5th step:お嬢様のナイト

 果てた荒野にふわりと橙と茶の混じった髪をなびかせ、怒り肩でずんずんと突き進んでいく。吹き荒れる砂埃に視野をせばめながらも、ルチルは前に進んでいくしかなかった。さもなければ、生きていられるかどうかすら危うかったのだから。


「だあっ!もう、ちょーだるーい!」


 腕を目の前に置き、必死に防御する。それでも、四方八方から黄土色の襲撃は止むことを知らない。片目を瞑って歯を食いしばり、それでも一歩ずつ大地を踏みしめる。


「ふう〜〜〜!!」


 もはや何かを発しようと口を開くことも危険行為だった。気を緩めれば一瞬のうちに口内がじゃりじゃりに荒れ果てるだろう。


(何でこんな紫から吹くのに砂はふっつーなのよ!)


 ルチル自身の内心も吹き荒れていた。


「あ?」


 生き残るために無我夢中で進んできたルチルだったが、不意に歩みを止めた。彼女の目の前には、二つの人影があった。砂埃に紛れ、身を潜められていたその二つは、人間のシルエットをしていた。


(ちょっとおー、こんなとこに人ー?)


 ルチルは正面から影の行動を観察し始めた。幸い、ルチルも砂嵐に紛れて姿を隠された状態にあるようで、向こうもルチルの気付いた様子はなかった。

 ルチルは、耳を澄ませた。声から察するに、それは男女の対峙だった。


「腕が落ちてんじゃねーの、アンバーさん?」


 無邪気ともとれる少年の声が高らかに嘲笑う。


「そんなわけあるか、アポン」


 大人びた低めの声が、重厚感を持って通る。そして、都合のいい三流映画のように、吹いた風が一気に人影の前の砂嵐を取り払った。


「あっ」


「「誰だっ!」」


「うっわー、ないわあー」


 男女二人の剣先が、瞬時にルチルの向けられたのだった。溜息を盛大に吐きながら、ルチルは無意識に腕組みをした。首を傾げて顎を上げ、目線斜めに二人を見返した。


「あんたら、誰にそんな物騒なもん向けてるか、わかってんのー」


 互いに険しい空気のまま、その場で探り合いという名の話し合いが始まった。


「誰だ、テメー」


 左右で濃淡の別れたツートーンカラーの髪をしたブルー基調の少年はルチルに問う。一直線に釣り上げられた眉とつり目が相まって、かなり不機嫌に見える。向かって右にある涙ぼくろが特徴的なその少年は、先ほどもう一人の女剣士に「アポン」と呼ばれていた。


「人に聞く前に自分が名乗れっつーのおー」


 不機嫌メーターが振り切っているルチルには、そんな迫力のある態度も効果が薄かったが。


「それは、こちらからも同様に言いたいことなのだがな」


 女剣士の方は、アポンとは対照的に赤が基調となっている印象が強かった。そして彼女の方は話がわかる人物らしかった。名前は、「アンバー」と呼ばれていた。二人は赤と青で対照的な男女、しかし気の置けないタッグを組んでいるように思えた。現に今、二人は背中を合わせ、揃ってルチルに剣を向けていた。これは、長い間に築き上げてきた信頼関係があってのことだとルチルは直感的に感じ取っていた。そしてふっと笑みを漏らす。


「なあーんだ、敵対してんのかと思ったら、超最強タッグ、みたいな?めっちゃ仲いいんじゃん、ちょー強そおー」


 ルチルは不敵に笑みを浮かべながら二人を真っ向から見据えた。アンバーとアポンの雰囲気がより一層強く警戒し始める。一向に名乗り合わないまま、時間だけが過ぎ去っていった。が、やがてアンバーが口を開いた。


「アンバーだ」


「アン!」


 驚いたようにアポンがアンバーを振り返る。どうやら普段は「アン」と愛称で呼ばれているらしい。かーわいー、とルチルは純粋にそう思った。しかし、アポンの驚きに反して、彼女は微動だにせずにルチルを睨み続けていた。


「このままじゃ平行線のようだ。こちらから名乗るのが最善だろう」


 諭すようにアンバーは言った。


「でも!」


「どうやら彼女はそこまで話の通じない者じゃない。大丈夫だ、お前のことは絶対に守るさ」


 一切恥じらいも照れも見せずに、アンバーは生真面目きまじめにそう口にした。むしろ、顔を赤らめたのはアポンの方だった。


「なっ!お前は、またそういうこと言う!」


「何を動揺してるんだ?」


 単純にわからない、といった様子でアンバーはちらりとアポンを見た。しかしアンバーのその行動は、逆にアポンをいじけさせた。


「お前はさ、もう少しさあ……はあ、もういいわ、お前はそういう奴だった、うん」


 一人納得して、アポンは再び剣を構える。


「で、そっちは」


 矛先が向けられているのは無論ルチルだ。


「あははー、なんか面白いもん見せてもらったわー」


 地平線のように真っ平らにルチルは笑った。軽薄なその態度は、いつになく気抜けさせるものだった。彼女のその空無くうむは、どこから来るのか。よっ、と言ってルチルはだらしなく腕を下げた。無抵抗に揺れる両腕の下で、体軸を偏らせた力強い二脚が伸びていた。


