サブ(ルチル編):お嬢様の憂鬱な日常

 ぽかぽかと暖かい春の陽気の中、窓から顔を出した、大きなお屋敷に住むお嬢様は朝一番に言いました。


「つまらない」


(……なんて、こんなんじゃ童話もおとぎ話も台無しね)


 橙の髪を太陽の光に照らし、下ろすと肩まで落ちる癖っ毛を右手で掻き上げた。退屈な一日を告げる鳥のさえずりなら、そんなの全然清々しくなんてない。


「はあ……」


 今日もきっと長い一日になる。一昨日おとといみたいに、急な外食なんて入ったらもう最悪、と頭の中でもう一度ため息。


(どうして私みたいな性格の子が伯爵はくしゃくの家になんて生まれ……ううん、違うわ)


「どうしてホーン王国のキュラ地区 領主バロンであるブレイク・ロズウェルの長女に生まれながらこーんな性格に育ったか、よね」


 そう、問題はそっちだった。 物心つく頃、もしくはその前から口ずさんで、呪文のように覚えた決まり文句フレーズは、今や呪いの鎖になってあたしを縛り付けていた。覚えたら褒められ、よどみなく言い切れたら拍手を送られたあの日々は、まだかろうじて輝きをたもっていたはずだった。メイドや執事に囲まれたその中心にいたあのあたしは、もう現世にはいない。あの頃のような綺麗な笑顔の少女は、もう消えた。


「ルチルお嬢様〜、ご朝食が用意できております。どうぞ下りてきて下さいませ」


「……はーい」


 ぶっきらぼうな返事をしたあたしが、もう一人のあたしを嘲笑あざわらう。


「お嬢様、だって!笑っちゃうね、もうそんな女の子はこの屋敷にいないのに!」


「うるさいよ!あたしは、ルチルは、ブレイク・ロズウェル領主バロンの一人娘なのよ!あたし以外にお嬢様はいないの!」


「へー、よく言うよ。いつもいつも重いため息ばっかりついて、陰で悪態ついてるくせにさー」


「そ、それは……」


(はい、そこまで)


 勝敗がつく前に二人のあたしを仕舞しまい込んで、混ぜて、合わせて、一人のあたしに戻る。これもあたしの日課だった。


「今行くから、もうちょっと待っててちょうだい」


「かしこまりました」


 今日の朝食連絡担当のメイドに一言おいて、あたしは手際よくルーティンをこなしていく。

 まず窓から離れて、クローゼットに右足から初めて三歩で辿り着く。あたしの身長よりも大きなドアを一気に開け放って、左から一息に全ての服を流し見る。その中で一番最後に目に留まったものを選ぶ。小物やボトムス、靴などなどは、このとき選んだ服によって選ぶ。ちなみに、クローゼットの扉は左右一斉に、同時に開けれれば成功。

 服にはその場で着替え、今度は左足スタートでドレッサーまで歩く。このときの歩数はどうでもよしとしている。今日は六歩で到着した。


「おお、今日はちょっと寝癖強いな……」


 予想外に手強そうなねぐせに若干驚いたことは否定しない。丸椅子に座って使い慣れたくしを手に取る。繊細な金模様が入ったそれは、あたしが十歳のときの誕生日に母から貰ったプレゼントだった。その当時から一目惚れして気に入ったあたしは大切に使い続けて、今だに綺麗な状態を保っている。


「ふう、じゃあ……そろそろ行きましょうか」


 人前に出るとき、スイッチは切り替えるようにカスタマイズしている。昔から、そう出来るように育ててきた。あたし自身のことを。


(大丈夫。今日だって、上手くやれる)


 そう思って部屋のドアを颯爽と開ける。優美な階段の手すりが前方右に広がっている……はずだったのよ、あたしの日常では。

 今日そこにあったものは、シャンデリアでも、赤い絨毯じゅうたんの敷かれた廊下でもなかった。


「や、闇……?」


 ぽっかり口を開ける、ブラックホールのような不気味な空間。楕円だえんに開かれたその常闇とこやみは、幼い頃見た夜空に似ていた。

 あの時は、母と一緒に流星群を待っていた。わずかに残っている記憶の断片でしかないけれど、あたしはその日の記憶の前後をずっと追い求めて生きていた。


(何の記憶?どうして母と二人きりで?流星群なんて限られたタイミング、きっと突き止められる?母はどんな顔をしていたかしら?)


 次々浮かんではそのまま漂う疑問は増える一方で、ずっと胸のつっかえが取れない気分だった。


「もしかしてこれは運命なのかしら……」


 諦め?不安?違う、と直感が訴えていた。あたしが今感じているのは、受け入れる悟り。ずっとずっとわからなかった問題の答えは、今ここに辿り着くために用意されていた道だった……のかもしれない。

 そう思ってしまったあたしは、闇に手を伸ばす。禁断の果実にでも手を出そうとしている気分だったけれど、もう他に方法なんてないと思った。


 このつまらない日々から抜け出す方法が。


「連れて行ってよ、あたしを、真実へと」


 一歩踏み切る。あたしの体はふわりと黒に飲み込まれる。自然と振り返った先にある景色と、再開することはこの先あるのだろうか。別になくてもいいかな、なんて思った。


(お父様、許してね)


 後悔、未練、そんなものあたしにはなかった。あたしは、幼い頃から手に入れすぎたけれど、それだけが原因ではない。

 あたしは、閉じ込められすぎた。だから、そんな感情が芽生える以前の問題だったんだ。

 スローモーションで遠のいていく風景は、私の中の心残りを映し出しているのかな?それとも走馬灯みたいな?


(ふふふふふ……どっちにしろ、面白いものね)


 興味こそ湧いても、恐怖なんて起こらなかった。あたしは、どうやら枯渇しすぎているみたい。


「人生……こんな人で終わるなんて、死んでも死にきれないわ……!」


 ワクワクもキラキラも心にない人生なんて、最低。潤いのない肌に等しいのよ。

 あたしは先の見えない空間に一切逆らわず、身を任せて途方もない闇に流されていく。楽は人を堕落させるとはその通りのようで、そのうちあたしは目を開けることさえ億劫になってきた。目を閉じて、四肢の力をさらに抜く。


(ああ、こんなに楽なこと、つまらなかったわりにあたしの人生にはなかったなあ……いつも、何してたんだっけ……)


 何も起こらない日常、平和でのどかな部屋の中、でも安らぐわけでもなかった。仕事もなくて箱入り娘だったくせに。何も強要されなくて、自由の身だったくせに。楽だったはず。何もない、何も。それなのに、どうしてこんなにも久しぶりの安らぎを感じているのか、甘すぎるとしか思えないあたし自身に対してはなはだ呆れるんだけど、それでも、やっぱりそれが現状では事実。


(心地いい……)


 闇夜のような黒の中、眠ってしまいそうなあたしは思い出していた。流星群、三回、お願い事……。


(お父様と仲良くお外、お父様と仲良くお外、お父様と仲良くお外……)

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る