第36話 仲間

 誰もいない夜の研究室で、データを調べていた。


「だれよ? なにしてんの?」と、突然後ろから声をかけられて、ひっくり返りそうになった。


「わっ、あぁ、びっくりした」


「リーダー? どうしたのよ、こんな夜中に」


「いやちょっと調べたいことがあって」


「調べたいことって? そんなの私に聞けば済むことじゃない」


「ん……、まぁ、そうなんだけど……。玲奈はどうしてこんな時間に?」


「今、二時間おきに血中濃度のデータを取っているから。そんなことより、調べたいことって何よ!」


「いや、まぁ、たいしたことじゃなんだよ」


「たいしたことじゃなかったら、こんな夜中にわざわざ来ないでしょ。あっ、またリーダー、なんか一人で抱え込んでいるんでしょ。もう、さっさと白状しなさい!」


「ん……、いや、でも……」


「だから、みーずーくーさーいーって!」


「わかったよ。ちょっとPAA with sugarの適正量が知りたくて……」


「それなら、だいたいの目安はわかってきているけど、それをどうしてこんな夜中に?」


「実は……、人間に投与する場合の適正量が知りたくて……」


「人間? どうして急に? 次はお猿さんの予定じゃ……。あっ、もしかして……」


「うん……。昨日、母親の主治医の先生に、もう長くはないだろうって、言われて……」


「それで……、もしかしてPAA with sugarを? でもそれって……」


「うん、だからこの話は聞かなかったことにして欲しいんだ。認可されていない薬を使えば薬事法違反だし、僕が注射すれば医師法違反。それで済めばいいけど、この投薬が原因で母親が死んでしまったら、よくて過失致死、下手をすれば殺人罪に問われるかもしれない」


「犯罪ってことだよね……」


「うん。きっとそう上手はいかないだろうし、結果が悪ければ少なくとも何らかの罪に問われることになるだろう。そうなると玲奈にも迷惑をかけてしまうだろうし。だから聞かなかったことに」


 玲奈が下を向いて何かを考えている。

「わかった」よりも、なんとか僕を励まそうと言葉を考えてくれているのだろう。


「いやだよ」


「えっ?」


「前にマシューが言ってたじゃない。リーダーのお母さんは仲間のお母さんだから、大切な人なんだって。だから……、手伝わせてよ」


「いや、でも……」


「わかってる。リーダーの性格じゃあ、私に問題がふりかかってしまうのは絶対に許容できないよね。だから、一緒に罰を受けますとか、一緒に罪を償いますとかは、絶対に言わないから。だから、お母さんの治療を手伝わせて下さい。力になりたいんです」


 こんなに真剣な顔の玲奈は初めてだ……。


 正直、僕一人では、OKOGE Type Squadの感染から、どれくらいの期間を経て、どれくらいの量のPAA with sugarをどれくらいのペースで投与すべきなのか、算出することはできないかもしれない。


 でも、とても優秀で将来有望な玲奈の経歴に汚点をつけることだけは絶対にしたくない。


 もし、僕が刑に処され、解雇されてしまったとしても、玲奈とマシューさえいてくれれば、この研究を完成させてくれるはずだ。


 それに何より、自分の大切な仲間に傷を付けたくない。


「いや……、やっぱり……」


「ねぇ、リーダー知ってる?」


「ん?」


「仲間っていうのはね、自分が傷付いてもいいから助けたい人、そういう人のことを仲間って言うんだよ。マシューだって、きっと同じことを言うだろうし、リーダーだって逆の立場だったら絶対に知らんぷりなんかできないでしょ!」


「それは、そうかもしれないけど……」


「はい! じゃあ決定! ちょっと今からマシューも呼び出すから」


「いやいやいや、そんな今からなんて……」


「何言ってんの、お母さん、いつどうなるかわからいんでしょ? もう今からは、できる時にできるだけの事を全部やらないと」


「玲奈……。ありがとう……」


「リーダー……、涙を流している暇なんてないよ! リーダーはどう思っているのか知らないけど、私はこの薬で絶対にお母さんを治す! だから……、お母さんが治ってから、みんなで一緒に泣こうよ!」


 そう言いながら目を擦る玲奈。


 これ程凄い仲間を持つことができる奴は、世の中にそうはいないだろう。



 ものの十五分もすると、今度はマシューが目を擦りながらやってきて、「アニキー、チャント、サイショカラソウダンシテヤー」と責められた。


「ごめん、ごめんよマシュー」


「ハイヨー。 じゃあ、Me ハ、ナニシタラエエ?」


「マシューはOKOGE Type Squadを人間に注射した場合、どれくらいの時間が経てば全身の細胞に感染するかを予測して欲しいんだ」


「OK! アニキ、マカセトキー。ゼッタイOur mom ヲタスケルデ!」




 それからの五日間、僕たちは最初にチームを組み出した頃のように、それぞれのルーティーンワークが終わった後に、三人で集まって、データの洗い直し、適正値の予測と検討、そしてそれをマウスよりも大きなモルモットで検証し、更に再検討を重ねた。


 そうして、ようやく出た結論は、まずOKOGE Type Squadを静脈注射、そしてその四日後に最初のPAA with sugar投与、その後二日おきにPAA with sugarを二回追加投与することとした。


 だが、それを行うためにはとても大きな問題が残されていた。



 病院で行っていた放射線療法も効果を得ることが出来ず、オプジーボもいまのところ結果を残すことができていない。


 このまま病院にいても、良くなる見込みが無くなってしまった母。


 それならせめて、少しでも自然な形で、尊厳を保って亡くならせてやりたいと姉が望んで、でも自宅で自分達だけで看るのはやはり不安で。このため母は、入院前にいた施設に戻ることになった。



 体に入っていた全てのチューブが外されて身軽になった母。

 しかし、その反面、必要な栄養を取り切ることが出来ず、みるみる痩せてきている。


 そんな状態の母の血管に注射を打たなくてはならない。


 特にPAA with sugar は作用が強いので、一回につき三時間をかけ、ゆっくりとそして必ず静脈内に投与したい。


 はっきり言って、素人の僕には絶対に不可能だ。

 もちろん医師に頼むわけにはいかない。


 唯一これを頼むことができるのは、看護師の経歴を持つ、みつきさんただ一人だ。


 看護師は、患者に静脈注射をする資格を持っている。

 しかし、それは医師の指示があって初めて成り立つことで。

 今回の注射をすれば、どうあがいても法に触れてしまうことは避けられない。


「みつきさんを犯罪者なんかにはしたくない。でも、今のままではお母さんは必ず死んでしまう、早ければ数日後にも。だがOKOGE Type SquadとPAA with sugarを投与すれば、もしかしたら治せるかもしれない。でもその可能性は極めてゼロに近くて、失敗すれば、みつきさんを犯罪者にしてしまう。お母さんが死に、姉が悲しみ、仲間に多大な迷惑をかける可能性がとても高いこの試みは、やはり行うべきではないのでは……。しかしゼロではないんだ、母の治る確率は。でも、みつきさんにこんなこと……」


「注射ですか? 私得意ですよ」


「えっ?」

 驚いて振り向くと、みつきさんが微笑んでいた。


 また、このパターン……。






・血中濃度(血液内の薬剤濃度。薬の投与後、時間とともに変化する)

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