第12話 お寿司

 ごっくんと、慌ててお寿司を飲み込んで「はい?」と振り向いた朝比奈さん。

「次は何を頼みます?」とでも言いそうな屈託のない笑顔で僕を見つめてくる。


「あの……」


 僕の言いよどむ姿を見た朝比奈さんは、両手を膝の上に置いて体を僕の方に向け、姿勢を正した。


「はい、なんでしょう」


 僕は、その礼儀正しさに背中を押され口を開くことができた。


「朝比奈さんは、マシューとお付き合いしているんですよね?」


 僕の目をじっと見つめたままの朝比奈さん。


 僕の方が質問をしたのに、逆に問いただされるような気持になってしまい、答えを聞く前に言い訳をしてしまった。


「その……、以前、中央病院に近い居酒屋で、マシューと朝比奈さんが二人で会っているのを見てしまったもので……」


 ずっと聞きたかった答え、でもずっと聞きたくない答えかもしれない不安。

 その不安が的中した時のための言い訳をさらに続けた。


「だってマシューは若くて背が高くて仕事ができて、金髪のブルーアイの白人で、それなのに偉そうなところが少しもなくて、笑顔が可愛いとてもいい奴ですもんね」


 朝比奈さんは、僕が言い終わるのを最後まで待ってから、答え始めた。


「はい、マシューはとってもいい人です」


 やっぱり、そうだったんだ。

 そうだよな……。

 あぁ、聞かなければよかった……。


「でもね、男性として特別な感情は持っていませんし、もちろんお付き合いもしていませんよ」


「えっ? じゃあ、どうして二人で居酒屋に?」


「それは、マシューがちょっと相談したいことがあるって」


「どうして、マシューが朝比奈さんに?」


「マシューが来日した時に、私が会社内を案内したので話しやすかったのかもしれません。私も日常会話程度なら英語を話せますし」


「そうだったんですか? 僕はもうてっきり……」


 よかった……。

 はぁ……、ホントによかった。


 極度の緊張から解放された僕は、勘違いしていた自分が恥ずかしくなって、薄笑いを浮かべ下を向いてしまった。


「御影さん、どうして元気がなくなっちゃったのですか? 私何か嫌な事言いましたか?」


「いえいえ違うんです。ちょっと気が抜けちゃっただけで。あっ、次は何を食べます?」


「えっとぉ」


 ずっと僕を見つめ続けていた朝比奈さんがようやくネタ札の方に視線を上げ、目を輝かせた。


「じゃぁ、アジを」


「へいよ」と注文を受けた大将は、またリズムよく包丁を動かし始めた。


 僕はようやく落ち着きを取り戻したのだが、また新たな疑問も浮かび上がってきた。


「その……、マシューの相談ってどんなことだったんですか? それと、前から思っていたんですが、どうしてこんな素晴らしいチームを僕のために作ってくれたんですか?」


 朝比奈さんは飲みかけていたビールを一気に飲みほし、僕の方に向き直ってから話し出した。


「マシューの日本語って、少し関西弁がまじっているでしょ? それを同僚たちにバカにされていたみたいで。もういい大人ばかりなのに……。皆さんいい大学を出て、大学院に入り博士号を取って、そのままこの会社に入って研究を続けている方ばかりだから、学生気分が抜けないのかもしれません」


 そう残念そうに話す朝比奈さんのグラスにビールを注ぐと「ありがとうございます」と小さく頭を下げ、話しを続けた。


「それともうひとつの相談は、マシューは――、あっ、これはプライベートな話だったので私の口からは言わないでおきますね」


 そう言っているところに、「ヘイ、お待ち」と大将がアジの握りを出してくれた。


「いただいていいですか?」

 そう言って僕の顔を覗き込む朝比奈さんの顔はとても愛らしい。

 さっきまであった懸案事項がなくなったため、純粋にそう思うことができる。


「もちろん」と答えると、嬉しそうに微笑んで、もう一度アジに対して「いただきます」と手を合わせ、一口で食べてしまった。


「おいしい!」


 アジの上には、芽ネギやゴマなどが和えられ、すし飯との間にはミョウガもはさまれているようだ。

 アジの臭みは完全に消され、とても複雑で豊かな味わいになっている。


「ホントおいしいですねぇ」


「はい、すっごく。あっ、次は御影さんの好きなものを頼んで下さいね」


「じゃあ、ヒラメとエビを」


「へい」と大将が返事をしてくれたのを聞き、僕は話を続けた。


「さっき話が途切れちゃったんですが、その・・・・・・、何故チームを?」


「あっ、そうでしたね」


 朝比奈さんが再びコップのビールを飲みほしたので、もう一本注文することにした。

 なかなかの酒豪なのかもしれない。


「それは……、御影さんの研究に対する姿勢に心を打たれたからです。仲間外れのようにされていたマシューに新しい環境もいいかなとも思いましたし。伏見さんは……、癌の研究には必要不可欠な人材だと思ったので。少しでも御影さんの力になれればと。」


 そう、ショウガをつまみながら話す朝比奈さん。


 この人が自分のために作ってくれたチーム。

 なんとか成果をあげて期待に応えたい。

 そうすれば、尊敬されるかもしれない、好きになってくれるかもしれない。

 そう思うと俄然やる気が湧いてきた。


「そうでしたか・・・・・・。ありがとうございます。まだ結果は出せていないけど、またがんばります」


 その言葉に朝比奈さんは笑顔で応えてくれた。



 出てきたエビは、それはもうぷりぷりで、ヒラメからは柑橘系のさわやかな香りが口の中に広がった。


「じゃあ次は朝比奈さんが注文して下さいね」


「はい。えーっと、えーっと」


 朝比奈さんの目線は、ネタ札が並ぶ下段の右端の方で右往左往し「じゃあサーモンをお願いします!」と答えを出した。


「ねえ朝比奈さん」


「なんでしょう?」


「さっきから、安いものばかりを選んで注文していますよね?」


「あっ、はい・・・・・・」


「ここはそんなに高いお店じゃないし、値段を気にしないで、好きなものを食べて下さいね」


「はい。でも、イカもアジもサーモンも安くておいしい、最高じゃないですか!」


「まあ、それはそうなんですけど。じゃあ、ちょっと僕の話を聞いてもらってもいいですか?」


「はい、是非聞かせて下さい」


「僕が小学生の頃、父が癌になってしまって、母も肝臓の検査とか治療とかで入退院を繰り返していて、家族みんなで外食っていう機会があまりなかったんです。それで姉の彼氏が、あっ、今は義兄になっているんですが、この人がとても優しい人で、二人のデートに僕をよく連れて行ってくれたんです」


「あの十五歳離れているというお姉様の彼氏さん。デートに弟を連れて行ってくれるなんて、本当に優しい方なのでしょうね」


「はい、姉より八歳年上なので、僕からするとすごい大人で、何でも知っていて何でもできるカッコイイお兄さんという感じで憧れの存在だったんです。それで、ある日お寿司屋さんに連れて行ってくれて、そこで食べさせてもらった甘えびがもうびっくりするくらいおいしくて、この世にこんなにおいしいものがあるんだ! って思いました」


「あぁ、私も甘えび大好きです」


「あっ、じゃあ大将、甘えびもお願いします!」


「はいよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る