10th step:断絶物語

「サフィール、サフィール」


「ん……」


「あ、よかったー、このまま起きないんじゃないかと思ったわー」


「あれ、私……?」


「あんた、闇を目の前にしてぶっ倒れたのー。まったく、これだから温室育ちは」


「温室育ちなんかじゃ……」


「……うん。わかってる、ごめん、八つ当たりした」


 ルチルは素直に謝罪した。彼女自身、後悔の色を消しきれない様子で。


「私が、温室育ちだから……それに嫌気がさしてたから。嫌なこと言って、ごめん」


「ルチル?」


「おい、それはいいけどよぉ、あいつら、騎士とかいう二人、いねーんじゃねーの?」


「えっ……」


 殺之助の言葉に、サフィールは辺りを見回す。殺之助がいう通り、そこにアポンとアンバーの姿はなかった。


「アポン、アンバー……?」


「え、ああ、あんたら気付いてなかったの。サフィールはともかく、がきんちょナイトも?」


 殺之助が瞬時にルチルを睨む。


「ルチルテメー、いい加減それやめろよ」


「ん?ああ、がきんちょナイト?やだよ、って言いたいけど、長いしねー。しょうがない、やめてあげますか」


「お前なあ……」


 怒りと呆れでふるふる震えながら、殺之助は睨むのをやめない。そんな彼を気に留める様子もなく、ルチルはそのまま視線をサフィールに向けるのだが。


「サフィール、二人ならね、さっきから姿消してんのよ。で、そん時確かにあれが動いた」


 ルチルが指差したのは、巨大な黒い壁。霧の集合体のようにそびえ立つそれは、闇の行き止まりのようだった。


「あれが動くってどういうことだよ」


 殺之助は、さもルチルの説明不足だと言うように


「多分、入ったんだと思うよ」


 ルチルはケロッとそう言い放った。


「はいっ……!?」


「あの騎士様方だもんねー、無茶しそーなもんよねぇー」


 口調は悠長だが、ルチルの視線は真剣で、むしろ二人の身を案じるように深い闇を睨みつけていた。


「じゃあ……行こうぜ」


「うん……ってはあ!?」


 頷きかけたルチルが殺之助に振り向く。


「あんたやっぱり馬鹿なの!?こんなデカいもん相手に、何出来るって……どうなるかわかんないのよ!」


「そーだけどさあ、ここで待ってたってなー」


 のんびり使われる言葉。殺之助は頭の後ろで腕を組み、あぐらを崩して立ち上がる。


「俺は、一人ででも行くぜ」


「何馬鹿なこと言って……」


 ルチルが言葉を失う。しかし、それとは正反対に、殺之助の目には光が宿るのだった。


 ***


「どこまで、進んだんだろうね、アポン」


「知らねーよ。てか、進んでる実感ねーし」


「だよね」


 先の全く見えない闇の最中、アンバーとアポンはただただ前に進むしかなかった。ので、ひたすら前進していた。体感での『前進』でしかなかったが。それでも、互いにいつでも背中を預ける覚悟があるという事実は心強いもので、確実に二人を支える太い柱になっていた。精神を鍛えた二人ですら、不安に押しつぶされる寸前の所に留まっていられるのは、互いの存在があってのものだった。


「アン」


 そんな中、不意にアポンが口を開いた。


「俺から離れるなよな」


「っ……」


 予想外の急な言葉に、思わず喉がつっかえたような感覚に陥ったアンバー。目元に熱が這い上がって来たのが、アンバーとしては不本意で、最大限固めた声を押し出す。


「うん、当然でしょ……!アポンだって、同じだから、ね……」


「おう……」


 アポンがアンバーの状態に気付いているかは、わからないふりをした。ただ一つ確かなことは、二人でならきっと何があっても乗り越えられるくらいには強い、と信じて疑わないものを築き、つちかってきたという自信。二人、あの王のもとで。


