CDC

第68話 新天地

 僕は混乱したままの頭を引きずってハーツフィールド国際空港に降り立った。


「アニキ! ヨウキテクレタナァ」と言う久しぶりのマシューの笑顔にも素直に応えることができなかった。


 マシューの車に乗せてもらって、新しい住居に向かった。


 車中で「レナヤ、ミツキサンハ、ゲンキナンカ?」と問われたが、曖昧にうなずくことしかできず「今日からは慣れないといけないし、英語で話してくれていいからね」とだけ伝えた。


 マシューはある程度、日本でのことを聞いていたのだろう「OK」とだけ返事をし、これからのことを話し出した。



 僕の新しい勤め先はアメリカ疾病予防管理センター、CDCと呼ばれる、全米のみならず世界中の感染症に対して対策を行う複合施設だ。


 周りには病院や大学の施設が点在しており、ひとつの街を形成している。


 マシューも客員スタッフとして招かれていて、毎日のほとんどをCDCで過ごしているらしい。



 空港から車で約二十五分。


 マシューが用意してくれた住居はCDCまで歩いて五分程のところにある一軒家で、生活に必要な家具のほとんどが揃えられていた。


 4LDK、芝生が敷き詰められた広い庭。


 周はとても緑豊かで、多くの木々に囲まれていて、近くにはサウス・フォーク・ピーチツリー川が流れている。


 僕には少し大きすぎる佇まいだが、閑静なこの住宅街は、一人ひっそりと研究を続けながら毎日を過ごしてゆくには最適な場所なのかもしれない。


《以後当分の間、英語での会話や思考を日本語で表記致します》



 クリフトン・ロード沿いのお店でサンドウィッチを軽く食べ、と思ったのだが、それはとってもボリューム満点で、何が何だかよくわからないものがいっぱい挟まれていて、お腹いっぱいになってしまった。


 そして、その足でCDCへ。


 久しぶりの、最上級の緊張感。


 転職も始めてだが、その転職先が天下の、いや世界のCDCなのだから。



 CDC内にはいくつもの大きな建物があったのだが、マシューに言われるがまますぐに研究室へと向かった。


「ここが俺のデスクで、その隣がアニキのデスク。またアニキと一緒に研究ができるなんてホンマに嬉しいわ」


 そう言うマシューの右手の先には傷一つないデスクとチェア、そしてパソコンが置いてあって、今日からここで新しい毎日を始めるのだ、と気持ちを新たにすることができた。


「マシュー本当にありがとう。マシューがここへ呼んでくれていなかったら僕はどうなっていたことか……」


 言葉につまってしまった僕をマシューが抱きしめてくれて、背中をポンポンと。

 そうしている時に、後ろから突然声をかけられた。


「おっ? 二人はそういう仲だったのか?」


 振り向くとそこには、精悍な印象を受けるスーツ姿の白人男性が立っていた。


 身長は180cmくらい、ライトブラウンの短髪には所々白髪が混じり始めているが、アンバーの瞳が優しい笑顔の中にも鋭さを保っている。


 その隣には、身長160cmくらい、細身で、つぶらな黒い瞳を持った褐色の女性が一歩引いたところで立っていた。


「いやいや、そういう仲やないんですよ、センター長」


「そうなのか? どちらでもかまわないのだぞ?」


「いや、違うんですって」


「わかったわかった。まあ今は、それはいい。ところで君が御影治也君だね?」


「はい」と答える間もなく、鍛えられた腕に握手を求められ、僕の手をしっかりと握りしめた。


「ようこそCDCへ。私がここのセンター長、レヴィ・カーライルだ。レヴィと呼んでくれ。このCDCには七千人を超える数の職員がいて、その中には医師、獣医、薬剤師、科学者、統計学者、果ては軍人まで、多種多様な職種や立場の人間がいる。だからいちいちドクターやミスターなど敬称をつけるのは煩わしいので、皆ファーストネームで呼び合うことにしている。今日から君のことをハルヤと呼ぶが、それでいいかね?」


「はい、もちろんです、ミスターいや……、レヴィ」


「そうそう、それでいい。よろしく頼むよハルヤ。早速だが、まずはマシューと一緒にスキニーギニアピッグの死亡原因を調べてくれたまえ。それと今日から彼女を君たちの助手として付けることにした。アリアだ、疫学を専門にしているが、まだ新卒だからどんなことでもさせて、経験を積ませてやってくれ」


「アリア・パーカーです。よろしくお願いします」


 真っ直ぐに僕を見つめるアリアの瞳は、何故か玲奈を思わせた。






 翌日、マシューに案内を頼み、アリアと共にあんこの所へ会いに行った。


 安全キャビネット内に設置されたゲージの中のあんこは、餌箱にあるペレットを食べていたが、近寄るとモグモグを続けながら僕の方に振り向いた。


「あんこ、久しぶり! 元気だったか?」


「キューキュー」と鳴くあんこ、体調はいいようだが、どこか寂しそうに見えた。


「アニキ、実は今日まであんこは二回、癌に罹患してしもてん。胃癌と大腸癌に」


「えっ? そうだったのか……」


「うん。でも二回ともPAA with sugarが著効して事なきを得た」


「そっか、僕がおこげを紹介したせいで、やっぱりあんこもOKOGEに感染してしまったんだな。ごめんなあんこ、苦労ばかりを掛けてしまって。その上に、なのだが、今日はもう一つお願いがあって来たんだ」


 あんこは不思議そうな顔をして僕の顔を見つめている。


「死んだおこげを解剖させて欲しいんだ。医学のために、これからの未来のために」


「ルルルルルル……」と鳴き始めたあんこの声が何を意味するのかは分からないが、僕はもう一度「ごめんな」と付け加えた。


「えーっと、今日病理解剖するおこげちゃんが、このあんこちゃんの旦那様だったってことですか?」

 後ろからアリアの質問が飛んできた。

 物怖じしない性格のようだ。


「そうなんだよ。おこげが一人ぼっちでは寂しいと思ってね」


「ハルヤって優しいんですね……。この二匹に子供は?」


 このアリアの質問に、マシューが口を開いた。


「それなんやけど……」


「ん? もしかして、おこげの子供がいるのか? マシュー!」


「いや……、実は定期的に行っていた血液検査や尿検査では、あんこは三回妊娠してん。でも癌の治療とかもあって、出産に至ることは一度もなかってん」


「そうだったんだ……。抗癌剤のせいで……。なぁマシュー、念の為OKOGE Type Squadの妊娠出産への影響を調べておいてくれないか?」


「えっ? PAA with sugarではなく、OKOGE Type Squadの?」


「うん。PAA with sugarは、ほぼ間違いなく妊娠を阻害すると思うから、OKOGE Type Squadの方の影響を調べたい」


「オーケー! ほんならアリア、一緒に手伝ってくれるか?」


「もちろんです。是非手伝わせて下さい」






・レヴィ・カーライル(Levi Carlisle、45歳)

・アリア・パーカー(Aria Parker、24歳)

・安全キャビネット(ウィルスや細菌が箱外に漏出しないようにしたキャビネット)

・PAA with sugar(癌細胞への強い攻撃力を持つ抗癌剤。御影が発見し玲奈が開発したもの)

・OKOGE Type Squad(感染することにより人体の治癒力を飛躍的に上げることのできるウィルス。御影とマシューが発見開発したもの)

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