第8話 トライ&エラー
「では、あらためて、紹介させて頂きますね。 この方がチームリーダーの御影治也さん」
「えっ? チームリーダー? 僕が?」
驚き、自分を指さす僕に、朝比奈さんは「はい、もちろんです」と笑顔で答え、紹介を続けた。
「こちらが伏見玲奈さん、抗癌剤研究室で癌細胞の増殖と死滅の機序を研究しておられます。そして彼はマシュー・ウィリアムズ、細菌とウィルスの専門家で田神製薬アメリカ支社から視察研究のため来日されています」
「マシュー、トヨンデヤー」
と握手を求められ、反射的に右手を出したのだが、あまりにも突然の展開に状況が呑み込めず「あっ、はい」としか答えられなかった。
「マシューが自由に研究できるよう、この部屋をあてがわれていたので、業務外の研究をするのにはちょうどいいかと」
「ゴクヒケンキュウ、イッショニヤロナー」
マシューがそう言うと「極秘研究って、悪者みたいじゃないの!」と、すぐさま伏見さんのツッコミが入る。
なんだか漫才見たいだなと思いつつも、朝比奈さんがマシューと呼び捨てにしたところが僕の胸にひっかかっている。
でも今、自分が本当にやりたかった研究をようやくできるのだ、ということがわかってきた。
そして、そのために朝比奈さんが動いてくれて、それにこの二人が応じてくれたのだ。
その喜びが胸の中でじわじわとして、うまく言葉に表せず、僕は「ありがとう。よろしくおねがいします」としか言えなかった。
「それだけ? 独り言の時はあんなにべらべら話すのに――」
伏見さんは間違いなくSだ。
「とりあえず、今うちのラボで使っている扁平上皮癌を皮下に移植したヌードマウスを三匹ちょろまかしてきたので、まずはこれでと思うんだけど、リーダー、どういう風に使います?」
伏見さんが、マウスの入ったゲージを指さし話し出した。
「ん?」
気付くと、皆が答えを待っている?
「ねぇ、リーダーってば!」
「あっ、僕か……。いやいやそのリーダーっていうのやめましょうよ。なんだか小恥ずかしいし」
「いいじゃない、秘密結社みたいで面白いし。では、リーダー! ご指示をおねがいします!」
「えっと……、じゃあ……」
「がんばって、リーダー!」
「えっと、本当は生食でコントロール群を作りたいところだけど、三匹ではそんなことも言っていられないので、おこげに打った量と同じ0.1mlと――」
「オコゲ?」
「おこげ?」
マシューと伏見さんがハモるようにしてたずねた。
「あっ、僕が飼っているというか、今回この試薬P-SEで扁平上皮癌が治ったモルモットの名前がおこげなんです」
「Oh、ギニアピッグ ネ」
「あぁ、いつも話しかけてるやつか」
「はい。それと、モルモットとマウスは体重が相当違うので、計算して体重割りの量を。なので、マシューさんはモルモットとマウスの平均体重、そして今ここにいるマウスのそれぞれの体重を調べて報告してもらえますか?」
「Ok! マカセトキ」
「それと、この子達、ヌードマウスは免疫力が弱いから、体重割りの1/2量も試してみましょう」
「おー、リーダーっぽいじゃん」
「いやいやいやいや……」
僕は嬉しくて嬉しくて、初めて自分のチームを持ったことに高揚を隠せなかった。
このキャラクターの濃いメンバーとうまくやっていけるかどうかは全く自信を持てないが、とにかく今は、自分の目標に一緒に向かってくれる仲間ができたことがとても嬉しかった。
検討の結果、マウスAには0.1ml、マウスBには0.0025ml、マウスCには0.00125mlのP-SEを注射した。
もちろん、膿が溜まらないよう腫瘍表面の皮膚には小切開を加えておいた。
と言うのは簡単なのだが、モルモットの1/40の大きさのマウスに、この操作を行うのはなかなかどうして大変だった。
