第81話 流れ

 次の日から僕は、正に文字通り、死に物狂いで抗OKOGE酵素の研究に没頭していった。


 家に帰っても、みつきさんと一緒にいることのできる食事の時間でさえ、更に効果を上げるにはどうすればいいのか、安全性を高めるためにはどうすべきなのか、常に酵素のことを考えていた。


 みつきさんはいつも「今日、あのすき焼きのタレを買うことができました」とか「癌患者さんの家族の方がOKOGEを再び使えるように、と署名活動をされていましたよ」とか、日常の出来事を教えてくれるのだが、その言葉は僕の耳を素通りしていった。

 

 そして、なんとか試験管内では、OKOGEの特異的塩基配列をほぼ100%溶解できるようになり。


 OKOGE 感染マウスへの生体内投与を試みた。




「リーダー、マシュー、ごめんなさい」


「どうして玲奈が謝るんだ?」


「だって……、私の設計した酵素はみんなに苦労をかけるばかりで……」


 生きたマウスの体の中では、抗OKOGE酵素はその力を殆ど発揮することができなかった。


 合成した酵素をマウスの免疫細胞が異物と判断し、排除してしまったのが失敗の原因だった。


「何を言うてるんや玲奈! 玲奈が作ったこの酵素が、俺たちの、いや、世界中の人達の一番の希望なんやで。自信を持って頑張っていこうや!」


「玲奈ちゃんって呼べよなマシュー。でも、ありがとう」


 そうなんだ。

 今はこれに賭けるしかないんだ。


 異物だと判断されない酵素にするためにはどうすればよいのか、三人で話し合っている時、レヴィがアリアと共にやってきた。


「ハルヤどうだ? 抗OKOGE酵素は」


「はい。OKOGEのページに記載している通り、マウスへの生体内投与を開始したところなのですが、酵素が免疫細胞にやられてしまって……」


「そうか……」


「レヴィ、今日はどうして? アリアまで引き連れて」


「先程、フォーサイス大統領から意見を求められた」


「大統領から……」


「うむ。今OKOGE感染者への差別が問題になってきている。感染者は婚約を破棄され、離婚され、そして場合によっては職場を追われることも少なくはない」


「そんな……。日常生活で移る可能性なんて殆どないのに、職場まで……」


「だから皆、感染している事を隠そうとするのだが、全社員に対してOKOGEの検査を受けるよう強制する企業も出始めている。それに対してプライバシーの侵害だと、労働組合や市民団体が抗議をし、政府は対応を求められている。そこで、OKOGEの検査を強要したり、その結果の提出を求めることを法律で禁止すべきではないかと、議論されているところだ」


「それについて、僕達に意見を?」


「そう。感染防止の観点から考えれば、この法案は出さない方がいい。少しでも多くの人が検査を受ければ、それが治療や感染の予防に繋がっていく。感染拡大防止セクションの意見もアリア個人も、廃案にすべき、だ」


 アリアは口を固く結んでうなずいた。


「だが、この法案が廃案になれば、OKOGE感染者への差別が今よりもあからさまになる可能性が非常に高い。企業だけではなく、感染者を親に持つ子供はいじめを受けるかもしれない。下手をすればスーパーや飲食店まで感染者の入店を制限する可能性もある。そうなれば感染者にとっては死活問題だ。だが――」


 確かにその通りだ、感染の拡大防止の事を考えれば、絶対廃案にすべきだ。


 だがもしも、感染者への差別が半ば公的に行われるようになってしまったら、おそらく今までの生活を維持することはできなくなるだろう。


 それは間違いなくみつきさんにも降りかかってゆく……。


「だが、抗OKOGE酵素が近い将来に完成するのであれば、少しくらい感染が広がったところで治せるのならいいのでは、という意見も出ている。一度はOKOGEに感染した人間、という差別を無くす方が、辞めさせられた会社や、迫害を受けた街や社会に戻ることの方がずっと難しい。だから今日は、抗OKOGE酵素が果たして完成できるのかどうか、できるのならいつ頃の見込みなのか、そんなこと分かるはずないという事は重々承知しているのだが、それを聞きにやってきた」


 それは、本当にわからない。

 でも……。


「僕は、いや僕たちは、絶対にこの抗OKOGE酵素を完成させます。もし、万が一、この薬がダメだったとしても、他の方法を見つけ出して、OKOGEを、僕が作ってしまったOKOGEを必ずこの世界から消し去ります。ただ……、一日でも早く完成させたいけど、それまでにどれくらいの時間がかかるのかは、やっぱり、まだわかりません」


「ハルヤすまない。そうだよな。君はそう思っているよな」


 レヴィは項垂れる僕の肩に手を置き力を入れた。


「君がそう思っていることは、私を含めみんながわかっていたことだ。聞く必要のないことだったな。わかった、大統領には私の方から、ありのまま事実だけを伝えておく。レナ、マシュー、アリア。ハルヤを頼んだぞ」




 結局その法案は廃案となった。


 同時に【君の努力に期待をする】というメッセージが僕の元に送られてきた。


 イアン・フォーサイス大統領からのメッセージだった。




 そして世界は、これを境にして、少しずつその様相を変えていった。


 世の中の流れは、堰を切ったように、感染者を排除する方向に動いていった。


 企業は健康診断の項目にOKOGEの検査を追加し、感染者、又は検査を受けなかった者を閑職へと追いやった。


 学校では、感染者が家族にいるというだけでいじめの対象となり、それがあまりにも多発したため特別学級を組む学校が増えていった。


 そして保護者からの要望により、教師は全員検査を受けさせられ、感染者は特別学級の授業のみを行うこととなった。


 スーパー等の食料品売り場では、年齢の分かる身分証の提示を求められ、見た目とかけ離れている場合には、店主の判断で使い捨て手袋の着用を求められた。


 感染者はもちろん、検査を受けない人、そして見た目が若い、ということだけでも疑念の目が向けられ、差別の対象になっていった。


 この為、試験的に造られた、治療を続けながら職場と住居が確保できる感染者専用の街はすぐにいっぱいとなり、各地で増設されることとなった。


 OKOGEの検査を受けないだけで差別対象になる、この流れは、検査を受ける人の割合を急激に押し上げていった。



「昨日までに一度でもOKOGEの検査を受けた人の割合は70%を超え、今日は72%に達しています。ですが……」


 珍しくアリアが言いあぐねた。


「ですが、どうしたアリア」


「抗HIV薬を使用している人の割合は、未だ3%にも届いていません」


「えっ? たった3%?」


「はい……。しかもそのほとんどは、入植時に治療を義務付けている、感染者専用街の人達だと思われます」


「ということは……」


「現在、全米での予想感染者数は約六千万人。その中の五千九百万人以上の人が未だ感染源になり得る状態だということです」


「だったら、いくら検査を受ける人が増えようとも意味がないじゃなか!」


「はい……。すみません……」


「いや、こちらこそすまない。アリアが悪いわけではないのに、大きな声を出してしまって。じゃあやっぱり、抗OKOGE酵素の完成を急がないと……。あっ、アリア。またこれからも色んな情報を教えてくれよ」


「は、はい……」

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