第18話 お弁当

 入院の手続きを姉に任せ、僕は電車に飛び乗った。


 それでももう十時を過ぎている。


 車内は閑散としいて「ガタンゴトン、ガタンゴトン」という一定のリズムが御影の頭を麻痺させる。


 ぼんやりと窓の外を眺めていると、このまま全てを投げ出して、どこかに行ってしまいたい気持ちになった。


 忍耐や努力を必要とせず、落胆や絶望のない世界に。


 しかし電車は程なくいつもの駅に着き、条件反射のように、開いたドアからホームに降り立った。




 連絡は入れておいたのだが、あらためて佐々木課長に謝罪し、その後自分の研究室に向かった。


 部屋に入ると、テーブルの上に、見慣れないステンレスボトルが置いてある。


「ん?」

 ボトルの下にはメモ用紙が挟んであった。


 冷蔵庫に食べ物を少し入れておきました。

 ご連絡を頂けなかったので、きっと今朝は朝ごはんを食べる時間もなかったのではと。差し出がましいとは思ったのですが、自分のものを作るついでに。なので不要でしたら気兼ねなく処分して下さいね。  朝比奈


「処分なんてするわけない!」


 冷蔵庫の扉を開けると、何やらパステルカラーのナフキンに包まれた物が入っている。

 思わず取り出し、中身を調べた。


 タッパが二つ。


 一つには俵型の小さなおにぎりが六つ入っていた。

 海苔が巻かれているものが二つ、削り昆布で巻かれているものが二つ、ひじき? の混ぜご飯のおにぎりが二つ。


 もう一つのタッパには、鳥の唐揚げ、ナスの炊いたもの、ホウレンソウ炒め、アスパラのベーコン巻き、真ん中にウインナーの入った卵焼き。


 ついでというには無理があるくらい、所狭しといろんなものが詰め込まれていて、水分が出そうなものは全てラップで包まれ、いろどりに大葉やプチトマトも入っている、以前食堂で見た朝比奈さんのものよりも明らかに手の込んだお弁当。


 僕は、これをナフキンで包みなおし冷蔵庫に戻した。


 ステンレスボトルの蓋を開けると、湯気が立ちあがり、コンソメのとってもいい香りが広がった。

 覗き込むと、具材がいっぱい入ったスープのようだ。



 これをお昼に食べる、そのことを楽しみにして、午前中の仕事を頑張ろう。


 昼休み、食べた後に少しだけ休んで。

 

 それから。


 解決しなくてはならない問題に立ち向かおう。


 そう思った。




「回収に来ましたぁ」


 細長いワイングラスを洗うようなブラシはここにはなくて、置いてあったスポンジを二つ折りにしてステンレスボトル内に押し込んでみたのだが底までは届かなかった。

 仕方がないので、ボトルの中に水を半分ほど入れ、上下に激しく振っては水を捨てるを繰り返しているところへ、朝比奈さんが入ってきた。


「あっ、すみませんまだ洗えてなくて」


「いえいえ、水洗いで十分です。ありがとうございます」


「いやいや、こちらこそありがとうございます。とってもおいしかったです」


「いやいやいやいや、お粗末様でした。本当に勝手なことをしてすみませんでした。処分して下さいと言われてもしにくいでしょうし、御影さんの好みも知らないのに……」


「いやいや、全部すごくおいしかったです。おにぎりの中にはいろんな具が入っていて、おかずの味付けも僕好みだったし。特に、あの真ん中にウインナーが入った卵焼き、子供の頃、母親がよく作ってくれたやつと同じで、すごく懐かしかった」


 本当においしかった。


 海苔の巻いたおにぎりには焼きタラコが、削り昆布が巻かれたおにぎりには昆布の佃煮、ひじきの混ぜごはんには梅肉が入っていた。


 こんな邪魔臭いこと、愛がなければできないよな? みたいなことを考えていると余計においしく感じてしまう。


 炒め物も全く油っぽさはなく、ちゃんと火は通っているのに野菜の風味やシャキシャキ感が残っていて、煮物はほんの少し甘めで冷めているのに温かさを感じた。


 コンソメにはレタスとニンジン、エノキダケ、そしてそこに溶き卵が絡まっていた。


 お弁当に感激したのは生まれて初めてだ。



「そういえば、お母様は?」


「あぁ、連絡できず済みませんでした。実は母、肝硬変になってしまっていて、数か月前からあの施設でお世話になっていたんです。でも、昨日から調子が悪くなってしまって。結局、朝一番で入院になってしまいました」


「そうだったのですか……。心配ですね」


「はい。でも、さっき姉から連絡があって、処置してもらったら落ち着いたみたいで、今日は眠っているから来なくていいと言われました。心配いらないと。ところで、朝比奈さんはどうして、あそこに?」


「私の母も、あの施設に入れてもらっているので」


「そうだったんですか。あそこはスタッフの皆さんがとても親切ですよね。部屋も綺麗だし食事もおいしいと、母も喜んでいました。じゃあ、もしかしたら僕たちの母親同士もう友達だったりして」


「あっ、そうかもしれませんね……」


 どうしたんだろう、珍しく歯切れが悪い。

 それにしても、どうなんだろう。


 あの施設は、確かにとてもいい施設だ。

 ただ、その分、入所費用がとても高い。


 幸いなことに父は生命保険にも入っていたし、十分な資産を残してくれた。

 その上、これは悲しいことなのだが、母は長生きはできないので、高額の入所費用を払い続けることにはならない。

 だから、あの施設に入れているのだが、おそらく、一般家庭の収入では入所し続けることはできないはずだ。


 朝比奈さんにも資産があるのだろうか、子供の頃は苦労をしたと言っていたけど。


 でも、お金が絡む話はさすがに聞きづらい。


「あっ、朝比奈さん、お弁当のお礼と言ってはなんですが、この後、ご飯でも食べに行きませんか?」


「あっ、いいですねぇ」


 やった! すごく自然に誘えたぞ。

 動物園以来、研究で右往左往していたから、どこにも行けなかったし、久々のデートだ!


「じゃあ、マシューと玲奈ちゃんも誘って一緒に行きましょうか」


「えっ?」


「あっ、ダメですか?」


「いえいえいえいえ……。って? 玲奈ちゃん?」


「あっ、伏見さんです」


「いつも、玲奈ちゃんと呼んでいるんですか?」


「はい、仕事場では気を付けるようにしているのですが」


 仲いいんだ……。

 それにしても、二人ではなく、みんなで行きましょうって……。

 やっぱり仕事仲間の一人としてしか思われていないのだろうか……。

 この前の動物園もデートだと思っていたのは自分だけなのか……。

 お弁当を作ってくれたのは、好意があるからじゃなかったのか……。

 やはり一線は引いておこうということなのか……。


 僕が悩み始めたためか、朝比奈さんに「大丈夫ですか? やはりお疲れなのでは? また今度にしましょうか?」と聞かれたので、「いえいえ大丈夫です。行きましょう! みんなでおこげのウィルスを見つけたことに乾杯しましょう!」と精一杯のから元気を出した。

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