「アン、あの頃見てーだな」


「ああ、二人で戦って、勝ってきたよね」


「だから」


「だったら」


「今だって絶対大丈夫だよね」


「今だって絶対大丈夫だよな!」


 重なった二人の声は、きっと闇の中でだって響き合って互いのもとへ届く。


「ん?」


 先を急いで再び進み、間もない頃だった。


「アン、あそこ、なんかうねってねー?」


「ん?あー……ああ、たしかに……」


「アン、ちょっと黙ってそこいろ」


「は?駄目だ、私も行くさ」


「馬鹿言え、両方やられちゃマズイだろーが。お前の腕は認めてんだから黙って待機引き受けとけ」


 アポンの颯爽とした指示にアンバーは黙るしかなかった。動きたくて、走って行きたくて、守りたくてうずうずする心身を抑えながらアンバーは待った。


「行くぞ……そりゃっ!誰だっ!」


 アポンが飛び込むと同時に構え、グッと足に力を入れるアンバー。しかし、次の瞬間にそんな緊迫感は一気に消し去られた。


「アポン!って、え?さ、サフィール……それに殺之助、ルチルか?」


「ゔう……そうよ、脳筋騎士ども……いいから早く起こしなさいよー!」


 理不尽に怒鳴るルチルに言われるがまま、二人の騎士ナイトは三人のもとに駆け寄った。


「ゔう……」


 アンバーに肩を貸させ、ルチルがゆっくり立ち上がる。おぼつかない足取りは、転倒時に頭でも打ったためだろう。


「一体、どうして」


「あんたたちの考えなんてねえ……」


 さも当然だと言うようにルチルは言う。


「あんたたちがあたしを出し抜くなんて、何十年も早……」


 強気な発言と裏腹に、アンバーの肩にズシリと重みがかかる。ルチルの腰に回された手にも力がこもる。


「大丈夫か」


「……ヘーキよ。これくらい、あの温室に比べれば全然……」


「立ててないけど」


 両腕でルチルを抱きとめるアンバー。そうまでしないと立てないくらいに、ルチルの状態は良くなかった。


「悔しいわね……こんな貧弱だったなんて……」


 ルチルは歯噛みする。そんな彼女に、アンバーが一言添えた。


「ルチル、落ち着いて」


「は?」


 アンバーはルチルを静かに下ろすと、楽な体制ー脚を投げ出させて座らせた。


「ルチル、貴方が焦る気持ちも、強くなろうとするその向上心も、とてもよくわかる。けどね」


 いぶかしみながらも黙って聞いているルチルの両手を、そっと包み込んだ。膝の上で二組の手が繋がる。


「だけどね、今すぐにはどうにも出来ないことって、あるんだ……だから、あまり焦らないでほしい」


 ルチルがわずかにうつむく。


「ルチルには、まだ時間があるはずだ、様子を見た限りではあるけど……そんなに急く必要はないんじゃないか?その、つまり……貴方が取り返しのつかないようなことになってしまうのは、嫌、なんだ」


「……あんたの心遣いはよーくわかったわ」


 ぶっきらぼう気味にルチルはそう返した。やや照れているような表情の裏は、心配してくれるアンバーへの好意だろうか。


「わかってくれたら、幸いさ」


「さあ、ここから出よう!」


「そうね、こーんな辛気臭いとこ、さっさと脱出してやろうってんのよ!」


 元気を取り戻したようなルチルの振る舞いに、からでもいい、とアンバーは思うのだった。


「さーて!じゃあどこか……」


 再びアポンが辺りを見回すが、どこも一面暗黒雲の床、空間があるだけで、一向に解決策は探し出せそうになかった。溜息が口々に溢れる。


「しゃーない、こうなったらさ、手分けしてあちこち当たってみるしかねーんじゃねーの」


 重苦しい空気を破ったのは、やはりアポンだった。


「そうだな」


 アンバーも続く。国王に仕える騎士として培った揺るぎない数々のものが、今、二人を支えていた。


「じゃあ、アポンはルチルとあっちの方、サフィールと殺之助でその横、私はここら辺を探してるから。くれぐれも、ペアの人とはぐれないようにね」


 アンバーは手際よく配分し、指差しとともに指示を出した。


「……おい」


 口を開いたのはアポンだった。見るからに不機嫌そうな顔をして、アンバーのことを睨んでいた。


「どうした、アポン」


 いまいちその理由わけを掴めないアンバーはきょとんと首をかしげる。


「またそういうこと言って、お前は……」


 そこまで発して、アポンは耐えず溜息をつく。


「お前なあ、くれぐれも一人になるな、ってどの口で言ってんの」


「え……」


「そういうお前が自分で一人になってどーすんだよ、馬鹿、阿呆」


「……だって、私は別に一人でだって困らな」


「だーかーら!そーゆー慢心が駄目だって!いい加減気付けよ!あの時だって俺はそう言っただ……」


 瞬間、弾かれたようにアポンは身を引いた。まるで、禁句を口に出してしまったかのように、深い深い後悔が彼にまとわりついた。


「……ごめん、出過ぎた真似をした。謝るよ、アン」


「なんなんだよ?大丈夫か、アポン?」


 アポンの機微には触れず、怪しみもせず訝しみもせず、ただただアンバーはきょとんとしていた。アポンの落ちた視線が、不意に上がる。


「……おい、アン」


「んー?どうした?」


「ミレオ、見なかったよな?」


「……ん?」


 突然アポンが出したのは、少し懐かしく、苦いあの名前だった。一同の表情が意図せず曇る。


「あいつ、どこ行ったかわかってる奴、いないよな?」


「あ、ああ……」


「つまりは、そういうことなんだよっ……!!」


 言うが早いかアポンが所持している大剣を抜き、一息に振り下ろした。剣の落下地点と闇雲の衝突点とが、膨大な空気を含み巨大な衝撃波を巻き上げた。サフィールがひゅっと息を飲み込み、ルチルがぎゃっと小さな悲鳴を発する。