「あたしはルチルってゆーのおー、よく覚えとくといいわ」


「チッ、偉っそうに」


 アポンが不平を漏らす。


「しっ、アポン。大人しくしておきなって」


 制しながらアンバーも訝しげにルチルを見ている。


「もーだからさあー、そんな感じになんないでってばー。あたし何にもしてないよねえー?」


 ルチルは大いに不満そうだった。


「ああん!?お前のそんな態度見て警戒すんなっつー方が難しいわ!」


 アポンがキレて叫ぶ。だから落ち着けって、とアンバーが困り気味にため息をついていた。


「あたしが誰か教えてあげましょうか」


 急に改まった態度をとり始め、ルチルはスッと直立した。


(本当は胸糞悪くてこんなことしたくもないけどさ、何でだろうね、見せつけてやりたくなったっていうのかなあー?)


「は……?」


「お前は……」


 ルチルの行動を見て、二人はその場で息を飲んだまま立ち尽くした。


わたくし、ホーン王国のキュラ地区領主バロン、ブレイク・ロズウェルの長女のルチルと申しますの。以後お見知り置きを」


 そう言いルチルはしっとりと礼をした。その立ち居振る舞いは、騎士であるアンバーとアポンですら見惚れさせるものだった。ゆえに、二人がルチルを本物だと見抜くのに、時間は不必要だった。


「あ、貴女あなたは」


 アンバーからの二人称が変わった。


「ふふ、驚いたかしら?それもそうよね、あたしなんかが公女だなんて思わないよねー、こーんな格好だし」


「あ、ああ。そうだ、な」


 アンバーは一目でわかるほどに驚いており、どういった態度をとっていいのかわからないという様子だった。そこには、彼女の真面目さが表れていた。


「本来自分が敬意を払うべき相手だって、わかったかしら?」


 アンバーもアポンも黙り込む。その様子に、ルチルは愉快に笑った。


「わかったらその無礼な剣を下ろしなさい」


 手のひらを返して指をさす。二人はその指示に大人しく従った。


「あんたたち、何でこんな所で決闘なんてしてたのよ?」


 不躾ぶしつけにルチルは問いただした。二人は無言で顔を見合わせ、事の経緯を語り始めた。


「私たちは、いつも通り王宮にいて、仕えていたんです」


「俺とアンバーは、御察しの通り王に仕える第一級騎士で、今日、あの瞬間だって王の間にいたんだよ」


 アポンも軽妙な口調を慎みながら、アンバーと共にルチルに語りかけ始めた。


「王が、突然消えたんだよ」


「は?」


 二人が話し始めたのは、通常では考えられない話。信じられないようなこの世界の現状だった。


 ***


「アン!」


「アポン」


 大理石の廊下の中央に延々と敷かれた赤の上を、アポンは駆けてきた。


「おい、王宮内を走るもんじゃないだろ、少し行動を考えろ。それとも何だ、緊急事態か」


「おいおいそうせっかちに身構えるなって。まずは剣に掛けたその手を離せよ」


 今にもさやから剣を引き抜きそうな勢いのアンバーをなだめ、アポンは頭を掻いた。


「ちょっと抜けようぜ……ああ!待て待て待て、ストップ!暴力反対だって!!」


 アンバーは真顔で再び剣に手を掛けた。その、内に荒ぶる右手を止めさせ、アポンは慌てて事情を説明した。


「王が、そうおっしゃったんだよー!」


「王が?」


「そうそう!お前たち、いつもいつも大変だろう、今日くらい休んではどうだ、なーに代わりのものは控えさせている。こう見えても王だからな、控えの騎士などいつでもいるものだ、もちろん、お前たち二人には劣るだろうがな、だっはっは、ってさ」


 忠実な再現に、アンバーは笑いをこらえていた。が、すぐに真顔に戻り、平常運転を再開するのだった。


「さあアポン、腹がいいか首がいいか、選べ」


「何で俺が斬られんだよ!」


「王を侮辱した罰だ。どうすれば毎日忠誠を誓って仕えている君主をそこまで滑稽に貶めるのだろうか、今ここでその心境を白状するならば、その命、助けてやってもい……」


「待った待った、それ、処刑人に言う台詞だから」


「お前がだろう」


「やめて!?」


 そんな馬鹿なことをしながらも、二人はその日突然手に入れた数時間の自由を心から喜んでいたのだった。それこそ、アンバーまでが軽口を叩くくらいに。


「ふふ、ふふふっ」


「なーに笑ってんだよ、アン?」


「いや、不謹慎だ、口外はやめておくよ」


「はあ、どーせ今日の休暇が嬉しくって笑ったんだろー?お見通しだっての」


「アポン、最後に言い残すことはないか?」


「今度は満面の笑顔でかよ……あーあもう、お手上げお手上げ、勘弁してくださーい」


 そんな、至福のひと時の最中さなかだった。


「え……」


 目の前に広がる光景に、二人は絶句するほかなかった。そこに広がっていたのは、闇。一面の不吉な紫雲。虚無とも空間とも言えない邪悪なものが、そこに

 振り返れば、青空と新緑。その異様な空間に、二人は一歩踏み込んだ。持ち前のその勇敢さと、普段からの習慣くせで。共に育み培ってきた、何よりも強い使命感で。

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