第19話 次へ

「ネイチャーに論文送ろうよぉ」


 皆で、おこげに乾杯をした後、開口一番、伏見さんが言い出した。


「だって未知のウィルスを発見したんだよ! しかも、感染すると生物の治癒能力が上がるという凄いやつ! すみませーん、カルピスサワーおかわりで!」


 乾杯したジョッキを早々に飲み干して、今日の伏見さんは上機嫌だ。


「Oh. アンマリ、ノミスギタラアカンデー」


「何言ってんのよ、今日飲まないでいつ飲むんだよ」


「デモサー、レナチャーン」


「いいから、マシューも飲めっての」


 もしかすると、伏見さんは絡み酒なのかもしれない。


「確かにネイチャーに載ってもおかしくない大発見だと思う。でも、どうなんだろう、僕たちは大学で研究しているわけではないから、製品としての薬剤を作り上げてからの方がいいんじゃないのかな?」


「でも、この研究は社命ではなく私たちが時間外にやっているんだし」


「確かに、伏見さんの言っていることにも一理ある、でも――」


「ねぇリーダー、前から言おうと思ってたんだけど、その伏見さんっていうのもういいよ、長ったらしいし。玲奈でいいからさ」


「Oh. レナ! フレンドダカラ、レナデエエナ」


「マシューは玲奈ちゃんって呼べよ!」


「Oh no! ナンデヤネン」


「日本では、年上に敬意を払うって決まってるんだよ!」


「Oh Jesus !」

 頭をかかえて、そう叫ぶマシューももう酔っぱらっているようだ。


 ずっと時間外に頑張ってきた、ようやく一つの成果が出たのだから嬉しいのは当たり前だ。


 でもここから先に進む為には、今のままじゃダメなんだ。



「まあ飲めよ」とワインを注がれているマシュー、困ったような表情を作っているが、とても楽しそうだ。


「無理強いはダメよ」と言う朝比奈さんも顔は笑っている。


 いいチームだよなぁ、とそんな三人をぼんやり眺めていると、急に矛先を向けられた。


「ねぇリーダー、わかったの?」


「えっ、何が?」


「だーかーらー、玲奈って呼べよ! って話だよ」


 ダメだ、完全に酔っぱらっている。

 腕を取られ、ビールを注がれた。


「わかったよ玲奈。うわぁ、やっぱりこれすごく偉そうだよ」


「いいからいいから。みんな仲良くやろうよ。あっ、お姉様のことも今日からは、みつきさんと呼ぼう! 一番年上だから、さん付けで」


「玲奈ちゃん!」と睨み付ける朝比奈さんに玲奈はペロっと舌を出し、肩をすくめた。


「一番年上というのは余計ですが、下の名前で呼ばれることについては、やぶさかではありません」


「やぶさかではありません、って、照れ隠しか!」


 いよいよ玲奈は、絡む相手にも見境がなくなってきている。


「もういいから、飲むのをやめなさい」


「はいはい、わかりましたよ、もうちょっとでやめます」と言ってはまた一口あおった玲奈が僕に詰め寄った。


「じゃあリーダー、呼んでみて、はい!」


 あらためて言えと言われると、とても照れくさいのだが、みつきさんと呼んではみたい……。


「では、玲奈、みつきさん、マシュー、これからも一緒に頑張っていきましょうね!」


 言ったすぐに「おう!」と「はい!」と「Yes!」という返事が同時に入り混じり返ってきた。

 皆、右手を突き上げ笑っている。


 このメンバーなら、なんとかなる、僕は確信し、話し始めた。


「ネイチャーに自分の論文が載るなんてことは、研究者なら誰もが夢見ることで、僕たちの論文が載ったらなんて想像しただけでクラクラしてしまうくらい嬉しいんだけど、僕はやっぱり癌を治す薬を作りたいんだ」


 皆が話すのをやめ、僕の話をじっと聞いている。

 玲奈も握りしめていたジョッキをテーブルに戻した。


「世界中の癌で苦しむ患者さんを救いたい、そんな大それたことじゃなく、C型肝炎末期になってしまっている僕の母、これから肝臓癌になる可能性が高い母のために抗癌剤を作りたいんだ。実際のところ、今始めたばかりのこの研究で母を救えるとは思えない。もしもすごい薬ができたとしても、それを作り、使えるようになるまでには、何年も、下手をすれば何十年もかかるかもしれない。でも、僕は作りたいんだ」


「オレモツクリタイヨ」

「私も」


「ありがとう。でも、そのためには今のままじゃ無理だと思うんだ。まずおこげから見つかったウィルスをマウスに感染させなくちゃいけない。このウィルスを扱うためにはどれくらいのバイオセーフティレベルが必要だ? マシュー」


「Well……、ウィルスノ リスクグループガ マダワカラナイカラ……。スクナクトモLevel 2、デキレバLevel3」


「うん。ということは今の研究室では続けられない。その上、ウィルスを感染させるタイミング、癌を植え付けるタイミング、P-SEやPAAの投与量とタイミング、これらの組み合わせ全て試すには、どう考えても、この三人だけでは無理だ。しかも業務時間外にだしね。」


「じゃあ、上に頼むってこと?」


「うん。ここからは会社の力が必要だと思う」


「でも、リーダーは一度頼みに行って、むげに断られたんでしょ?」


「そう、だからね。佐々木課長を納得させられるようなレポートを作って持って行こうと思うんだ。そこで伏見さ……、いやいや玲奈とマシューにレポートを手伝って欲しいんだ。論文を書くより難しいかもしれないけど」


「Sure thing! マカセトケッテ」

「よーし、仕方ないから手伝ってやるよ」


 そう言って二人がグラスとジョッキを突き出してきたので、僕とみつきさんが加わって、皆でもう一度乾杯をした。


 はじける四人の笑顔。

 僕はもう一度確信をした。

 必ずできる。






 玲奈はPAAの強力な抗癌作用について、マシューはおこげに感染していたウィルスの特性と人の遺伝子に与える影響について、僕は今までおこなってきた研究の詳細と今後の計画、P-SEやPAA、そしておこげのウィルスとの組み合わせが、如何に大きな可能性を持っているかをレポートに落とし込んでいった。


 帰宅してからも、それぞれの担当部位についてデータを分析し、文献と照らし合せ、考え、まとめる。


 それを持ち寄り、仕事後の研究室で意見を出し合い、再び持ち帰って加筆修正し、また持ち寄り話し合う。


 お互いの足りないところを補い合い、時には意見をぶつけ合い、励まし合って。


 これを何度も何度も繰り返し、より良いものへ、より説得力のあるものへと作り上げていった。


 みつきさんも夜遅くまで残って、三人のためにお茶を入れ、夜食を用意し、文献や著書の取り寄せや、データ解析、図表化などの手伝いをしてくれた。




 そして今日、四人の思いが集約されたレポートを佐々木課長のところに持ってゆく。


 昨夜は、どう切り出そうか何と話そうかと頭の中はそればかりになってしまい、よく眠れなかった。






・ネイチャー(イギリスのとても権威ある科学雑誌)

・バイオセーフティレベル(細菌やウィルスを扱う施設の格付け。レベル1からレベル4まである)

・リスクグループ(微生物や病原体などはその危険性に応じて四段階のグループに分けられる)

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