「テメー、アンバーじゃねーな……?」


「……」


「黙ってるってことは、正解でいいんだな!?」


 アポンの怒りは急上昇型だった。徐々にボリュームが加速していく。わなわなと震えているようにも思えるのは、見間違いではなかった。


「アンを……アンバーをどうしたんだよ!?」


 再び一振り。衝撃が一段と激しく散る。


「アンを返せっ!」


 追加でもう一振り。ひらりとかわすその仕草は、アンバー本人にものだった。


(あいつのあの身のこなしは、他人がそう易々やすやす模倣まね出来るもんじゃねえはずだ。俺とアンが過ごしてきた数年間の成果がそんなちっぽけなもんじゃなかったって俺は信じる……!)


「っらあ!」


 アポンが声を上げるたびに、地鳴りが一同を圧倒する。


「あっぶないなー、だから君たちみたいな野蛮な人は嫌いなんだ。この世の中、もっと賢く生き抜くべきさ」


「やっと正体現しやがったな!?中身違ったままあいつのフリして振舞われてたと思うと、虫唾走って吐きそうだ!!」


「おまけに口も悪い。最悪だね、この子の相棒君は。この子はそんな類の人間には見えなかったけどなー、お話しさせてもらった限りでは」


「なっ、お話だあ!?アンに何しやがった!!」


 アポンの知っているアンバーは、魔の手にたやすく乗ってしまうような精神力の持ち主ではなかった。


「べっつにー?本当にただ話しただけさ。ほーんのちょーっとイタズラさせてはもらったけどねー」


 焦らすような不愉快さに、アポンは歯軋はぎしりする。


「俺はもう、地団駄踏んでるだけの腰抜けじゃねーんだよ!!ナメんな!」


 再び、跳ぶ。


(何度だって……あいつを、アンを助けるためなら何だって!)


「しっつこいなー、そんなんだから嫌われちゃうかもしれないんだよー」


「はあ!?わっけわっかんねー、っな!!」


 体験は何度も振り下ろされたが、その度にくうが轟音をわめき散らして鳴く。


「チッ、ちまちま逃げてんじゃねーよ!」


「逃げない馬鹿がいるとでも思うの?埒あかないけど、力じゃ勝てないしねー?」


 弱気な発言のように思われるが、表情はにたにたとわらっていた。


しゃくに触るヤローだぜ……!!」


 二人の攻防は続いた。地上では、他の三人がなす術なく見守っていた。彼らに出来ることなどなかった上、アポンの剣幕に、手出しは無用だと釘を打たれている空気だった。


(このまま負けるなんて思っちゃいねーけど、流石にらちあかねーか?体力勝負なら喜んで乗るが……なんせこっちは大剣、向こうは身軽なアンの身体からだだ。不利っちゃあ不利だよな……)


 剣術勝負となっても、アンバーの愛刀、レイピアでは、アポンとの相性は良くも悪くも……と言う感じではあった。彼は、何かわずかでも決定打が欲しかった。


(アンを俺に取り戻せる決定打……考えろ、考えるんだ……!!)


 アポンの思考回路は、大剣と共に高速回転していた。そんなときだった。一瞬ではあった。しかし、不意に光を漏らしたアンバーの背後を、アポンは見逃さなかった。


「そこかあーーーっ!!」


「なっ……?」


 アポンはアンバー目掛めがけてではなく、わずかに彼女の体かられた空を切り裂いた。虚をつかれたアンバーは、かわしこそすれど着地がままならなかった。体勢を大きく崩したまま再跳躍さいちょうやくした彼女の高さは、先ほどまでには上がらず、短時間の耐空の後に、脇腹から地面にぶつけられる。しかし、痛みに顔を歪めることもなく、狂気染みた彼女はむくりと立ち上がる。


「……ふう、やっぱり鍛えあってきただけあるね。簡単にはいかないってことか」


「は!?」


 感情の感じられない調子で言葉が続いていく。


「ここまでだ、ね。解放してあげよう」


「お前何言って……」


 アポンが困惑する中、空中に跳んだ。先ほどとは比べられないほど、今回は高く、高く飛ぶように跳んだ。しかし、間もなくそのしなやかな体軀たいくから力が抜ける。彼女が意思を持たなくなったことは、一目瞭然だった。直立を保っていた体幹は容易にくの字に曲がっていき、光が失われた後にその双眸そうぼうは閉じられた。空中で糸が切れた操り人形がそのあと取る行動は言わずもがなで、


「アン!!!」


 着地と同時に地面を蹴った。精一杯伸ばす腕は必死さそのもので、もっと伸びてくれと、彼は願わずにはいられなかった。


(届け……届けとどけトドケ!!)