いつも顕微鏡を友としている伏見さんは精密操作を担当、マウスが動かないよう御影が頭と体を押さえ込み、ネズミ類が苦手なマシューが注射器を伏見さんに渡す助手役に。
「研究者のくせにネズミが苦手って、どういうことなのよ。もうホント役に立たないんだから」
「Oh、ゴメンナー」
そんなことを言っているが、伏見さんはこの操作をやりたかったに違いない。
実験手順を説明している時に「どうやって注射するの? 針で皮膚を切るって? 深さは? 強さは?」と、御影に質問攻撃を浴びせていた。
彼女は何に対しても好奇心旺盛なようだ。
注射の効果はやはり絶大だった。
Aの腫瘍は二週間後には1/2の大きさにまで縮小した。
BやCは最初の三日間はほとんど小さくならなかったのだが、徐々に効果が表れ、二週間後には両方とも2/3程の大きさまで縮小した。
しかし、おこげとは全く違う経過も認められた。
乳白色の液体がいつまでも表面を覆い続け、新しい皮膚ができる気配もない。
そして、腫瘍の縮小スピードも衰えないのだ。
「やっぱりヌードマウスだからだよな」
「ですね。免疫力が弱いから、表皮ブドウ球菌をやっつけられず、生き続けている。だから抗癌作用を持つアミノ酸も作られ続けている」
「ということは、追加の注射は必要ないということだな」
「Oh、ホンナラ、マウスヲモウサワランデエエヤン」
「マシューは一度も触ってないじゃん!」
実験はまだまだこれからなのだが、二人のボケ突っ込みはすでに完成しつつある。
「とにかく、もう少しこのまま観察を続けよう」
「はい、リーダー」
「Ok、アニキ!」
「兄貴?」
「Yes、トシウエノ、タヨレルアニキネ」
頼れる兄貴って……、じゃあ弟に憧れの女性を取られてしまった兄貴ってことか……。
二人の仲をちゃんと聞いたわけではないが、朝比奈さんはいつも、マシューと伏見さんのやり取りを微笑みながら眺めていて、心の底から楽しんでいるように見える。
普段は、おどけてみせている時でも、どこかに「頑張っている感」を感じてしまうのだが、マシューといる時だけは本当にリラックスできているのではないだろうか。
はっきり言って、とてもマシューが羨ましい。
その後も、腫瘍は順調に小さくなってゆき、ABCすべてのマウスにおいて、干乾びたように小さな塊となった。
しかし、実験は大失敗に終わってしまった。
細胞にアポトーシスを起こさせるアミノ酸の作用は癌細胞にだけではなく周囲の正常細胞にまで及び、マウスの背中に穴を開け、ついにそれは内臓にまで達して、全てのマウスが死んでしまったのだ。
「やはり、免疫力の弱いヌードマウスではダメか……」
「ですね。かと言って、普通のマウスじゃ、腫瘍細胞を植え付ける事自体ができないし……」
「じゃあ、正常細胞に影響が出だしたところで抗生物質を投与して、表皮ブドウ球菌を死滅させるか。もしくは、表皮ブドウ球菌をインビトロで培養して、抗癌作用のあるアミノ酸だけを抽出して注射をするかだな」
「Ok、アニキ。オレガバイヨウスルワナー」
「頼むよマシュー。それと並行して僕たちは抗生剤投与を試みてみよう」
「はい。って、なんかリーダーらしくなってきたよね。御影リーダー!」
いまだにリーダーと言われるのは、とてもくすぐったいのだが、少しずつチームとしての形が出来上がってきて、僕は何度失敗しても前を向いていけるような気がした。
・マシュー・ウィリアムズ( Matthew Williams 、25歳)
・ヌードマウス(毛のない実験用マウス、胸腺がなく免疫機能が低下しているため、他の生物の組織や腫瘍を移植しても拒絶反応を起こさない)
・ラボ(研究室)
・生食(生理食塩水)
・インビトロ(生体内ではなく、試験管などのガラス容器内で)
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