?」


「いいえ、治療中の方も含まれています……」


 どうして……。


 どうしてなんだ……。




 帰宅してからも、何故抗OKOGE酵素の使用率が上がらないのか全く理解できず、各国の使用率を見比べながら考えていた。


 その使用率は国によって大きな差があった。

 だが、そこから規則性などを見い出すことはできず、やはり理由はわからない。


 どうしてなんだ……。



「はーい御影さん! 本日のお仕事は終了でーす!」


 みつきさんにそう言われ、僕は強引にパソコンの前から引きはがされた。


「ほら、肩もこっているし、腰も痛いのでしょ? マッサージしましょうー」


 手を引っ張られソファに寝かされた僕に、みつきさんが馬乗りになって、腰を押し揉んでくれた。


「どうして、抗OKOGE酵素の使用率が上がらないんだろう……。やっぱり、効かない人もいるからなのかな。それとも未知の副作用が怖いとか……」


 みつきさの手が徐々に上半身に上がってきて、背中を撫でるように手のひらを滑らせる。


「御影さん、ぴんぴんころりという言葉を知っていますか?」


「えっ、ピンピンコロリ? いや、知らないなぁ」


「私が勤めていた病院でね、年配の方々が合言葉のように言っていたのです。死ぬ直前まで元気でピンピン生きていて、コロリと死にたいって」


「えっ、それ、もしかして……」


 僕は首を捻じって、そう言ったのだが、みつきさんの両手によって、元の位置に戻された。


 みつきさんは話し続ける。


「それを強く願い、OKOGEを求める人もいる」


「そんなの絶対に間違っている!」


 そう言って、起き上がろうとする僕をみつきさんが押さえ込み、今度は肩を揉み出した。


「じゃあもしも、お子さんも身寄りもない、足腰の弱ったご夫婦がいらしたとして。施設に入るお金もない。歳と共に日々の生活もままならなくなってゆく。その二人がピンピンコロリを願うのは、それでも間違っているのでしょうか」


「いや…。でも……」


 マッサージを終えたみつきさんが僕とソファーの背もたれの間に入り込むよう横になり、僕をそっと抱きしめる。


「御影さんが作ったOKOGEは悪い事ばかりをしているわけじゃない。OKOGEが悪いのではなく、もちろん御影さんが悪いなんてことあるわけない。どんなことにでも必ず、いい面も悪い面もあるんです」


「でも、生物として、自ら命を縮めるという行為は、やはり間違っている」


 反射的に僕の口から出て行った言葉で、みつきさんは困ったような表情をして黙り込んでしまった。


 僕を慰めるために、みつきさんが一生懸命話してくれたのに……。


 僕は言葉の代わりに、みつきさんの頭をしっかりと胸に抱きしめた。






 パソコンの画面に臨時ニュースが流れた。


【本日未明、OKOGEの使用を容認するプロテスタント系団体の施設に大量の銃弾が撃ち込まれました。今分かっているだけで死者は八名、重軽傷者は三十名以上に上っています。犯人は現在も逃走中ですが、防犯カメラの映像から、対立するカトリック系団体所属の男性ではないかと思われ、警察が行方を追っています。付近の方々は戸締りをしっかりとされ――】



「これって、もしかしてこの前の事件の報復?」


 アリアが独り言のように、そう言った。


「えっ? その事件って?」


 僕がそう問いかけると、アリアが「あっ」と声を出した。


「アリア、僕はもう大丈夫だから。これからは、どんな情報でもちゃんと教えて欲しい」


「はい……」


 隣から、マシューの息を吐く音が聞こえてきた。


「この前、酷いいじめを受けている中学生が校舎から飛び降りたんです」


 玲奈もマシューもモニターの画面に視線を戻した。

 だが二人ともその手は止まっている。


「その学校には特別学級がなくて、孤立していたみたいで。その子、屋上から飛び降りたのですが、校舎が三階建てだったから、すぐには死ねなくて……」


「えっ……」


「でも、血がいっぱい飛び散って。OKOGEが移るんじゃないかと皆が恐れて、誰も助けようとしなかった。近付くことさえもせずに、その子の苦しむ姿をただ見ていた……」


「そんな……」


「その後に、その子のいじめられている動画がネット上で広まって……。その子の母親がいじめていた男の子を撃ち殺してしまった……」


「なんてことを……。でもそれと、今日の銃撃とどういう関係が?」


「その子もお母さんも、その教会の施設で住んでいたからなのかな、と」


「リーダー! これはOKOGEのせいじゃないから! どこにでもあることで、いじめの理由がたまたまOKOGEだったってだけだから」


 玲奈は、それだけを言って、再びキーボードを打ち始めた、パンパンと音が出る程の強さで。


 マシューがまた、大きな息を隣で吐いた。


 中学生のいじめから始まった事件は、その結末を見ることはできなかった。


 大量の銃弾を撃ち込んだ男は捕まらず、その代わりにと、その男が所属していた団体の施設が複数台のドローンによって火をつけられ、十六人の人々が命を落とした。


 そしてそれがまた報復を呼び、全米各地へと飛び火し、その火が消えることはなかった。


 感染者VS非感染者という対立が明確となり、銃社会であるアメリカでは、それがすぐに人の死へと繋がった。


 差別される側だった感染者がその数を少しずつ増やしていき、仲間内に多い資産家の力を用いて近代的な武器を手に入れ、そしてついには政治の世界にも進出していった。


 政治の力とは、金と、人の数とその団結力である。


 感染者達が立ち上げた政党は、その全てを兼ね備えていた。


 そしてそれは、どの先進諸国でも共通する出来事だった。

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