 開く手のひらは張り詰めすぎて震える。


(ここで守れなくて、何が相棒だ、何が……!)


「っと!」


 間一髪、ではあった。あったが、アポンの伸ばした腕の上には、確実に相棒の女の子がいた。着地したときのどしゃりと響いた音を聞いて、最悪の事態のことを考えると、アポンは青ざめない理由がなかった。寸前で両方伸ばした腕はなんとかアンバーを抱え込み、そのままアポンとともに落ちた。


「アン!」


 何よりも早く……自分が痛がる間もなく、アポンは腕中のアンバーに向けて叫ぶ。


「アン!アン!大丈夫かしっかりしろ馬鹿!起きろ!!」


(あ……)


 サフィールが目を少し大きくする。魅入られたように、落ちてきた二人の騎士を見た。救いを求めてすがったあの瞬間の自分にとてもよく似通っていると思ったためだった。


「アン!アン!ア……」


「うるさい、な……聞こえてるさ……アポン」


 切れ切れに、でも噛みしめるように、彼女の言葉は届けられた。必死だった少年の肩が脱力し、抱きかかえる女の子を覆って体を預けた。


「アン……!お前は本当に……何してんだよ馬鹿……超大変だったわ!お前みたいな……奴が、敵になったときって、こんな大変……なんだな」


「ははは、褒めてもらっちゃった」


 安らかにアンバーは笑う。


「阿呆……大変だから一生こんなのごめんだわ、ずっと一緒のがわにいろ、馬鹿、ばか……」


 泣いているのか?というアンバーの質問に答えは返ってこなかった。


「実に愉快な眺めだね。いやあ、こんなときばかりは飛べてよかったって思うね、うんうん」


 空中から発言とは真逆……不愉快な音が降ってきた。アポンは濡れた瞳で上空を睨む。


「ははは、さっきまでの迫力皆無だね。どこに置いてきたの?」


 嘲笑って、空で一回転。赤い目紫の髪の少年は、首のマフラーを翻してもう一回転。


「美しい友情だね。いや、友情だけとも限らないのかな?彼にとっては……」


「うるっせえ!それ以上汚ねえ言葉出したらぶっ飛ばすぞ!!」


「ふん、出来なかったくせに」


「テメッ……!!」


「アポン、やめろよ」


 まだ戻りきらない力でアンバーがアポンの袖口を引く。弱々しい彼女に引き止められてまで、彼女を一人置いてまで、アポンが地面を蹴ることはなかった。


「じゃあね、また会えることを……まあちょっとなら祈っておいてあげるよ」


 皮肉にもならない捨て台詞を残して、ミレオは再び雲の渦に入っていった。


 ***


「ガハッ!はぁ、はぁ……」

 闇を切り裂いて飛び出す。すると、途端に目の前が開けたのをアンバーは確認した。


「出た、のか?」


「そのようだぜ?俺たち凄くね?」


「あぁ、まだまだ油断は出来ないが、どうやら闇雲やみぐもの中は抜けたようだ」


 アンバーが周囲を警戒しながらそう言った。その言葉をきっかけに、一同は安心感に包まれる。


「よかった……!全員で無事に出てこられたんですね!」


 サフィールの表情がぱあっと明るくなる。そして、その笑顔に顔を赤らめて目をそらした少年も一人。ルチルだけがそれを見逃していなかったことを、彼はまだ知らない。


「やったね。これでやっと一歩前進って感じー?ミレオの馬鹿が言うにはここに『会ってほしい人』、だっけ?とやらがいるらしいんじゃん?」


 疑問符を大量に乱用しながらルチルは言う。


「ああ、どこかに人影は……」


 その時だった。


「あ……」


「ああ?」


 目が、合った。


「お前ら……誰だよ」


 正体不明のその人は言った。


「おま……」


「貴方も、どなたか名乗って頂けませんか?私はアンバーと申します」


 アポンを制してアンバーが問いかける。相手は茶髪にヘアバンドの青年。目は大きく凛とした決意が籠り、その瞳は真紅に燃えていた。


(彼は、一体どんな決心があるんだろうなあ……)


 アンバーは心の中でそう問いかけながら、ふっと笑みをこぼした。そして、使い慣れた相棒ー銀のレイピアを地に置き、両手両腕を天に挙げる。


「君たちに危害を加えるつもりはさらさらない。この通りだ、これでわかってもらえなければ、要求を聞こう。なんでも従うさ」


 青年はそんなアンバーの行動に驚いた様子を見せたが、彼女の勇気ある決断が功を奏し、青年の警戒度があらかた低下したことは一目瞭然だった。微かに残った緊張感は、青年の後ろから顔を出している黒髪の少女の為だろうと伺えた。


「その子……」


 アンバーがそう言ったとき、後手うしろでに少女を抱える青年の腕が瞬時に強張った。


(やっぱりか、わかりやすいな。懐柔かいじゅうしやすいタイプと見た)


 アンバーの企みに感づいたのは、やはりアポンだった。


「おい」


 小声でアポンが言う。


「アン、お前が何考えてるかわかんねーけど、無茶はすんな。あいつ刺激したって……あ、おい、アン!」


 アンバーはアポンの懸念をよそに一歩前へ踏み出した。


「ああ、わかってるさ。大丈夫だって、彼は優しい人だろう。あの子にさえ手を出さなければ、な」


「おいおい……」


 そう口にしながらも止めないのは、アンバーの判断があながち間違っていないとアポン自身も認めている証拠だった。


(こういうタイプは単純な奴がほとんどだ。守りたいものがはっきりしていて、それさえ守りきれるのならその他はそうそう構わない。良くも悪くも『構わない』なんだが……)


 そこまで考えて、心の中で思い浮かんだ姿を呼ぶ。


「アポン、お前みたいな、な」


 呟いたアンバーの声を拾ったものなどいない。静かな自信を胸に、アンバーは青年に向かって歩みを進めるのだった。


「さあ青年、そろそろ自己紹介しようじゃないか」


「……わかった。お前の表意はそのままに受け取ろう。俺の名前はファイ。ファイ・キースだ」


「ファイ……」


 青年がファイと名乗ると、後ろで隠れていた少女が顔を出した。


「その子は?」


「……いいか?」


 アンバーが尋ねると、ファイは彼女に確認を取った。随分大事にしているんだな、とアンバーが思うのはごく自然なことだった。


「……自分で、言う」


 長い黒髪を複雑に結んだガスマスクの少女が姿を現す。巫女のような一本髪かとも思ったが、どうやらそうでもないらしく、結わえた先は輪っかになっていた。


「私は、オベリア……オベリア・ノイチゴ……」


 オベリアはおずおずと小さな声でか細く自己紹介した。


「オベリア、か。承知した。ファイ、安心していい。彼女に手なんか出さないし、なんなら絶対守ると約束しよう」


 そう言ってアンバーは手を差し出す。


「……いいよ。オベリアは、俺が守るから」


「こら、ファイ、失礼でしょ」


 ファイが少々不服そうな表情で、軽くその手を払いのけた。特に気を悪くする様子もなく、アンバーはくすくすと可愛げに笑った。


「……ああ、ああ、なるほどね。いい心意気だ、私は好きだな」


「おいアン、その辺にしとけって」


「ああ、わかったよアポン」


「ファイ、こちらも全員自己紹介しよう。こいつはアポン。私の相方さ」


「そこの銀髪お姉さんがサフィール、橙色髪のお姉さんがルチル。で、二人の間に挟まれている羨ましい限りの少年が殺之助だ」


「……ふざけた挨拶を丁寧にどーも」


(意外と警戒が解けないな……どうしてなのか、どうしたものか)


「ファイ、君とオベリアはどうしてこんな所に?そしてこの世界はどうなってしまっているのか知っているのか?」


「それは……」


「その反応からするに、全くの無知というわけでもなさそうだが」


「私、説明する……」


「皆さん、は、『博士』の存在に、気付いているのでしょう、か」


「『博士』……?」


「そのご様子、だと、気付いていないようです、ね。博士は、私たち『登場人物』の創作者……いわば創造主です……博士によって綴られた物語すじがきの中で、私たち、は踊っています……。だけど、」


「博士は、私たちを捨てました」


「私とファイ、は、十六歳を迎えて、そこの……」


「私たちの故郷ふるさと、を出たところでした……でも、こんな有様ありさま、で……落ち込んで、村の牧場の陰に引き返した私とファイ、の前に、ミ、ミレオ、が現れました」


「ミレオだって……!?」


「ふぇっ……!?」


「オベリア、落ち着いて……!!」


「ミレオって……空中浮遊してるあのクソやろ……紫髪の青年ですか」


「あ、ああそうだ。なんだ、知ってたのか。そうか、やはり君たちが、彼の会わせたがっていた……『会ってほしい人たち』なんだな」


「マジかあいつ……」


「だーかーら、酷いなあ、僕はちゃーんと約束を守ったのに」


「ミレオ……!!」


「お前っ……!!」


 とっさに剣に手をかけたアポンだったが、条件反射は自分で鎮めることが可能だった。


「ミレオ、お前のことを、俺は絶対許さないからな」


「ふーん?知らないけど」


「とぼけやがって……!!」


 攻撃こそしないものの、やりきれない思いがアポンの手のひらに爪痕をつける。その横でアンバーがとても心配そうな、情けない表情をしていた。彼女も彼女で、自責の念に堪えていた。


「僕はねえ」


 おもむろにミレオは話し始めた。


「そこにいる単細胞くんたちとある契約をしてたのさ」


 一同の視線が、一気にファイに向けられる。たじろぐ彼の後ろでオベリアが鋭くミレオを睨む。ファイに何かしたら許さない、そう言っていた。


「単細胞とオベリアは、僕に外の世界を見てきてほしいと言ったから、解決策を求めていたから、僕は生き残りの君たちと巡り合わせた。でもさあ……」


 途端にミレオは笑い出す。理解に苦しむミレオの言動に一同は困惑する。


「あーおかしい。これでさあ、何か解決するわけ?しないよね、何人生き残りを……現実に気付いた可哀想な人たちを集めたって、結局は変わらないのさ」


「現実に気付かず、まだ『物語の中』で生き続けている人たちの方がよっぽど幸せだったのにね」


「……何が言いたいんだよ」


「無駄ってことさ」


 顔面から表情を落としてミレオは即答した。冷酷と思っていた彼の目は、どこまでも冷えていっていた。自分と同じ、赤系統の瞳。それがこんなにもコントラストを織り成すのは、一体どんな仕組みがあってのことだろうと、ファイは考えずにはいられなかった。


「僕らは、ここで一生生き続けるのさ。終わりのない『一生』をね。だって僕らは死なないから。僕らに終わりは訪れない。創造者は筆をどっかに転がして逃げた。僕たちを不公平に置いて」


 キッ、とミレオの目つきが尖る。


「許せない、とでも言いたいのかよ」


 ファイはミレオに問いかける。


「そーだねえ、どうなんだろう。僕にもわっかんないや。僕はどうやら人間的感性がどこか抜け落ちているようだから……一つ確かなのは」


 ファイはオベリアの前に立ちふさがる。ミレオが彼女の方に首を回したからだ。


「彼女に若干の嫉妬をしていることかな」


「は?」


「彼女の水晶さ。君と彼女には言っただろ、『僕でさえも、この水晶を作るのに苦労した』ってね。この水晶は、創造者が元からオプションとして僕に与えていたものじゃない。僕が自分に手で作り出したものさ」


「作り……っ、そんなこと出来んのかよ」


「ああ、出来たさ。少なくとも、僕にはね」


「……待って」


「んー?」


「博士は、まだいるかもしれない」


「はあ?」


「ミレオ、あなたは水晶を作ったなんて言っているけれど、そんなこと、終わりを迎えたこの物語内では到底出来ることとは思えない」


「……僕には出来たんだよ」


「いいえ」


「それはきっと、博士の仕業しわざよ」


「創造者の……?」


「ええ、終わった物語内で、新たな『もの』を作り出すことは不可能でしょう。それは、きっと博士があなたに与えた水晶」


「博士は……きっとまだ筆を置いていない……!」


「オベリア!?」


「博士!博士お願いよ!私たちの物語を終わらせないでちょうだい!私とファイには、まだまだやりたいことがあったし、博士だって!私たちそれぞれにやらせたいことがあって、それを通して伝いたいこと、表したいことがあったはずでしょう!?お願い、お願いよ……物語を、まだ途絶えさせないで……」


「お熱いね、お二人さん」


 アンバーが温かくファイの方を見やる。


「う、うるさいですよ……」


 赤面したファイは無力な抵抗を示した。


(オベリア……途中、『私とファイの』ってお前なあ……)


「オベリア……」


 熱心に説得し続けていたオベリアが膝からへたり込んでしまった。ファイがゆっくりと近付き、その肩を抱いてさする。


「オベリア、もういいんだぞ。俺は、お前が一緒にいてくれるだけで、もうそれだけで十分だから」


 涙で潤んだ瞳がファイに向けられる。こんなこと言っちゃ本当はいけないんだけど、と前置きしてファイはオベリアに告げる。


「この広くてちっぽけな寂しい世界に、俺だけ取り残されなくて、よかった……」


「ファイ……」


「だって、俺だけだったら、きっと最初のあの絶望から這い上がれない。オベリアが……守りたい女の子がいたから、俺はこれまでだって今までだって立てたんだ。俺は、そんなに強くないから……情けない話だけどな」


 自嘲するファイにオベリアが抱きついた。


「オっ、オベリア!?」


「ファイ!ファイは弱くなんてない!私を小さい頃から守ってくれるファイに弱いなんて言うのは私が……このオベリア・ノイチゴが許さないっ……!」


「オベリア……」


「仲良いとこ悪ぃんだけど、そこの奴、相当ヤバい顔してっぞー」


 二人のそばまでやってきてそう忠告したのは、アポンだった。彼の指差す先を見ると、ミレオが怒り狂ったような形相で二人を正面から睨んでいた。空気は、明らかに異常だった。


「やあやあ、随分と僕をおとしめて、二人でいい雰囲気じゃあないか」


「貶めてなんか……」


「ええ!?聞っこえないなあー!」


 ミレオは、完全に他者ひとの話など聞く気がないようだった。


「いいよ、僕の力がそんなに信じられないなら、今ここで見せてやるさ……!!」


「お前の力の真偽なんて、こっちはどうでもいいんだ!巻き込んでんじゃねえ!!」


「うるっさいよ……」


 ミレオの声は怒りに震えていた。


「君たちみたいな……君みたいな特別な奴には、僕のことなんかわかるわけないだろう……!知ったこと言って、僕の能力を見くびるなっ……!!」


「お前っ……、なんでそんなにオベリアだけ目のがたきにすんだよ……!おっかしいじゃねーか!!」


「うるさい!単細胞の能無し馬鹿は黙って引っ込んでろ!」


「小さい子供みたいにダダこねてんじゃねーよミレオ!お前らしくもな……」


「うるさいうるさいうるさい!!」


「ファイ!危ないっ……!!」


 ミレオが自らの水晶に手をかざした瞬間、オベリアが咄嗟とっさにファイの前に出ようとした。が、ファイはそれを読んでいたようだった。


「ばーか、何危ないことしてんだって」


「ファイ……!!」


 ファイは一人、オベリアを突き放して白い光の中へ消えていった。彼女が彼に伸ばした手が握られることはなく、抵抗むなしくか細い腕はミレオの発した光に弾かれる。


「ファイ、ファイ……!!」


 突き飛ばされた反動でどしゃりと地面に落ちたオベリアは叫び続けた。見ていられずに駆け寄ったサフィールによって、ようやく痛ましい呼び声は止んだ。


「オベリアさん、どうか落ち着いて……この世界では、普通ではなさ過ぎることが数え切れないほど起きています……だからきっと、ファイさんも無事ですから……」


 確信などなかった。それでも、サフィールが言うことを鵜呑みにしなければ、オベリアは生きた心地がしなかった。サフィールの胸に頭を押し付け、すがるようにオベリアは泣いていた。


「あいつ、尋常じゃなかったな……」


「この世界は断絶した物語……ここで消えれば、きっともう二度とファイは……う、ああ……!!」


 最悪の思考と、深い悲しみや不安を思い出してしまった様子で、オベリアは一層激しく泣き続けた。


「そういうことか……それは、確かに……そういう考えも、一理ある……」


 アンバーがオベリアの考えに納得したように眉を寄せて俯いた。辺りは不穏な空気に包まれる。そのときだった。


「オベリア!!」


 オベリアが顔を上げる。その先にいたのは、ファイだった。


「ファイ!!」


 おぼつかない足取りで、つまずきこけそうになりながらも、オベリアは彼の元へ走った。再会の喜びに抱き合う二人。その後ろから、獣が現れた。大きな、真っ白い、熊のように見えた。そしてその巨口きょこうには、力なく四肢をぶら下げたミレオがくわえられていた。死んではいない。目立った怪我も見られない。気絶しているだけのようで、一向に目を覚ます気配すらなかった。


「な、なんだよそいつ……ミレオは」


 圧倒されて、サフィールの服の裾を引っ張って殺之助は尋ねる。握りこぶしはガクガクと震えていた。


「あ、ああ、大丈夫。ミレオの奴、力を使い過ぎたらしくて、俺を取り込んだだけで精一杯になって……水晶は壊れて、俺が光の中で意識を取り戻したときには、もう倒れてたんだよ。あと、こいつは……」


「召喚獣……」


 オベリアがいち早く察する。


「……流石、正解。こいつは俺の召喚獣、ホンベ」


「ほ、ほんべ?」


「何?その名前」


 オベリアも不思議そうにファイに聞いた。


「え!?え、ええっと……ホワイトベア、で……ホベじゃ変だから……ホンベ……」


「雑ー!!」


 あまりのセンスにルチルが叫ぶ。その後数分間、ファイは彼女から説教を食らい、結局帰ってからオベリアと相談して決めると言うことで落ち着いた。『帰ったら』という点に関して突っ込む者は誰もいなかった。


「召喚獣、紋章が付いてるから、すぐわかる」


 オベリアが言った。そう言われて一同がクマを見ると、確かに額に何か模様が……魔法陣のような文様が光っていた。


「へー、スッゲーな!!」


 殺之助は素直に感心する。


「けどさー」


 否。訂正しよう。すぐに不満げな表情を見せた。


「こーんなすごい能力を持ってるなら、もっと早く……」


「ああ、待って、ちょっとストップ」


 すかさずファイが制止した。皆まで言わせはしまいという心境がはっきりと見て取れた。


「俺、こいつを呼び出したの今さっきが初めてだから」


「え……は、ええええーー!?」


「何それ奇跡かよ……」


「凄いですね……」


 それぞれが口々に驚きの言葉を述べる。


「そうだよ、ね。私だって今知ったもん。ファイが隠し事してたら私、ショックで倒れる……」


 オベリアは、ファイは隠していたのではなく気付いていなかったのだと思いたいようだった。実際そうだったのだから結果良しだが。そして彼女は気付く。


「博士……!!」


「え?」


「この物語は、断絶している……!!」


 オベリアは突然ファイに言った。飲み込めずにいる彼の代わりにひらめいたのが、アンバーだった。


 そうか、召喚能力……!!


「はい??」


 ますます謎を深めているファイにオベリアは告げる。


「ファイ、この物語は既に断絶しているのよ。だから、新たに何かが生まれたり、起こったりすることは有り得ないの。あるのは、今あるこの現状のステータスだけ」


「そうそう、それでこのガスマスクちゃん、君が消えちゃったら二度と戻ってこないかもって泣いてたんだから」


 殺之助が溜息交じりにそう付け足す。


「つまり、ファイが召喚魔法を使えるように進化する……物語が進むなんてことは、やっぱりあり得ないのよ」


「え、つまり」


 ファイはどこまでいっても要領を得ない。


「博士が、戻ってきている……、今この瞬間に!」


 オベリアがそう言ったとき、暖かい光が辺りに何本もの筋となってし込んだ。


「みんな、お別れのようだね」


 アンバーが振り返って言う。


「そうだな。でもまあ、きっとまた会えるさ。じゃなきゃ登場人物の役職の意味がねーからな。こんな主役級の奴らが、モブなわけねー」


 アポンが自論を述べる。


「ええ、私もそう思うわ。ここにいるみんな、またお会いする運命ですわ」


 サフィールが可愛らしい笑顔を見せてそれに賛同する。


「……俺も、会えたらいいな、とは思っておくよ……」


 少し残念そうな殺之助の視線の先を、サフィールを除く全員はわかっていた。鈍感なファイでさえも。


「あたしは結構好きだったんだけどなー終わりを迎えたこの物語も。あーあ、返ったらまたお嬢様お嬢様かー」


「適度に息抜きしなよ?」


「そこらへんは抜かりないからお気になさらずー」


 アンバーとルチルは無邪気に笑う。二人はすっかり良き女友達となっていた。


「でもいいのよ。私のつまらないお嬢様生活の代替物として、そこのかわいーお二人の幸せが生まれるんだから。だいたい、こーゆー格好してる時点で、きっと私は屋敷を抜け出して旅に出るっていうオプションだったんでしょー元から。まあ、屋敷を抜け出すのか、抜け出さざるを得なくなるのかは、わからないけど……」


 重い空気がやんわりと漂った。


「あーごめんごめん。まっ、創造主サマーお手柔らかにねー」


 ルチルはそう言い残してはにかんだ。アンバーもそれでようやく安心した様子を見せ、肩の力を抜いた。


「ヘッポコ騎士ナイト、上手くやりなさいよー」


「「はあ!?」」


「うひひ」


 ルチルの意地悪な呼び掛けに、二人とも答えてしまう。その様を見て、お嬢は笑う。

 そして、いつしか体がまでもが無数の光の玉に覆われていき、それぞれが別れの挨拶を口にし始めた。


「じゃあ、またどこかで」


「うん、またどこかで」


 こうして、全てがあるべき場所に戻ったとき、、断絶した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る